2012年05月05日

見上げればコウモリ

長野県小諸市などでは夜になって空を見上げると、それはそれは美しい星空を見る事が出来ます。
特に空気の澄んだ冬場などは、寒さも忘れて長い間眺めていたいと思わせる美しさを持っています。

それでも僕がこれまで見た中で一番感動した星空は、シベリア鉄道でロシアを横断した際に、真夜中に2〜3分停車した駅で、一緒に飲んでいた同室のロシア人に外に連れ出されて小屋の裏に連れて行かれ、「天然のトイレだ・笑」とそこで連れ立ちションをした時に、「上を見てみな」と言われて見上げた時の星空。あの時に見た星空が今までの人生の中では一番の星空でした。

まぁその時は下半身は丸出しだったんですけどね。

もしかするとお酒を呑んで立ちションをしながら見上げたからロシアの星空が美しく見えたのかも知れませんので、今度長野に行った時にはその“呑んだ後の下半身丸出し天体観測法”をこっそり試してみようと思います。

そんな夜空なのですが、僕の実家がある神奈川県茅ケ崎市では、日が暮れた頃から空を見上げるとよくピコポコと飛行する生き物を見かけます。
鳥のようで鳥ではなく、動きも結構独特なそれの正体は、コウモリです。
僕は生まれた時から茅ヶ崎に住んでいましたので、いつの頃から日が暮れるとコウモリが飛び始めていたのかは覚えていませんが、結構僕は当たり前のように普段からコウモリを見ていました。

ちなみにコウモリが主に飛び交う季節は秋なのだそうで、そういえば昨年も秋頃は多摩でも飛んでいるのを見た事があります。

なぜこのようなことを書いたのかというと、先ほど日暮れ時にジョギングをしていて空を見上げた時に、そういえばコウモリ飛んでいないな、と気がついて調べたからです。

しかし日が暮れてからの暗い中で飛んでいる物体ですので、本当にそれがコウモリなのか疑う素直じゃない方もいると思います。違う鳥か何かじゃないの?と。

でも、コウモリです。だって捕まえた事がありますので。

あれは季節は夏から秋に変わろうとしていた頃、僕が実家にいた時に妹の部屋から悲鳴が聞こえ、部屋に何かがいるということで行ってみたら体長5cmぐらいのコウモリがいました。
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そして捕獲。
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後にも先にもコウモリを捕まえたのはその時だけですが、茅ヶ崎辺りで夕方に飛んでいるのは、間違いなくコウモリなのです。

そして僕が『“青年実業家の大富豪でありながらも夜は闇を司るコウモリコスチュームの犯罪制裁人”のライバルたちのような人物』を目指している今の背景には、もしかするとそのような体験が関係しているのかもしれません。
posted by Coyama at 20:27| どうでもいいこと

2012年04月11日

鼻毛出てますよ

みなさんは鼻毛は出てますか?

鼻毛というのは意外と伸びるもので、ケアを行っても気がつくとあっという間に伸びている。
鼻毛というのは異物の鼻への侵入を防ぐためでもあるので、空気が悪いところにいると伸びが早いとも言いますよね。

鼻の外に出ていて他人から見える鼻毛の大抵は鼻孔近くの毛なのですが、時々鼻がむずむずして鼻毛か?と思って抜こうと思ったら意外と鼻の奥の毛で、ビックリするような長さになっている鼻毛があることってありますよね。
まぁそんなロング鼻毛もありますが、他人が見て「鼻毛出ているな・・・」と思う鼻毛は、鼻孔周りの鼻毛が多いと思われるわけですが、話をしている時に相手の鼻から鼻毛がピョコリンと出ていると、なんだかんだ言ってもやっぱり気になります。

そんな時に、どう声をかけるといいのでしょうか。
正解は「黙って見過ごす」ような気もしています。

例えば「髪にゴミがついてますよ」「肩に桜の花びらがハート(トランプ)」「あごにご飯粒ついてますよ」「歯に口紅ついてますよ」などは言えますよね。
それらはその場で対処できることですし、そこで言わずにその後もその方があちこちで行動されて、行った先の場で恥ずかしい思いをするようなことになる前に防ぐことは十分可能です。
むしろそこで黙って見過ごしたら、気づいてたら言ってくれてもいいのに、と思われると思います。

