2012年06月23日

美人の解釈

最近長野県小諸市での活動に関わるようになって、世の中が意外と農業や自然ブームだということを肌で感じるようになりました。
また卵が先か鶏が先かではありますが、それに伴って食についても様々な考えがあるようで、昨今の原発事件による食の安全性もありますが、一方で女性を対象に健康や美容を考えたものが取りあげられるようになってきていると感じています。

僕も美しい女性が好きですので、そのことに関しては何の否定もいたしません。
ただ、見た目や食にこだわったとしても、中身がきちんとしていないと魅力が薄れてしまうな、と感じることが時々あります。

10代や20代の若い女性は、それだけで美しいものです。周りからもチヤホヤされることも多いでしょうし、僕自身もきっとチヤホヤすると思います。
しかし男女限らず、人間は来る歳月を止めることはできず、やがて老いていきます。

その時に、若さや美しさを保つ努力を僕は否定しません。
食や健康などを考えて若さや美しさを保つ行為は、体にもよいことだと思います。
また「健全な精神は健全な肉体に宿る」とも言うように、心にもよいことでしょう。

ただ、若さや美しさを保とうとするその努力も、中身も磨かなければ意味がないと、僕は思います。
僕自身が年齢を重ね、多くの人たちと接してきた中で、中身が素晴らしい女性はどんなに年齢を重ねようと素敵だなと感じる一方で、中身の未成熟な女性に出会うことも残念ながらよくあります。

どういうところを残念に思うかというと、本当に基本的なところです。

・挨拶ができない
・ほほ笑むことが出来ない
・他人に救いの手を伸ばさない

上の2つは人としての基本中の基本で、わかりやすいことだと思います。
3つ目に関しては、マザーテレサのような渾身的な慈悲深さを言っているのではなく、日常生活の中でのほんの些細なことなのですが、たとえば道を歩いている時に他者の迷惑を考えず荷物を横に広げて道の真ん中を歩く人、電車に乗る時に降りる人を待たずに我先に乗り込む人。大勢でいる時に、離れた場所からものを渡す時に、その間にいる方が中間で受け取って先に渡してくれる方と、何もせずに知らぬそぶりをする方も時々見かけます。
もちろん女性に限らず、男性でもこのような方は多いですよね。
これらは、何も道を歩くな、電車に乗るな、と言っているわけではなく、他者のために自分に影響のない範囲でいいから道をあけ、共存したらどうかと僕は言いたいだけです。それも小さいことですが他者に救いを与えていることであるわけですから。

こういう些細なことが自然に出来ないと、どんなに見た目がよろしかろうが、身を向上させる食や健康に関しての知識を持っていようが、決して美しいとは呼べないし呼ばれないのだと僕は感じています。

昨年93歳で亡くなった僕の母方の祖母は、10年以上認知症を煩って亡くなったのですが、最後の数年間は施設へ入居していまいた。認知症ですので孫の僕のことなどはもうわからないのですが、それでも僕は盆暮れには顔を出して会いにいってました。

祖母が入居していたのは同じように認知症高齢者が暮らす施設だったのですが、そこを見ていると、本当に人生の最後の最後で、人の資質というのははっきりと現れるものなのだな、ということを感じました。
認知症になると、簡単には言えませんが要は子どもに戻るというか、理性が失われ心の奥底からの感情が表面化されるように思いました。

僕の祖母などは本当に穏やかで礼儀正しく、職員の方々からも好かれていたようなのですが、常に「恐れ入ります」や「ありがとうございます」「素敵ですねぇ」など丁寧な言葉を繰り返していました。
一方で、入居者の中には怒鳴り散らす人もいれば、汚い言葉を吐く人もいる。一方で何も言わず黙ったままの人もいる。
それが病気によって引き起こされた症状でもあるかもしれませんが、聞いたところでは認知症で理性が退化した分、理性で抑えていた人の本性の部分が現れる、ということなのだそうです。

つまり心の中では「コノヤロウ!」と思っていながらも、ぐっと堪えてニコニコへつらって生きてきた人は、年をとって脳が衰退した時に、本音の部分が表に出てしまい「コノヤロウ!」と怒鳴り散らすようになることもある。
悔しく思うことでも、他人を恨まず思いやったり、苦悩は自身を成長させるよい教材だと常に心の中で「ありがとう」と感謝が出来る人は、いざ理性が薄れていって本音の部分が表に出るようになっても、穏やかで何に対しても「ありがとう」と感謝して微笑んでいられるのだと思います。

