2012年06月16日

人、求む。

昨年の秋に、僕は福島県の飯舘村を訪問しました。
福島第一原発の事件で避難地域に指定された福島県の村です。

飯舘村では地元の農家の方を訪問し、いろいろと話を聞かせていただきました。
2012061604.jpg

そしてその村で除染活動を試みている人たちから、汚染をどう除去するか。地表の土を剥いだり、放射性物質を吸い上げる植物を育てたり、落ち葉をかき集めたりと、さまざまな考えを聞かせていただきました。
2012061605.jpg

それらの内容は確かに効果があるのかもしれませんが、実際に村内を巡って広大な地域を目にするとその広大な地域をどうしていくのかという思いになり、関係者の熱意を感じる一方で、風車に挑むドン・キホーテのような非現実的なことのようにも思えてしまいました。
2012061606.jpg

そしてこの「非現実的」という考え自体が、現代日本人の証のようにも感じました。僕はいつから物事を「非現実的」「現実的」と分けるようになってしまったのでしょうか。

現実的な考えは、汚染されたのだから住民は避難し、村を捨てろ、ということだと思います。
非現実的な考えは、なんとか住民が村に人が戻るよう、努力をしよう、ということだと思います。

「臭いものには蓋をする」という姿勢であれば、現実的な考えでよいのだと思います。

この「非現実的」というものと「夢」というものは似ていると思います。
人はあの夜空に浮いている月に行こうと思い、そして宇宙船を開発し、長い年月をかけ月に行けた。
水平線の先には新たな大地があると思ったから、人は旅に出た。
病気は治せると信じて、治療法を見つけてきた。
これらの行為は、「夢」であり、きっと当時の人々には「非現実的」に写ったことでしょう。

飯館村や福島原発周辺のことは、その土地だけの問題ではなく、日本全体のことだと僕は思います。
もしその土地に戻るように努力をしようという、植え付けられた意識の「非現実」的なことを誰かがしようとしなければ、それはこの国で今後起こることに対して、国民はいつも見て見ぬふりをする、出来ないからと諦める選択をすることになる、ということだと僕は思います。

例えば、あなたの子どもが病気になったら、それは病気になったから仕方がない。はい、おしまい。と言うことです。
これは決して飛躍し過ぎの考えではないと思います。

昨年、知り合いの喫茶店の看板犬に病巣が見つかりました。
飼い主は必死にその犬の延命を願い、またその喫茶店を訪れる常連客の誰もが、その犬の延命を願って治療費や薬代の寄付を申し出ました。僕もその中の一人です。
このことを現実的に考えたら、「たかが犬」、「年老いた犬」、ということになり、犬に対して寄付をすることもない、といういことになるのでしょう。実際、僕と共にその喫茶店を訪れている方の多くは、寄付には消極的でした。

でも実際にそこには、現実的ではない、「人の思い」というものがあると、僕は思っています。
最後の最後まで、出来ることを出来る限りしてあげようという、飼い主や周りの人の「愛」がある。

その出来事を通して感じたのは、愛なき人は、それが犬であろうが人であろうが、決して募金などはしない、ということです。
助かるか助からないかもわからない、現実的ではないことに、自分の身銭を切ることはしないからです。

きっと原発事件で汚染された福島を見捨てるということは、それと同じことだと僕は思います。
遠く離れた土地のことだし、広義のために狭義は仕方のないことだ、と。

今の日本は、残念ながらそう考える多くの“愛なき”人で溢れています。

飯舘村でお会いした農家の方が、このようなことを言ってました。
「津波で流され、何もかもなくなったのであれば諦めがつく。でもそうじゃない。我々には除染あってからの復興なんだ。」

しかし人間は強いなと感じたのは、続いた次のような言葉でした。
「過ぎてしまったことは仕方がない。前を向いていかないと。最近ようやく笑って話が出来るようになった。それまでは本当に無愛想だった。」

その方から最後にいただいた名刺には、次のようなことが書かれていました。
原発事件の前に作った名刺だそうです。
2012061602.jpg

*****
地球の贈り物 大自然の恵みを大事にする
山のこだわりや
農家 ○○○○
*****

○○○○の部分にはその方の名前が入っています。素敵な名刺でした。
しかしそんな名刺に書かれていた文言も、あの日以来一変してしまった。

名刺に書かれている、地球の贈り物、大自然の恵みを破壊したのは、原発も津波でもない。人間です。
そして本来、人間という生物そのものも、地球の贈り物だったはずです。

「来年の為に花を植える、20年後の為に木を植える、100年後の為に人を育てる。」という言葉があります。
今の日本に必要なのは、“非現実なこと”に挑む「人」、“夢”を追う「人」だと僕は思います。
そして必要ないのは、「夢では食べていけない」とか「現実を見ろ!」と唱える、飾り立てた花を愛でる人たちです。

お金がなければ食べていけないという理論は、飯館村では通用しません。
お金があったって食べていくことの出来ない現実が、そこにあるのです。
2012061603.jpg

真に身についた学問にするには、自分自身にあてはめ、深く思い考え、そしてゆったりと学ぶこと。
福島の原発事件ことは、遠い異国のことではなく、日本で起きていることです。
2012061601.jpg

今の日本人の多くの方々は、失礼ですがもう少し、知見を広げ学んだ方がよいと、僕は思います。
posted by Coyama at 22:34| 思ったこと・感じたこと