2012年04月21日

デンマーク人建築家/ヨーン・ウッツォン

先日シドニーのオペラハウスに関してデンマークの建築家ヨーン・ウッツォンさんのことを書きました。
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120306-1.html
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120324-1.html

今日はもう一つ、そんなヨーン・ウッツォンさんの話。

ヨーンさんの作品の一つで、コペンハーゲン北部にBagsværd Kirkeという教会があります。
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この教会、どことなく日本のディテールを感じさせられるのですが、それもそのはず。ヨーンさんは日本のデザインからかなりの影響を受けて、自身のデザインに投影しているのです。
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中でも有名なのは特徴的なその教会の内部。
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有機的な曲線がひときわ目を引く空間となっているのですが、この曲線、実は日本の浮世絵師・葛飾北斎さんの浮世絵からイメージを得たと言われています。
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葛飾北斎さんの代表作でもある富嶽三十六景 神奈川沖浪裏の、そのうねり上がる波のカーブからとった曲線だと言われています。

他にもヨーンさんがデザインをしたスカーエン自然センター(Skagen Odde Nature Centre)なども、要所要所に日本的なデザインが見られます。
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これは鳥居かなにかでしょうか。
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ヨーンさんはシドニーのオペラハウス以外にはそれほど取り上げられるような作品を残しませんでしたが、彼の息子のヤンさんやキムさんは父親と同じく建築家になり、娘のリンさんはデザイナーになりました。
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△ キム・ウッツォンさんの作品/ローゼンダール本社

2005年のH.C.アナセン(アンデルセン)生誕200年記念の際にローゼンダール社から販売されたアナセンディナーウェアのデザインは、ヨーンさんの娘のリン・ウッツォンさんによるものです。
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今やデンマークを代表する女性デザイナーとなったリンさんがデザインしたそのディナーウェアには、アナセン物語を代表する6つのお話のシンボルがデザインされています。
モチーフになっている6つのお話とは「親指姫」「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「ナイチンゲール」「雪の女王」「チョウ」だそうです。
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この特徴的なブルーとホワイトのコントラスト、ただお皿に色を焼きつけただけではなく、微妙な凹凸 によりモチーフやリンさんのデザインの特徴である白い葉が浮き出るように工夫がされています。
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シドニーのオペラハウスの建設に関しては様々な問題もあったみたいですが、世界的に知られる代表作を世に残した。
しかしそれ以上に、自分の子どもたちが親の背中を見て育ち、建築家・デザイナーとして後世で成功しているということでは、ヨーンさんは芸術家としてなによりも素晴らしいものを残したのではないかと、僕は思っています。
posted by Coyama at 19:16| デンマークのこと

2012年04月20日

デンマークの節電対策

デンマークに行かれたことのある方は御存知だと思いますが、コペンハーゲン中央駅の前にTIVOLI(チボリ)という小さな遊園地があります。
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その存在は、規模としては日本で言う浅草の花やしきのようなとても小さな遊園地なのですが、デンマーク国民から見た存在は東京ディズニーランドに匹敵するぐらいに大きなものです。
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このチボリ遊園地が作られたのは今から170年も前の1843年。
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当時は防壁で覆われていたコペンハーゲンの街の住民のために、娯楽施設として防壁の外側に建設されました。建設されたとはいっても開設当時は移動遊園地(サーカスなど)のようなものでした。
その後、防壁が取り払われてコペンハーゲンの都市が拡大する中でも、このチボリ遊園地は住民たちの反対により取り除く事ができず、現在でも世界最古の遊園地としてコペンハーゲンの都市の中心に残り、デンマーク国民の憩いの場として利用されています。
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しかしこのチボリ遊園地は1年中オープンしているのではなく、10月から3月まで、12月のクリスマス期間を除いて閉園してしまいます。
そこには北欧ならではの環境風土と、デンマークのエコ意識が密接に関係していたりしているようです。

170年近い歴史を持つこの伝統ある遊園地の目玉のひとつは夜のイルミネーションです。実に10万個以上の電球を使用しているのだそうです。
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夏は23時近くまで日の沈まないデンマーク。夜遅くまで遊ぶことができますが、冬は午後3時には日が沈んでしまいます。デンマークの冬の闇は日本人の想像以上に長いです。
そんな長い夜に、大量の電気を使用していたら、電気代も大変なことになります。
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そのためチボリ遊園地は冬の間は閉園してしまうのです。
チボリ遊園地だけではなくデンマークにある他のレゴランドやバッケン遊園地も冬に閉園してしまうのは同じ理由のようです。

よく北欧など環境先進国のエネルギー対策などを、日本で取り上げたり取り入れたりしようとする試みを見かけます。
そして福島第一原発事故以来、原子力発電に対する反対意見もよく聞かれます。ちなみに僕も原発の利用には反対です。
しかし現代人は電気に頼らなければ生活が出来ない環境に生きています。

原子力発電所も、年々増え続ける国民が利用する電気を創り出すために作られたものだと思います。
だったらただ原発利用に反対するだけではなく、国民が使用する電気の量を減らす努力も国民が行っていく必要があるのではないかと、僕は思います。

