2012年02月29日

トイレの神様のユーモア

デンマークのコペンハーゲンに「CAFE EUROPA」というデンマーク人にはよく知られた有名なカフェがあります。
サイトはこちら→ http://europa1989.dk/
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1989年にコペンハーゲンの目抜き通りでもあるストロイエ通りのAmagertorv広場の脇にオープンしたこの「CAFE EUROPA」の特徴は、なんといってもそのサービスにあります。
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実はここのコーヒーを提供しているのは、デンマークNo.1のコーヒーマイスターたちなのです。
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カフェ業界には、世界一のバリスタを決める「World Barista Championship(世界バリスタ選手権大会)」というものがあるそうなのですが、このCAFE EUROPAからは過去に何度も「World Barista チャンピョン」を排出しているのです。

ちなみに『バリスタ』というのはコーヒーの抽出とサービス技術の優れたコーヒーマイスターのことです。

日本からも毎年この「World Barista Championship」には多くのマイスターたちが参戦しているそうです。

そんな世界一のバリスタたちのいる「CAFE EUROPA」に行った時のこと。

男性用トイレには男性用小便器(いわゆる立ちション用便器です)というものがあるのですが、「CAFE EUROPA」の男性用トイレで、面白いものを見つけました。
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一件普通の小便器ですが、この便器の上に下の写真のようなプレートがついていました。
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デンマーク語で
−−−−−
et skridt naermere
den er kortere end du tror
−−−−−
と書かれているこのプレート、日本語に訳すと
−−−−−
もう1歩前へ
あなたが思っている以上にソレは短いのです
−−−−−
と書かれています。

「ソレ」ってのは「アレ♂」のことですが、男性の立ちションというのはよく最後に「おつり」が床にポタポタと垂れるんですね。
やるほうはスッキリし終わるのよいですが、床に「おつり」が垂れますと不衛生になりますし、臭いも放ちますし、掃除をする側にとっては大変なのです。
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それはいつの時代もトイレの神様の悩みであります。
だから日本でもよく目線の位置に「もう一歩前へ!」と表示がされています。
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生活や文化は違えど、こういうところは世界でも共通しているものなのですね。

ただ、そこで「あなたが思っている以上にソレは短いのです」と表示し、かつ受け入れられているのがヨーロッパにはあって日本にはないユーモアというもの。

見習いたいものです。
posted by Coyama at 23:02| デンマークのこと

2012年02月23日

デンマークで学んだこと

2003年の夏、僕はデンマークにある語学学校の2週間のサマーコースに参加をし、デンマーク語で英語を学んでいました。
英語のクラスは僕以外はみんなデンマーク人で、その多くが年配の方でした。
今でこそ、多くのデンマーク人が英語を話しますが、少し年輩の方になると、あまり英語は話せないとういう方が多いのです。

英語のクラスはレベルによって2つのクラスに分けられていて、英語があまり得意でなかった僕は下のクラスでした。
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そんなクラスメートの中に、オーブさんという、感じのよいデンマーク人のおじいさんがいました。歳の頃はもう70歳を越えていたでしょうか。
そんなオーブさんは僕によく話しかけてくれました。

オーブさんは切手集めが趣味でした。そこで僕が日本からの郵便物に貼ってあった日本の切手をあげると、大変喜んでいました。
ちなみに彼は「HOKUSAI」にとても興味があるのだそうです。
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そのオーブさんはサマーコースには奥さんと一緒に来ていました。奥さんの名前はトーベさん。彼女も歳は70歳を越えていました。とても大らかで、気品のある綺麗な女性だったのを覚えています。
彼女は僕とオーブさんとは違い、英語の上級クラスで学んでいました。
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ふたりはそのサマーコースには老後の趣味ということで、休暇を兼ねて英語を学びに来ていました。
そしてその2週間の間、よくふたりが一緒に散歩をしている仲むつまじい姿を僕は何度も見かけました。

この2週間のサマーコースには、最初の週末と最後の週末の2回、フェスタと呼ばれるパーティがありました。
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その日は学校の厨房が作る素晴らしく美味しい食事を楽しみながら、さまざまな催しがなされ、その宴は夜遅くまで続きます。
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2週間のサマーコースが終わる、そんな最終フェスタの夜のこと。

