2012年06月30日

トイレ考

先日、東京の街中を歩いていた時にバキュームカーを見かけました。
今では珍しくなったバキュームカーですが、僕が子どもの頃はそれなりに見かけていた記憶があります。
横を通る時はいつも息を止めていました。

そんなバキュームカーを、先日見かけた時には息をひそめるどころか、逆に「いいなぁ〜、お宝だなぁ〜」と思ってしまい、思った後でそのようなことを考えた自分に驚きました。

なぜ僕がそれを「いいな」と思ったのかというと、排泄物は畑へのよい肥料になるからです。
長野県小諸市で畑作業などにも関わるようになり、自然と感化されているのだと思います。都会に住み続けていたらまず思わないことだと思いますので、個人的にはよい経験を積ませていただいているなと感謝しています。

排泄物を肥料に使うことに関しては、昔から畑の近くには「肥だめ」があり、そこに排泄物を溜めておいて使用していたということは、周知のことと思います。

そのために農耕民族だった日本のトイレは汲取式になっていたわけで、そういえば祖父の家も昔は汲取式のいわゆる「ボットン便所」で、子どもの頃はあの穴に落ちやしないかと恐怖に感じて用をたすことが出来なかった記憶があります。

そんなことを考えていたら、そういえばなぜ便器は和式(しゃがみタイプ)と洋式(腰掛けタイプ)で違うのか。という疑問が湧いてきました。
だって欧米だってその昔は排便はもともと土に穴を掘ってやっていたわけです。それがいつから座って行うものになったのでしょうか。

以前デンマークにあるローゼンボー城という中世のお城を見学した時に見たトイレは、やはり腰掛けタイプのものでした。
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おそらく17世紀頃にはすでにこの腰掛けタイプが主流となっていたのだと思います。
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当然ながらしゃがむタイプよりも腰掛けタイプの方が楽なわけですから、日本だって腰掛けタイプの便器が早々と採用されてもよかったのに、現在に至るまでしゃがみタイプが使われてきたことには、きっと何かの理由があるのだと思います。

そういえば小学生などではまだ和式便所を使っているところが多いようなのですが、すでに一般家庭では洋式が当たり前になっていて小学生が和式便所の使い方を知らず、知らないために使用できずに我慢してしまうと言う問題が起きている、と聞いたことがあります。
そういうこともあり小学校など公共施設では徐々に便器を洋式に変えていっているのだそうです。

調べてみると、日本で洋式トイレが使用され始めたのは戦後のことで、敗戦国となった日本にやってきたアメリカ軍が、食文化として生野菜を食べるサラダを持ち込んだ際に、その衛生面からし尿の使用を制限したことで汲取式が排除されていったり、便利な化学肥料が出てきたため排泄物を溜めておいて利用しなくてもよくなったり、上下水道が整備されていったことで洋式トイレが増えていったのだといいます。

ちなみにそのようなことで日本に持ち込まれた洋式トイレは進化を続け、ウォシュレットや便座ウォーマーなどの機能を身につけていったわけですが、今度はそれを海外が逆輸入しているということを、耳にした方も多いと思います。
日本に観光に来た外国人が日本の便座に感激し、ウォシュレットをお土産で買って帰るのだ、と。

しかし欧米ではトイレは主にバスルームにあり、シャワーと一緒にあります。
漏電を考えると、当然ながら電気を使うウォシュレットは、欧米のトイレには設置できないのです。

そんなことをいろいろと考え始めると気になるところはたくさんあるわけで、トイレに関しては今後も考察を深めていきたい興味深き課題なのであります。
posted by Coyama at 22:55| 思ったこと・感じたこと

2012年06月29日

現実よりもイメージ

現在進めているあるマルシェ企画で長野県の生産品を扱うのですが、その際に地元ならではの食べ方・レシピがあるといいのですが、とリクエストがありました。

気持ちはとてもよくわかるのですが、日本において都心部ではそれほどに知られていないが地方では普通に食べられているという食べ方は、あるようで実際にはそれほどありません。

もちろん郷土料理はそれぞれに地域にあるわけですが、ではマルシェで扱うようなレタスやキャベツ、ブロッコリーやラディッシュを地方ではどのように食べているのかというと、生サラダだったり煮たり焼いたりと、実は都会で食べているのと同じような食べ方で食べられているわけです。

長野県だからといって、なんでも信州味噌につけて食べるわけでもありません。

時々テレビを見ていると、世界各国の料理の紹介があって、デンマークの場合はかなりの確率でオープンサンドが取り上げられます。しかもなぜかいつも決まってサーモンのオープンサンド。