先進エネルギーや新技術もよいのですが、単純に冬の間は閉鎖する遊園地など、異国を学ぶのであればそういうところも学んでよいのではないかと、僕は思うのです。
福島第一原発の事故の前はこんなことは思いませんでしたが、今は状況も時代も違います。
まずは東京ディズニーランドも、冬の間は閉園しろといった無茶なことは言いませんが、日々の閉園時間を1時間早めるなどしてもよいのではないでしょうか。大手が姿勢を見せれば、他の遊園地も後に続くことでしょう。
何も22時まで照明をたくさん使って電気を無駄に使う必要は、僕はないと思うんです。
posted by Coyama at 19:01| デンマークのこと

2012年04月09日

伝説の日本人女性レポーター

2002年、突如デンマークのテレビ界に謎の日本人女性レポーターが現れ、彼女によるデンマークの有名人たちへのレポート番組が始まりました。
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彼女はそのおかしな発音の英語で、徐々にゲストたちに過激な質問をしていきます。
例えば「あなたはSEXは朝派?夜派?」など。
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「ウシ ヘイク」という名の彼女。番組名もそのまま「USHI HEIKU」です。
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この番組は瞬く間にデンマークで人気となり、賞まで受賞をしてしまいました。

その人気の秘密は、この「USHI」という女性レポーターにあります。

過激であったりおかしな質問をし続けるアジア人の彼女に、ゲストたちもタジタジとなり「なんだこのアジア人娘は、、、」となってきた最後の最後で、彼女はこんなことをゲストに言います。
「私の秘密の写真を見たい?」と。

そして「あぁ、それは見たいねぇ。見せてくれるのかい?」と言うゲストに一枚の写真を渡します。
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そこに写っているのは、例えばこんな写真です。
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意味が分からずどう対応していいかわからないゲストの前で、彼女は「それ、私よ!」と言ってカツラと出っ歯を外すのです。
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「えええっ!???」と驚くゲストたちの反応を見て、視聴者は大喜びするのです。
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この謎の日本人女性レポーターUSHI HEIKUに扮するのは、デンマークの美人タレントAnnette Heick(アネット ヘイック)さんです。 ちなみにHEIKUは彼女の名字を捩ったものだそうです。

実に72人のゲストが彼女に騙されましたが、もちろん番組は1シリーズで終わりです。
番組放送後はUSHIはすでにデンマークでは有名人ですからね。

それにしてもこのUSHI HEIKUの容姿ですが、デンマーク人からしてみたらおもしろいのかもしれませんが、日本人からしてみたら日本人をバカにしているようにも取れるのですが、、、
しかし逆に日本人が外国人に変装して日本人を彼女のレベルのように騙せるかと言ったら、出来る人はそうはいないでしょうから、素晴らしい演技力の持ち主だと言えると思います。

このAnnette Heickさん、その美しい容姿だけでなく頭脳も明晰なまさに才色兼備な女性で、英語のみならずドイツ語、フランス語、イタリア語、スウェーデン語の多国語を操り、さらに言葉だけでなく自分の音楽バンドまで持っているのだそうです。
そして2012年現在も、コンサートを開くなど幅広い活動をされています。

そんな伝説の番組「USHI HEIKU」はYou Tubeで見ることが出来ます。興味のある方は「USHI HEIKU」で検索をしてみてください。
posted by Coyama at 20:49| デンマークのこと

2012年03月24日

シドニーのオペラハウス2

先日書いたシドニーのオペラハウスに関する話の続きです。
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120306-1.html

シドニーのオペラハウスのコンペティションで1等に選ばれたデンマーク人建築家のヨーン・ウォッツォンさんは、その後その計画を実現すべくオーストラリア政府と契約をし、設計担当となりました。いわゆる実施設計、というものです。

ところが、ここでヨーンさんは難題にぶち当たります。
実はコンペティションの際には、自由な発想で提案したためあまり建物の構造について検討していなかったのですが、いざ実施をしようとなると、基礎設計案では特徴的なカーブを持つ屋根部分が構造的には成り立たない、ということがわかったのです。
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また建物内部に要求されているもの、例えばオペラホールなどを入れるには、コンペ当選案では屋根が低すぎる、といった問題もありました。
さらに屋根が持つその独特のカーブが、コンペ当選案では膜構造といわれる構造を想定していたのですが、計画上それは実現不可能な構造だったのです。
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それは当時ヨーンさんの事務所と組んでいたイギリスの構造設計事務所でも、実現に向けてもなす術がなく、計画は一時暗礁に乗り上げました。構造計算をするための、そのモデルとなるカーブそのもののモデルがなかったのだそうです。モデルがなければ計算が出来ません。