しかし鼻毛の場合は、その場で対処がしづらいですよね。
鼻毛切りはさみを持ち歩いている人もそうは多くないと思うんです。

他人が「鼻毛出てますよ」と言ったところで抜いてあげることは出来ませんし、言われた本人も気になるわけですしその場で指で抜ければいいのですが、鼻毛ってそう簡単に抜けるものでもないですよね。親指と人差し指を鼻孔に突っ込んで抜こうとしてもなかなかうまくいかない鼻毛もある。
かといって普通のはさみでは鼻の中を傷つける恐れがあるので、鼻毛切り用のはさみがある。先端が丸まってて粘膜を傷つけないように加工されているやつですね。
鼻毛の手入れは、多くの人はそのような鼻毛切りはさみを利用していると思うんです。

じゃあ日々鼻毛切りはさみを持ち歩いていて、鼻毛が出ている人がいたら「鼻毛出てますよ。」とMy鼻毛切りはさみを貸すかと言ったら、それも抵抗あると思うんです。
やはりMy鼻毛切りはさみは自分の鼻にしか使いたくない人が多いと思います。根拠のない勝手な想像ですが。

かといって鼻毛切りはさみもハンカチーフやポケットティッシュのように日々持ち歩いているものでもない。女性は化粧道具の中に入れているのかもしれませんが、男性は化粧道具を持ち歩かない人がほとんどだし、ましてや鼻毛切りはさみを持って歩いている人は少ないでしょう。これも根拠のない勝手な想像ですが。

なのでポケットティッシュのような使い捨ての出来る持ち運び鼻毛切りはさみなんてのがあると、意外と売れるのではないかと、ふとそんなことを思いました。

で、話は最初に戻るとして、鼻毛が出ている人に会った時にどう対応すればいいかということですが、これはやっぱりカツラがずれている人に会った時に「ズレてますよ」と教えるかどうかと同じ問題で、よほど親しい仲であれば忠告してあげるとよいと思うのですが、それほどでもない人であればそこはやはり見て見ぬ振りをするというのが大人としての対応なのかな、と僕は思うのです。

たかが鼻毛、されど鼻毛。難しい問題ですね。
posted by Coyama at 16:58| どうでもいいこと

2012年03月18日

縁の不思議

僕の周りではいつの頃からか不思議なことが起こるようになりました。子どもの頃はそんな記憶がありませんで、たぶん20代後半ぐらいからその頻度が高くなったように感じています。

それは主に「街中で偶然知り合いに会う」といったようなことなのですが、その頻度が僕は人に比べるとどうも多いように感じています。
そのような偶然人に会う時には、まるで何かが会わせようとしたかのように調整が行われます。つまりたまたま普段と違うような行動をとった時に限って、バッタリと街中で人に会うのです。

そしてそういった出会いのある人とは、何かしらの「縁」があるのだろうと最近は思っています。

実は今日も、隣町まで買い物に行ったのですが、普段は片道30分の道のりを歩いて行くものの、今日は雨のためにバスを利用しました。
そして帰り道もバスを使ったのですが、何を思ったのかふと目的地より1つ手前の停留所で降り、そこから家まで歩きました。
横断歩道で目の前で信号が変わろうとし、走れば間に合うものを走らずに信号を待ったりして、最後に家へ向かう角を曲がった時、通りの向こうをジョギングする男性がいました。

目が合ってすぐに気がついたのですが、彼は訳あってこの1年程会えていなかった友人でした。
実は今日もその友人のことをちらっと考えていて、なんとなくそろそろ会うのではないなという予感はしていたのですが、やはり本当に会うとは不思議なものです。

彼はジョギング中だったので僕とすれ違うタイミングはほんの一瞬です。いくら僕の家の前を通ったからと言ってそう出会うものでもありません。
もしあの時バス停を予定通りのところで降りていたら、天気がよくて歩いていたら、などを考えると、僕がとった行動はなんだか不思議と操られていたかのように思えてしまいます。

そんなことが僕には、身近な人とは頻度は多いのですが、疎遠になっている人でもだいたい2〜3ヶ月に1度は起こります。
前回も1月にそんな出会いがありました。
たまたま乗った電車で、乗車ホームで一度は立ったところからなぜか急に位置を変えて電車に乗り込んで、空いている席に座ったら目の前に知人が座っていた。
その知人もたまたまその日その時間に乗っただけで、普段はあまり使っていないのだそうですがいきなり目の前に僕が座ったのでビックリしたそうです。