僕はその日のフェスタを飲んで踊って楽しんだ後、少し酔いを覚まそうと玄関の外へ出ました。
月明かりがとても綺麗だったのを覚えています。
学校のホールからは、まだまだダンスを楽しむ人たちの楽しそうな笑い声と、心地よい音楽が鳴り響いていました。
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その時、オーブさんとトーベさんが、会場のある建物から外へと出てきました。

窓から漏れる薄明かりの中、ひとり闇夜にたたずむ僕を見つけたオーブさんは
「僕たちはもう疲れたから部屋に帰って寝るよ、おやすみ。」
と声をかけて手を振ってくれました。
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そして、部屋へと向かう暗闇の中へふたりで消えていきました。

僕は、その時の、薄暗い月明かりに照らされた老夫婦の後ろ姿を、今でも覚えています。

もうとっくに70歳を越えているだろうその老夫婦は、外に出てきた時からずっと、手を繋いでいたのです。そして部屋に戻る時にも、ずっとその手は離れませんでした。

その雰囲気は、言葉に表すのが難しいですが、僕はその時に、きっとふたりの間にある絆はとても深いものなのだろうな、と感じました。
どんなに歳をとっても、自然と手を繋いでいられる。なんて素敵な夫婦なんだろう、と。

ふたりが見えなくなるまで、僕はずっとその後ろ姿を見つめていました。

僕も、オーブさんとトーベさん夫婦のように、いつまでも手を繋いでいられるような、それが自然に出来るような、そんな大切な女性に、いつか巡り会えればと思っています。
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日本では「デンマーク」と言うと「世界一幸せな国」などと称され、福祉が優れているだとか環境活動が盛んだとかと注目をされ、デンマークを知らない人たちはこぞって多少の知識を持つ人たちにそのような話を聞きたがります。

それを聞くことも話すことも僕は否定はしません。知らないことを知りたがるのは人間の性です。

でも僕は恩師からデンマークに行く直前に、「留学で最も大切なことは、知識や技術を得ることではなく、その国の人を知り、理解すること。」と教わりました。
そしてそれを心にして学んできました。
だからもし人から「あなたがデンマークで学んだことを教えてください」と言われたら、きっと僕はデンマークの建築の話や福祉事情、環境対策などではなく、このオーブさんとトーベさん夫妻の話をすると思います。

あれから9年が経ちましたが、いまでもおふたりが、幸せで元気に暮らしていてくださればいいなと、いつも願っています。
そして、今でも手を繋いでいる、素敵なカップルでいて欲しい、と。

どんなに歳をとっても、いつもその手を握ってくれる別の手がある。それこそが、世界一だとか日本一だとか関係なく、人生の中で、最も幸せなことなのではないでしょうか。
posted by Coyama at 20:53| デンマークのこと

2012年02月13日

オットーさんのスキヤキ

先日も書いた世界に知られる日本の名曲「上を向いて歩こう(洋曲名「SUKIYAKI」)」。
http://faelles-design.sblo.jp/article/53543351.html

この曲は1961年に日本で発売されて瞬く間に大ヒットを記録し、その2年後の1963年には全米で日本語原曲のままミリオンセラーを記録してしまいました。

しかし実は全米で発売される前年の1962年に、すでにこの「SUKIYAKI」はイギリスのケニー・ボール楽団によってカバーされ、全英トップテン入りをはたすなど、ヨーロッパでは話題になっていました。
ただしこの時の「SUKIYAKI」には歌詞はなく、メロディだけのインストゥルメンタルでした。

その後このケニー・ボール楽団の「SUKIYAKI」がアメリカで演奏され、その原曲である坂本九さんによる日本語原曲に注目が集まり、ラジオから広まって、やがて唯一の日本語曲のゴールドディスクとして日本とアメリカの歴史に残っただけではなく、世界中に広まり世界で愛される曲になったわけです。

そんなオリジナルの「SUKIYAKI」か、ケニー・ボール楽団の「SUKIYAKI」か、どちらから影響を受けたのかはわかりませんが、全米で「SUKIYAKI」が発売された1963年と同じ年に、なんとデンマークでもデンマーク語バージョンの 「SUKIYAKI」が発売されています。

