2012年05月24日

グリーンランド研究 − ヨーロッパ文明 −

その後もアイスランドやニューファンドランド周辺の北大西洋海域は優れた漁場として利用され、北欧やイギリスなどから多くの漁船がやってきていました。

1570年代と1580年代にMartin FrobisherとJohn Davisの2人のイギリ人がグリーンランドとカナダの間の海を航海し、ヨーロッパ人がカナダのエスキモー住民と接点を持つきっかけとなる北西ルートを開拓しました。
ちょうど同じ頃、オランダ人が西グリーンランドの海域にホッキョククジラが多数生息していることを発見し、クジラの脂とクジラのひげの貿易市場を開拓していきます。
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△ ヨーロッパの捕鯨船による捕鯨の様子

しかしこの行動はヨーロッパの各国で海域権論争を巻き起こし、特にデンマークの王はノルウェーの海として知られていた北大西洋地域の歴史的統治権を主張しました。

そしてこれを機に、1605年からデンマーク−ノエウェー連合国(すでにスウェーデンは脱退)は再びグリーンランドの開拓を始めます。しかしオランダ人は捕鯨活動を続け、その行動は規制される17世紀の終わりまで続きました。
posted by Coyama at 22:26| グリーンランドのこと

2012年05月22日

グリーンランド研究 − スカンジナビア文明 −

バイキングの時代、北欧の人々は北大西洋の西へ勢力を拡大し始めました。そして985年に最初のスカンジナビア人・赤毛のエリック(Erik the Red)がグリーンランドに移住します。

赤毛のエリックは960年頃に父親が殺人の罪でノルウェーを追放され家族でアイスランドへとやってきました。しかし982年に赤毛のエリック本人が近隣とのトラブルで相手を殺してしまい、その処罰としてアイスランドの西にあるとされる未確認の氷河におおわれた大きな島の調査を命ぜられました。
この頃のバイキングはアイスランドとノルウェーやデンマークとの間を頻繁に行き来していました。しかし遭難や漂流する船も多く、その中の一隻がある時アイスランドから西に流され、未確認の島(グリ−ンランド)を発見しました。赤毛のエリックはそれを調査するよう命ぜられたのです。
赤毛のエリックは3年をかけてこの島を調べ、アイスランドへと戻ってきました。

アイスランドに戻った赤毛のエリックは、自らがグリーンランドの指導者となって新しい居留地を作ろうと考え、移住希望者を募集しました。この時、氷河と岩ばかりで植物はほとんど生えていない土地に、よりよいイメージを与えて移住希望者を増やそうとする赤毛のエリックの思惑により、この国はグリーンランド(Greenland)「緑の国」と名付けられ、それが今日に至っています。

こうして985年に赤毛のエリックに引き連れられ最初のスカンジナビア移住者がアイスランドから25隻の船でグリーンランドに向かいましたが、厳しい航海の末に無事に目的地に着けたのは14隻だけでした。
彼らが最初に定住したのはグリーンランドの南の現在のQassiarsuk(カシアースク)という場所であり、彼らはこの地をBrattahildと名付けました。
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△ Brattahildの村様子

現在カシアースクの村の外れにはこのBrattahildの跡地があり、1961年には当時建てられていたとされる”Erikの農場”と”Thjodhildur教会”が再現され、現在は観光スポットとなっています。
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△ 再現されたThjodhildur教会

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△ 再現されたEric the Redの住居

その後Brattahildには新しい移住者が次々と到着しましたが、その中には途中で難破して漂流する船もありました。
ある船はグリーンランドに着く前、西にかなり流され、そこで新たな別の大きな島(カナダ諸島)を見つけます。その報告を聞いたBrattahildの長男のLeif Ericsonは、997年にこの新しい土地を目指して冒険に出ます。
彼は現在のバフィン島を発見した後、さらに南下をしていきます。その後Leif調査団は「ヴィンランド」と名づけた場所まで行き、そこに今後の拠点とする基地を築き、1000年にグリーンランドへと戻りました。

