2012年07月03日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Narsaq(ナーサク)−

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険しい山の裾野に広がる平原に1830年に貿易港として作られた「Nordproven(デンマーク語で「北の約束」という意味)」の町は、1959年にグリーンランド語で「平原」という意味を持つ「ナーサク」として再組織されました。

現在では1,700人が暮らし、周囲の居留地には370人の人々が羊牧場などをしながら生活しています。
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△ ナーサクの町

ナーサクはグリーンランド唯一の屠殺場があります。グリーンランドで最も古い毛皮商Eskimo Pels社はこの町にあり、会社は二股手袋から毛皮まで幅広いアザラシの加工製品を製造販売しています。
氷原から氷を切り出すGreenland Ice Cap Productions社もこの町にあります。

この町の経済は魚の加工場、羊牧場、そして観光業から成り立っています。
町が氷原に近いため、港の面する大河にはたくさんの氷山が流れ込み、観光ボートが出航する港として適しているのです。
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△ ナーサクの港

またこの街の近くの谷には希少な鉱石が集中しており、地質マニアには黄金卿として知られています。
posted by Coyama at 20:21| 思ったこと・感じたこと

2012年07月02日

知らせ

以前祖父の葬儀の際に、葬儀を行ったお寺の住職が話してくださった話で、「気づき」というか「知らせ」といったようなものがありました。
飛行機の墜落事故で、搭乗予定者が直前になって急に飛行機に乗りたくなくなり、キャンセルをして新幹線に変えて難を逃れた人の話の後、話題はこのころ住職の身近で起きた話になりました。

その日の数日前に、檀家の8歳になる女の子が脳腫瘍で亡くなられたのだそうです。
その2,3ヶ月前の夏のこと、お寺で一日合宿があり、その子も参加をしていたのだそうです。

その夜、住職は参加している子供達40名近くを本堂に集め、電気はつけずロウソク1本を灯し、恐い話をしていました。
それほど大きくはない本堂で、子供が40人も入ればいっぱいになります。

本堂には、天井から人天蓋と呼ばれる黄金色の大きな飾り物のようなものが釣下っています。
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普段お経をあげる台座の上に吊るされた黄金の囲い屋根のようなものですが、その4隅のうちの1本が、怪談中に、下から30cmぐらいのところから切れて落ちたのだそうです。

そしてその下には、その亡くなった女の子が座っていて、頭を直撃したのだと言います。

この飾りも、普通は切れることなどありません。
住職が泣き出したその子の頭をなでた時には、すでに大きなたんこぶが出来ていたのだそうです。

その2,3ヶ月後、その子の親御さんが「最近うちの子はよく転んだりしておかしいんですよ。」と言うので、住職は病院に連れて行くことを薦めたのだそうですが、病院に連れて行った時には残念ながらすでに手遅れだったのだそうです。

住職が言うには、あの時その女の子の頭上に飾りが落ちたのは、早くこの子を病院に連れて行け、という神様や仏様の声だったのではないのか、と。「この子の頭に危険が迫っている」と知らせだったのではないか。
あの時病院に連れて行っていたら、早期発見ができたのかもしれない。それが悔やまれてならなりません、と。

そして、普段何気ないところにそういった「気づき」や「知らせ」はあるんです。それを気づけるか気づけないか。といったことを住職が話していました。

その女の子のご冥福をお祈りするとともに、参考になるとてもよいお話だったと思います。

その後お経が始まると、どこからともなく1匹のハエがやってきて、しばらく喪主で長男である叔父の頭に止まっていたらしいです。僕は飛んでいるのは気がつかなかったのですが、従妹たちは見ていたらしいです。

そのような話をお寺からお墓に向かう時にしていて「あれはきっとおじいちゃんなのでは?」という話になりました。

みなで「いい話だけど、ハエって・・・」みたいなことを話していたのですが、お墓参りの後、移動しようと乗り込んだ車の中に1匹の蚊が現れました。

ハエの話を聞いた後なので、これもそういうものなのかと思ったのですが、その蚊が運転席の叔父の前に飛んでいった時に、、、

『パンッ!』と叔父は手で蚊を叩き潰しました。。。。。Σ(゚口゚;

話の流れから、「それはおじいちゃんの魂が姿を変えて現れていたのでは!?」と言うと、叔父は「蚊じゃねぇか。刺されたらあれだろ?」と一言。

みなさんも没後に姿を変えて親族の前に現れる際には、なるべく蝶などの美しい姿で現れることをお勧めいたします。
posted by Coyama at 23:56| 思ったこと・感じたこと