でも実際、それをデンマークで食べているかというと、僕はほとんど食べた記憶がありません。

デンマークでもデンマークの家庭でよく食べられる定番料理はあるのですが、それらはあまり取り上げられず、なぜかオープンサンドが取り上げられるから不思議です。おそらくサーモンのオープンサンドは「北欧・デンマーク」のイメージになってしまっているのだと思います。
なので地元ではあまり食べられていないものでも、そのイメージで取り上げられてしまうのです。

勘違いしないでいただきたいのは、デンマークでもオープンサンドは普通に食べられてます。しかし日本のテレビ番組などで取り上げられるような色鮮やかなサーモンに新鮮レタスの乗ったものではなく、ドス黒くずっしり重たそうな黒パンの上にニシンの酢漬けを乗せて食べたり、薄茶色をしたレバーペーストを塗って食べたりするものが一般的です。
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またパンにチーズを乗せ、ハムを乗せて食べたりもします。
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またパンだけではなく、肉料理も多いのですが、それが見た目にはハンバーグのようであったり、日本では売られていないような厚い皮のついた豚肉のオーブン焼き(味付けは塩と胡椒)だったりと、日本で「これが北欧・デンマークの料理です」と取り上げるにはぱっとしなかったりそれほど珍しくなかったりするのかもしれません。
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冒頭の長野ならではの食べ方のリクエストも同じことで、人間というのは現実よりもイメージしているものをより強く求めるのかもしれません。
それはテレビで見るアイドルや俳優・女優、タレントが人格的にも清廉潔白と思っているのと、同じことなのかもしれませんね。
posted by Coyama at 22:56| 思ったこと・感じたこと

2012年06月23日

美人の解釈

最近長野県小諸市での活動に関わるようになって、世の中が意外と農業や自然ブームだということを肌で感じるようになりました。
また卵が先か鶏が先かではありますが、それに伴って食についても様々な考えがあるようで、昨今の原発事件による食の安全性もありますが、一方で女性を対象に健康や美容を考えたものが取りあげられるようになってきていると感じています。

僕も美しい女性が好きですので、そのことに関しては何の否定もいたしません。
ただ、見た目や食にこだわったとしても、中身がきちんとしていないと魅力が薄れてしまうな、と感じることが時々あります。

10代や20代の若い女性は、それだけで美しいものです。周りからもチヤホヤされることも多いでしょうし、僕自身もきっとチヤホヤすると思います。
しかし男女限らず、人間は来る歳月を止めることはできず、やがて老いていきます。

その時に、若さや美しさを保つ努力を僕は否定しません。
食や健康などを考えて若さや美しさを保つ行為は、体にもよいことだと思います。
また「健全な精神は健全な肉体に宿る」とも言うように、心にもよいことでしょう。

ただ、若さや美しさを保とうとするその努力も、中身も磨かなければ意味がないと、僕は思います。
僕自身が年齢を重ね、多くの人たちと接してきた中で、中身が素晴らしい女性はどんなに年齢を重ねようと素敵だなと感じる一方で、中身の未成熟な女性に出会うことも残念ながらよくあります。

どういうところを残念に思うかというと、本当に基本的なところです。

・挨拶ができない
・ほほ笑むことが出来ない
・他人に救いの手を伸ばさない

上の2つは人としての基本中の基本で、わかりやすいことだと思います。
3つ目に関しては、マザーテレサのような渾身的な慈悲深さを言っているのではなく、日常生活の中でのほんの些細なことなのですが、たとえば道を歩いている時に他者の迷惑を考えず荷物を横に広げて道の真ん中を歩く人、電車に乗る時に降りる人を待たずに我先に乗り込む人。大勢でいる時に、離れた場所からものを渡す時に、その間にいる方が中間で受け取って先に渡してくれる方と、何もせずに知らぬそぶりをする方も時々見かけます。
もちろん女性に限らず、男性でもこのような方は多いですよね。
これらは、何も道を歩くな、電車に乗るな、と言っているわけではなく、他者のために自分に影響のない範囲でいいから道をあけ、共存したらどうかと僕は言いたいだけです。それも小さいことですが他者に救いを与えていることであるわけですから。

こういう些細なことが自然に出来ないと、どんなに見た目がよろしかろうが、身を向上させる食や健康に関しての知識を持っていようが、決して美しいとは呼べないし呼ばれないのだと僕は感じています。

