2012年06月12日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Paamiut(パーミウト) −

1742年に設立されたPaamiut(パーミウト)の町はKuannersooqフィヨルドの河口に位置し、町の名前は「河口の民」という意味を持ち、現在は約2000人の人が暮らしています。
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△ 植民地時代のパーミウト

町の中心部にある郷土博物館は19世紀の建物で、魚の塩漬け工場と大工の作業場が併設され見学する事ができます。また町のシンボルでもある特徴的な木造の教会は1909年に建てられたものです。
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△ パーミウトの教会

他にグリーンランド商船学校やロウソク工場などもこの町にあります。

この町の主な産業は漁業ですが、春と夏は海の交通が氷原から流れ落ちる氷山によって邪魔をされます。
それでも海に浮かぶ氷山の姿はとても魅力的で、多くの観光客も訪れています。

他にもこの土地はグリーンランド最大の「オジロワシ(海ワシ)」の生息地でもあり、野生のオジロワシを観察することができます。さらに夏から秋にかけては、この近海でかなりの確率でクジラに遭遇する事ができます。その種類はナガスクジラ、シャチ、ザトウクジラなど様々です。
posted by Coyama at 23:24| グリーンランドのこと

2012年06月09日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Ilulissat(イルリサット) −

Ilulissat(イルリサット)の町は 1741年に貿易の拠点として設立されました。イルリサットとはグリーンランド語で「氷山」という意味で、その名の通り町の近くでは氷河に流れ出る美しい氷山を間近で見ることができる観光地として現在は賑わっています。
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△ イルリサット近郊の氷山群

イルリサットの町は、北半球で最も氷山を産出する全長40kmのアイスフィヨルドの氷河の河口にあります。
また、犬そりは今でもこの地方では冬の重要な交通手段であり、現在は4800人の人々との他に2500頭のエスキモー犬がここの町に住んでいます。
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△ イルリサットの地図

また、町の重要な産業は漁業であり、港には多くの小型漁船やトロール船であふれています。
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△ イルリサットの港

町のシンボルでもある特徴的な黒いZion教会は1779年に現在の位置より50mほど離れたところに建てられたもので、1929年に現在の位置へ移されました。
またグリーンランド探検家のKnud Rasmusseの家を改装したイルリサット博物館ではグリーンランドの歴史に関する様々な貴重な展示品を見ることが出来ます。

町から1.5kmほど南に行くと、青々としたSermermiut(サマーミウト)平原があります。
アイスフィヨルドに続いているこの場所は、18世紀にはグリーンランドで最も多い250人の人が住む居留地でした。さらにここからは1000年以上前にも先住民が住んでいたことを証明する出土品が発掘されています。
posted by Coyama at 23:52| グリーンランドのこと

2012年06月05日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Nuuk(ヌーク) −

グリーンランドの首都であるヌークの町は、植民地の都市としてはグリーンランドで最も古く、ハンス・エゲデ牧師がこの地に辿り着いた1728年に作られました。
ヌークとは「岬」という意味で、その名の通り町は巨大なヌークフィヨルドの大きな半島の先端に位置しています。
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△ 首都ヌークの地図

現在ではグリーンランドで最も多い13,884人(2003年)の人が住み、つねに新しい文化を発信し続けています。
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△ 現在の首都・ヌーク

古くからの美しい建物が残されている「植民地の港」では、その日の採れたての魚や肉のマーケットが並ぶ姿を目にすることが出来、過去からの変わらぬ風景を見ることができます。
また1992年に完成したグリーンランド文化センターや大学、専門学校、大聖堂、観光客が伝統的なグリーンランドの芸術に触れることのできる国立美術館なども建てられています。
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△ グリーンランド文化センター
posted by Coyama at 17:54| グリーンランドのこと