デンマーク語バージョンの「SUKIYAKI」は、デンマークでも有名な歌手であり俳優でもあるOtto Brandenburg(オットー・ブランデンブァーグ)さんによってカバーされました。

1934年に生まれ2007年に亡くなられたオットーさんは、1957年にBent Werther、Poul Rudi、John Mogensenの4人グループ「Four Jacks」としてデビューをしました。しかし翌1958年にはソロ活動を開始します。

そして1960年に「To Lys På Et Bord(テーブルを照らすふたつの灯り)」でその年のデンマークの音楽賞 "Dansk Melodi Grand prix" の大賞を受賞し、一躍その名をデンマーク全土に知られようになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=NALuYQEbBpA

その後、オットーさんは数々の音楽を世に送り出しながら、音楽だけではなく俳優としても活躍。多くの映画やテレビドラマに出演し、デンマークを代表するアーティストとして活躍をしました。

そんなオットーさんが、1963年に全米で「SUKIYAKI」が大ヒットを記録したのと同じ年に、デンマーク語バージョンの「SUKIYAKI」を発売しているのです。

聞いてみたいですか?
オットーさんによるデンマーク語の「SUKIYAKI」はここで聴くことが出来ます。
http://www.youtube.com/watch?v=bW2a9sbcgHY

オットーさんがどのような経緯でこのカバーに辿り着いたのかはわかりませんが、こうしてデンマーク語でもカバーされてしまう世界の「SUKIYAKI」。
それだけこの日本の曲には、世界中の人々から共感を得られる何かを宿しているのだと思います。
posted by Coyama at 22:58| デンマークのこと

2012年02月07日

デンマーク体操

そういえば先日知人との会話の中で『デンマーク体操』の話が出てきたので書いておこうと思います。

日本人であれば『ラジオ体操』は誰もが知っている体操だと思います。
僕も子どもの頃は毎朝小学校の校庭に通い、ラジオ体操をしてはスタンプを押してもらうのを楽しみにしてました。

実はそんなラジオ体操はデンマークから来た、というのは御存じでしょうか?意外と知られていないんですよね。

今から半世紀ほど前のこと、農業大国であるデンマークには当時も多くの農民がいたのですが、彼らは仕事の合間などに健康を考えて、独自の体操をしていました。
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そんな体操の噂を聞いた日本人の男性2人女性1人の若者3人は、日本から遥か彼方のデンマークへ、その体操を習得するために船旅へ出ました。しかし当時は今と違いその道のりも険しく、男性2人は旅の途中で病死してしまい、女性1人だけがデンマークへと辿り着いたのだそうです。

彼女は志し半ばにして倒れた2人の同志のためにも、なんとしてでもこの体操を習得して日本へ持ち帰り広めよう、と堅く決意をしました。

数年後、その夢は彼女と共に日本へ渡りました。彼女の持ち帰った体操は『デンマーク体操』として、当時の日本海軍の健康づくりに用いられるようになりました。今でもご年輩の方にはこの『デンマーク体操』は有名らしいです。

そんな『デンマーク体操』がやがて軍隊だけでなく一般の人々にもできるようにと形を変えたのが、『ラジオ体操』なのだそうです。
『デンマーク体操』の詳しい動きはよくわかりませんが、『ラジオ体操』の中には『デンマーク体操』の動きが多く含まれているのだそうです。
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半世紀前に若者がデンマークで追った夢が、実は今の我々日本人の健康を作っているのかもしれません。
そんな身近なところにも、日本とデンマークとの意外な関係があるんです。

形こそ違いますが、今の時代にも夢をもってデンマークや他国に渡り勉強している多くの日本人の若者がいます。

信念を持って学び進んでいれば、きっといつか実る日が来ると思います。
今や日本人が誰でも知っているラジオ体操が、それを物語ってくれているのではないでしょうか。
posted by Coyama at 23:06| デンマークのこと

