2012年06月08日

1800年代 − 無血革命 ー

1848年にはついにスレスヴィグ=ホルステン公国の国民の不満が爆発し、デンマークとの戦争になりました。最初はデンマーク軍が勝利していましたが、不利になったスレスヴィグ=ホルステンはドイツと同盟を組み、ドイツ・スレスヴィグ=ホルステン連合軍はユラン半島を制圧しました。
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△ 1848年のスレスヴィグ=ホルステンとの戦い

この戦いにおいてはイギリスが仲介に入りひとまず解決はするのですが、この紛争を解決する能力を絶対王政が持っていないことにデンマーク国民の怒りは頂点に達しました。
そして1848年3月21日、コペンハーゲンの市議会議員と1万5千人の市民が大挙して王宮におしかけ、1月に即位したばかりのフレデリック7世王に政治の開放と自由憲法の制定を要求しました。
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△1848年3月21日のクリスチャンス宮殿までの市民デモ。右の建物の最上階は哲学者グルントヴィの住居であり、窓から彼が覗いている。

これによりフレデリック7世王は絶対王制を廃止することを承諾し、民主主義政治を導入することを決めました。
こうして無血革命のもとに1849年6月5日にデンマークに自由憲法が施行され、デンマークは絶対王政から立憲君主制の民主主義国家へ生まれ変わりました。
これによりフレデリック7世王は国に対する権力を失いましたが、それでも彼はデンマークの王であることに変わりはありませんでした。
posted by Coyama at 23:54| コペンハーゲンの都市史

2012年06月07日

すべては必然

僕は霊感というものはありませんが、昔からよく不思議な体験をすることがよくあります。
その体験の中には、街中で偶然知り合いと会う、ということもよくあることです。

先日、ある方と話していた際に、面白い話を聞かせていただきました。

その方がお子さんを連れて旅行に出たのだが、旅先で財布にお金が入っていないことに気がついた。
帰りの汽車賃もなく、あわてて旅先で銀行のカードでお金をおろそうとしたが、その地域ではその銀行のカードを使えるところがなかった。
警察でもお金を借りることはできず、途方にくれていた時に、本当にたまたま、偶然そこに住まいの近所の方が旅行に来ていて目の前を通りかかり、渡りに船とばかりに泣きついてお金を借り、無事に帰宅できたのだそうです。

旅行先で困っていて、そこにたまたま同じ場所にご近所さんが旅行に来ている。それも偶然に出会う、ということは本当にすごいことではありますが、それらも実はすべて必然なのかもしれません。

僕にも似たような体験が何度もあります。

世の中のすべてのことは偶然ではなく必然だといいます。そうすると今の自分の状況も、すべては必然だったということになると思います。

人との出会いも、別れも、すべては必然。
会うべき人には出会い、合わない人とは別れて行くのは必然。

そういえば先日長野県の小諸に滞在していた時に、こんな出来事がありました。
僕らが拠点に使用しているアパートは4部屋あるのですが、現在人が住んでいるのは1部屋だけで、そこにはご家族が住んでいられます。
その住民の方と僕らとは面識がある程度で、これまで深く話したりすることはありませんでした。

ところが先日、僕がひとりで滞在していた時に、その家族の旦那さんが僕を見つけてすごい剣幕で迫ってきました。
僕は何か悪いことをしたのだろうかとびっくりしたのですが、よくよく話を聞くと怒っているのはもっともな内容で、話をしていくうちにその旦那さんの留飲もどんどん下がっていきました。

旦那さんの怒りは、アパート居住に関しての不満であり、それはオーナーの対応の悪さにあったのですが、旦那さんから聞くその内容は本当に酷いものでした(後にご家族とオーナーの双方の理解の行き違いもあったということもわかりましたが)。
我々は東京に住むそのオーナーから、オーナーが空き家だったそのアパートを相続したことから活用を頼まれたという経緯があり、オーナーとは直接繋がっています。
旦那さんも僕に怒りをぶつけるのは矛先が違うとわかってはいても、どこにどう意見をしていいかわからず、1年間我慢していた怒りをその時に爆発させてしまったようです。

