2012年06月28日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Qaqortoq(カコートク)−

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1775年に居留地として作られた「白」という意味を持つQaqortoq(カコートク)の町は、現在では約3,400人が暮らす南グリーンランド最大の町です。約3,100人が町に暮らし、残りは周辺の3つの居留地でトナカイや羊の牧場を営んでいます。
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△ カコートクの港

町にはいくつかの会社があり、造船所では小型船を製造しています。
Great Greenland社ではアザラシの皮などを加工し、世界中に輸出販売をしています。また魚の加工場ではスーパーへの魚を冷凍保存し、輸出しています。

町の広場はグリーンランドで最も古い噴水を持ち、毎日とれたての魚が水揚げされる港の横に位置しています。
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△ カコートクの町の噴水広場

町の救世主教会は1832年に建てられたもので、ノルウェーのDrammen(ノルウェー南東部の港町)より移築されました。
教会の屋根裏はグリーンランドで最初の図書館として1940年まで利用されていました。この教会は現在も使用されてはいますが、町の人口増加に伴い、1973年に別の場所に大人数を収容出来るGertrud Rasch教会が新設されました。
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△ Gertrud Rasch教会
posted by Coyama at 17:13| グリーンランドのこと

2012年06月27日

埋れ木

『世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』という歌をご存知でしょうか。

幕末の大名・井伊直弼さんが詠んだ歌だそうです。

井伊直弼さんは江戸時代の大老として活躍し、最期は桜田門外で暗殺されたことで知られていますが、井伊さんが大老職に就いたのは43歳の時。しかしそれまで着々と出世街道を歩んできたわけではなく、32歳まではわずかな捨扶持をもらいながら控え屋敷で暮らしていたのだそうです。

当時の32歳ということは、現在だと40〜50歳ぐらいまで埋もれていたといったところでしょうか。

その間、井伊さんは「なすべき業をなせばいいのだ」と学問や武道に精進し、自分を磨き続けたのだといいます。

歴史には学ぶ事も多く、「温故知新」と言う昔からの言葉もあり、過去の人から学べる事もたくさんあります。

僕も今はただ、なすべき業をなす、精神でいかなければならないと思っています。
嘆いたところで誰が助けてくれるわけでもないし人生が楽になるわけでもない。

なすべき業をなせばいい。そういうことなのだと思います。
posted by Coyama at 21:51| どうでもいいこと

2012年06月26日

事象・要因・誘導・判断・決断。そして結果。

僕は今の最寄駅からデスクのある早稲田大学へ向かう時に、主に朝9時の小田急永山駅発の多摩急行を利用します。
僕のデスクのある早稲田大学は西早稲田キャンパス内にあり、そこは地下鉄副都心線の西早稲田駅と直結しています。

自宅の最寄り駅は京王線と小田急線が並走しているのですが、時間的には京王線で新宿まで出て地下鉄丸ノ内線に乗り換え、新宿三丁目で副都心線に乗り換えるのが早いのですが、それは京王永山駅と新宿駅間を約30分で輸送する特急電車を使うからで、残念ながら朝9時永山発では混雑緩和のためか新宿に向かう特急電車が走ってなく、急行のため時間も多めにかかります。
さらに多くの人が乗り合わせるため座れることはまずありません。

一方で小田急線は、通常だと新百合ヶ丘駅と代々木上原駅で乗り換えなければいけないのですが、小田急永山駅からすべて直結して新宿線に連結する多摩急行という急行電車があります。
これに乗ると副都心線に乗り換える明治神宮前/原宿駅まで乗り換えることなく行くことができます。
さらに運が良ければ小田急永山駅で乗り込んだ時に座ることができ、座れなくとも道中は京王線ほどに込み合うことがありません。
そのため僕は小田急線を利用しています。
車両は、明治神宮前/原宿駅で乗り換えるのに便利な前から2両目の列車に乗り込みます。

また運よく座れたとしても、小田急永山駅へ入ってくる列車の空いている座席は1〜2席のため、電車到着の10分前には駅に向かいなるべく列の先頭で列車を待つようにしています。

今朝もそのようにして9時10分前にはホームに着き、一番前で列車を待っていました。
するとしばらくして小学生の集団がやってきて、僕の乗り込む2両目付近で止まりました。
小学生たちはわいわい騒ぎながら、引率の教師によって3班に分けられ、進行方向の1つ目から3つ目のドアの列にそれぞれ分かれて並ばされました。

ちなみに僕が立っていたのは前から3つ目のドアです。

引率の教師は「他のお客さんもいるのだから車内では静かにしてしゃべらないこと!」と注意していましたが、まず無理な話だろうな、と思いながら僕は電車を待っていました。

やがて電車が来て乗り込んだのですが、残念ながらこの日は空いている席はありません。

前述のように車両前方は小学生たちが乗り込んできていますので、僕の足は自然と車両後部のほうに向かい、適当なところで網棚に荷物を乗せ、目の前の吊革につかまりました。

ところが入った時から、車内に異様な臭気を感じていました。
周囲を見渡すと、その臭気の原因となっている男性が、車両の一番後部の優先席にうなだれて座っているのが目に入りました。
身なりも一目でわかるくらいにボロボロな、いわゆるホームレスの方です。

