2012年06月25日

ある朝の出来事/挟まれた傘

ある日の朝の事、僕は自由が丘駅から渋谷行きの東横線に乗ったのですが、その電車は日比谷線直通電車でした。
この列車は途中の中目黒駅から日比谷線に入ってしまうため、渋谷へは行きません。そのため僕は中目黒駅で電車を乗り換えました。

朝のその時間帯は急行でも各駅停車でも「超」がつくほどの満員電車です。
中目黒駅のホームで電車を待っていると、やがて渋谷行きの各駅停車の電車がやってきました。
ちなみに各駅停車と言っても中目黒駅の次は代官山駅で、その次が終点の渋谷駅です。

最初、僕はホームで列に並んでいたのですが、電車が来て降りる人を待っている間、途中で気が変わって列から外れ、先頭車両のほうへと歩いて移動しました。というのも終点の渋谷駅の改札口が先頭車両の先だからです。

そして発車ベルが鳴ったところで、僕は近くのドアの前の、まだ入り切れていない列の、その最後に並びました。
列に並んでいた人々は次々に電車の中へ押し合います。

すると、もう少しで列の最後にいた僕が入り切るところで、僕の前にいた若者がドアの際のところに踏ん張って立ちました。
彼の奥には人1人分のスペースがぽっかり空いているのですが、その若者は後ろに下がらずにドア際の位置でホーム側を向いた状態で踏ん張っています。

気持ちはわかります。満員電車で人に囲まれるよりも窓際がいいし、降りる時にもすぐに降りられるからといった思惑があったのでしょう。
しかし、僕もその電車に乗らなければならないので、彼を押して僕の身体を電車に押し込みます。
それでも頑として動こうとしない若者。

結局僕はその若者の右側に滑り込んで、彼の後ろに空いていたスペースに身体を押し込みました。
その瞬間、ドアが閉まります。

と、その時。。。

その若者は、僕が背後に滑り込んだ時も避けようともせずに微動だにせずに窓際に踏ん張っていたわけです。
しかし彼は変に力んでいたため、タイミング悪く手に持っていたカバンと傘がドアの外に出ていて、閉まったドアに挟まれてしまいました。

もちろん若者は慌てて荷物を引きます。
カバンは抜けました。
しかし傘はドアに挟まったまま。

傘の下から10cmぐらいの部分が、ガシっとドアに挟まれていたのです。

このような時に、よく一度閉まったドアが一瞬開くことがありますよね。でも、この時はそれはなかった。

そして電車は若者の傘を挟んだまま、無情にも中目黒駅を出発しました。

電車の走行中、数回、グッ、と傘を引っ張って抜こうとする若者。

しかし抜けません。

ちなみに次の代官山駅は進行方向左側、つまり若者や僕のいる右側とは反対側のドアが開きます。
だから終点の渋谷駅までは進行方向右側のドアは開かないのです。

こんなドラマみたいなことを目の前で見れるなんて、なんて運がいいんだ、と僕はその時に思っていました。

ところが、代官山駅を過ぎたあたりで、ふと気がつきました。
というのも、渋谷駅は東横線の終点で、レーンが4つあるのです。

北方向に向かって一番左(西)側にもホームがあり、左の3レーンは列車の両側にホームがあるので、降車時には両側のドアが開きます。
しかし一番右(東)のレーンだけは、右側が壁になっていてホームはなく、左側のドアしか開きません。

その事に気がつき、もしその一番右のレーンにこの電車が入ったら、これはよく出来たコントだな、と思っていたら、そこに車内アナウンスが流れました。

『次は〜、渋谷〜渋谷〜。終点です。お荷物・・・』

そしてその次に続く言葉として、両側のドアが開く場合には『お出口は左側、右側の順番に両方のドアが開きます。』となるのですが、その日の電車のアナウンスは『お出口は左側です。』と。