数年前にグリーンランドを旅行した時にも、最終日に飛行機のトラブルで2日間の滞在延長になり、その2日後にコペンハーゲンに向かう飛行機を待っている時に、旅行の間に知り合ったドイツ人のおじさんに誘われて空港内を移動している途中で、1年ほど疎遠になっていたグリーンランド人の友人に会ったこともありました。
その友人は帰省のために、僕がコペンハーゲンに帰る便でコペンハーゲンからその空港に着いたところで、その時は国内線の飛行機を待っていたそうです。

デンマークを数週間程度訪れる時にも、偶然街中で知人と会うと言ったことがよくあります。
相手方は普段まさか僕がそこにいるなんて思っていないので会うと非常に驚かれます。
ただそういうときの人間と言うのはあまり驚かないんですよね。あまりに想定外なため頭が混乱するようで、ものすごく素っ気ない対応をされます。こっちは「あ〜、久しぶりっ!」と抱き合って喜んでもらえるのかと期待するのですが、そういったことはありません。
でもそれは、あまりにビックリしすぎて何も考えられないのだそうです。

みなさん別れてからしばらくして冷静になって、かなり驚いたということを後から興奮気味に電話やメールでもらうことがよくあります。

以前ブログにも少し書いたことがあるのですが、デンマークに行く時に携帯電話を解約したことで当時手帳などの紙媒体に連絡先を載せていなかった友人知人とはそれで連絡が途絶えました。
その中の一人に大学時代の同期の友人がいたのですが、結局彼とは帰国して1〜2年後に、たまたま僕が予定があって向かった東京都内のある町で、予定時間よりも早く着きすぎたためその時ちょうど切らしていたメモ帳を買おうと文房具屋を捜して歩いていたら、いきなり道ですれ違った彼が、後ろから「あれ?こやま?」と声をかけてきました。最後に会ってからはもう5年ぐらい経ってましたので振り返っても一瞬わからなかったのですが、結局はそこからまた付き合いは続いていて、今でもたまに飲んでいます。
共通の友人などもいますので連絡を取ろうとすればどうにでもとれたのですが、そうはしなくても会う人にはなぜか会う。
僕にはそういうことがあまりに多く起こるので、そういう状況で誰かに会っても驚くことがありませんし、いつの頃からか出会う人とは無理をしなくても出会えるものだと思っているのです。
そしてたとえ疎遠になろうと、またどこかでそう何かに引き寄せられるようにして会った人とはきっと何らかの「縁」があるのだと、僕は過去の体験から信じています。

そんな感覚的なことではなくても最近はFacebookなどSNSで用意に昔の同級生や友人を捜し出し、コンタクトが取れる時代となってきました。
それはきっと今の時代を生きる我々に与えられた、一つの大事な道具だと僕は思っています。一昔前では出来なかった低い確率での人との再会が、今の時代では技術の発達で高められている可能性がある。
もしそんな出会いがSNSなどでもあったとしたら、それも一つの「縁」です。大事にしたいと、僕は思っています。
posted by Coyama at 23:20| どうでもいいこと

2012年03月15日

誕生日に思うこと

(※メモ:後日要修正)

毎年誕生日になると、JALから次のようなメールが届きます。

*****
お誕生日おめでとうございます
いつもJALをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
お祝いの気持ちを込めて、バースデーメールをお届けいたします。
素晴らしい旅に恵まれた、健やかな1年でありますように。
*****

36回目の誕生日の今日も届きました。

きっと何かの際に誕生日を登録したため、誕生日になると自動的に贈られてくるのだと思いますが、サービス旺盛だなと思うよりも、なんだかその機械的な送付に嫌な気分になります。

そんなことを思った時に、ふとあることが気になりました。

僕は日本で騒がれる前から、Facebookを利用しています。最初は海外の友人たちとのコミュニケーションツールとして利用していました。
それが昨年の春過ぎあたりから急に日本で使われるようになり、気がつくと日本では当たり前のように使われるようになって、僕もそれまで使っていた英語やデンマーク語と違って、日本語でやり取りできるのが楽になり、今ではほとんど日本語で書き込みをしています。

ただ気になっていることのひとつに、プロフィールに誕生日の登録があり、Facebookを利用している方ならご存知だと思いますが、友達登録をしている人が誕生日になると自分のFacebookの画面上にそのことが表示され、お祝いメッセージを送るよう促されます。
さらに共通の友人たちがその人に誕生日メッセージを送ると、そのことも自分のページに表示されるため、僕だけかもしれませんが、なんだか自分もメッセージを送らないといけないのかな、と思ってしまいます。