僕が立っていたところからは10メートル程度離れていたと思うのですが、数秒間我慢をしてみたものの僕は臭覚が鋭い方なので耐えられなくなり、場所を移動することにしました。

しかし車両前方に向かうと小学生の集団がいますので、その臭気を放つ男性の前を通って次の車両へと移動しました。

列車間はドアで密閉されますので、当然ながら隣の車両に移れば臭いは届きません。

隣の車両も比較的すいてはいましたが席は空いてはいませんので、適当なところで網棚に荷物を置き、吊革につかまります。
この時、なんとなくですが、サラリーマン風の男性の前に立ちました。

吊革につかまりながら本を読んでいたのですが、僕の前に座っているその男性の、僕から見て左側にはやはりサラリーマン風の男性、右側には若い女性が座っていました。
僕はその時に頭の片隅で、この左側の男性はかなり先まで乗っているだろうが、女性のほうはどこか途中で降りるのではないだろうか。右にずれて女性の目の前に立っていれば、彼女が降りる時に今度は自分が座ることができるのではないか、と感じ、位置を移ろうかどうしようか迷いました。

列車は都心に近付けば近付くほど人が乗り込んできますので、後になると身動きはできなくなり、僕の前に座っている人が降りない限り僕は座ることはできなくなるということはわかっています。
もし座席右側の女性の前の吊り革に僕より後に来た人が立ち、その女性が途中で降りて、僕より後に乗り込んだ人が運よく座れるということもあるわけです。
その時には「あぁ、立つ位置を失敗したな」と思うのですが、そもそも座席に座っている人たちがどこで降りるかなどはわからないもので、基本的には直感と運でもあるわけです。

最終的に今朝の僕は「自分が最初に『ここ』と決めたのだから動かない。」「隣が先に降りたらその時はその時。運がなかったと諦める。」と思いそのまま立って本を読んでいました。

やがて列車が駅で止まる度に乗客が乗り込み、僕の両隣の吊り皮も埋まっていきます。

すると、比較的早い段階の駅で、なんと僕の前の人が下車したため僕は座ることができました。
その後僕が降りる明治神宮前/原宿駅まで座席の両隣の人は降りることはありませんでした。

この出来事は、たまたま運がよかっただけ、なのでしょうか。
これは偶然なのか、それとも必然なのか。

今日僕が座った車両は、普段は乗りこまない車両なのですが、何か導かれるようにして移動させられ、なんとなく空いている場所に立った。目の前に座る人たちを見て、隣のほうが早めに降りそうだから隣に移ろうかと考えたけど、なんだか馬鹿らしくなり大した距離でもないのだから立っていればいいだけのこと、とその場に留まった。
結果としてかなりの距離を座って移動することができた。

どうでもよくて、本当に些細なことなのですが、でもこの小さな出来事が、僕には偶然では済まされない何か意味を含んでいるような気がしてならないのです。

事象・要因・誘導・判断・決断。そして結果。

人生にも似ているな、と感じた、今朝の出来事でした。
posted by Coyama at 20:56| どうでもいいこと

2012年06月25日

ある朝の出来事/挟まれた傘

ある日の朝の事、僕は自由が丘駅から渋谷行きの東横線に乗ったのですが、その電車は日比谷線直通電車でした。
この列車は途中の中目黒駅から日比谷線に入ってしまうため、渋谷へは行きません。そのため僕は中目黒駅で電車を乗り換えました。

朝のその時間帯は急行でも各駅停車でも「超」がつくほどの満員電車です。
中目黒駅のホームで電車を待っていると、やがて渋谷行きの各駅停車の電車がやってきました。
ちなみに各駅停車と言っても中目黒駅の次は代官山駅で、その次が終点の渋谷駅です。

最初、僕はホームで列に並んでいたのですが、電車が来て降りる人を待っている間、途中で気が変わって列から外れ、先頭車両のほうへと歩いて移動しました。というのも終点の渋谷駅の改札口が先頭車両の先だからです。

そして発車ベルが鳴ったところで、僕は近くのドアの前の、まだ入り切れていない列の、その最後に並びました。
列に並んでいた人々は次々に電車の中へ押し合います。

すると、もう少しで列の最後にいた僕が入り切るところで、僕の前にいた若者がドアの際のところに踏ん張って立ちました。
彼の奥には人1人分のスペースがぽっかり空いているのですが、その若者は後ろに下がらずにドア際の位置でホーム側を向いた状態で踏ん張っています。

気持ちはわかります。満員電車で人に囲まれるよりも窓際がいいし、降りる時にもすぐに降りられるからといった思惑があったのでしょう。
しかし、僕もその電車に乗らなければならないので、彼を押して僕の身体を電車に押し込みます。
それでも頑として動こうとしない若者。

結局僕はその若者の右側に滑り込んで、彼の後ろに空いていたスペースに身体を押し込みました。
その瞬間、ドアが閉まります。

と、その時。。。

その若者は、僕が背後に滑り込んだ時も避けようともせずに微動だにせずに窓際に踏ん張っていたわけです。
しかし彼は変に力んでいたため、タイミング悪く手に持っていたカバンと傘がドアの外に出ていて、閉まったドアに挟まれてしまいました。