その瞬間、吹き出しそうになり、それを抑えるのに必死でした。
おそらく僕の周囲にいた人たちでそのことに気がついた人も、同じ気持ちだったと思います。

そしてその若者も、気がついたのでしょうね。

1度力を入れて、傘をグっと引いていました。

しかし、抜けません。

満員電車で身動きが取れない中で、目の前でそれを見せられている僕は笑いをこらえるのに必死でした。

そして電車は渋谷へ到着します。

左側にはホーム。若者が窓から眺める右側には、無情にも壁看板。

そして左側のドアが開いたと同時に、乗客はドドっと降り始めました。

僕はその後若者がどうするのかを見届けたかったのですが、変に見ていて絡まれたりするのも嫌なので、何もなかったかのように人の流れとともに電車を降りました。

その後あの若者はどうしたのか、とても気になります。

A. 傘が抜けて降りた。
B. 傘は諦めて、傘は捨てて降り、ドアに挟まれた傘だけが車内に残った。
C. 傘は抜けず、しかたがなく乗ったまま折り返した。

あのドアの閉まり圧ってどのくらいなのでしょうか?やはり傘は抜けないのでしょうか?
傘は結構先から深い部分で挟まり、両脇ゴムの部分で押さえつけられていたため、まったく抜ける気配はありませんでした。

若者が最終的にどうなったかは知りませんが、結果は上記のABCのどれかですよね?

もし自分だったらどうするでしょうか。

それにしても、その日は朝からそのような出来事を目撃出来ただけで、なんだか明るい気分になりました。

無理をしてドア側をキープしようなどと踏ん張らず、混み合っている時には譲り合い、車中へ詰めていくようにした方がよい。
世の中自分だけではないのだから、他人の事も考えて共存していきましょう。力を抜いて、のんびり行こうよ、という良い教訓ですね。
posted by Coyama at 20:50| どうでもいいこと

2012年06月24日

グリーンランド研究 − グリーンランドの都市/Sisimiut(シシミウト) −

2012062403.jpg

現在Sisimiut(シシミウト)の町がある地には、4500年以上前にグリーンランドの先住民Saqqaq(サカク)人が住んでいたとされ、その後にも紀元前500年から200年頃まではドーセット第1文明が、1200年頃にはテューレ文明が滞在していました。

そして1764年に捕鯨の新たな拠点としてこの地に移された居留地が、現在の元になっています。
1773年にはBerthel教会(青い教会)の建設が始まり1775年に完成しました。この教会はグリーンランドで最も良い形で現存する古い教会で、現在も教区の会議場として使用されています。

現在は約6,000人が暮らす「キツネの巣の住民」という意味を持つこの町は、グリーンランドでは首都Nuuk(ヌーク)に次ぐ2番目に大きな町となっています。
2012062402.jpg
△ シシミウトの町

この町は北極圏の北に位置しており、グリーンランドでは氷のない港を持つ最北の町で、犬そりが交通に使われる最南の町でもあります。
また町の経済は近代的な装備を持つエビやカニの加工場によって支えられています。

町の古い住宅を改装したシシミウト博物館にはグリーンランドの先住民Saqqaq(サカク)人についての貴重な品々が展示され、他にも芝屋根の家などに関する貴重な展示を見ることができます。
2012062401.jpg
△ シシミウト博物館
posted by Coyama at 21:39| グリーンランドのこと

2012年06月23日

美人の解釈

最近長野県小諸市での活動に関わるようになって、世の中が意外と農業や自然ブームだということを肌で感じるようになりました。
また卵が先か鶏が先かではありますが、それに伴って食についても様々な考えがあるようで、昨今の原発事件による食の安全性もありますが、一方で女性を対象に健康や美容を考えたものが取りあげられるようになってきていると感じています。

僕も美しい女性が好きですので、そのことに関しては何の否定もいたしません。
ただ、見た目や食にこだわったとしても、中身がきちんとしていないと魅力が薄れてしまうな、と感じることが時々あります。

10代や20代の若い女性は、それだけで美しいものです。周りからもチヤホヤされることも多いでしょうし、僕自身もきっとチヤホヤすると思います。
しかし男女限らず、人間は来る歳月を止めることはできず、やがて老いていきます。

その時に、若さや美しさを保つ努力を僕は否定しません。
食や健康などを考えて若さや美しさを保つ行為は、体にもよいことだと思います。
また「健全な精神は健全な肉体に宿る」とも言うように、心にもよいことでしょう。