2012年07月01日

人の記憶

僕は試験などの暗記は得意ではないのですが、人との会話や出来事などはよく記憶をしているほうだと感じています。

結構「あれ?先日はこう言っていたのに?」と次に会った時は前回の会話を忘れていたり、前回言っていたことと違うことを言う人に出会います。
それはやはり記憶に残らないのか、もしくは記憶するまでもなく適当に話をしているのか、僕にはその真意はよくわかりません。
ただ、自身が言ったことを後日忘れているということは、よくあることのようです。

それらを記憶してしまう僕からすると、こっちは言われたことを信用して行動をしますので、困ったものです。

それは最近に始まったことではないように思います。

もう20年近く前の、僕が高校生だった頃。
高校での大学受験対策として、希望者に小論文の特別講座が設けられました。
国語の教師が担当し、『毎日「天声人語」を短く要約する』という課題を行いました。

僕も実は当時歯学部を受験することになっていて、試験で小論文があったため、その特別講座を受けていました。

課題に関しては、ただでさえ短い「天声人語」を、まずは100文字程度に要約する、ということから始め、徐々にその文字数を減らして行き、最後にはタイトルだけにする、ということを冒頭で担当教師が話していました。

なので僕はその通りに、最初は100文字から始め、徐々に文字数を減らしていきました。
そして受験も間近に迫ったある日、僕はついに要約をタイトルだけつけ、提出しました。

するとその直後に、僕は職員室に呼び出されました。そして担当教師は短いタイトルだけが書かれた用紙を僕に見せ、「なんだこれは?ふざけてるのか?」と言ってきました。

僕は最初の授業に担当教師が言ったことを行っただけです。
そのことを話すと、担当教師は「そうだったっけ?」と言い、僕は帰されました。
僕は最初に言われた通りに文字を徐々に減らしていったのですが、どうやらそれをしていたのは僕だけのようで、僕の提出物の文字が徐々に減っていき、最後は短い分だけになったため、不思議に思った担当教師が僕を呼び出したわけです。
そしてその担当教師は、自分が最初に言ったことを忘れていた。

他の生徒も忘れていた人もいれば、覚えていた人もいると思うのですが、減らしていくのは教師から指示があると思い、ずっと100文字要約を続けていたのだと思います。
そんな担当教師は、最初に自分の言ったことを忘れていたので、結局最後までその指示を出すことはなかった。

僕が自主的に最初の言いつけを守り、徐々に文字数を減らして最後はタイトルだけをつける、ということをしなければ、そのこと自体もきっと忘れ去られていたことなのだと思います。

それだけ人の記憶というのも曖昧なのでしょう。

だからといって僕が特に記憶力に優れているというわけではありません。僕もよくいろんなことを忘れます。
だからなるべくいつも、気がついたことなどはメモをとるようにしています。またここ10年近くは日記をつけるようにしてきています。
そして時々それらを読み返しているので、記憶が残り続けているのだと思います。

昨今の政治がどうのなどというつもりはまったくありませんが、今の日本の社会を見ていると、もう少し日本の大人たちは、自分の言ったことにはきちんと最後まで責任をとってもらいたいな、と、そんな出来事を思い出しながら思ったわけです。
posted by Coyama at 19:59| 思ったこと・感じたこと

2012年06月30日

トイレ考

先日、東京の街中を歩いていた時にバキュームカーを見かけました。
今では珍しくなったバキュームカーですが、僕が子どもの頃はそれなりに見かけていた記憶があります。
横を通る時はいつも息を止めていました。

そんなバキュームカーを、先日見かけた時には息をひそめるどころか、逆に「いいなぁ〜、お宝だなぁ〜」と思ってしまい、思った後でそのようなことを考えた自分に驚きました。

なぜ僕がそれを「いいな」と思ったのかというと、排泄物は畑へのよい肥料になるからです。
長野県小諸市で畑作業などにも関わるようになり、自然と感化されているのだと思います。都会に住み続けていたらまず思わないことだと思いますので、個人的にはよい経験を積ませていただいているなと感謝しています。

排泄物を肥料に使うことに関しては、昔から畑の近くには「肥だめ」があり、そこに排泄物を溜めておいて使用していたということは、周知のことと思います。

そのために農耕民族だった日本のトイレは汲取式になっていたわけで、そういえば祖父の家も昔は汲取式のいわゆる「ボットン便所」で、子どもの頃はあの穴に落ちやしないかと恐怖に感じて用をたすことが出来なかった記憶があります。

そんなことを考えていたら、そういえばなぜ便器は和式(しゃがみタイプ)と洋式(腰掛けタイプ)で違うのか。という疑問が湧いてきました。
だって欧米だってその昔は排便はもともと土に穴を掘ってやっていたわけです。それがいつから座って行うものになったのでしょうか。