人が最期を迎えるその時に、美しい人でした、と言われる人が、本当の美人なのかもしれません。
そして美人というのは、なにも女性だけを対象にした言葉ではなく、男女共に使われる言葉だと思います。
今から50年60年後に、日本にはどれだけの美人がいるのでしょうか。大きなお世話かもしれませんが、最近の10〜30代の日本の若者を見ていると、僕は時々不安に感じてしまうのです。
posted by Coyama at 19:51| 思ったこと・感じたこと

2012年06月22日

シンクロニシティ

自分が必要な時に、必要とすることは、実は自分でも気がつかないうちに身近にあったりもする、と言います。
それはシンクロニシティとも呼ばれています。

先日なにげなく参加した会合で、隣に座った知り合いの年配の方と話をしていた時に、「最近仕事の方はどう?」と聞かれたので、正直に「いやぁ、全然ダメです。仕事もないですし、もうお金もなくなってきてますし、来月で行き詰まりそうで・・・」と言うと、その人が微笑みながらこんなことを言ってきました。

『いいことじゃない。「お金がない」「仕事がない」なんて、若くて健康な今のうちだからよいことなのよ。それが年を取ってからになってみなさい。どうにもならないことなのだから。大丈夫、神様はきちんと見ているものよ。頑張りなさい。』

僕はてっきり他の人と同じように「そう、大変ねぇ・・・・」と他人事への心配そうな表情を作って言われるのだろうなと思っていましたので、そう言われて驚いたのと、心がとても楽になりました。

その言葉は、ご自身が体験をしていなければ決して出て来ない言葉だと思います。その方も、その人生にたくさんのご苦労があったと察するとともに、お年を召してからそのような言葉を述べられることを素敵に思いました。
僕自身も、いつかそう言った言葉を吐ける人間になれるよう、つらいこと苦しいことでも、たくさん経験をして乗り切っていきたいと思っています。

そういえば7年前にも僕が同じような状況にあって、同じように苦しんでいて、同じように周囲の人たちに相談をしたのですが、同じように他人事への心配そうな表情の大人たちからお決まりの乾いた言葉をたくさんいただいたことがありました。

あの時に救いになったのは、その人たちとは違った、恩師からの言葉でした。

「僕も駅の水しか飲めない日もあった。でも、死ぬことはない。若いと言うことは、そうゆうことだ。戦時中はもっとひどかった。アットいうまに命が無くなった。いまはそうした不安は無いだけでも良しとしなければ 。」

その言葉で心が軽くなり、あの時期を乗り切ることが出来ました。

僕は宗教は信じていませんが、世の中で『神様』と呼ばれている何か得体のしれないものへの信仰心はあります。それは過去に何度も不思議な経験をしてきているので、この世のものとは思えない、不思議な力はあるのだろうと信じざるを得ないからです。
そしてそんな『神様』のようなものは、あの手この手で、自身が求めていることに対して助言などを発信してくれているのだと思います。
あとはそのことに自分が気がつくかどうか。

こんな話を思い出しました。
*****
ある夏の日、小さな町を大きな台風が襲いました。
何日も前から「台風で洪水になる危険性があるので町から避難し、出来るだけ高い場所に移動して下さい!」とテレビのニュースで呼びかけていました。
町の人たちは「まさかそんなことはないだろう」と思っていましたが、日に日に強くなる風と雨を見て「これは本当に大変なことになりそうだ」と高台にある隣町に避難していきました。
ところがある一人の女性だけは違いました。
「私はここにいます。だって家を空けている間に泥棒に入られたらどうするのですか?それに神様が守って下さいますから大丈夫です」と言い、台風が迫ってきても一向に避難しないのです。
その女性は神様の存在を信じていたので、何があっても神様が自分を救ってくれると信じていたのです。