もちろん若者は慌てて荷物を引きます。
カバンは抜けました。
しかし傘はドアに挟まったまま。

傘の下から10cmぐらいの部分が、ガシっとドアに挟まれていたのです。

このような時に、よく一度閉まったドアが一瞬開くことがありますよね。でも、この時はそれはなかった。

そして電車は若者の傘を挟んだまま、無情にも中目黒駅を出発しました。

電車の走行中、数回、グッ、と傘を引っ張って抜こうとする若者。

しかし抜けません。

ちなみに次の代官山駅は進行方向左側、つまり若者や僕のいる右側とは反対側のドアが開きます。
だから終点の渋谷駅までは進行方向右側のドアは開かないのです。

こんなドラマみたいなことを目の前で見れるなんて、なんて運がいいんだ、と僕はその時に思っていました。

ところが、代官山駅を過ぎたあたりで、ふと気がつきました。
というのも、渋谷駅は東横線の終点で、レーンが4つあるのです。

北方向に向かって一番左(西)側にもホームがあり、左の3レーンは列車の両側にホームがあるので、降車時には両側のドアが開きます。
しかし一番右(東)のレーンだけは、右側が壁になっていてホームはなく、左側のドアしか開きません。

その事に気がつき、もしその一番右のレーンにこの電車が入ったら、これはよく出来たコントだな、と思っていたら、そこに車内アナウンスが流れました。

『次は〜、渋谷〜渋谷〜。終点です。お荷物・・・』

そしてその次に続く言葉として、両側のドアが開く場合には『お出口は左側、右側の順番に両方のドアが開きます。』となるのですが、その日の電車のアナウンスは『お出口は左側です。』と。

その瞬間、吹き出しそうになり、それを抑えるのに必死でした。
おそらく僕の周囲にいた人たちでそのことに気がついた人も、同じ気持ちだったと思います。

そしてその若者も、気がついたのでしょうね。

1度力を入れて、傘をグっと引いていました。

しかし、抜けません。

満員電車で身動きが取れない中で、目の前でそれを見せられている僕は笑いをこらえるのに必死でした。

そして電車は渋谷へ到着します。

左側にはホーム。若者が窓から眺める右側には、無情にも壁看板。

そして左側のドアが開いたと同時に、乗客はドドっと降り始めました。

僕はその後若者がどうするのかを見届けたかったのですが、変に見ていて絡まれたりするのも嫌なので、何もなかったかのように人の流れとともに電車を降りました。

その後あの若者はどうしたのか、とても気になります。

A. 傘が抜けて降りた。
B. 傘は諦めて、傘は捨てて降り、ドアに挟まれた傘だけが車内に残った。
C. 傘は抜けず、しかたがなく乗ったまま折り返した。

あのドアの閉まり圧ってどのくらいなのでしょうか?やはり傘は抜けないのでしょうか?
傘は結構先から深い部分で挟まり、両脇ゴムの部分で押さえつけられていたため、まったく抜ける気配はありませんでした。

若者が最終的にどうなったかは知りませんが、結果は上記のABCのどれかですよね?

もし自分だったらどうするでしょうか。

それにしても、その日は朝からそのような出来事を目撃出来ただけで、なんだか明るい気分になりました。

無理をしてドア側をキープしようなどと踏ん張らず、混み合っている時には譲り合い、車中へ詰めていくようにした方がよい。
世の中自分だけではないのだから、他人の事も考えて共存していきましょう。力を抜いて、のんびり行こうよ、という良い教訓ですね。
posted by Coyama at 20:50| どうでもいいこと

2012年06月24日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Sisimiut(シシミウト) −

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現在Sisimiut(シシミウト)の町がある地には、4500年以上前にグリーンランドの先住民Saqqaq(サカク)人が住んでいたとされ、その後にも紀元前500年から200年頃まではドーセット第1文明が、1200年頃にはテューレ文明が滞在していました。

そして1764年に捕鯨の新たな拠点としてこの地に移された居留地が、現在の元になっています。
1773年にはBerthel教会(青い教会)の建設が始まり1775年に完成しました。この教会はグリーンランドで最も良い形で現存する古い教会で、現在も教区の会議場として使用されています。

現在は約6,000人が暮らす「キツネの巣の住民」という意味を持つこの町は、グリーンランドでは首都Nuuk(ヌーク)に次ぐ2番目に大きな町となっています。
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△ シシミウトの町

この町は北極圏の北に位置しており、グリーンランドでは氷のない港を持つ最北の町で、犬そりが交通に使われる最南の町でもあります。
また町の経済は近代的な装備を持つエビやカニの加工場によって支えられています。

町の古い住宅を改装したシシミウト博物館にはグリーンランドの先住民Saqqaq(サカク)人についての貴重な品々が展示され、他にも芝屋根の家などに関する貴重な展示を見ることができます。
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△ シシミウト博物館
posted by Coyama at 21:39| グリーンランドのこと