2012年08月05日

しばらくブログはお休みします。

この1ヶ月ブログを書いている時間がなかったため更新を止めていました。
この1ヶ月で行ったことや見たこと学んだこと感じたことは、またいずれ書きたいと思っていますが、とりあえずブログはしばらくお休みします。

その分、過去の日記を再編集したいと思っているからです。

2005年11月から2008年11月までの3年間に渡る日記なのですが、デンマークで住宅設計を行ったことを記録しています。
そのまま眠らせておくにはもったいないので、少しずつですがブログ形式でアップしていければと思っています。

興味のある方はご覧下さい。
「デンマーク建築日記 〜 やったろーじゃん一戸建て! 〜」
http://arkitekt.sblo.jp/

3年間と言う膨大な量のためなかなかアップをしていけませんが、時間を見つけて少しずつ行えればと思っています。
posted by Coyama at 22:56| どうでもいいこと

2012年06月27日

埋れ木

『世の中を よそに見つつも うもれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』という歌をご存知でしょうか。

幕末の大名・井伊直弼さんが詠んだ歌だそうです。

井伊直弼さんは江戸時代の大老として活躍し、最期は桜田門外で暗殺されたことで知られていますが、井伊さんが大老職に就いたのは43歳の時。しかしそれまで着々と出世街道を歩んできたわけではなく、32歳まではわずかな捨扶持をもらいながら控え屋敷で暮らしていたのだそうです。

当時の32歳ということは、現在だと40〜50歳ぐらいまで埋もれていたといったところでしょうか。

その間、井伊さんは「なすべき業をなせばいいのだ」と学問や武道に精進し、自分を磨き続けたのだといいます。

歴史には学ぶ事も多く、「温故知新」と言う昔からの言葉もあり、過去の人から学べる事もたくさんあります。

僕も今はただ、なすべき業をなす、精神でいかなければならないと思っています。
嘆いたところで誰が助けてくれるわけでもないし人生が楽になるわけでもない。

なすべき業をなせばいい。そういうことなのだと思います。
posted by Coyama at 21:51| どうでもいいこと

2012年06月26日

事象・要因・誘導・判断・決断。そして結果。

僕は今の最寄駅からデスクのある早稲田大学へ向かう時に、主に朝9時の小田急永山駅発の多摩急行を利用します。
僕のデスクのある早稲田大学は西早稲田キャンパス内にあり、そこは地下鉄副都心線の西早稲田駅と直結しています。

自宅の最寄り駅は京王線と小田急線が並走しているのですが、時間的には京王線で新宿まで出て地下鉄丸ノ内線に乗り換え、新宿三丁目で副都心線に乗り換えるのが早いのですが、それは京王永山駅と新宿駅間を約30分で輸送する特急電車を使うからで、残念ながら朝9時永山発では混雑緩和のためか新宿に向かう特急電車が走ってなく、急行のため時間も多めにかかります。
さらに多くの人が乗り合わせるため座れることはまずありません。

一方で小田急線は、通常だと新百合ヶ丘駅と代々木上原駅で乗り換えなければいけないのですが、小田急永山駅からすべて直結して新宿線に連結する多摩急行という急行電車があります。
これに乗ると副都心線に乗り換える明治神宮前/原宿駅まで乗り換えることなく行くことができます。
さらに運が良ければ小田急永山駅で乗り込んだ時に座ることができ、座れなくとも道中は京王線ほどに込み合うことがありません。
そのため僕は小田急線を利用しています。
車両は、明治神宮前/原宿駅で乗り換えるのに便利な前から2両目の列車に乗り込みます。

また運よく座れたとしても、小田急永山駅へ入ってくる列車の空いている座席は1〜2席のため、電車到着の10分前には駅に向かいなるべく列の先頭で列車を待つようにしています。

今朝もそのようにして9時10分前にはホームに着き、一番前で列車を待っていました。
するとしばらくして小学生の集団がやってきて、僕の乗り込む2両目付近で止まりました。
小学生たちはわいわい騒ぎながら、引率の教師によって3班に分けられ、進行方向の1つ目から3つ目のドアの列にそれぞれ分かれて並ばされました。