数日後、その町を台風が襲いました。
大雨で堤防が決壊し、町は洪水に見舞われました。
その女性の家にも水が襲ってきたので、女性は屋根の上に上りました。その間にも雨は強く降り続きます。
そこへ屋根の上の女性を助けようと一艘の救命ボートがやってきました。
「早く乗りなさい。台風はますますひどくなりますよ」
しかし女性はその救いの手をはねのけました。
「そんなに小さなボートに乗るのは危険です。今だってグラグラしている。私は大丈夫、神様が救いの手をさしのべてくださいますから」
説得に応じない女性を見て、ボートはその場を去ってしまいました。

しばらくすると空から救助用ヘリコプターがやってきました。
ヘリコプターはロープのはしごを女性の頭上にたらしました。
「そのはしごにつかまりなさい。水はもっと増えますよ!」
ところが、女性がはしごに手をかけることはありませんでした。
「こんなに風が強いのにロープのはしごにのぼるだなんて危険すぎます。それにもしヘリコプターが落ちたらどうするのですか!?大丈夫、私のことは神様が助けてくださいますから。」
そういって断固としてヘリコプターに乗ることを拒んだのです。

その後、水はますます増えていき、女性はとうとう死んでしまいました。

天国で神様に会った女性は、神様に尋ねました。
「神様、どうして私に救いの手を差しのべてくださらなかったのですか?」
すると神様は答えました。
「私は避難勧告や救命ボートやヘリコプターで何度もあなたを救おうとしました。それを拒んだのは、あなた自身ではないですか。」
*****

そうやって実は誰にでも自分が“求めたもの”に対して“与えらるもの”というのは届けられているわけです。
それを見ようとしないから見えないのであって、意識すれば見えてくるようになり、それをつかむ人もいれば、わざとつかまない人もいたり、無意識で見えない振りをする人もいる。
本当は、単純に困ったことがあって、その答えになりそうなことが目の前に出てきたら、『つかもう』という気持ちを持ってつかみさえすればいいだけのことなのです。
甲子園のファールボール」と一緒ですね。

だから僕は落ち込むような状況や人に会いたくないような状況のときこそ、外に出て人と積極的に接するようにしています。
部屋にこもって待っているだけでは、目の前には何も現れませんし、ファールボールも飛んできませんので。

ちなみに本を読んでいたら、こんな言葉がありました。
*****
良い時も、悪い時も、その時だけなんだから、現状が悪いからって逃げることもない。最低な立場に立たされたって、ケローっとしていれば気が楽だし、ここまで落ちたらあとは上がるしかないって、逆に楽しみが増えてくる。
*****

さて、僕はここからどこまで上がれるか。楽しみです。
posted by Coyama at 21:22| 思ったこと・感じたこと

2012年06月21日

走りたくなる坂がない

突然ですが「全力坂」というテレビ番組をご存知でしょうか。
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深夜にテレビ朝日で放送されている数分間の番組で、ただ単に女性が(時に男性の場合もありますが)坂を全力で走って駆け上がる、という内容の番組です。
http://www.tv-asahi.co.jp/saka/
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ただ走るだけで何の意味があるのだろうかと思われる人も多いと思いますが、基本的にはあれです、女性がTシャツなどの薄着で走り、その時の胸の揺れを世の男性たちが楽しむ、といったことが裏にはあります。
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そのため出演走者にはうら若きグラビアアイドルなどが多いわけです。

番組では俳優・吹越満さんの「○○にある、○○坂。この坂もまた、実に走りたくなる坂である。」というナレーションが印象的なのですが、考えてみるとこの番組はデンマークでは制作できないだろうな、と思いました。

なぜならデンマークは平坦な地形のため、全力坂に使えるような坂がほとんどないからです。

日本の最高峰と言えば言わずと知れた富士山ですが、その高さは3,776メートルです。
一方でデンマークの最高峰であるYding Skovhoj(イィング スコゥホイ)の高さは、173メートルしかありません。
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△ Yding Skovhoj(イィング スコゥホイ)山頂

この173メートルがどのくらいの高さかというと、日本では大阪にある梅田スカイビルの展望台の高さと同じです。
東京タワーが333メートルですから、デンマークの最高峰は東京タワーの半分ぐらいの高さなわけで、デンマークはそれだけ起伏の少ない平坦な国なのです。
そのため「全力坂」で使えるような坂がほとんどありません。