昨年93歳で亡くなった僕の母方の祖母は、10年以上認知症を煩って亡くなったのですが、最後の数年間は施設へ入居していまいた。認知症ですので孫の僕のことなどはもうわからないのですが、それでも僕は盆暮れには顔を出して会いにいってました。

祖母が入居していたのは同じように認知症高齢者が暮らす施設だったのですが、そこを見ていると、本当に人生の最後の最後で、人の資質というのははっきりと現れるものなのだな、ということを感じました。
認知症になると、簡単には言えませんが要は子どもに戻るというか、理性が失われ心の奥底からの感情が表面化されるように思いました。

僕の祖母などは本当に穏やかで礼儀正しく、職員の方々からも好かれていたようなのですが、常に「恐れ入ります」や「ありがとうございます」「素敵ですねぇ」など丁寧な言葉を繰り返していました。
一方で、入居者の中には怒鳴り散らす人もいれば、汚い言葉を吐く人もいる。一方で何も言わず黙ったままの人もいる。
それが病気によって引き起こされた症状でもあるかもしれませんが、聞いたところでは認知症で理性が退化した分、理性で抑えていた人の本性の部分が現れる、ということなのだそうです。

つまり心の中では「コノヤロウ!」と思っていながらも、ぐっと堪えてニコニコへつらって生きてきた人は、年をとって脳が衰退した時に、本音の部分が表に出てしまい「コノヤロウ!」と怒鳴り散らすようになることもある。
悔しく思うことでも、他人を恨まず思いやったり、苦悩は自身を成長させるよい教材だと常に心の中で「ありがとう」と感謝が出来る人は、いざ理性が薄れていって本音の部分が表に出るようになっても、穏やかで何に対しても「ありがとう」と感謝して微笑んでいられるのだと思います。

人が最期を迎えるその時に、美しい人でした、と言われる人が、本当の美人なのかもしれません。
そして美人というのは、なにも女性だけを対象にした言葉ではなく、男女共に使われる言葉だと思います。
今から50年60年後に、日本にはどれだけの美人がいるのでしょうか。大きなお世話かもしれませんが、最近の10〜30代の日本の若者を見ていると、僕は時々不安に感じてしまうのです。
posted by Coyama at 19:51| 思ったこと・感じたこと

2012年06月22日

シンクロニシティ

自分が必要な時に、必要とすることは、実は自分でも気がつかないうちに身近にあったりもする、と言います。
それはシンクロニシティとも呼ばれています。

先日なにげなく参加した会合で、隣に座った知り合いの年配の方と話をしていた時に、「最近仕事の方はどう?」と聞かれたので、正直に「いやぁ、全然ダメです。仕事もないですし、もうお金もなくなってきてますし、来月で行き詰まりそうで・・・」と言うと、その人が微笑みながらこんなことを言ってきました。

『いいことじゃない。「お金がない」「仕事がない」なんて、若くて健康な今のうちだからよいことなのよ。それが年を取ってからになってみなさい。どうにもならないことなのだから。大丈夫、神様はきちんと見ているものよ。頑張りなさい。』

僕はてっきり他の人と同じように「そう、大変ねぇ・・・・」と他人事への心配そうな表情を作って言われるのだろうなと思っていましたので、そう言われて驚いたのと、心がとても楽になりました。

その言葉は、ご自身が体験をしていなければ決して出て来ない言葉だと思います。その方も、その人生にたくさんのご苦労があったと察するとともに、お年を召してからそのような言葉を述べられることを素敵に思いました。
僕自身も、いつかそう言った言葉を吐ける人間になれるよう、つらいこと苦しいことでも、たくさん経験をして乗り切っていきたいと思っています。

そういえば7年前にも僕が同じような状況にあって、同じように苦しんでいて、同じように周囲の人たちに相談をしたのですが、同じように他人事への心配そうな表情の大人たちからお決まりの乾いた言葉をたくさんいただいたことがありました。

あの時に救いになったのは、その人たちとは違った、恩師からの言葉でした。

「僕も駅の水しか飲めない日もあった。でも、死ぬことはない。若いと言うことは、そうゆうことだ。戦時中はもっとひどかった。アットいうまに命が無くなった。いまはそうした不安は無いだけでも良しとしなければ 。」

その言葉で心が軽くなり、あの時期を乗り切ることが出来ました。

僕は宗教は信じていませんが、世の中で『神様』と呼ばれている何か得体のしれないものへの信仰心はあります。それは過去に何度も不思議な経験をしてきているので、この世のものとは思えない、不思議な力はあるのだろうと信じざるを得ないからです。
そしてそんな『神様』のようなものは、あの手この手で、自身が求めていることに対して助言などを発信してくれているのだと思います。
あとはそのことに自分が気がつくかどうか。