ちなみに僕が立っていたのは前から3つ目のドアです。

引率の教師は「他のお客さんもいるのだから車内では静かにしてしゃべらないこと!」と注意していましたが、まず無理な話だろうな、と思いながら僕は電車を待っていました。

やがて電車が来て乗り込んだのですが、残念ながらこの日は空いている席はありません。

前述のように車両前方は小学生たちが乗り込んできていますので、僕の足は自然と車両後部のほうに向かい、適当なところで網棚に荷物を乗せ、目の前の吊革につかまりました。

ところが入った時から、車内に異様な臭気を感じていました。
周囲を見渡すと、その臭気の原因となっている男性が、車両の一番後部の優先席にうなだれて座っているのが目に入りました。
身なりも一目でわかるくらいにボロボロな、いわゆるホームレスの方です。

僕が立っていたところからは10メートル程度離れていたと思うのですが、数秒間我慢をしてみたものの僕は臭覚が鋭い方なので耐えられなくなり、場所を移動することにしました。

しかし車両前方に向かうと小学生の集団がいますので、その臭気を放つ男性の前を通って次の車両へと移動しました。

列車間はドアで密閉されますので、当然ながら隣の車両に移れば臭いは届きません。

隣の車両も比較的すいてはいましたが席は空いてはいませんので、適当なところで網棚に荷物を置き、吊革につかまります。
この時、なんとなくですが、サラリーマン風の男性の前に立ちました。

吊革につかまりながら本を読んでいたのですが、僕の前に座っているその男性の、僕から見て左側にはやはりサラリーマン風の男性、右側には若い女性が座っていました。
僕はその時に頭の片隅で、この左側の男性はかなり先まで乗っているだろうが、女性のほうはどこか途中で降りるのではないだろうか。右にずれて女性の目の前に立っていれば、彼女が降りる時に今度は自分が座ることができるのではないか、と感じ、位置を移ろうかどうしようか迷いました。

列車は都心に近付けば近付くほど人が乗り込んできますので、後になると身動きはできなくなり、僕の前に座っている人が降りない限り僕は座ることはできなくなるということはわかっています。
もし座席右側の女性の前の吊り革に僕より後に来た人が立ち、その女性が途中で降りて、僕より後に乗り込んだ人が運よく座れるということもあるわけです。
その時には「あぁ、立つ位置を失敗したな」と思うのですが、そもそも座席に座っている人たちがどこで降りるかなどはわからないもので、基本的には直感と運でもあるわけです。

最終的に今朝の僕は「自分が最初に『ここ』と決めたのだから動かない。」「隣が先に降りたらその時はその時。運がなかったと諦める。」と思いそのまま立って本を読んでいました。

やがて列車が駅で止まる度に乗客が乗り込み、僕の両隣の吊り皮も埋まっていきます。

すると、比較的早い段階の駅で、なんと僕の前の人が下車したため僕は座ることができました。
その後僕が降りる明治神宮前/原宿駅まで座席の両隣の人は降りることはありませんでした。

この出来事は、たまたま運がよかっただけ、なのでしょうか。
これは偶然なのか、それとも必然なのか。

今日僕が座った車両は、普段は乗りこまない車両なのですが、何か導かれるようにして移動させられ、なんとなく空いている場所に立った。目の前に座る人たちを見て、隣のほうが早めに降りそうだから隣に移ろうかと考えたけど、なんだか馬鹿らしくなり大した距離でもないのだから立っていればいいだけのこと、とその場に留まった。
結果としてかなりの距離を座って移動することができた。

どうでもよくて、本当に些細なことなのですが、でもこの小さな出来事が、僕には偶然では済まされない何か意味を含んでいるような気がしてならないのです。

事象・要因・誘導・判断・決断。そして結果。

人生にも似ているな、と感じた、今朝の出来事でした。
posted by Coyama at 20:56| どうでもいいこと

2012年06月25日

ある朝の出来事/挟まれた傘

ある日の朝の事、僕は自由が丘駅から渋谷行きの東横線に乗ったのですが、その電車は日比谷線直通電車でした。
この列車は途中の中目黒駅から日比谷線に入ってしまうため、渋谷へは行きません。そのため僕は中目黒駅で電車を乗り換えました。