ちなみに、平坦故に移動がしやすく、デンマーク人の重要な交通手段のひとつとして自転車が多用されています。
人口約540万人のデンマークにおいて、自転車の登録台数は約450万台も登録されているのだそうです。
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そして国の隅々にまで自転車道が整備されており、デンマーク人の1年間の自転車での平均走行距離は400kmにも及ぶのだそうです。1日約1.1kmは自転車走行をしていることになります。
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△ デンマーク郊外のサイクリングロード

また首都のコペンハーゲン市内においては、郊外からの自転車通学・通勤者も少なくなく、コペンハーゲンの交通の約35%が自転車で占められています。
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ちなみにデンマークの小学校では「自転車乗り試験」というのが必須であり、子どもたちにとってこの試験に落ちるということは不名誉なことなのだそうです。

「全力坂」から話がズレていきましたが、そのように坂のないデンマークでは、全力で坂を駆け上がる女性を見て楽しむ「全力坂」という番組は制作出来ないだろうなと、日本の坂を登っていてふと思ったわけです。
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△ この坂もまた、実に走りたくなる坂である。。。
posted by Coyama at 21:27| デンマークのこと

2012年06月20日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Aasiaat(アーシアート) −

1759年にハンス・エゲデの息子のニールスにより、オランダの捕鯨船の違法な捕鯨を防ぐのが目的でこの町から125km南の地点に居留地・Egedesmindeが建設されました。やがて1763年に居留地は現在のアーシアートの位置に移されました。
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△ 現在のアーシアートの町

アーシアートのは「クモ」という意味で、それはコミューネのシンボルマークにも使われています。

アーシアートはディスコ湾の南に位置し、とても美しい群島「千の島々」の先端に位置しています。島の多くは保護地域に指定され、貴重な鳥の生活の観察や、町の建設目的でもあったクジラの観察をすることができます。

町は北グリーンランドの中学校、ビジネススクール、そして養護学校を持っており、美術館とコミュニティセンターが併設された施設もあります。
posted by Coyama at 22:54| グリーンランドのこと

2012年06月19日

こもなみ倶楽部

昨年2011年6月24日に書いて「あしたのまち・くらしづくり活動賞」に応募した「こもなみ倶楽部」に関するレポートです。
結果、振興奨励賞をいただきました。
書いたのは僕ですが、内容を実行したのは多くの人たちです。人が集まり、ものが動けば、必ず結果は出ると思います。

*****以下レポート*****

■ きっかけ
 「小諸にアパートや農地を相続しましてね。」 2008年秋、杉並区に暮らす相続人のその一言から『こもなみ倶楽部』の活動は始まった。華やかにイメージする遺産相続とは異なり、アパートは2008年に起きたリーマンショックを引き金とするいわゆる「派遣切り」の影響で借主が退去して全室が空室になり、農地や山林は30年以上も管理を放棄されて荒れ放題。相続はしたものの、使い道に困っていた。
 その話を聞いて興味を持った東京の有志数名は小諸を訪問し、相続したアパート、農地、山林を見学。2009年1月には相続人と“遊子”数十名が訪問し、小諸市内の温泉旅館で風呂上がりの浴衣姿でお酒を酌み交わしながら、今後それら休眠資産を使って何が出来るかを深夜遅くまで話し合った。
 その白熱した議論の中から、東京から出向いた都会の人間が地方の小諸で何かを行っていくには、まずは地域の人たちの信用を得ていくことが重要だが、そのためには何か核となる行動が必要だろうと考えた。そこで手始めにあの荒廃農地を再生してみたら、小諸の人にもその変化が目に見えやすいし、自分たちでも行えることではないかと考え、2009年の春から月に1回程度小諸を訪問し、アパートに寝泊まりをしながら荒廃農地の再生に取り組み始めたのである。
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△ 2009年4月の農地の様子

