2012年01月30日

間のデザイン

(※今日の記事はすごく適当に書いていますので、軽く読み流してください。徐々に書き直します。)

これまでいろんなことをやってきて、「あの人はいったい何をしている人なのか?」とよく言われている僕ですが、僕自身は建築家を目指しています。ただその目指している建築家像は、おそらく日本人の多くが“建築家”という言葉に対するイメージとは大きく違うものだと思います。

ただ形を作ればいいというものでもなく、理想論で実際に形を作らないというものでもない。論文だけを書いている人でもなく、まちづくり活動だけをしている人でもない。
それをうまく言葉では表現できませんので、自分自身が実現させていき実際に見せるしか理解を得られないとは思うのですが、その実現のために数年前から僕が指針にしている考えが「間のデザイン」というものです。
主に専門とする多世代交流を組み込んだまちづくりや施設設計においての考えではありますが、この考えはけっこう社会一般的なことにも当てはまるのではないかと思っています。

「間のデザイン」とは、単純に言えば「間」の字を持つ言葉を並べただけのことです。

世の中のことにおいて、いわゆる“ハード”として表現される形ある建物や道具のある場を「空間」と考えます。
一方で日々の生活や地域との関わりのように人的・社会的なつながりなど、一般に“ソフト”と呼ばれるようなものを「人間」と考えます。

そういった中で、僕が専門としている多世代交流においては、このソフトとハードだけではない、もうひとつの要因が絡んでいます。それが過去や現在の事例から学んだり、継承や継続などを重要視するもので、この関わりを「時間」と考えています。

この建築や都市計画・デザイン分野からのハード的視点からの検討、社会学や経済学・医療や介護・市民活動や交流といったソフト的視点からの検討と共に、それらをつなぐ「時間」の検討も合わせた「人間・時間・空間」を整えていくという考えがあり、これは世の中では「三間」などと言われ、けっこう考え方としては知られています。

しかし考えとしての知恵はあっても、何かを実現していく時にはその過程があり、道なき道を進もうとする時にはその道のりはそう容易いものでもありません。
また答えを導き出したと思っても、実はそれは答えのひとつでしかなく、他にいくつも答えがあることもあります。人生で起こることは数学のように決まった答えがあるわけではなく、いく通りもの答えがあるものが多くあり、中には結論は永遠に出せないものもあります。
そこで重要なことは、常に自分の行いや決断が正しいのかどうかを検証したり、ひとつの答えを出せたから・区切りがついたからもういいや、と終わらせるのではなく、続けていく、継続させていくということです。俗にいう「継続は力なり」というものですね。
これは非常に「手間」のかかるものではありますが、その「手間」を惜しまずに続けていくことが、目標の実現に結びつくと考えています。

またまちづくり活動やNPO活動などを見ていると、それらは日本全国に数多く存在しています。みなそれぞれに自分たちの活動を正しいと信じ、素晴らしいと思い活動されている。これらを検証してみると、それぞれに成果があり、実現の形というのはそれぞれにあることに気づきます。導きだされたそれぞれの結果はもちろんどれも素晴らしいものですが、それらを総合的に見ると多くの活動に共通しているのが、それらの活動を行ったことによって形成されたネットワークや「仲間」づくりが素晴らしいものであったことにあるのではないだろうかと考えられます。
このような活動は一人で行うことは困難であり、行動を進めていく上でも、共に協力し刺激し合える「仲間」を増やしていくことが、重要な課題であると考えています。これはまちづくり活動やNPO活動以外のことでも同じことだと思います。

そして今の日本の世の中は(昔からそうなのかもしれませんが)、新しいことに対して人々がなかなか理解を示さない世の中になっています。
すでに完成された社会システムを疑うことなく、おかしいことがあってもおかしいと声を挙げる人をおかしいと見ることが多くなっているように感じます。
社会システムの枠に法った行動や、枠外の生き方をする人たちに対してや、夢と言う名の目標を成人が語ろうものなら、世間の人からは「まともじゃない」「おかしな人だ」などと理解されないことも少なくありません。
その世間の言葉に振り回されず、自身の掲げる夢に向かって進めるかどうかで、実は未来が決まってくる。そのような「世間」に惑わされずに正しいと思ったら信念を貫き通すことも重要なことだと思っています。

こういった「空間・人間・時間・手間・仲間・世間」をうまくデザインしていく、それを「間のデザイン」と考えています。
この「間のデザイン」を上手に使いこなしてこそ、新しい価値観を生み出し、未来の社会をよりよくしていけるのではないだろうかと、僕は考えています。それが出来、最終的に建物や都市空間に落とし込んで、かつ“実際に形やモノを作れる人”が、僕の目指す“建築家”なのです。

もちろん人それぞれに建築家像はあると思いますので、これはあくまで僕個人の思いであり目標ですけどね。
posted by Coyama at 23:10| 思ったこと・感じたこと