2012年04月30日

井の中の蛙

10年前、デンマークへ渡る際に僕は空路ではなく陸路を選択しました。
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その目的は日本とデンマークとの距離を体感したかったのと、もう一つアジアとヨーロッパとの境目を体感したかったということでした。

実際にアジアとヨーロッパの境目は、シベリア鉄道でモスクワからアジア側に1,777kmの地点にあり、そこには境を示すオベリスクが立っています。
しかし線路上にあるため当然ながら電車に乗っていると車窓の右から左へ一瞬で消えて行きます・涙
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では実際にそのオベリスクを境にアジアとヨーロッパの変化を感じたかと言うと、そのようなことはありませんでした。

僕が実際にアジアとヨーロッパとの境を感じたのは、ロシアのサンクト・ペテルブルグからフィンランドのヘルシンキへ抜けた時です。

その時僕は電車で越境したのですが、途中で検問があるため3時間かかりました。しかし検問がなければおそらく電車での時間は1時間半程度だったと思います。
その距離は僕の感覚ではありますが、おそらく東京駅から中央線で西へ進み、甲府駅ぐらいまでの距離なのではないかと思います。
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その電車でたった1時間半程度の距離なのに、ヘルシンキに到着すると、街の雰囲気がガラッと変わったことに僕は驚きました。
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ただ、僕にアジアとヨーロッパとの違いを認識させたのは、その街の雰囲気の変化ではありません。

僕はロシアでは、東端のウラジオストクから西端のサンクト・ペテルブルグまで12日間滞在していました。その間、ロシアでは水道の水は飲む事は出来ず、水は常にお店や車内販売などでペットボトルに入ったものを購入していました。
もちろん途中で宿泊したホテルの部屋などにも水道はありましたが、シャワーを浴びるときでも、水道水からはいかにもお腹を壊しそうな、そんな鉄臭い臭いを感じました。

それまで僕は海外に行った事はなく、日本で育っていましたので、水というものは水道の蛇口をひねれば出てきて飲む事が出来るものだと思っていたのです。
ところがそうではない事を、ロシアを旅した事で体感させられました。

そしてフィンランドのヘルシンキに到着し、ホテルに着いた時、バスルームの水道に英語で書かれた「この水は飲めます!」という表示を見た瞬間、僕はそこでアジアとヨーロッパとの境を感じたのです。
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そしてその時の経験から、それまで当たり前だと思っていた「水道の水が飲める」ということは実は当たり前ではないのだということを体感しました。

そんな出来事を、僕はアジアとヨーロッパの違いとして、時々話をしていました。

それから2年後のこと。

僕は旅の最後にグリーンランドへ立ち寄りました。

コペンハーゲンからグリーンランドの南部のナサスアク空港までは飛行機で行き、そこからフェリーで4日間かけて北上。
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途中で北極圏を越えてイルリサットという町まで向かい、そこからさらに小舟に乗り換えてイリマナクという人口99人の村へ行き、そこのグリーンランドの民家に2日間滞在をしました。

このグリーンランド旅行はツアーパックでした。しかし一般的な観光ツアーではなく、普通の観光ツアーでは体験出来ない現地の生活を体験出来るツアーといったもので、ホテル滞在ではなくグリーンランドの一般の民家に宿泊したわけです。
しかし民家とはいってもホームステイではなく、ツアー会社が借りている村の空き民家です。
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ツアーガイド女性のヨハネに連れられ、夕方にイリマナクの宿泊所に到着した僕を含めたツアー客3人は荷を解いてくつろぎ、カフェを楽しんでいました。

しばらくして就寝の時間になり、部屋で休む前にヨハネが我々に大事な注意事項を伝えてきました。
それは、「キッチンにシンクはあるけど水道はない。」「水は玄関先にあるタンクに汲まれているのでそれを使う事。」「洗い物もそうだし、歯を磨いたり顔を洗うにもその水を使うように。」と。
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ちなみに「シャワーは町の中心部にある施設にコインシャワーがあるのでそこを使ってね。」とのことでした。

その説明を玄関前にあるタンクの前に連れて行かれて聞かされた我々は、次にトイレに連れて行かれました。
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トイレには普通に便座がありました。そしてその横にはシンク。そしてシンクの下に薄汚れた水の入ったバケツが置いてありました。
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『なるほど、用をたした後はこの水で流すのだな』と僕が思った次の瞬間、ヨハネの口からとんでもない説明がありました。

「トイレで用をたした後は、シンクでこのバケツの水を使って手を洗ってね。」と。。。

実は便座があるトイレは、僕は『バケツトイレ』と命名したのですが、腰掛けるくらいの高さのバケツに、日本の厚手のビニール手袋のような厚手のビニール袋が、よくゴミ箱などにスーパーの袋をゴミ箱のふちに引っ掛けておくような形でかぶさっていて、その上に便座とふたが置かれているだけなのです。
いわゆる“ボットン便所”は下に開けられた穴にブツが落ちるわけですが、このバケツトイレは前の人のブツがそのまま、フタを開けると中に積み重なっているわけです。
もちろん放っておくと溢れてしまうわけですが、そこは2〜3日に1度、村役場の人間が新しい袋に交換しにくると言います。

実はグリーンランドは北極圏にあるために排泄物を分解するような微生物が存在せず、そのままにしても土に返る事がないのだそうです。
そのため特殊な方法で処理されるので、トイレに関してはそのような方法がなされているのです。

もちろんそれは99人の村だからであって、近代の大きな町ではきちんと上下水道が整備され、シンクには水道もありトイレも水洗になっています。

それにしてもその『バケツトイレ』の衝撃は、それまでの僕の概念を覆すには十分なものでした。

ロシアからヘルシンキに抜けたところで、僕は水道の水が飲める事のありがたさに気がついたわけです。
そのことをその後僕は自慢気にあちこちで話していわたけですが、グリーンランドでは、“その水道すら存在しないのだ”という現実を目の当たりにしました。

自分が思っていた事よりも、さらに当たり前が当たり前でない、思いもよらない環境が、世界にはあった。

その体験以来、『自分が今いる環境に当たり前にあることが当たり前でないのだ』という思いを僕が持つようになったのと、どんなに自分が想像力を働かせて推測をしても、まったく想像もできないようなことが、この地球上に今この瞬間も存在しているのだと、僕は思うようになりました。

日本にいて、当たり前に過ぎしている事が、場所が変わると実は当たり前ではない。
そしてその当たり前ではないことも、さらに別の場所では当たり前ではない。上には上がある。

ロシアでは水道の水が飲めなかった。それをすごい事だ・貴重な体験だったと思っていたら、グリーンランドの小さな村にはその“水道”すらなかった。
それは僕にとっては衝撃的な体験だったわけですが、おそらくその“水道がない”というイリマナクの状況よりも、もっと想像の出来ない環境が、きっとこの世にはあるのだと僕は思っています。

これは残念ながら体験しなければわからない事だと思います。

当たり前のことは、当たり前ではない。
それを僕は体感しているので、どんなにつらい事や苦しい事があっても、この日本で日々生きていられるということは幸せな事だと感じる事が出来、様々な事に感謝をする気持ちでいられます。

みなさんもそのような経験をされたことはありますか?
posted by Coyama at 22:16| 思ったこと・感じたこと