 このような都会と地方を繋ぐ活動は日本全国でも多く試みられている。しかし最初は盛り上がるものの大抵1〜2年で情熱が冷めたり仕事や生活環境の変化で自然消滅してしまう活動が多く、それが小諸やその周辺で将来立ち上がるであろう後輩の活動に影響を与えることは避けたいと考え、まず3年継続することを第一の目標に掲げた。そこには、活動が長続きせず終息してしまうことで地元の人が「どうせこういうのは長続きしないんだよ」という前例を植え付けその後の協力に消極的になってしまうことを避けたり、内部では活動を率いる先輩が途中で投げ出すことなく続ける姿を後輩に示していくことで、未来の活動を担う若きリーダーを育てていく大人としての責任があるという、まちづくり活動への想いがあった。
 当初は「小諸〜杉並ミートアンドマッチングプロジェクト」という名で始まった活動は、いつからか「こもろ」と「すぎなみ」を掛け合わせた「こもなみ」と呼ばれるようになり、きちんと責任ある活動を行っていくために2009年の夏には事務局が構成され、月1回程度の会合を開いて活動を組み立てていく『こもなみ倶楽部』が誕生した。

■1年目
 小諸での1年目となる2009年は、とにかく荒廃農地の再生にかかった1年だった。当初は農地を覆う藪を刈り取れば畑として再生できるだろうという安易な考えだったが、取り組んでみると大地一面に張ったクズの根に大苦戦。さらに棚田の中の整備がされていない農地のために、田植えの時期になると上層からの水が農地に染み出てきて雑草の成長を助け、夏には人の背丈を上回るまでに成長する状態だった。
 クリスマスリーフや編み籠などに使われるクズの蔓も、30年以上放置をすると人の腕よりも太く成長し、草刈りと称した作業にはチェーンソーやつるはしが登場。その様子は草刈りと言うよりも「開墾」と言う言葉がふさわしい状況だった。
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△ クズの根との戦い

 あまりに先の見通しが立たないその状況に、まずは農地の半分を開拓し、そこで蕎麦を栽培することにした。蕎麦は荒れ地でも育つと聞いたのと、地元の農業委員会が荒廃地対策として蕎麦の種を2年間は無償提供してくれると聞いたからである。
 この年は、なんとか農地の半分を開墾し、蕎麦の種をまき、収穫し、製粉して蕎麦を打つ体験を行った。
 またこの年の夏から、小諸側のメンバーが月に1回程度、杉並区の商店街で産直品販売を開始し、東京側ではその販売の手伝いをするようになった。普段東京から小諸へ行くといろいろと助けてくれる人たちに、東京では手伝いという形でお返しする体制ができた。そして東京側の参加者は、販売する立場から、販売の難しさや販売する商品への知識を学ぶきっかけを得る体験に繋った。
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△ 都心の商店街での野菜販売

■2年目
 2010年冬、近隣の方の好意で農地に重機が入った。これで今年は草刈りに悩まされず、農地一面を利用することができると喜んで迎えた春、参加者が目にした農地は、整備されていない畔から決壊した水で泥沼と化していた。
 こうして2年目はまず水路の整備から幕を開けた。この農地は元は田んぼだったため、田んぼの構造を把握。農地にこれ以上水が入らないように畔沿いに膝下まである深い溝を100メートル以上も人力で掘り進め、水を側溝へ導いた。そして乾いている部分で野菜と蕎麦を栽培し、夏にはわずかながら収穫を楽しむことができた。
 また現地サポーターの手引きで田んぼや梅林の管理もすることになり、田植え・稲刈り・脱穀などの米作り体験や、梅の剪定から梅酒造りといった活動も行った。
そして秋、我々の農地がある地域に、劇的な変化が起こる。それは我々の農地に隣接する耕作放棄地にも重機が入り、うっそうとした林が整地され、この地域に美しい棚田の風景が戻ってきたのである。
 長い間、棚田の中心にあった相続人の農地と隣の農地は、耕作を放棄して以来その地域の景観を損ねてきた。それが我々の再生活動に刺激されたのかどうかはわからないが、隣の農地で10メートル以上に伸びきった放棄林が切り取られ、見晴らしのよい風景が復活し、棚田の下から望む景色の中に、耕作放棄地の木々や草で隠されていた浅間の山々が姿を現したのである。
 これこそが活動の生み出した結果であり、最初は遠くから見ていた地域の方々と、気が付くと会話が生まれるようになっていた。
さらに3年目の継続に向けた課題を抱えていた時、『こもなみ倶楽部』の活動は2010年のトヨタ環境活動助成プログラムに採用され、関係者の士気が一気に高まった。
 その年の暮、農地で収穫した蕎麦を自分たちで打って食べようと行った蕎麦打ちの会場で、たまたま居合わせたご近所の方に活動の話をしたところ、重機や耕運機を使って整地をしてくれることになり、3年目の活動に大きな希望の光が差し込んだのである。