僕はオーナーのことも旦那さんの言い分もわかり経緯もよく知っていますので、すぐにその場で対応をし、ひとまず改善できるところは改善をして、これまでそのご家族が我慢を重ねていたストレスを少し取り除くことができました。

さらにその後、そのご家族の奥さんと話していると、実は冬の間に旦那さんが我々の車に積もった雪を払ってくれていたということを知りました。
怒りを吐き出していた時はかなりの迫力をお持ちでしたが、根は本当にやさしく素敵な方だということを知りました。

居住に関してはオーナーの問題ですが、車の雪に関しては我々の問題ですので、その週末に東京から来た別の仲間に事前に連絡をして、お土産を買ってきてもらい、アパート居住の苦情に対してではなく我々の車への対応のお礼としてそのお土産を渡しました。

ちなみにお土産は、ちょうど開設して話題になっていたスカイツリーに絡めて、『スカイツリーまんじゅう』をお渡ししました。大人に対してはふざけているかもしれませんが、ご家族には小学生の息子さんもいますので、そのようなもののほうが喜ばれるかなと思ったわけです。

それにしても僕がたまたま一人で行った時に旦那さんと話したことは、偶然ではなく必然なのかなと感じました。

そういうことから言っても、今の僕の立場も必然なのだと思います。

正直苦しい毎日で、好転の兆しも見えず不安ばかりです。
これまでのいろいろな逆境を経験してきていますが、これほどまでのものはさすがにありませんでした。
もっとも、過去の様々な経験があるからこそ、今を耐えられているということもあると思います。

自分では自分が考えていること、思っていることが間違っているとはどうしても思えません。
時に人間は思い込みや勘違いをするものですが、客観的に見てもまったくの見当違いではないと思います。

そんな境遇も、きっと必然なのだと思います。
ただしその逆境を乗り越えるかどうかは、必然ではなく、僕自身の行動にかかっていることだと思います。

先日知人に相談をした際に「あなたは何を信じるのか?」と問われましたが、この世の中で信じられるのは「自分」だけです。

成功するも必然、失敗するも必然。すべては自分自身の行動次第。
僕は諦めませんけどね。
それに逆境も自分を成長させる最良の教材ですから、むしろ歓迎しています。上等じゃないですか。
posted by Coyama at 15:11| 思ったこと・感じたこと

2012年06月06日

人を見たら「水戸のご老公」と思え

人間は長年生きてくると、自身の経験から導く考えが「正しい」と思い込むようになってしまいます。
それは先入観や謝った認識に繋がることもあるのですが、悲しいかな本人はそれには気づくことがないのです。
そのようなことが、年を取れば取るほど起きてくるのが人間です。

確かに、経験や自信は大切なことです。
しかし時にそれが失敗に繋がることもよくあります。

「自分が思っていることは正しい。それは今までの経験から導きだした結論だから。自分はそれを経験しているからわかっている。」と思う人は今も昔もとても多いです。
そしてその考えも、その目論みも、正しいことではあります。

しかしそれは「100%」正しいわけではありません。

たぶん「自分の考えは80%正しい」と思うくらいが、本来はちょうど良いのだと僕は思います。

「100%正しい」と思い込んでしまっている人間ほど、たちの悪いものはありません。

例えば、先日も書いた「種を蒔けば実を収穫出来る」という過程にも、100%はないのです。
「連作障害」という言葉があります。トマトやナスなど、その年栽培した土地で翌年も同じ野菜を栽培すると作物が病気にかかりやすくなることを言います。
これらは野菜によって異なるわけですが、全ての野菜がそうなるわけではありません。
しかしそのことに最初に気がついた人はすごいと思います。専門家ではなくても農家でも経験としてそのようなことを知っていたと思うのですが、そこがすごいな、と。

何がすごいのかというと、そのことを知るには、かなりの年月を要するということだということです。

人間の考えからいけば、「畑にトマトを植えました。」「おいしい実がなりました。」「評判でした。」「よし、翌年もトマトを作るぞ!」となる。
そして作ってみたら、「ん?去年とどうも様子が違うぞ?」「なんでだろう?」

