2012年03月17日

キングギドラと男の子

コペンハーゲンに住んでいた8年前、僕はNoerreport駅近くにある「東京スカイウォーク」というお店によく立ち寄っていました。
ちょうど僕がいた2年間だけコペンハーゲンにあったお店で、日本のフィギュアやおもちゃなどを販売していました。
04022132.jpg

お客さんのほとんどはデンマーク人で、その接客はデンマーク語の実践にもなるので、大学の帰りに立ち寄ってお手伝いとして時々レジに立たせてもらっていました。
04022134.jpg

お店で特に人気のあったのがキティちゃんグッズとドラゴンボールグッズでした。ドラゴンボールはデンマークでも大人気で、当時の子ども達の心をガッチリと掴んでいました。
アニメも放送されていて、悟空たちは堪能なデンマーク語を話しています。
DSCF0167.jpg

ある時には、デンマークにファステラウンと言う伝統的な子どもたちのコスプレ祭りがあるのですが、ドラゴンボールの主人公である孫悟空の衣装を手作りするのでその参考にする、と言ってフィギュアを買っていったお母さんがいました。

他にも、お店にはいろいろな日本の商品が置かれていました。「ポッキー」などもデンマーク人には人気がありました。
またある時には「きのこの山」をデンマーク人が爆笑しながら買っていきました。その形が、とても気に入ったのだそうです。

そんなコペンハーゲンの町にクリスマスの足音が聞こえてきた、2003年のある冬の日のこと。
僕がいつものようにレジに立っていると、母親と兄妹の1組の家族がお店にやって来ました。子どもたちは5歳と3歳くらいでした。
DSCF0018.jpg

その男の子、お店に置いてある「キングギドラ」の人形が欲しくてたまらないのです。
その「キングギドラ」は特別に大きくて、外から見えるようにショーウィンドウに飾ってあったのですが、お値段は600kr(約10,800円、1kr=約18円)と少し高めでした。

母親が僕に値段を聞いてきて、手にとってみせてあげたら、その男の子、もうときめいちゃってるんです。目がキラキラしてるんです。
そして「Wow! Det er meget flot! [素晴らしいっ!] 」と何度も叫びます。見ているこっちが楽しくなるくらい。

でも、そこで母親が彼に言うんです。
「買えないわよ」って。
「自分でお小遣いを溜めて、それで買いなさい。」って。

もう、その男の子、すごく涙目で、、、。あぁ、本当に欲しいんだろうな、って。

そして母親がその人形を返す時、僕にそっと、こう言いました。

「明日か明後日、買いに来るから、取り置きしておいてくれる?クリスマスプレゼントなの。」と。

悔しいことに、その時の僕は母親が小声で言ったそのデンマーク語がよく聞き取れなくて、もう一度聞き直してしまいました。
一度で聞き取れるようになりたいとその時に悔しい思いをすると共に、横で涙目で拗ねている男の子と、こっそり僕に企みの笑みを浮かべているお母さんの姿が本当に素敵で、とてもジーンときてしましました。

よろしくね、とウインクして未練が残る息子の手を引っ張り、店を出ていくお母さん。それについていく妹。
その家族が店から離れ、「キングギドラ」を取り置きしておこうと僕が手を伸ばした時、通りの向こうからその男の子が走ってショーウィンドウの前に戻って来て、ガラスにベタ〜っと張り付きました。

本当に欲しいんだね。

それを引きはがしにきたお母さんが、窓越しに、僕に再びウィンクしてきました。僕もわかってます、と笑顔を返しました。

その男の子が、クリスマスの夜、ツリーの下から「キングギドラ」の包みを選んで開けた時、彼はどんな顔をするんだろう。お母さんやお父さんはそれを見てどんな顔をするんだろう。見てみたいな、と思いました。

僕も子どもの頃に、そんな素敵な想い出をたくさんもらった記憶があります。
僕はまだ良い縁には恵まれていませんが、いつかデンマークで出会ったような暖かい時間を、自分の家族と過せられればと、いつも思っているのです。
posted by Coyama at 23:56| デンマークのこと

2012年03月14日

ヨーロッパ中世の建物事情

今日の内容は少し汚い話になりますので、お食事中の方はお食事を済ませてからご覧ください。

みなさんはデンマークの首都コペンハーゲンのような、ヨーロッパの中世から今に残る町並みを歩いていて、建物の1階の床が地上のレベルと合っていないことを不思議に思ったことはありませんでしょうか?
DSCF0548.jpg

コペンハーゲンにあるマンションなどは、半階上がったところが1階になります。
地面から基礎部分を上がる、階段で2〜3段程度上がったところが1階の床ということであれば自然にも感じますが、半階上からというのはかなり高い位置になります。