■3年目
 2011年、ついに活動は当初の目標であった3年継続を達成する見通しになった。冬から春にかけて農地には重機が入り、水路整備と農地の耕作が行われ、ついにあの耕作放棄地は立派な畑に姿を変えた。3年前に背丈以上の草々に覆われた農地を前に途方に暮れていたあの頃に比べると、そのすがすがしい景色に一同感激。浅間山から吹き下ろされる風がより一層心地よい。
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△ 2011年4月の農地の様子

 3年目を迎えるにあたり、より地元の人たちとの連携を強めていこうと、作業の始まる前の2月に、小諸市内の温泉旅館で地元の人を交えた討論会を設けた。そこでは「助成金は今年限りで使い切るのではなく先々の活動に使えるものに投資する」、「自分たちで生産したものを自分たちで販売し、種代・苗代は自分たちで稼ぐ」など様々な意見と人間関係が構築され、3年目の計画が整った。
 そして活動に必要な先々まで残るものとして、自動車を購入し、現地に常駐することにした。これにより参加者は都心から車を出さなくとも高速バスや新幹線で好きな時に小諸へ行き、現地で行動ができるようになったのである。

■多世代が集う場
 この活動に参加した最年少は2歳、最高齢は76歳。東京からはこれまで200人近い人が参加をし、小諸で関わった人たちを加えると関係者は400人を優に越える。その活動の場には常に、子どもから20代、30代、40代、50代、60代、そして70代と、多世代の集う場が自然と生み出されている。そして自然を教師にし、自然から学んでいるため、参加者の中での年功序列や上下関係は存在しない。みな自然の前では平等の立場であるのも『こもなみ倶楽部』の特徴と言える。
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△ 多世代が集う場

■これから
 「うちの子が小諸に行くまで続けてください。」 命を宿す大きなおなかを抱え、杉並での小諸の産直販売に顔を出した事務局員の奥方が、おなかをさすりながら販売をしている我々にそう言った。
 都会に暮らすとなかなか触れられない自然から学ぶことのできる場所が、小諸に出来つつある。2011年8月に杉並で誕生する予定のその新しい命が、いつか『こもなみ倶楽部』の活動に参加し、小諸の大自然の中で両親やその仲間たちと共に土や水、緑や風や太陽の光に触れ、そして自然の中で生きる生物や小諸の人々に触れられたら、それはまさに“小諸〜杉並ミートアンドマッチング”そのものである。
 活動を始めた時に掲げた3年継続の目標が達成できた今、我々の次なる目標は、これから生まれてくる子どもたちに、自然から学び、人に触れ、なにより楽しむ場を残していくことにある。
 この3年間、小諸〜杉並ミートアンドマッチングプロジェクトとして始まった『こもなみ倶楽部』は、相続した空室だらけのアパートの活用と、30年以上耕作放棄された農地の再生を通し、様々な出会いや経験を生み出してきた。そこで得た人間関係と体験は、例え『こもなみ倶楽部』の活動がこの場で終わりを迎えたとしても、それぞれの中にずっと残っていくものとなっている。
 だが『こもなみ倶楽部』はまだ終わらない。これからも東京と小諸の間で、明日のまちや暮らしを豊かにするため、活動を続けていく。
 そのために重要なことが何かを『こもなみ倶楽部』は知っている。それは「楽しむ」こと。楽しいから活動が続いていくのだ。
 決して嬉しいこと、容易なことばかりではない。自然を相手にし、そして人の集まりである。時には自然からの厳しい試練や体を酷使するつらい作業もあり、また人間同士の意見の相違から思うように進まないこともある。でも、それらも全て楽しむことが、活動を継続させ、明日の夢を創り出す大事な要素ではないかと思う。

 いろんなことがあるけれど、自然に感謝をしながら、多くの人たちと、昨日を楽しみ、今日を楽しめたら、きっと明日も楽しめる。
 それが『こもなみ倶楽部』。
posted by Coyama at 22:03| 「食」と「農」のこと