ただ、若さや美しさを保とうとするその努力も、中身も磨かなければ意味がないと、僕は思います。
僕自身が年齢を重ね、多くの人たちと接してきた中で、中身が素晴らしい女性はどんなに年齢を重ねようと素敵だなと感じる一方で、中身の未成熟な女性に出会うことも残念ながらよくあります。

どういうところを残念に思うかというと、本当に基本的なところです。

・挨拶ができない
・ほほ笑むことが出来ない
・他人に救いの手を伸ばさない

上の2つは人としての基本中の基本で、わかりやすいことだと思います。
3つ目に関しては、マザーテレサのような渾身的な慈悲深さを言っているのではなく、日常生活の中でのほんの些細なことなのですが、たとえば道を歩いている時に他者の迷惑を考えず荷物を横に広げて道の真ん中を歩く人、電車に乗る時に降りる人を待たずに我先に乗り込む人。大勢でいる時に、離れた場所からものを渡す時に、その間にいる方が中間で受け取って先に渡してくれる方と、何もせずに知らぬそぶりをする方も時々見かけます。
もちろん女性に限らず、男性でもこのような方は多いですよね。
これらは、何も道を歩くな、電車に乗るな、と言っているわけではなく、他者のために自分に影響のない範囲でいいから道をあけ、共存したらどうかと僕は言いたいだけです。それも小さいことですが他者に救いを与えていることであるわけですから。

こういう些細なことが自然に出来ないと、どんなに見た目がよろしかろうが、身を向上させる食や健康に関しての知識を持っていようが、決して美しいとは呼べないし呼ばれないのだと僕は感じています。

昨年93歳で亡くなった僕の母方の祖母は、10年以上認知症を煩って亡くなったのですが、最後の数年間は施設へ入居していまいた。認知症ですので孫の僕のことなどはもうわからないのですが、それでも僕は盆暮れには顔を出して会いにいってました。

祖母が入居していたのは同じように認知症高齢者が暮らす施設だったのですが、そこを見ていると、本当に人生の最後の最後で、人の資質というのははっきりと現れるものなのだな、ということを感じました。
認知症になると、簡単には言えませんが要は子どもに戻るというか、理性が失われ心の奥底からの感情が表面化されるように思いました。

僕の祖母などは本当に穏やかで礼儀正しく、職員の方々からも好かれていたようなのですが、常に「恐れ入ります」や「ありがとうございます」「素敵ですねぇ」など丁寧な言葉を繰り返していました。
一方で、入居者の中には怒鳴り散らす人もいれば、汚い言葉を吐く人もいる。一方で何も言わず黙ったままの人もいる。
それが病気によって引き起こされた症状でもあるかもしれませんが、聞いたところでは認知症で理性が退化した分、理性で抑えていた人の本性の部分が現れる、ということなのだそうです。

つまり心の中では「コノヤロウ!」と思っていながらも、ぐっと堪えてニコニコへつらって生きてきた人は、年をとって脳が衰退した時に、本音の部分が表に出てしまい「コノヤロウ!」と怒鳴り散らすようになることもある。
悔しく思うことでも、他人を恨まず思いやったり、苦悩は自身を成長させるよい教材だと常に心の中で「ありがとう」と感謝が出来る人は、いざ理性が薄れていって本音の部分が表に出るようになっても、穏やかで何に対しても「ありがとう」と感謝して微笑んでいられるのだと思います。

人が最期を迎えるその時に、美しい人でした、と言われる人が、本当の美人なのかもしれません。
そして美人というのは、なにも女性だけを対象にした言葉ではなく、男女共に使われる言葉だと思います。
今から50年60年後に、日本にはどれだけの美人がいるのでしょうか。大きなお世話かもしれませんが、最近の10〜30代の日本の若者を見ていると、僕は時々不安に感じてしまうのです。
posted by Coyama at 19:51| 思ったこと・感じたこと

2012年06月22日

シンクロニシティ

自分が必要な時に、必要とすることは、実は自分でも気がつかないうちに身近にあったりもする、と言います。
それはシンクロニシティとも呼ばれています。

先日なにげなく参加した会合で、隣に座った知り合いの年配の方と話をしていた時に、「最近仕事の方はどう?」と聞かれたので、正直に「いやぁ、全然ダメです。仕事もないですし、もうお金もなくなってきてますし、来月で行き詰まりそうで・・・」と言うと、その人が微笑みながらこんなことを言ってきました。