帰還後、Leif Ericsonは160人の男女を連れてヴィンランドの基地に移住し、さらに新たな土地を求めて南下を始めます。しかしすでに北アメリカに暮らしていたネイティブアメリカン民族と遭遇し、両民族の間で激しい戦闘が起り、その結果Leif Ericsonとその一団はヴィンランドの基地を放棄し、グリーンランドへと引き返したのでした。

この記録はFlateyjarbokと呼ばれるアイスランドの最古の歴史書に記されています。
その約5世紀後、アメリカ大陸を発見したとされるクリストファー・コロンブスは1477年にアイスランドへ赴き、このFlateyjarbokの記述を元にしてアメリカ大陸へ渡り、そしてその存在をヨーロッパに紹介しました。

赤毛のエリックのスカンジナビア居留地は、経済的にはアイスランドやノルウェーとの繋がりに依存し、産業は農業とアザラシ漁を中心に組織されていました。先住民であるイヌイットともセイウチのキバやイッカクのキバなどの交易を行い、それらはヨーロッパに高い価値で取引されていました。

1124年にはスカンジナビアの居留地にカトリックの宣教師が赴任し、1261年にはスカンジナビア居留地は正式にノルウェーの一部となりました。
そして1397年にデンマークがノルウェーやスウェーデンと連合を組むと、ノルウェーが所有していたグリーンランドを含む北大西洋地域はデンマーク王国の統治下におかれることになりました。この当時の関係が、現在もデンマーク領グリーンランドとして続いているのです。

こうしてスカンジナビア居留地は徐々にその規模を大きくしていきますが、15世紀に気候の激しい変動があり北大西洋地域の気温が急激に下がりました。そのためスカンジナビア人のグリーンランドでの生活は困難となり、彼らはアイスランドなどへ戻りました。
ただしイヌイットのテューレ民族はその後も生存し、グリーンランド全土にその勢力を拡大していきました。
posted by Coyama at 22:43| グリーンランドのこと

2012年05月18日

グリーンランド研究 − イヌイット文明 −

紀元前4500年頃までカナダとグリーンランドは巨大な氷で覆われて繋がっていました。最初の住民たちは紀元前2500年頃にグリーンランドの最北端に辿り着いたとされています。
その後2〜300年の間に、島の氷で覆われていない部分は旧エスキモー人として知られる北極の狩猟民族の居住地となっていきました。そして徐々に気温が暖かくなり氷が解け始めると、人口も増えていきました。
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△ グリーンランドの各文明の年代別存在表

北極の狩猟民族は群れで移動する習性のあるジャコウ牛やトナカイを追って移動していました。アラスカからグリーンランドにかけて見つかっているこの時代の骨や石で作られた道具からは同類の文化的特徴を見ることができます。
紀元前2000年頃のグリーンランドでは北部のジャコウ牛の狩猟民俗である独立第1文明と、南部のアザラシやトナカイの狩猟民族であるSaqqaq(サカク)文明が混在していました。

紀元前1000年前の少し前に、カナダから独立第2文明と呼ばれる新しい移住者がやって来ます。この時代を示すものは唯一島の北部だけで発見されています。そしてその後はドーセット文明が500年続き、このドーセット文明はカナダの極東であるニューファンランド地方からグリーンランドの海岸に沿った一部で発見されています。
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△ イヌイットの移動の民の暮らしの様子

ドーセット文明は途中で一度グリーンランドから姿を消しますが、1200年頃まで存在し、アザラシ漁とトナカイ猟で生活をしていました。この時代の多くの工芸品や彫刻などが発見され、現在でも町の博物館などで見ることができます。

10世紀の終わりに北半球に大規模な環境変化が起こり、島の気候は若干暖かくなりました。カナダ諸島の周辺を覆っていた氷は姿を消し、ヒゲクジラたちはエサを求めて移動を繰り返しました。