「たまたまこの年は不作だったんだな。天候も不順だったし。」「翌年は経験を活かして最初の年のようなトマトを作るぞ!」

翌年、「あれ?うまくできない・・・」「なんでだろう・・・?」

こんなことを繰り返したのでしょう。そしてなんだかわからないけどトマトやナスは毎年同じ場所で作らない方がいいということを知るのに、気の長い年月をかけたのだと思います。もしかしたら1代ではなく何代も語り継がれてようやく知られたこともあると思われ、そこがすごいと僕は思うのです。

そんな中で、文明が進みやがて科学的に証明されたのが「連作障害」というもの。
これは「種を植えれば実がなる」という考えを覆すことになったわけです。

さらにこの経験から、「野菜は毎年同じものを植えない方がいい」という考えになると、中にはそうでもない野菜もあるわけで、『「野菜は毎年同じものを植えない方がいい」という考え』も100%正しい意見ではないのです。

世の中は、実際にはそのようなことで溢れています。

そしてそこに生きる多くの人たちが、自分たちの多くの経験から、100%自信と確信を持って真実を言い当てることが出来るようになるとき、大抵の人は残念ながら寿命が来て死んでしまいます。

ちなみに人は生まれてきて必ず死ぬというのも、100%正しい考えではないと、僕は思います。
もしかするとこの世には死なない人間がいるかもしれないからです。それが間違いだとは100%言いきれません。
常識的に「人は100%死ぬのだ」と言う人もいるでしょうが、実はこの世のどこかには縄文時代や大航海時代から生き存えている人もいるかもしれない。本人がそのことを黙っていれば誰にもわからないのです。

世の中には真理は常に2つあります。逆もまた真なり、です。

だから「自分の考えは100%正しい」と思い込むのはよくないと、僕は思います。
50%とはいかなくとも、「自分の考えは80%は正しい。ただし20%の例外もある。」と常に思っていた方がいい。

その20%はどういう働きをするかと言ったら、「謙虚」に繋がります。

『100%正しい思想』の人間は「なんだこの老いぼれじじい」と邪険にする。
『80%正しい思想』の人間は「しょうがないじいさんだな。おい、大丈夫かい?」と気にかける。
20時45分、葵の御紋と共にじいさんの正体が明らかになったとき、『100%正しい思想』の人間は激しく後悔するのだが、後の祭り。
『80%正しい思想』の人間は「えぇぇぇ!あぁ、粗相をしなくてよかった。」とホッとするのです。

何が言いたいのかというと、人間という生き物は年を取れば取る程、先入観や経験から来る自信で他人に対し決め付けでものを話すようになるということです。

『老いぼれじじい』はただの『ちりめん問屋の隠居』かもしれない。しかしごくまれに『水戸のご老公』ということもある。
人生でたくさんのじじいに出会うなかで、『水戸のご老公』に会う確率はほとんどないかも知れないが、知らいうちに『水戸のご老公』と会っていても粗相のないように、『じじいは100%ちりめん問屋の隠居だ!』ではなく『じじいは80%ちりめん問屋の隠居だと思うが20%はもしかすると水戸のご老公なんてこともあるかも』と親切に接しておくよう心がけておくとよいのです。
なんなら『じじいはみな「水戸のご老公」かもしれないから、出会うじじいには親切にしよう。』『じじいを見たら「水戸のご老公」と思え』、いや、年とってからあのようなことをしているくらいだから実は若い頃から似たようなことをしていたかもしれないわけで、『人を見たら「水戸のご老公」と思え』なんて思うのが一番いいかもしれません。

それを簡単に言い表すと『自信を持つことは大事だが、常に謙虚たれ』ということで、僕自身は常にそう思う人間でありたいと思っているのです。
もちろんこの僕の考えも、80%程度の信憑性しかないかもしれず、20%は全然違うのかもしれませんが。
posted by Coyama at 18:08| 思ったこと・感じたこと