こんな話を思い出しました。
*****
ある夏の日、小さな町を大きな台風が襲いました。
何日も前から「台風で洪水になる危険性があるので町から避難し、出来るだけ高い場所に移動して下さい!」とテレビのニュースで呼びかけていました。
町の人たちは「まさかそんなことはないだろう」と思っていましたが、日に日に強くなる風と雨を見て「これは本当に大変なことになりそうだ」と高台にある隣町に避難していきました。
ところがある一人の女性だけは違いました。
「私はここにいます。だって家を空けている間に泥棒に入られたらどうするのですか?それに神様が守って下さいますから大丈夫です」と言い、台風が迫ってきても一向に避難しないのです。
その女性は神様の存在を信じていたので、何があっても神様が自分を救ってくれると信じていたのです。

数日後、その町を台風が襲いました。
大雨で堤防が決壊し、町は洪水に見舞われました。
その女性の家にも水が襲ってきたので、女性は屋根の上に上りました。その間にも雨は強く降り続きます。
そこへ屋根の上の女性を助けようと一艘の救命ボートがやってきました。
「早く乗りなさい。台風はますますひどくなりますよ」
しかし女性はその救いの手をはねのけました。
「そんなに小さなボートに乗るのは危険です。今だってグラグラしている。私は大丈夫、神様が救いの手をさしのべてくださいますから」
説得に応じない女性を見て、ボートはその場を去ってしまいました。

しばらくすると空から救助用ヘリコプターがやってきました。
ヘリコプターはロープのはしごを女性の頭上にたらしました。
「そのはしごにつかまりなさい。水はもっと増えますよ!」
ところが、女性がはしごに手をかけることはありませんでした。
「こんなに風が強いのにロープのはしごにのぼるだなんて危険すぎます。それにもしヘリコプターが落ちたらどうするのですか!?大丈夫、私のことは神様が助けてくださいますから。」
そういって断固としてヘリコプターに乗ることを拒んだのです。

その後、水はますます増えていき、女性はとうとう死んでしまいました。

天国で神様に会った女性は、神様に尋ねました。
「神様、どうして私に救いの手を差しのべてくださらなかったのですか?」
すると神様は答えました。
「私は避難勧告や救命ボートやヘリコプターで何度もあなたを救おうとしました。それを拒んだのは、あなた自身ではないですか。」
*****

そうやって実は誰にでも自分が“求めたもの”に対して“与えらるもの”というのは届けられているわけです。
それを見ようとしないから見えないのであって、意識すれば見えてくるようになり、それをつかむ人もいれば、わざとつかまない人もいたり、無意識で見えない振りをする人もいる。
本当は、単純に困ったことがあって、その答えになりそうなことが目の前に出てきたら、『つかもう』という気持ちを持ってつかみさえすればいいだけのことなのです。
甲子園のファールボール」と一緒ですね。

だから僕は落ち込むような状況や人に会いたくないような状況のときこそ、外に出て人と積極的に接するようにしています。
部屋にこもって待っているだけでは、目の前には何も現れませんし、ファールボールも飛んできませんので。

ちなみに本を読んでいたら、こんな言葉がありました。
*****
良い時も、悪い時も、その時だけなんだから、現状が悪いからって逃げることもない。最低な立場に立たされたって、ケローっとしていれば気が楽だし、ここまで落ちたらあとは上がるしかないって、逆に楽しみが増えてくる。
*****

さて、僕はここからどこまで上がれるか。楽しみです。
posted by Coyama at 21:22| 思ったこと・感じたこと

2012年06月16日

人、求む。

昨年の秋に、僕は福島県の飯舘村を訪問しました。
福島第一原発の事件で避難地域に指定された福島県の村です。

飯舘村では地元の農家の方を訪問し、いろいろと話を聞かせていただきました。
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そしてその村で除染活動を試みている人たちから、汚染をどう除去するか。地表の土を剥いだり、放射性物質を吸い上げる植物を育てたり、落ち葉をかき集めたりと、さまざまな考えを聞かせていただきました。
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それらの内容は確かに効果があるのかもしれませんが、実際に村内を巡って広大な地域を目にするとその広大な地域をどうしていくのかという思いになり、関係者の熱意を感じる一方で、風車に挑むドン・キホーテのような非現実的なことのようにも思えてしまいました。
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そしてこの「非現実的」という考え自体が、現代日本人の証のようにも感じました。僕はいつから物事を「非現実的」「現実的」と分けるようになってしまったのでしょうか。