『いいことじゃない。「お金がない」「仕事がない」なんて、若くて健康な今のうちだからよいことなのよ。それが年を取ってからになってみなさい。どうにもならないことなのだから。大丈夫、神様はきちんと見ているものよ。頑張りなさい。』

僕はてっきり他の人と同じように「そう、大変ねぇ・・・・」と他人事への心配そうな表情を作って言われるのだろうなと思っていましたので、そう言われて驚いたのと、心がとても楽になりました。

その言葉は、ご自身が体験をしていなければ決して出て来ない言葉だと思います。その方も、その人生にたくさんのご苦労があったと察するとともに、お年を召してからそのような言葉を述べられることを素敵に思いました。
僕自身も、いつかそう言った言葉を吐ける人間になれるよう、つらいこと苦しいことでも、たくさん経験をして乗り切っていきたいと思っています。

そういえば7年前にも僕が同じような状況にあって、同じように苦しんでいて、同じように周囲の人たちに相談をしたのですが、同じように他人事への心配そうな表情の大人たちからお決まりの乾いた言葉をたくさんいただいたことがありました。

あの時に救いになったのは、その人たちとは違った、恩師からの言葉でした。

「僕も駅の水しか飲めない日もあった。でも、死ぬことはない。若いと言うことは、そうゆうことだ。戦時中はもっとひどかった。アットいうまに命が無くなった。いまはそうした不安は無いだけでも良しとしなければ 。」

その言葉で心が軽くなり、あの時期を乗り切ることが出来ました。

僕は宗教は信じていませんが、世の中で『神様』と呼ばれている何か得体のしれないものへの信仰心はあります。それは過去に何度も不思議な経験をしてきているので、この世のものとは思えない、不思議な力はあるのだろうと信じざるを得ないからです。
そしてそんな『神様』のようなものは、あの手この手で、自身が求めていることに対して助言などを発信してくれているのだと思います。
あとはそのことに自分が気がつくかどうか。

こんな話を思い出しました。
*****
ある夏の日、小さな町を大きな台風が襲いました。
何日も前から「台風で洪水になる危険性があるので町から避難し、出来るだけ高い場所に移動して下さい!」とテレビのニュースで呼びかけていました。
町の人たちは「まさかそんなことはないだろう」と思っていましたが、日に日に強くなる風と雨を見て「これは本当に大変なことになりそうだ」と高台にある隣町に避難していきました。
ところがある一人の女性だけは違いました。
「私はここにいます。だって家を空けている間に泥棒に入られたらどうするのですか?それに神様が守って下さいますから大丈夫です」と言い、台風が迫ってきても一向に避難しないのです。
その女性は神様の存在を信じていたので、何があっても神様が自分を救ってくれると信じていたのです。

数日後、その町を台風が襲いました。
大雨で堤防が決壊し、町は洪水に見舞われました。
その女性の家にも水が襲ってきたので、女性は屋根の上に上りました。その間にも雨は強く降り続きます。
そこへ屋根の上の女性を助けようと一艘の救命ボートがやってきました。
「早く乗りなさい。台風はますますひどくなりますよ」
しかし女性はその救いの手をはねのけました。
「そんなに小さなボートに乗るのは危険です。今だってグラグラしている。私は大丈夫、神様が救いの手をさしのべてくださいますから」
説得に応じない女性を見て、ボートはその場を去ってしまいました。

しばらくすると空から救助用ヘリコプターがやってきました。
ヘリコプターはロープのはしごを女性の頭上にたらしました。
「そのはしごにつかまりなさい。水はもっと増えますよ!」
ところが、女性がはしごに手をかけることはありませんでした。
「こんなに風が強いのにロープのはしごにのぼるだなんて危険すぎます。それにもしヘリコプターが落ちたらどうするのですか!?大丈夫、私のことは神様が助けてくださいますから。」
そういって断固としてヘリコプターに乗ることを拒んだのです。

その後、水はますます増えていき、女性はとうとう死んでしまいました。

天国で神様に会った女性は、神様に尋ねました。
「神様、どうして私に救いの手を差しのべてくださらなかったのですか?」
すると神様は答えました。
「私は避難勧告や救命ボートやヘリコプターで何度もあなたを救おうとしました。それを拒んだのは、あなた自身ではないですか。」
*****