2012年06月05日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Nuuk(ヌーク) −

グリーンランドの首都であるヌークの町は、植民地の都市としてはグリーンランドで最も古く、ハンス・エゲデ牧師がこの地に辿り着いた1728年に作られました。
ヌークとは「岬」という意味で、その名の通り町は巨大なヌークフィヨルドの大きな半島の先端に位置しています。
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△ 首都ヌークの地図

現在ではグリーンランドで最も多い13,884人(2003年)の人が住み、つねに新しい文化を発信し続けています。
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△ 現在の首都・ヌーク

古くからの美しい建物が残されている「植民地の港」では、その日の採れたての魚や肉のマーケットが並ぶ姿を目にすることが出来、過去からの変わらぬ風景を見ることができます。
また1992年に完成したグリーンランド文化センターや大学、専門学校、大聖堂、観光客が伝統的なグリーンランドの芸術に触れることのできる国立美術館なども建てられています。
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△ グリーンランド文化センター
posted by Coyama at 17:54| グリーンランドのこと

2012年06月04日

1800年代 − 黄金時代 ー

デンマークでは1815年以降の時代を、国が裕福になった『黄金時代』と呼んでいます。この黄金時代に、デンマークは数多くの素晴らしい人物を排出しました。
世界的に有名な作家、H.C.アナセン(Andersen)もこの時代の人物です。ちなみに日本では「アンデルセン」の名で知られる彼ですが、デンマーク語の発音は「アナセン」となり、デンマークではイニシャルを含めて「ホー・シー・アナセン」と呼ばれ今でも親しまれています。
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△ コンゲンス公園にあるH.C.アナセン(アンデルセン)の銅像

また詩人であり聖職者であり教育者であり哲学者でもあるN.F.S.グルンドヴィ(Grundtvig)は多くの賛美歌をつくり、今でもデンマークの教会で毎週日曜日に歌われています。そして彼の教育や福祉の理念は現在でもデンマークの思想の基礎となり、デンマークの精神として根付いています。
他にも哲学者のソーレン・キアケゴードや音楽家のカール・ニールセンもこの時代の人物です。

この頃のコペンハーゲンの人口は約30万人となり、すでに防壁に囲まれた都市の人口密度は限界に達し、多くのスラムが生まれていました。また1830年代にはヨーロッパの多くの国々で市民革命が起こります。多くの国々が民主政治になり、王と領主たちの独裁政治は排除されていきました。
デンマークには市民革命こそありませんでしたが、当時のクリスチャン8世王は市民と農民を議会に参加させることを決めました。
これは彼らが政治に参加をし、王に直訴が出来る場でもありました。そしてこのような議会はスレスヴィグやホルステンでも開かれました。

当時、スレスヴィグとホルステンの両国はデンマーク王によって統治されていました。しかしホルステンの人々はこれに不満があり、自分達で自分達の国のことを決めたいと思っていました。
一方でコペンハーゲンの住民にも不満が多く、多くの集会がコペンハーゲンで開かれていました。

また1830年代には西欧諸国で産業革命が進行し、デンマークの貿易も利益を上げていきます。さらに1846年にイギリスへの高額な関税が廃止されて自由貿易が行われるようになると、農作物の輸出によりデンマークの農民の生活も向上していきました。

1843年にはコペンハーゲン市民への娯楽施設としてチボリ遊園地(TIVOLI)が防壁の外側に建設されました。
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△ 開園当初のチボリ遊園地のアトラクション

この遊園地はその後防壁が取り払われて都市が拡大する中でも住民たちの反対により取り除く事ができず、現在でも世界最古の遊園地としてコペンハーゲンの都市の中心に残り、デンマーク国民の憩いの場として利用されています。

また街にあったJ.C.ヤコブセンのビール醸造所は、1846年にValby地域へと移転しました。それが現在のカールスバービール工場です。この優秀で美しい建築様式をあちこちにちりばめた建物は産業時代の企業経営の象徴となりました。

そして1847年にはデンマーク最初の鉄道がコペンハーゲン-ロスキレ間に開通しました。 
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△ 最初のコペンハーゲン駅

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△ 最初の路線(ロスキレ−コペンハーゲン)
posted by Coyama at 21:31| コペンハーゲンの都市史