現在のグリーンランド人の祖先はこのヒゲクジラを追って12世紀頃に北アラスカの東から大きな皮の船(ウミアク)に乗ってやってきたテューレ文明のクジラ漁民族でした。そしてほぼ時期を同じくして、ドーセット文明はグリーンランドから姿を消しています。
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△ グリーンランドへの民族の移動図

1721年にノルウェーからの使節団が来るまで、土地の人々は狩りと漁で小さな集合体として分散して暮らし、獲物となる動物たちの移動と共に移住をくり返していました。
彼らは石や泥炭やシベリア付近から海流に乗り運ばれて来た流木を利用して建てられたテントや小屋に住んでいました。
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△ 芝屋根の住居
posted by Coyama at 22:11| グリーンランドのこと

2012年05月08日

「グリーンランド」の国名の由来

世界最大の島・グリーンランド。
その大地の約8割は氷で覆われ、北極圏に位置しているこの島が、なぜ「グリーンランド(緑の国)」と名付けられているのか、みなさんは御存知ですか?
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この「グリーンランド」の名付け親は、この大陸の発見者でもあるErik the Red(以下エリック)という10世紀のスカンジナビアの人物です。
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△ Erik the Redの碑

アイスランドの農民でありバイキングの末裔だったといわれるエリックは、ある日殺人の罪に問われ、その刑罰としてアイスランドよりも西にあるという大地の探索を命じられました。
当時ヨーロッパからアイスランドに来る船が西に流された時に、その大地を見たと言う噂があったのです。

そしてエリックは982年に出発してこのグリーンランドの地に辿り着き、3年間ほど探索を進めました。
そして3年後、アイスランドに戻り刑を果たしたエリックは、発見したグリーンランドの地に新たに領土を築くべく、彼と共に移住する民を募集します。
この時、少しでもその印象を良くするために、この地を「グリーンランド/Greenland(緑の国)」と名づけたのがこの国の名前の由来とされています。
もちろん実際に彼らが移住したグリーンランドの南部には緑の大地が広がっていますので、そのキャッチコピーは嘘というわけではありません。
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△ 緑の大地

こうしてエリックの一行は985年にグリーンランドの南にある現在のQassiarsuk(カシアースク)の地に辿り着き、そこを"Brattahild"と名付け定住しました。
ちなみにこの時にアイスランドを出発した25隻の船は、到着時には14隻にまで減っていたという厳しい航海でした。
現在、Qassiarsuk(カシアースク)の村の外れには"Brattahild"の跡地が残っています。
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△ "Brattahild"の跡地

そして1961年には当時の暮らしを再現した“Erikの農場”と“Thjodhildur教会”が建てられ、今では多くの観光客がその地を訪れています。
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△ “Erikの農場”と“Thjodhildur教会”

このエリック一族の移住以前にもグリーンランドの地には先住民族(イヌイット)がいました。
彼らは彼らの言語で、独自のこの国の名「カラリット ヌナット(KALAALLIT NUNAAT)」を持っていました。

しかし1261年にこのスカンジナビアの居留地となったグリーンランド/カラリット ヌナットの地は正式にノルウェーの領土となりグリーンランドと呼ばれるようになります。
そして1397年にノルウェーがデンマークを中心とするスカンジナビア連合に加盟したことで、グリーンランドの領土はデンマークを中心とするスカンジナビア連合が所有する事となります。
その後それぞれの国が分裂していきやがて現在の国境になっていくわけですが、それでもグリーンランドの地はデンマークが所有し続け現在に至っています。

そして「グリーンランド」という土地の名もそのまま後世に受け継がれ、現在に至っているわけです。

アイスランド(氷の国)より北にあるのにグリーンランド(緑の国)と言われる背景には、このような歴史が存在しているのです。
posted by Coyama at 22:27| グリーンランドのこと