そうやって実は誰にでも自分が“求めたもの”に対して“与えらるもの”というのは届けられているわけです。
それを見ようとしないから見えないのであって、意識すれば見えてくるようになり、それをつかむ人もいれば、わざとつかまない人もいたり、無意識で見えない振りをする人もいる。
本当は、単純に困ったことがあって、その答えになりそうなことが目の前に出てきたら、『つかもう』という気持ちを持ってつかみさえすればいいだけのことなのです。
甲子園のファールボール」と一緒ですね。

だから僕は落ち込むような状況や人に会いたくないような状況のときこそ、外に出て人と積極的に接するようにしています。
部屋にこもって待っているだけでは、目の前には何も現れませんし、ファールボールも飛んできませんので。

ちなみに本を読んでいたら、こんな言葉がありました。
*****
良い時も、悪い時も、その時だけなんだから、現状が悪いからって逃げることもない。最低な立場に立たされたって、ケローっとしていれば気が楽だし、ここまで落ちたらあとは上がるしかないって、逆に楽しみが増えてくる。
*****

さて、僕はここからどこまで上がれるか。楽しみです。
posted by Coyama at 21:22| 思ったこと・感じたこと

2012年06月21日

走りたくなる坂がない

突然ですが「全力坂」というテレビ番組をご存知でしょうか。
2012062101.jpg

深夜にテレビ朝日で放送されている数分間の番組で、ただ単に女性が(時に男性の場合もありますが)坂を全力で走って駆け上がる、という内容の番組です。
http://www.tv-asahi.co.jp/saka/
2012062102.jpg

ただ走るだけで何の意味があるのだろうかと思われる人も多いと思いますが、基本的にはあれです、女性がTシャツなどの薄着で走り、その時の胸の揺れを世の男性たちが楽しむ、といったことが裏にはあります。
2012062103.jpg

そのため出演走者にはうら若きグラビアアイドルなどが多いわけです。

番組では俳優・吹越満さんの「○○にある、○○坂。この坂もまた、実に走りたくなる坂である。」というナレーションが印象的なのですが、考えてみるとこの番組はデンマークでは制作できないだろうな、と思いました。

なぜならデンマークは平坦な地形のため、全力坂に使えるような坂がほとんどないからです。

日本の最高峰と言えば言わずと知れた富士山ですが、その高さは3,776メートルです。
一方でデンマークの最高峰であるYding Skovhoj(イィング スコゥホイ)の高さは、173メートルしかありません。
2012062104.jpg
△ Yding Skovhoj(イィング スコゥホイ)山頂

この173メートルがどのくらいの高さかというと、日本では大阪にある梅田スカイビルの展望台の高さと同じです。
東京タワーが333メートルですから、デンマークの最高峰は東京タワーの半分ぐらいの高さなわけで、デンマークはそれだけ起伏の少ない平坦な国なのです。
そのため「全力坂」で使えるような坂がほとんどありません。

ちなみに、平坦故に移動がしやすく、デンマーク人の重要な交通手段のひとつとして自転車が多用されています。
人口約540万人のデンマークにおいて、自転車の登録台数は約450万台も登録されているのだそうです。
2012062105.jpg

そして国の隅々にまで自転車道が整備されており、デンマーク人の1年間の自転車での平均走行距離は400kmにも及ぶのだそうです。1日約1.1kmは自転車走行をしていることになります。
2012062106.jpg
△ デンマーク郊外のサイクリングロード

また首都のコペンハーゲン市内においては、郊外からの自転車通学・通勤者も少なくなく、コペンハーゲンの交通の約35%が自転車で占められています。
2012062107.jpg

ちなみにデンマークの小学校では「自転車乗り試験」というのが必須であり、子どもたちにとってこの試験に落ちるということは不名誉なことなのだそうです。

「全力坂」から話がズレていきましたが、そのように坂のないデンマークでは、全力で坂を駆け上がる女性を見て楽しむ「全力坂」という番組は制作出来ないだろうなと、日本の坂を登っていてふと思ったわけです。
2012062108.jpg
△ この坂もまた、実に走りたくなる坂である。。。
posted by Coyama at 21:27| デンマークのこと