朝のその時間帯は急行でも各駅停車でも「超」がつくほどの満員電車です。
中目黒駅のホームで電車を待っていると、やがて渋谷行きの各駅停車の電車がやってきました。
ちなみに各駅停車と言っても中目黒駅の次は代官山駅で、その次が終点の渋谷駅です。

最初、僕はホームで列に並んでいたのですが、電車が来て降りる人を待っている間、途中で気が変わって列から外れ、先頭車両のほうへと歩いて移動しました。というのも終点の渋谷駅の改札口が先頭車両の先だからです。

そして発車ベルが鳴ったところで、僕は近くのドアの前の、まだ入り切れていない列の、その最後に並びました。
列に並んでいた人々は次々に電車の中へ押し合います。

すると、もう少しで列の最後にいた僕が入り切るところで、僕の前にいた若者がドアの際のところに踏ん張って立ちました。
彼の奥には人1人分のスペースがぽっかり空いているのですが、その若者は後ろに下がらずにドア際の位置でホーム側を向いた状態で踏ん張っています。

気持ちはわかります。満員電車で人に囲まれるよりも窓際がいいし、降りる時にもすぐに降りられるからといった思惑があったのでしょう。
しかし、僕もその電車に乗らなければならないので、彼を押して僕の身体を電車に押し込みます。
それでも頑として動こうとしない若者。

結局僕はその若者の右側に滑り込んで、彼の後ろに空いていたスペースに身体を押し込みました。
その瞬間、ドアが閉まります。

と、その時。。。

その若者は、僕が背後に滑り込んだ時も避けようともせずに微動だにせずに窓際に踏ん張っていたわけです。
しかし彼は変に力んでいたため、タイミング悪く手に持っていたカバンと傘がドアの外に出ていて、閉まったドアに挟まれてしまいました。

もちろん若者は慌てて荷物を引きます。
カバンは抜けました。
しかし傘はドアに挟まったまま。

傘の下から10cmぐらいの部分が、ガシっとドアに挟まれていたのです。

このような時に、よく一度閉まったドアが一瞬開くことがありますよね。でも、この時はそれはなかった。

そして電車は若者の傘を挟んだまま、無情にも中目黒駅を出発しました。

電車の走行中、数回、グッ、と傘を引っ張って抜こうとする若者。

しかし抜けません。

ちなみに次の代官山駅は進行方向左側、つまり若者や僕のいる右側とは反対側のドアが開きます。
だから終点の渋谷駅までは進行方向右側のドアは開かないのです。

こんなドラマみたいなことを目の前で見れるなんて、なんて運がいいんだ、と僕はその時に思っていました。

ところが、代官山駅を過ぎたあたりで、ふと気がつきました。
というのも、渋谷駅は東横線の終点で、レーンが4つあるのです。

北方向に向かって一番左(西)側にもホームがあり、左の3レーンは列車の両側にホームがあるので、降車時には両側のドアが開きます。
しかし一番右(東)のレーンだけは、右側が壁になっていてホームはなく、左側のドアしか開きません。

その事に気がつき、もしその一番右のレーンにこの電車が入ったら、これはよく出来たコントだな、と思っていたら、そこに車内アナウンスが流れました。

『次は〜、渋谷〜渋谷〜。終点です。お荷物・・・』

そしてその次に続く言葉として、両側のドアが開く場合には『お出口は左側、右側の順番に両方のドアが開きます。』となるのですが、その日の電車のアナウンスは『お出口は左側です。』と。