もちろん親しい友人には誕生日にお祝いの言葉を贈りたいと思うのですが、でもそれって何もFacebookじゃなくてもいいと思うのと、そもそも親しい友人の誕生日は、Facebookに教えてもらわなくても、誕生月程度は覚えているものなのではないかな、という気持ちがあります。

誰かが登録してある誕生日の日に、Facebookに教えられて、それに促されてお祝いメッセージを送る。でもこれってなんだか冒頭のJALメールと同じようなものなのではないかな、とある時に僕は感じました。
ちなみに僕がそう感じるだけで、一般にFacebook上で行われている誕生祝いのやり取りを批判するつもりはありませんし、誰かの誕生日が表示されたら、お祝いの言葉を贈りたい人に対しては僕はメッセージを書き込んでいます。
でも、矛盾しているのかもしれないのですが、僕自身がお祝いされるのは、本当に身近な人だけでいい、と思っています。

そんな時に、何か良い方法はないだろうかと思っていたら、Facebook上での誕生日を非表示に出来ることを知り、誕生日の1週間前から僕は誕生日を非表示にしておきました。
もちろん隠すつもりはありませんので、明日にでも再び表示しようと思っています。

ちょうど昨年末に、それまでFacebookを利用していた友人が突然その使用をやめると言いFacebookから退会しました。
先月その友人と食事を一緒にした時にその理由を訪ねたら、SNSでのやりとりに虚しさを感じたといいます。自分はもっと現実の友人関係を大事にしたいし、今あるその関係だけで十分だ、と。
その友人の生き方や充実した生活を知る僕には、その友人が言っている意味がなんだかわかる気がしました。

僕の場合はいろんな場所の人に出会ったり、海外に住む友人たちもいますので、普段はなかなか会えない離れた場所にいる人たちなどとコンタクトが取れるということでとても重宝しているのですが、近くにいる人とは普段から会えばよいと思いますし、むしろそんなインターネット上の付き合いよりも日々現実の付き合いの方を大事にしたいとも思います。
それが例えば誕生日のお祝いの言葉とかなのですが、ちょっと足を運べば言えること、パソコンメールや携帯メールなどで個別に言えることを、わざわざFacebookで第三者にも見える形で言う必要もないかな、と。

そもそも誕生日というのは、僕にとっては、人から祝ってもらうものではなくて(もちろんそれも大事なことですが)、自分が今日まで生きてこられたことに自分自身が感謝をする日、だと思っています。

そして現実世界であろうがSNSであろうが何であろうが、生きている中で多くの人たちと出会い、繋がりを持てたということ、それがいい出会いであろうが悪い出会いであろうが、それらはいつも自分を成長させてくれることに繋がっていますので、そのことに対して、誕生日の限られた日だけではなく、常日頃から感謝をするようにしています。

上記のFacebookに関することや誕生日に関することは人それぞれですし、僕の考えが誰にとっても正しいことだとは思っていませんし、考えを押し付ける気は全くありません。これは僕が僕だけに思っていることで、それぞれの人にそれぞれの考えや繋がり方、祝い方祝われ方があると思います。
それでいいと、僕は思います。

ただ僕は、自分が出会う人、出会った人、大事な人に対して、365日の中の特別な1日だけを大切にするよりも、その人と会えたその日その日を大事にしたい。そんなふうに思える大人になれたらいいな、と思っているのです。
まだまだその道のりは、遠いですが。
posted by Coyama at 23:25| どうでもいいこと

2012年03月08日

振り向けば猫ひろし

2012年現在、お笑い芸人の「猫ひろし」さんが、カンボジア国籍を取得し、カンボジア選手としてロンドンオリンピックに出場しようと挑まれている姿を、テレビで何度か拝見しています。
そんな猫ひろしさんに僕は実は2度ほど会った事があります。

最初は2007年の7月、富士山の麓の富士北麓講演で毎年行われている24時間リレーマラソンに参加をしたとき、その年のゲストとしてやってきたのが猫ひろしさんでした。
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しかしその年は大会開始15年目ではじめての台風が直撃。前夜から大雨の中、なんとか開催したものの、その年は24時間を6時間に短縮しての決行となり、土砂降りの大雨の中での開始となりました。
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このマラソン大会では仮装をして走る人が多く、僕もその年はアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主人公・鬼太郎さんの格好をして参加をしていました。
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この大会は、ただ走るだけではなく、24時間(この年は6時間でしたが)の間に様々なイベントが用意されています。