現実的な考えは、汚染されたのだから住民は避難し、村を捨てろ、ということだと思います。
非現実的な考えは、なんとか住民が村に人が戻るよう、努力をしよう、ということだと思います。

「臭いものには蓋をする」という姿勢であれば、現実的な考えでよいのだと思います。

この「非現実的」というものと「夢」というものは似ていると思います。
人はあの夜空に浮いている月に行こうと思い、そして宇宙船を開発し、長い年月をかけ月に行けた。
水平線の先には新たな大地があると思ったから、人は旅に出た。
病気は治せると信じて、治療法を見つけてきた。
これらの行為は、「夢」であり、きっと当時の人々には「非現実的」に写ったことでしょう。

飯館村や福島原発周辺のことは、その土地だけの問題ではなく、日本全体のことだと僕は思います。
もしその土地に戻るように努力をしようという、植え付けられた意識の「非現実」的なことを誰かがしようとしなければ、それはこの国で今後起こることに対して、国民はいつも見て見ぬふりをする、出来ないからと諦める選択をすることになる、ということだと僕は思います。

例えば、あなたの子どもが病気になったら、それは病気になったから仕方がない。はい、おしまい。と言うことです。
これは決して飛躍し過ぎの考えではないと思います。

昨年、知り合いの喫茶店の看板犬に病巣が見つかりました。
飼い主は必死にその犬の延命を願い、またその喫茶店を訪れる常連客の誰もが、その犬の延命を願って治療費や薬代の寄付を申し出ました。僕もその中の一人です。
このことを現実的に考えたら、「たかが犬」、「年老いた犬」、ということになり、犬に対して寄付をすることもない、といういことになるのでしょう。実際、僕と共にその喫茶店を訪れている方の多くは、寄付には消極的でした。

でも実際にそこには、現実的ではない、「人の思い」というものがあると、僕は思っています。
最後の最後まで、出来ることを出来る限りしてあげようという、飼い主や周りの人の「愛」がある。

その出来事を通して感じたのは、愛なき人は、それが犬であろうが人であろうが、決して募金などはしない、ということです。
助かるか助からないかもわからない、現実的ではないことに、自分の身銭を切ることはしないからです。

きっと原発事件で汚染された福島を見捨てるということは、それと同じことだと僕は思います。
遠く離れた土地のことだし、広義のために狭義は仕方のないことだ、と。

今の日本は、残念ながらそう考える多くの“愛なき”人で溢れています。

飯舘村でお会いした農家の方が、このようなことを言ってました。
「津波で流され、何もかもなくなったのであれば諦めがつく。でもそうじゃない。我々には除染あってからの復興なんだ。」

しかし人間は強いなと感じたのは、続いた次のような言葉でした。
「過ぎてしまったことは仕方がない。前を向いていかないと。最近ようやく笑って話が出来るようになった。それまでは本当に無愛想だった。」

その方から最後にいただいた名刺には、次のようなことが書かれていました。
原発事件の前に作った名刺だそうです。
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*****
地球の贈り物 大自然の恵みを大事にする
山のこだわりや
農家 ○○○○
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○○○○の部分にはその方の名前が入っています。素敵な名刺でした。
しかしそんな名刺に書かれていた文言も、あの日以来一変してしまった。

名刺に書かれている、地球の贈り物、大自然の恵みを破壊したのは、原発も津波でもない。人間です。
そして本来、人間という生物そのものも、地球の贈り物だったはずです。

「来年の為に花を植える、20年後の為に木を植える、100年後の為に人を育てる。」という言葉があります。
今の日本に必要なのは、“非現実なこと”に挑む「人」、“夢”を追う「人」だと僕は思います。
そして必要ないのは、「夢では食べていけない」とか「現実を見ろ!」と唱える、飾り立てた花を愛でる人たちです。

お金がなければ食べていけないという理論は、飯館村では通用しません。
お金があったって食べていくことの出来ない現実が、そこにあるのです。
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真に身についた学問にするには、自分自身にあてはめ、深く思い考え、そしてゆったりと学ぶこと。
福島の原発事件ことは、遠い異国のことではなく、日本で起きていることです。
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今の日本人の多くの方々は、失礼ですがもう少し、知見を広げ学んだ方がよいと、僕は思います。
posted by Coyama at 22:34| 思ったこと・感じたこと