今でもほとんどの建物がそのような作りになっているので、コペンハーゲンなどのアパートに住んでいると当たり前に思えてしまうのですが考えてみると不思議です。
04061749.jpg

半階上げることに、どんな意味があるのか。
その答えは、本当かどうかはわかりませんが、一説によると中世の時代の道路事情に影響していると言われています。

コペンハーゲンなどの都市などは、第二次世界大戦などでも空襲など襲撃を受けず、19世紀にスウェーデンと戦って船上からの砲撃を浴びた程度で、都市が壊滅したといった経験はなく、中世からの町並みが現在でもほぼそのまま残されています。
もちろん内装は時代とともに改築されていくのですが、建物の外観や作りはほとんど変わっていません。

また建物の外にある道路は石畳が敷き詰められ、現在のその町並みは非常に趣のある風情を醸し出しています。
DSCF0533.jpg

ところが、実は建物の1階が半階の高さから始まるのには、この道路が原因とされているのです。

当時から、人々は交通手段として、自分で歩く以外に馬に荷台を引かせた馬車を走らせていました。
DSCF0091.jpg

しかし当然この馬車を引っ張る馬は生き物ですので、排泄をします。
街中の道路には、いたるところに馬の糞が落ちていました。
DSCF0035.jpg

最初の頃はまだこれらを町の周辺部にあった畑に持って行き、肥やしに出来たから良かったのですが、人が増え都市が広がると畑は中心街からどんどん離れていき、さらに馬の数が増えていくと馬糞の量も莫大に増え、馬糞の運搬業も手一杯となり、街中は馬の糞で溢れ返るようになるわけです。

馬に接する機会がある方であればご存知だと思いますが、1頭の馬が一日で排泄する糞の量は10kg弱と言われ相当な量があり、馬糞置き場などはあっという間に糞で満たされます。
2011_05142DL.jpg

そしてこれが夏になると強烈な臭いを発するようになります。
また雨の日には水や土に混じってドロドロになり、道路に広がります。
今でこそ道路は下水などの排水も整備されていて清潔さを保っていますが、中世の時代、道路の排水はそれほどよくは整備されていませんでした。
ですので雨の日など馬糞と混じった水は道路に接する建物にも流れ広がり、建物内にも染み出てきたわけです。

ここまで書けば想像がつくでしょうが、このために建物の1階部分を半階上げて建設するようになったわけです。
DSCF0535.jpg

そして現在では街中に馬も馬糞もなくなったわけですが、建物の構造は変わっていないため、古くからある建物は、半階から1階が始まる作りになっているのです。

もちろん他にもいくつか別の理由があるでしょうし、古い歴史のことになりますのでこれが真実かどうかは今となっては誰にもわかりませんが、おそらく様々な状況から考えても、あながち間違った説ではないと思われます。

建物だけを見ていたらわからない、風土や歴史を知ることも大事なことだと気づかせてくれる、いい例ですね。
posted by Coyama at 16:41| デンマークのこと

2012年03月09日

アメリカ大陸発見の真実

世の中ではアメリカ大陸を発見したのは15世紀の南欧人、クリストファー・コロンブスさんだと言われていますが、実はそれ以前に北欧人がすでにアメリカ大陸を発見していたということはあまり知られてはいません。

たしかにヨーロッパに初めてアメリカ大陸の存在を紹介したのはコロンブスさんかもしれませんが、実はそれ以前にすでに北欧人がアメリカ大陸に上陸していたのです。

そのことは当時はデンマーク連合国でもあったアイスランドの歴史書に記されています。

この歴史書は『Flateyjarbok』と言うのですが、1387年から94年にかけて202の項目に分けられて書かれたアイスランドの歴史書で、15世紀にはさらに23項目が追加され、現在は2冊に分けられて製本され保管されています。

この内容のほとんどは、当時はデンマーク連合国でありアイスランドを統治していたノルウェーの歴代の王様たちの武勇伝からなっているのですが、この中にアメリカ大陸を発見したという、ヨーロッパでも最も古いとされる記述があるのです。

デンマークを中心としたスカンジナビア文明は、その昔フェロー諸島、アイスランドを介して、さらに西のグリーンランドまで勢力を広げていました。
DSCF0095.jpg

彼らは、俗にいう「バイキング」と呼ばれるスカンジナビア人です。

そしてその当時、ノルウェーからの貿易船がグリーンランドへ向かう途中、荒波でさらに西へ流され、そこに大陸を発見したのがアメリカ大陸発見の最初と言われています。

その後グリーンランド移住民が997年に本格的に調査隊をその西の大地に派遣し、発見したその大地を「ヴィンランド」と名付けました。
バイキングルート.jpg

そのヴィンランドは現在の北アメリカにあったとされています。

調査隊はこのヴィンランドの地に拠点を築くのですが、結局はその土地の先住民と争いになり、その戦いに敗れてグリーンランドへと撤退しました。
この時の先住民はネイティブアメリカン民族だと言われています。