その瞬間、吹き出しそうになり、それを抑えるのに必死でした。
おそらく僕の周囲にいた人たちでそのことに気がついた人も、同じ気持ちだったと思います。

そしてその若者も、気がついたのでしょうね。

1度力を入れて、傘をグっと引いていました。

しかし、抜けません。

満員電車で身動きが取れない中で、目の前でそれを見せられている僕は笑いをこらえるのに必死でした。

そして電車は渋谷へ到着します。

左側にはホーム。若者が窓から眺める右側には、無情にも壁看板。

そして左側のドアが開いたと同時に、乗客はドドっと降り始めました。

僕はその後若者がどうするのかを見届けたかったのですが、変に見ていて絡まれたりするのも嫌なので、何もなかったかのように人の流れとともに電車を降りました。

その後あの若者はどうしたのか、とても気になります。

A. 傘が抜けて降りた。
B. 傘は諦めて、傘は捨てて降り、ドアに挟まれた傘だけが車内に残った。
C. 傘は抜けず、しかたがなく乗ったまま折り返した。

あのドアの閉まり圧ってどのくらいなのでしょうか?やはり傘は抜けないのでしょうか?
傘は結構先から深い部分で挟まり、両脇ゴムの部分で押さえつけられていたため、まったく抜ける気配はありませんでした。

若者が最終的にどうなったかは知りませんが、結果は上記のABCのどれかですよね?

もし自分だったらどうするでしょうか。

それにしても、その日は朝からそのような出来事を目撃出来ただけで、なんだか明るい気分になりました。

無理をしてドア側をキープしようなどと踏ん張らず、混み合っている時には譲り合い、車中へ詰めていくようにした方がよい。
世の中自分だけではないのだから、他人の事も考えて共存していきましょう。力を抜いて、のんびり行こうよ、という良い教訓ですね。
posted by Coyama at 20:50| どうでもいいこと

2012年06月18日

ブログのタイトル

ブログを始めて150日目。そういえばこのブログのタイトルについて説明したことはなかったので、ここに書いておきます。

もともと僕が10年前にデンマークへの渡欧を決意したきっかけは、冗談でもなんでもなく2000年8月20日のサザンオールスターズ茅ヶ崎ライブでした。
僕はあの日あの場所にいました。
2012061803.jpg

生まれてからずっと過ごしてきた故郷茅ヶ崎を大学進学を機に離れて4年、当時は東京で暮らしていたのですが、生まれ育った故郷茅ヶ崎はいつでも僕の心の中にありました。
もちろん今でもあります。

あの日、僕の人生で最も熱かった夏の日に、ライブの最後で、桑田佳祐さんが僕にこう言いました。
『茅ヶ崎をよろしく頼むよ!』
それが僕がデンマーク行きを決意したきっかけです。
100mぐらい離れていましたが、たぶんあれは僕に向かって言っていました。
そして僕はそれを受けて、愛する茅ヶ崎を守るため、まずは世界を見に行って、いつか日本を変えよう、そう思いました。

それから2年かけて準備を進め、2002年9月3日に僕は日本を発ちました。
その朝、僕は茅ヶ崎市の実家から羽田空港へ向かいました。羽田空港から関西国際空港へ向かい、そこからロシアのウラジオストックへ飛行機で向かいました。
先の何も見えない不安だらけの出国でしたので、羽田空港で飛行機を待っている間に涙が止まらなくなり、思わずトイレに駆け込みました。
成果を挙げられなければ二度と日本の土は踏まないと強く心に誓ったからです。
2012061801.jpg

関西国際空港へ向かう飛行機では、僕の席は機体右の窓際でした。
なぜデンマークまで陸路で行くのに、そこだけ飛行機だったのか。きっとそれは神様が用意した粋な演出だったのだと思います。
羽田空港から関西国際空港へ向かう飛行機は、茅ヶ崎上空を通過します。
羽田空港を発って数分後、僕の席から晴れ渡った眼下に見えてきた故郷茅ヶ崎を見て、再び涙が溢れ出てきました。
2012061802.jpg

そんな時に、機内ラジオからは桑田佳祐さんの歌が流れてきました。

「ROCK AND ROLL HERO」より
ロックン・ロールで Up Up と行こうじゃない Until we die.
艶っぽいショーを人生のために Ah…begin.
ノッて行こうぜPop Pop「死のう」は辛い 夢見たい
青春の同志よ 沈黙は愛じゃない



デンマークに到着して3ヶ月後、僕はクリスマスを本場のヨーロッパで迎え、デンマーク人の友人の家でとても素敵な時間を過ごさせていただきました。
2012061805.jpg

