2012年07月17日

グリーンランド研究 − デンマーク領グリーンランド −

大戦終了後の1950年、グリーンランド政府は国際的に開かれた国になるため、経済的援助(投資)を要求する報告書を世界に向けて発行しました。
報告書ではグリーンランドの管理はLandsradと呼ばれる国の議会が担当し、経済面ではロイヤル・グリーンランド貿易機関の持つ独占権を国に吸収されることが提唱されていました。
1952年にLandsrad議会はグリーンランドの発展のためにはデンマークの一部として協力体制を築くということが不可欠であるという新しい国家成立案を提出しました。この提案は1953年にデンマークにおいて国民投票で可決され、デンマークの国会に正式にグリーンランド代表者の2議席が新設されました。
国の経済市場は個人投資家にも開かれ、国家構成が徹底的に見直され、医療福祉サービスや社会保証サービスなどが本格的に開始されました。

1960年代には、グリーンランドの地下資源(油田や天然ガス)が注目され、デンマークやアメリカ、カナダなどは、それぞれの地域との話し合いで、土地整備や期限付き自治権、総合的な援助を与える代わりに、掘削権を得ました。その結果、現地の暮らしは向上し、定住者も増えていきました。しかし生活様式や食生活の激変は、それまではなかった成人病患者を急増させます。
特にこの時代に初めて国に持ち込まれたアルコールは、アルコール依存症に陥るグリーンランド住民を急増させ、殺人や自殺などが多発しました。そのため政府はアルコールに対する規制を強化し、以前ほど厳しくはないものの現在でも販売規制は続いています。
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△ グリーンランドのBarの様子

1964年に議会はデンマーク国会での認証を受けて、国の開発の10カ年計画を盛り込んだ新しい報告書を発行しました。
その決議項目のひとつは、グリーンランドで生まれた人間はデンマークで生まれた人間と同等な社会保証と労働賃金を得ることが出来るというものでした。これは10年以内に一般の経済レベルまでグリーンランドを開発させるということが目的でした。しかし計画は失敗し、グリーンランド人とデンマーク人との待遇や貧富の差は明確に現れ、多くの反発を引き起こすことになります。
この出生地による差別問題は、1987年にグリーンランド政府が徹底的な改善をするまで続きました。
posted by Coyama at 23:00| グリーンランドのこと