このことが歴史書『Flateyjarbok』に書かれているのですが、コロンブスさんはアメリカ大陸を発見する前の1477年にまずはヨーロッパを北上してアイスランドへ渡り、この『Flateyjarbok』に目を通しているのです。
そしてその記述をもとに、西へと航海し、アメリカ大陸を発見したのです。

コロンブスさんがアメリカ大陸を発見する5世紀も前に、実はすでに北欧人がアメリカ大陸に上陸をしていた。
その5世紀後に南欧人のコロンブスさんが、その情報を元にして西へと航海し、アメリカ大陸を発見してその存在をヨーロッパに広めた。

この話を知るまで、コロンブスさんは闇雲にスペインから西へ向かって航海し、大西洋を横断してアメリカ大陸に到達したと思ってました。
しかしその背景には、きちんとした裏付けと、先人たちの布石があったのです。

欧米の歴史の奥には、実はあまり知られていない、そんな真実があるんです。
posted by Coyama at 22:44| デンマークのこと

2012年03月06日

シドニーのオペラハウス

世界の誰もが一度はテレビや写真でその姿を見たことがあるであろうシドニーのオペラハウス。
DSCF0092.jpg

この建物を設計をしたヨーン・ウッツォン(Joern Utzon)さんはデンマーク人の建築家です。
DSCF0020.jpg

このオペラハウスは国際コンペ、つまり世界中から提案を募り、その最優秀作品を実際に建設するというものでした。
でも、ヨーン・ウッツォンさんの作品は実は当初は最終選考の前段階で落選していた、というのはあまり知られていません。

このオペラハウスのコンペの最終選考の前に、どうにもよい作品が見出せないと感じた審査員の建築家エーロ・サーリネンさんは、今一度落選作品の見直しを提案しました。
その時に落選作品の中から見い出されたのが、ウッツォンさんの作品だったそうです。
DSCF0125.jpg

そしてみごと敗者復活をしたウッツォンさんの作品は1等に当選し、計画が実現することになりました。
DSCF0094.jpg

しかしその提案が実現に漕ぎ着けるまでには、まだまだ様々な難題があったのですが、その話はいずれまた。

ヨーン・ウッツォンさんはこのシドニーのオペラハウスで一躍世界にその名を広めました。
しかし、もし審査員だったエーロ・サーリネンさんの一言がなければ、彼の作品は幻となっていて、今のシドニーのオペラハウスもなかったのです。

世の中には、人知の及ばぬ不思議な「縁」や「運」というのもあるのかもしれませんね。
posted by Coyama at 23:12| デンマークのこと

2012年03月02日

デンマークで食べたお米

今日は早朝に東京を出発して、長野県佐久市でお米農家を営む友人宅の手伝いをしていました。
農作業のない今の時期を使って新たに農業機械などを収容しておくガレージを自分たちで建設しているという事で、その手伝いにきたのです。ガレージ建設は話を聞いた時から是非どこかで手伝いに来たいと思っていましたので、建設中に来ることができてよかったです。
ただ、今日の佐久市は残念ながら天気が悪くとても寒かった (~_~;)

僕が普段食べているお米はこのお米農家を営む友人から直接買わせていただいていて、昨年は田植えと稲刈りをそれぞれ1日ずつですが手伝わせていただきました。
20111004368.jpg

ちなみにそのお米はこちら→ http://www.goto-chi.com/seisansya/yoda.htm

日本人にとってお米は大切な食料です。いや、それを越えて「日本人の魂」と言っても過言ではないと思いますが、僕は特にその思い入れが強いです。

というのもデンマークに暮らしていた頃、あれほどお米が食べたくなり、渇望した事はありませんでした。
その時の経験があるため、本当に今は日本のおいしいお米を食べられる事に、日々感謝の気持ちを持つことができます。

僕がデンマークに渡った最初の1年間は全寮制の語学学校にいたため、食事は常に食堂の料理で、お米が出される事はほとんどありませんでした。1年をそこで過ごし、コペンハーゲンに移って自炊生活を始めてようやくご飯を食べることができるようになったのですが、米文化ではないデンマークでは当然ながらスーパーに日本のようにお米は売っていません。

日本人が多いニューヨークやロンドンなどには日本街があり、日本とあまり変わらない値段で日本米を手に入れることができるらしいのですが、マーケットの小さなデンマークではそうもいきません。コペンハーゲンにある日本食材店「Sachie」で日本米を手に入れることは出来ますが、値段はやはり割高になります。
DSCF0117.jpg