2012年02月02日

あなせん

デンマークの有名人といえば、多くの人が挙げるのが世界的に有名なアンデルセン童話の作者Hans Christian Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)さんです。アンデルセン童話の代表作でもある人魚姫のお話などは特に有名で、ディズニーのアニメ映画にもなりましたし、コペンハーゲンの街の北部にある物語を象った人魚姫像はデンマークの観光名所としていつも多くの観光客で賑わっています。
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一昨年の上海万博の際にはデンマークの象徴として、デンマーク館にこの人魚姫像がコペンハーゲンから運ばれて臨時展示をされていました。
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そんなアンデルセンさんはデンマークの真ん中の島、フュン島で生まれ育ちました。彼はフュン島にあるデンマーク第3の都市、オーデンセでその幼年期を過ごしました。そのころの体験が後の彼の物語への想像力を養ったと言われています。
そんなアンデルセンさんのことをよく知ることができるH.C.Andersen博物館がオーデンセの街にはあります。もちろん人魚姫像と同じくそこを目的に訪れる観光客はとても多く、日本からも多くの観光客が訪れており、博物館にはデンマ−ク語や英語の他に日本語のガイドブックも用意されています。
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その博物館には世界のアンデルセン童話を集めた図書館があり、日本語の本もたくさん保管されています。
その訳者の中には、日本でよく知られている『森鴎外』さんの名前があります。森鴎外さんも実はアンデルセン童話を翻訳し出版しているのです。
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ところで、このH.C.Andersen(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)さんですが、デンマ−ク語では実は『ハンス・クリスチャン・アナセン』 と発音します。デンマーク語では『D』は発音しないため、「アンデルセン」ではなく「アナセン」と発音するのです。
そのため、いくらデンマーク人に『アンデルセン』と言っても通じません。デンマーク人はみな彼のことを親しみを込めて 『ホー・シィー・アナセン』と呼びます(Hはデンマーク語では『ホー』と発音します)。

しかしアンデルセン博物館内の図書館に保管されているたくさんの日本語訳本のどれもが『アンデルセン童話』となっており、1冊も『アナセン童話』という訳はありません。

実は先ほどの森鴎外さんが訳したアンデルセン童話なのですが、それが日本で初めて紹介されたアンデルセン童話なのだそうです。森さんがドイツに留学をした際に、彼はアンデルセン童話を知り、帰国後にその内容を日本語に訳して日本に広めましたとされています。
おそらく森さんはドイツ語から訳したのだと思いますが、その時に『アンデルセン』と邦訳し、それがあまりに有名になってしまったため、その後デンマーク語からの直訳本もたくさん出版されたとは思うのですが、どれも『アンデルセン』と訳されてしまいました。
日本人に広く『アンデルセン』として知られてしまったため、今更『アナセン童話』とするわけにもいかなかったのでしょうね。

ちなみにこのアナセン童話ですが、デンマーク語のオリジナルをデンマーク語の教材として僕もいくつか読みました。
ところがオリジナルの物語は文章も内容もあまり良くはないのです。そのような物語が世界的に有名になったのは、きっと翻訳した人の腕がよほど優れていたのではないだろうかと思います。

内容もけっこう残酷な物語が多いです。「赤い靴」では少女の足を切断してしまいます。それに「マッチ売りの少女」も最後には少女は死んでしまいます。
アナセン童話には作者であるH.C.Andersenの人生が投影されていると言われていますが、よほどつらい人生だったのかもしれません。

それでもデンマーク人はホー・シィー・アナセンが大好きで、大人たちは今でも子ども達にそのお話を語り継いでいます。そしてそれはデンマークだけではなくて日本でもそうですし、世界の多くの国でも同じなわけです。

そんな世界に誇るデンマークの童話作家『アンデルセン』の正しい発音は『アナセン』。

最近の日本では、鎌倉幕府の設立は1192(いいくに)年ではなく1185年だとか、仁徳天皇陵は大山古墳だとか、当初の認識が間違っているとのことで教育の現場で変更がされていると聞きます。
だとしたら、『アンデルセンさん』という呼び名も、正しい発音の『アナセンさん』にしてあげるとよいのではないでしょうか。
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僕もたまに『オヤマさんですか?』と言われて『コヤマです!』と返すことがあります。たいしたことではありませんしあまり気にもしないのですが、それでもやはり『オヤマ』と呼ばれるといい気分ではありません。

なのでもし日本人が異国の方に対しても敬意を払う気持ちがあり、日本が歴史上の表記等も正しいものに変更できる成熟した社会であるのであれば、我々は彼のことを正しく『アナセンさん』と呼んであげるべきなのではないかと、個人的には思っているのです。
posted by Coyama at 23:38| デンマークのこと