その中のひとつにウルトラクイズがあり、襷を繋ぐリレー方式のマラソンのため次に僕の走順が回ってくる間に時間があったため、僕もクイズに参加をしました。

するとそのウルトラクイズのゲストに現れたのが猫さんでした。
ニャ〜、というつかみの挨拶のあと、会場にいるたくさんのコスプレをしているランナーたちを見て、猫さんが話し始めました。
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「あ、ゴレンジャーみたいな人たちがいますね。」「ショッカーもいる!」などと言った後、僕に向かって「鬼太郎もいますね〜」と言ったので、僕は『どこっ!』といった感じで後ろを振り向きました。
すると猫さんは「あなたですよ〜!」とツッコミを入れてきました。

ボケである猫さんに、僕はツッこんでいただきました。

その後、ウルトラクイズの司会を終えると、猫さんは「昇龍拳っ!」と声高に叫び、豪雨の中、マラソンコースに走り出していきました。
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そしてその年の大会は台風直撃のため、6時間目で幕を閉じました。
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そして翌年の2008年7月に、僕が再びその24時間リレーマラソンに参加をすると、昨年の不完全燃焼さもあってか再び猫さんがゲストとして呼ばれていました。
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その年の僕は「くまのプーさん」の着ぐるみ帽子(真夏のため全身着ぐるみは危険なのです)をかぶって走っていました。
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その年もウルトラクイズがあり、猫さんがステージに上がってトークをされているのを横目に、僕は黙々と走っていました。
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大会は200チーム以上が参加をしているので、常に200人近いランナーが走っており、あまり他のランナーを気にする事はないのですが、そんな中で僕が走っていると、いきなり後ろから「プーさん!」と声をかけられました。
振り向くと、そこに猫ひろしさんが走っていました。

そこですかさず「猫さんっ!」と返したのですが、すると猫さんは僕に向かって「借りてきたプーだ!」と・・・

あれはどういう意味だったのでしょうか?

そしてその後しばらく僕は猫さんと一緒に走ったのですが、やがて僕はついていけず、「どうぞ先に行ってください!」と猫さんの背中に声をかけ、猫さんは先を走り抜けていきました。
僕はその離れて行く猫さんの後ろ姿を見た時に、すでに彼がロンドンオリンピックへ向かうことを予感しました(嘘)。

その後、襷を次のランナー渡し、次回の自分の走順が来るまで1時間以上あるため、待機会場の裏手にある出店が並んでいるエリアに向かいました。そこには焼きそばだとかお好み焼きだとか、いろいろなお店が出ていて、参加者を楽しませてくれるのです。
チームメンバーの知人と共に、僕がその出店エリアに向かうと、その手前に何人かの人だかりがあり、その中心にちょうどスーツに着替えて帰ろうとしていた猫さんがいました。

人気者の猫さんは、あちこちから記念撮影を頼まれ、それに応じていたのです。
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しかし隣にいるマネージャーらしき人物は時間を気にしており、そろそろ行かないとと猫さんに声をかけています。

そんな中、女性グループと写真を撮った後、固まりの横にいた僕がカメラを持って「次は、、、」と手を伸ばしたところで、マネージャーさんが僕を含む周囲にいる人たちに「すみません、次に行かないといけないので、申し訳ないですが写真はここまでで、、、」と無常な宣告。

その時、手を伸ばしていた僕と猫さんは目が合ったのですが、申し訳なさそうに僕を見つめる猫さん。

そして帰りの駐車場に向かうべく、猫さんとマネージャーさんが足早にマラソンコースである道路を横切って渡ろうとしたとき、ちょうどランナー集団が続いて、猫さん達が一瞬足止めをされました。
すると次の瞬間、猫さんが振り向いて、僕に向かって「今のうちに・・・」とカメラに手を伸ばしてきたのです。
そしてマネージャーさんにカメラを渡して、その時に撮ってもらった写真がこれです。
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猫さん、本当にサービス精神が旺盛で、素敵な人でした。そのことで、僕は大好きになりました。

今、ロンドンオリンピックに挑戦しようとしているその心意気も、とても素敵なことです。
是非その夢を叶えてロンドンオリンピックに出場してもらいたい。結果がどうあろうと、僕は心から猫さんを応援しています。
posted by Coyama at 23:59| どうでもいいこと