他にはアジアンショップで中国経由の日本米を手に入れることが出来ます。
04060503.jpg

そんな中国経由の日本米の中でも、けっこう食感がしっかりしているのが「日の出」という銘柄のお米。
DSCF0009.jpg

ちなみにこの「日の出」ですが、読み方は「Hinode」ではなく「Shinode」です・笑
DSCF0012.jpg 

この「Shinode」などのお米はアジアンショプで売られているものですが、一般のスーパーなどにも昨今の寿司ブームに便乗した「Sushi Ris(スシライス)」などと名付けられたお米がよく売られています。これも日本米ではありますが、あまりオススメはしません。値段が高い割にはお米の味がよくないからです。
DSCF0062.jpg
 
これらのお米は当時の貧乏学生だった僕には割高だったため、僕がデンマークで普段食べていたのは「GROD RIS」というお米でした。
04052604.jpg

この「GROD RIS」はミルク粥用のお米なのですが、白米としても十分に食べることが出来ました。味はほとんどありませんが、瑞々しさや食感は日本米とあまり変わりはありません。なによりもうれしいのはそのお値段。スーパーNETTOでは1kgで6krで売られています。先のSushi Risなどは約22kr、専門店の日本米は1kgで約30krでしたので、はるかに安いのです。
この「GROD RIS」はお店によってパッケージは違うものの、ほとんどの街のスーパーで購入することが出来ます。
そういうわけでなんとか食べられるお米は買う事が出来たわけですが、当然ながらデンマークには炊飯器という調理器具はありません。

また日本とデンマークでは電圧が違うため、日本の炊飯器をデンマークで使う場合には巨大な変圧器が必要となります。
ちなみに変圧器の必要がない海外対応の炊飯器も日本では販売されていますので、日本で購入してデンマークへ持ち込む、ということも可能です。
DSCF0001.jpg

そんな炊飯器を使えばふっくらとおいしいご飯が炊けるのですが、永住をするわけでもない僕には、一時期のために高額な炊飯器を購入し、わざわざデンマークに持ち込むような余裕はありませんでした。

そこで海外で暮らす多くの日本人がするように、僕はデンマークではご飯を鍋で炊いていました。

鍋でのご飯の炊き方ですが、まずお米を水で洗い研ぎます。
それから鍋にお米を入れ、お水は指の第一関節あたりまで入れます。
そして1〜2時間、そのまま水に浸しておきます。

準備ができたら、鍋を沸騰するまで強火にかけます。
04022151.jpg

ちなみに最近のデンマークのレンジはほとんどがIHです。
04060236.jpg

中身が沸騰し、鍋がボコボコ音をたてて持ち上がるようになったら、中火より少し弱めにします。
IHだと目盛り「3」くらい。鍋の中がブツブツいう程度に温度を下げます。

水分がなくなってきたら、さらに温度を弱めて5分ぐらい待ちます。
あとは火を止めて蓋をしたまま10分くらい蒸らします。
10分後、蓋をあけてしゃもじやスプーンで混ぜる。これでムラなくふっくらとしたご飯に仕上がります。
04022157.jpg

慣れてしまえば意外と簡単なものです。
04022159.jpg

途中の火加減が難しく、たまに焦がすこともありますが、おコゲがあればあったでまたおいしいものです。
この鍋炊きは「GROD RIS」だけではなく普通の日本米でも利用することができます。

そんなある日、下宿先でご飯を炊く時にお米を洗っていたら、デンマーク人家族がそれを見て「何してるの?」と不思議そうに言ってきました。
「お米を洗っているんだよ?」と言ったら「お米は洗わないわよ!?」と。

前述しましたがデンマークではGROD RISはミルク粥として食べられています。
このミルク粥では、粥に砂糖をかけ、さらにバターやジャムをかけて食べるデザートなのです。
DSCF0055.jpg

このミルク粥を作る時にはお米を洗うということはしません。
ですのでデンマーク人から見るとお米を洗うことは不可思議な行為に映るわけです。

そんなところも、文化の違いですね。

こういった経験があるので、僕はより一層美味しい日本のお米に対して執着があるのかもしれません。

日本にいればお米は日々の生活に当たり前に存在しているわけで、当たり前にはないものだという感覚を知る事の出来たデンマークでの経験には、とても感謝をしています。
そしてそんな日本で、時々ではありますがお米作りの現場を手伝わせてもらい、現場の生の話を聞かせてもらい、いつもおいしいお米を提供してくれる友人と知り合えた事に、僕は心から感謝をしているのです。
posted by Coyama at 20:00| デンマークのこと