シドニーのオペラハウスをよく見るとわかりますが、実は船の先端のような形をしています。
ヨーンさんのお父さんは船大工で、ヨーンさんも幼い頃から船には接していて、そんなイメージもあったのかもしれません。
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それを実現させる構造を思いついたのは、結局は構造家ではなくヨーンさん自身で、彼はそれら屋根の形を球体の中から切り出す、というアイデアを思いつきました。
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このことを文章で説明するのは難しいのですが、そのアイデアがなければ建設可能な構造計算が出来ず、シドニーのオペラハウスは実現することはなかったと言われています。
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ただしこれら構造の変化で曲線や屋根の形は徐々に変化していきました。
ですので当初のコンペ当選案と、現在出来ている実物の屋根のカーブとは異なったものになっています。
もともとヨーンさんが最初に描いたカーブはフリーハンドによるものでした。
人によっては、このフリーハンドで書かれた最初の案の方が、フォルムとしては美しいと言われています。
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そのような苦心の末になんとか実現に向かい進んでいた建設工事なのですが、もともとこのオペラハウスの建造には当時のオーストラリアの政治が大きく絡んでいました。
そのため政治的な圧力でいろいろと設計の変更を余儀なくされたり、膨大に膨れ上がる建設費に対しての批判や、反対勢力が抱え込んだ報道による中傷など、ヨーンさんは様々な弊害を受けていたと言います。

そんな中でも設計担当を続けていたヨーンさんですが、ある時点で大きな選択を迫られることになりました。
それは内部のオペラホールの内装の設計に対してでした。
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建築家として、細部までこだわりをもってデザインをし取り組んでいたヨーンさんですが、外部との交渉や駆け引きは苦手だったようで、意見の相違から最終的にホールの内装設計の途中で解任をさせられてしまいました。
その後、ホールの設計はオーストラリア政府より依頼をされたオーストラリア人の建築家によって引き継がれました。

今では世界の名所として知られ、デンマークを代表する建築家ヨーン・ウォッツォンさんの代表作と言われているシドニーのオペラハウスですが、実はその竣工記念祭にはヨーン・ウォッツォンさんは参列をしませんでした。

最後までやりきることの出来なかった、他人の手によって意図とは違い完成した作品の内部を見るのが忍びなかったからだそうです。

その内部の設計も、引き継がれた建築家によってデザインされたものはヨーンさんの設計からは劣ったものだったそうで、オペラホールとしての評価もあまり高いものではありませんでした。そのため、1973年の完成から27年経った2000年に、一部の内装を当初のヨーンさんのデザイン案に変更する再契約がなされ改修が行われました。

しかしそれは一部であり、当初ヨーンさんが設計したもの全てではありませんでした。
そのためシドニーのオペラハウスというのはヨーンさんにとっては未完の作品であり、つまりは「未完の大作」と呼んでも過言ではないのです。
posted by Coyama at 22:57| デンマークのこと

2012年03月23日

デンマークの壁

先日東日本大震災で被災した地域の仮設住宅の話になった時に、デンマークの住宅の壁の断熱についてどうなっているのかと訪ねられました。

その時の話は、東日本大震災で被災した地域などで仮設住居を作る際になぜ冬の寒さ対策が十分に出来ないのだろうかという内容でした。
仮設住居に限らず、東北という寒い地域なのにこれまでの建物はあまり断熱のことなどを考えた作りにはなっておらず、古い家屋などは冬でもすきま風がぴゅーぴゅー吹き込むような家が多い、と。

なぜなのでしょう。その解は今の僕にはまだわかりません。

デンマークの住宅ですが、壁は非常に厚く、30センチ以上ないと建設許可が下りません。
それはもちろん冬の厳しい寒さに耐えられるためのものです。
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デンマークは日本で言うとサハリンの北あたりに位置しており、非常に寒い国です。冬は氷点下の日々が長く続きます。
ところがデンマークの建物の中は、冬でも半袖で過ごせるくらいに暖かいのです。

デンマークの建物の構造はいろいろとありますが、一般的なレンガ造の住宅では断熱の方法は単純です。

まず厚さ10センチ程度のレンガの内壁。
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そして幅10センチ程度の断熱材。
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そして厚さ10センチ程度のレンガの外壁。
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建物の内壁にはモルタルが塗られます。

これだけで十分冬の寒さを防いでくれています。
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もちろん、建物の中で熱源があってこそ暖かく過ごせるわけですが、最近の住宅設備は十分冬の寒さに耐えられるものになっています。また窓などの建具も当然ながら断熱や結露を防ぐ作りになっています。

ちなみにデンマークでそのようなレンガ造の建物が出来るのは、日本のように地震がなく天災の被害を受けにくいからです。
構造は本当に単純でレンガを積み上げただけになっているのですが、200年300年と使われ続けている家も少なくありません。
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ただしこのレンガ造の住宅には、それほど大きな開口部を開けられないという欠点もあります。

そこで少しでも小さな窓からたくさんの光を取り込もうと、多くの建物では白色の窓枠を利用していると聞いたことがあります。
デンマークの伝統的な住宅が持つかわいらしく美しい民家などの外見の背景には、レンガ造という構造上大きな窓を開けられなかったという問題と、少しでも明るさが欲しいという風土歴史的なものが隠されているのです。

ですので東北の住宅の断熱問題にも、なにかそんな風土歴史的なものがあるのではないでしょうか。
posted by Coyama at 17:42| デンマークのこと