以前デンマークにあるローゼンボー城という中世のお城を見学した時に見たトイレは、やはり腰掛けタイプのものでした。
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おそらく17世紀頃にはすでにこの腰掛けタイプが主流となっていたのだと思います。
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当然ながらしゃがむタイプよりも腰掛けタイプの方が楽なわけですから、日本だって腰掛けタイプの便器が早々と採用されてもよかったのに、現在に至るまでしゃがみタイプが使われてきたことには、きっと何かの理由があるのだと思います。

そういえば小学生などではまだ和式便所を使っているところが多いようなのですが、すでに一般家庭では洋式が当たり前になっていて小学生が和式便所の使い方を知らず、知らないために使用できずに我慢してしまうと言う問題が起きている、と聞いたことがあります。
そういうこともあり小学校など公共施設では徐々に便器を洋式に変えていっているのだそうです。

調べてみると、日本で洋式トイレが使用され始めたのは戦後のことで、敗戦国となった日本にやってきたアメリカ軍が、食文化として生野菜を食べるサラダを持ち込んだ際に、その衛生面からし尿の使用を制限したことで汲取式が排除されていったり、便利な化学肥料が出てきたため排泄物を溜めておいて利用しなくてもよくなったり、上下水道が整備されていったことで洋式トイレが増えていったのだといいます。

ちなみにそのようなことで日本に持ち込まれた洋式トイレは進化を続け、ウォシュレットや便座ウォーマーなどの機能を身につけていったわけですが、今度はそれを海外が逆輸入しているということを、耳にした方も多いと思います。
日本に観光に来た外国人が日本の便座に感激し、ウォシュレットをお土産で買って帰るのだ、と。

しかし欧米ではトイレは主にバスルームにあり、シャワーと一緒にあります。
漏電を考えると、当然ながら電気を使うウォシュレットは、欧米のトイレには設置できないのです。

そんなことをいろいろと考え始めると気になるところはたくさんあるわけで、トイレに関しては今後も考察を深めていきたい興味深き課題なのであります。
posted by Coyama at 22:55| 思ったこと・感じたこと

2012年06月29日

現実よりもイメージ

現在進めているあるマルシェ企画で長野県の生産品を扱うのですが、その際に地元ならではの食べ方・レシピがあるといいのですが、とリクエストがありました。

気持ちはとてもよくわかるのですが、日本において都心部ではそれほどに知られていないが地方では普通に食べられているという食べ方は、あるようで実際にはそれほどありません。

もちろん郷土料理はそれぞれに地域にあるわけですが、ではマルシェで扱うようなレタスやキャベツ、ブロッコリーやラディッシュを地方ではどのように食べているのかというと、生サラダだったり煮たり焼いたりと、実は都会で食べているのと同じような食べ方で食べられているわけです。

長野県だからといって、なんでも信州味噌につけて食べるわけでもありません。

時々テレビを見ていると、世界各国の料理の紹介があって、デンマークの場合はかなりの確率でオープンサンドが取り上げられます。しかもなぜかいつも決まってサーモンのオープンサンド。

でも実際、それをデンマークで食べているかというと、僕はほとんど食べた記憶がありません。

デンマークでもデンマークの家庭でよく食べられる定番料理はあるのですが、それらはあまり取り上げられず、なぜかオープンサンドが取り上げられるから不思議です。おそらくサーモンのオープンサンドは「北欧・デンマーク」のイメージになってしまっているのだと思います。
なので地元ではあまり食べられていないものでも、そのイメージで取り上げられてしまうのです。

勘違いしないでいただきたいのは、デンマークでもオープンサンドは普通に食べられてます。しかし日本のテレビ番組などで取り上げられるような色鮮やかなサーモンに新鮮レタスの乗ったものではなく、ドス黒くずっしり重たそうな黒パンの上にニシンの酢漬けを乗せて食べたり、薄茶色をしたレバーペーストを塗って食べたりするものが一般的です。
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またパンにチーズを乗せ、ハムを乗せて食べたりもします。
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またパンだけではなく、肉料理も多いのですが、それが見た目にはハンバーグのようであったり、日本では売られていないような厚い皮のついた豚肉のオーブン焼き(味付けは塩と胡椒)だったりと、日本で「これが北欧・デンマークの料理です」と取り上げるにはぱっとしなかったりそれほど珍しくなかったりするのかもしれません。
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冒頭の長野ならではの食べ方のリクエストも同じことで、人間というのは現実よりもイメージしているものをより強く求めるのかもしれません。
それはテレビで見るアイドルや俳優・女優、タレントが人格的にも清廉潔白と思っているのと、同じことなのかもしれませんね。
posted by Coyama at 22:56| 思ったこと・感じたこと