2012年06月22日

シンクロニシティ

自分が必要な時に、必要とすることは、実は自分でも気がつかないうちに身近にあったりもする、と言います。
それはシンクロニシティとも呼ばれています。

先日なにげなく参加した会合で、隣に座った知り合いの年配の方と話をしていた時に、「最近仕事の方はどう?」と聞かれたので、正直に「いやぁ、全然ダメです。仕事もないですし、もうお金もなくなってきてますし、来月で行き詰まりそうで・・・」と言うと、その人が微笑みながらこんなことを言ってきました。

『いいことじゃない。「お金がない」「仕事がない」なんて、若くて健康な今のうちだからよいことなのよ。それが年を取ってからになってみなさい。どうにもならないことなのだから。大丈夫、神様はきちんと見ているものよ。頑張りなさい。』

僕はてっきり他の人と同じように「そう、大変ねぇ・・・・」と他人事への心配そうな表情を作って言われるのだろうなと思っていましたので、そう言われて驚いたのと、心がとても楽になりました。

その言葉は、ご自身が体験をしていなければ決して出て来ない言葉だと思います。その方も、その人生にたくさんのご苦労があったと察するとともに、お年を召してからそのような言葉を述べられることを素敵に思いました。
僕自身も、いつかそう言った言葉を吐ける人間になれるよう、つらいこと苦しいことでも、たくさん経験をして乗り切っていきたいと思っています。

そういえば7年前にも僕が同じような状況にあって、同じように苦しんでいて、同じように周囲の人たちに相談をしたのですが、同じように他人事への心配そうな表情の大人たちからお決まりの乾いた言葉をたくさんいただいたことがありました。

あの時に救いになったのは、その人たちとは違った、恩師からの言葉でした。

「僕も駅の水しか飲めない日もあった。でも、死ぬことはない。若いと言うことは、そうゆうことだ。戦時中はもっとひどかった。アットいうまに命が無くなった。いまはそうした不安は無いだけでも良しとしなければ 。」

その言葉で心が軽くなり、あの時期を乗り切ることが出来ました。

僕は宗教は信じていませんが、世の中で『神様』と呼ばれている何か得体のしれないものへの信仰心はあります。それは過去に何度も不思議な経験をしてきているので、この世のものとは思えない、不思議な力はあるのだろうと信じざるを得ないからです。
そしてそんな『神様』のようなものは、あの手この手で、自身が求めていることに対して助言などを発信してくれているのだと思います。
あとはそのことに自分が気がつくかどうか。

こんな話を思い出しました。
*****
ある夏の日、小さな町を大きな台風が襲いました。
何日も前から「台風で洪水になる危険性があるので町から避難し、出来るだけ高い場所に移動して下さい!」とテレビのニュースで呼びかけていました。
町の人たちは「まさかそんなことはないだろう」と思っていましたが、日に日に強くなる風と雨を見て「これは本当に大変なことになりそうだ」と高台にある隣町に避難していきました。
ところがある一人の女性だけは違いました。
「私はここにいます。だって家を空けている間に泥棒に入られたらどうするのですか?それに神様が守って下さいますから大丈夫です」と言い、台風が迫ってきても一向に避難しないのです。
その女性は神様の存在を信じていたので、何があっても神様が自分を救ってくれると信じていたのです。

数日後、その町を台風が襲いました。
大雨で堤防が決壊し、町は洪水に見舞われました。
その女性の家にも水が襲ってきたので、女性は屋根の上に上りました。その間にも雨は強く降り続きます。
そこへ屋根の上の女性を助けようと一艘の救命ボートがやってきました。
「早く乗りなさい。台風はますますひどくなりますよ」
しかし女性はその救いの手をはねのけました。
「そんなに小さなボートに乗るのは危険です。今だってグラグラしている。私は大丈夫、神様が救いの手をさしのべてくださいますから」
説得に応じない女性を見て、ボートはその場を去ってしまいました。

しばらくすると空から救助用ヘリコプターがやってきました。
ヘリコプターはロープのはしごを女性の頭上にたらしました。
「そのはしごにつかまりなさい。水はもっと増えますよ!」
ところが、女性がはしごに手をかけることはありませんでした。
「こんなに風が強いのにロープのはしごにのぼるだなんて危険すぎます。それにもしヘリコプターが落ちたらどうするのですか!?大丈夫、私のことは神様が助けてくださいますから。」
そういって断固としてヘリコプターに乗ることを拒んだのです。

その後、水はますます増えていき、女性はとうとう死んでしまいました。

天国で神様に会った女性は、神様に尋ねました。
「神様、どうして私に救いの手を差しのべてくださらなかったのですか?」
すると神様は答えました。
「私は避難勧告や救命ボートやヘリコプターで何度もあなたを救おうとしました。それを拒んだのは、あなた自身ではないですか。」
*****

そうやって実は誰にでも自分が“求めたもの”に対して“与えらるもの”というのは届けられているわけです。
それを見ようとしないから見えないのであって、意識すれば見えてくるようになり、それをつかむ人もいれば、わざとつかまない人もいたり、無意識で見えない振りをする人もいる。
本当は、単純に困ったことがあって、その答えになりそうなことが目の前に出てきたら、『つかもう』という気持ちを持ってつかみさえすればいいだけのことなのです。
甲子園のファールボール」と一緒ですね。

だから僕は落ち込むような状況や人に会いたくないような状況のときこそ、外に出て人と積極的に接するようにしています。
部屋にこもって待っているだけでは、目の前には何も現れませんし、ファールボールも飛んできませんので。

ちなみに本を読んでいたら、こんな言葉がありました。
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良い時も、悪い時も、その時だけなんだから、現状が悪いからって逃げることもない。最低な立場に立たされたって、ケローっとしていれば気が楽だし、ここまで落ちたらあとは上がるしかないって、逆に楽しみが増えてくる。
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さて、僕はここからどこまで上がれるか。楽しみです。
posted by Coyama at 21:22| 思ったこと・感じたこと