2012年05月30日

グリーンランド研究 − 文明開化 −

1818年にはヨーロッパの遠征団が西グリーンランドに新しいエスキモーの居留地を発見しました。
さらに1823年にイギリスの捕鯨漁師たちが、最初で最後の北東グリーンランド人と遭遇しています。
1878年にグリーンランドの地形と地質の調査委員会が組織されると、グリーンランドの全体像が明確になり、1884年にはAmmassalik(アマーサリク)の近くに暮らす東グリーンランド人民族が発見されました。

最も有名なグリーンランド研究家のひとりKnud Rasmussen(1879〜1933)はいくつものエスキモーの文化をまとめあげて文書化した第一人者で、彼の1921〜24年のグリーンランドから太平洋までのそりでのテューレ遠征の記録は、世界的にもよく知られています。

19世紀から20世紀にかけてグリーンランドの文化はさらに急速に発展していきます。
穏やかになった気候によりアザラシ漁は減少しますが、それに変わる新しい魚の産業や羊の放牧が普及していきます。使節団の役割はグリーンランドの教会に受け継がれ、植民地の議会は現地の組織に取って代わりました。

1931年に、ノルウェー国がデンマークの統治権が適用されてなく無人エリアであった東グリーンランドの一部を占領することを宣言しました。しかし1933年にオランダのハーグの国際裁判所は、グリーンランドの全ての統治権はデンマークにあることを認める判決を下します。

1950年になるとグリーンランド議会が国を大きく変える決議書を発行します。
これにより当時デンマークにより命名されていた植民地の名前も現地の言葉へと変えられていきました。
一般的な住宅も単家族の木造住宅が主流になり、現在のテラスハウスの原型が建てられるようになりました。
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△ 最近の住宅の外観

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△ 最近の住宅の内部

植民地時代の古い建物は徐々に取り壊されていきますが、いくつかはそのまま利用され、現在でも使用されているものもあります。

さらに首都のNuukでは大規模な開発が進み、新しく計画されたメインストリートには、1950年〜70年にかけて多くの商店街やサービス機関が建てられ、現在に至っています。
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△ 建設現場の様子
posted by Coyama at 21:22| グリーンランドのこと

2012年05月26日

グリーンランド研究 − 植民地時代 −

1721年に、グリーンランドはスカンジナビア人により再び植民地にされます。

デンマーク連合国のノルウェー人宣教師ハンス・エゲデは、キリスト教への信仰が薄れていたスカンジナビア居住地に再び信仰を広めるためにグリーンランドへと渡りました。
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△ ハンス・エゲデの布教の様子

現在の首都・ヌークにその拠点を置いたハンス・エゲデの使節団は、布教だけではなく貿易所を拠点にイヌイット住民やオランダ人とも交易を行いました。
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△ ハンス・エゲデ牧師の頃のヌーク

ハンス・エゲデの使節団は18世紀を通しグリーンランドの西の海岸沿いに多くの貿易拠点を開拓していきました。
1774年には国の貿易管理機関としてロイヤル・グリーンランド貿易機関が組織され、貿易における価格の管理が行われるようになりました。

さらにハンス・エゲデ使節団や他の使節団は、人々のライフスタイルをより耐久性のあものに変えることを命じられました。そしてこの使節団とロイヤル・グリーンランド貿易機関による貿易ルートの拡大は、グリーンランドに角材や板といった木材を購入することを可能にし、建物の壁や屋根には木が使われるようになりました。
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△ 半木造住宅

多くの木造住宅が続けざまに作られていきますが、壁はまだ厚い芝に覆われていました。
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△ 半木造住宅の内部

この居住形態の変化は次19世紀のグリーンランドの住宅に大きな影響を与えています。

19世紀に入ると、教育機関の整備、世界初の植民地現語での新聞の発行、各地域からの代表により運営される地方自治体制の整備などにより国の文化は様々な形で高められていきます。
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△ 1861年に刊行された現地の新聞

さらにデンマーク語の普及もさる事ながら、現地語であるグリーンランド語は文字という形態を与えられ、教育や宣教活動などを通して残されていきました。
posted by Coyama at 18:57| グリーンランドのこと