3ヶ月ではまだまだデンマーク語での会話能力も十分でなく、楽しさと、なかなか意志を伝えられない苦しさに悩んでいた時に、聞いていたのも、やはり桑田佳祐さんの歌でした。

「素敵な未来を見て欲しい」より
愛する誰かを守りたい
不安だらけの世の中だけど
見えない翼を広げたい
明日未来へ羽ばたくために


そして王立芸術アカデミー建築大学より6月末の面接試験を言い渡され、苦しみ始めたデンマークの長い冬。
授業以外は語学学校の寮の部屋に隠り、デンマーク語の勉強に没頭し、周りの友人から『もっと外に出ないとダメだ!』と非難されていた頃、やはり支えられたのも桑田佳祐さんとサザンオールスターズの歌でした。
あの頃は毎晩のように語学が上達しない苦しさともどかしさで、涙で枕を濡らしていました。
2012061804.jpg

デンマーク語での面接を経て運良くアカデミーへ受け入れてもらい、コペンハーゲンに移り住んで、アカデミーへ通う道すがらずっと聞いていたのも、やはりサザンオールスターズの曲で「涙の海で抱かれたい〜SEA OF LOVE〜」でした。
異国の地でも「やっぱ夏はサザンだな。あぁ、また夏が来るんだな。」と、あの頃は挫けそうになるといつも曲を聴き、気持ちを高ぶらせていました。

「涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜」より
振り向きもせず 夏は去くけど
また太陽は 空に燃えるだろう
さよなら僕の いとしの Angel
我が身は枯れても 愛は死なない


その頃の僕はコペンハーゲンの郊外に住んでいて、アカデミーへは電車で通っていました。
なので今でもその曲を聴くと、電車の窓から見えてくるコペンハーゲンの街並が頭に浮かんできます。
2012061806.jpg

アカデミーのバスツアーで行ったオランダで、海外で学ぶ外国人としての厳しさを味わった時にも、帰りのバスの中で、僕は涙をこらえながらサザンオールスターズの曲を聴いていました。
2012061807.jpg

「雨上がりにもう一度キスをして」より
「時間よ情熱の灯は消さないで」 青春は二度と帰らない
振り向かないで 涙をふいて 明日へと翔び立とう
あの頃は風まかせ 明日へと翔び立とう


そして一つの目標を達成し、日本への帰国の前に向かったグリーンランドの地で聞いていたのも、やはりサザンオールスターズの歌でした。
2012061808.jpg

「君こそスターだ」より
夜空の花火はもう消えた 祭りは燃え尽きた,Yeah…
だから生まれ変わらないと 歩いていかないと 太陽が照らす道を

うねりくる波に 乗るための勇気を 僕に与えてくれ
行くあてのないほどに つれぬ世の中だけど
頑張る君と 生きた時代に万歳

白いカモメとケセラセラ
新しい旅が始まる



あれから8年が経ち、その間もいろいろなことがありました。デンマークにも何度も行けました。
つらいことや苦しいこともたくさんありましたが、思い返してみると、あの語学学校の寮の部屋で流したような涙は、その時以来流していません。

たぶん乗り越えた先にある何かを、体験して知っているからなのかもしれません。

今、とりあえず先も何も見えない不安の中で、それでも何かをしなければいけない・何かをしたいと思い、よくわからないままに書き続けているこのブログのタイトルには、実はそんな過去の経験と、今の気持ちと、未来への希望が込められているのです。

「明日晴れるかな」より
在りし日の己れを愛するために 想い出は美しくあるのさ
遠い過去よりまだ見ぬ人生は 夢ひとつ叶えるためにある
奇跡のドアを開けるのは誰? 微笑よもう一度だけ
君は気付くでしょうか? その鍵はもう きみの手のひらの上に

why baby? Oh, tell me. 「愛」失くして「憎」も無い?
見て見ないようなフリ その身を守るため?
Oh, baby. You're maybe. もう少しの勝負じゃない!!
くじけそうな Feeling 乗り越えて One more chance.
posted by Coyama at 21:45| どうでもいいこと