2012年05月25日

1800年代 − イギリスとの戦い ー

第一次コペンハーゲン大火災からの復興が続く中、1795年から1801年の間にデンマークの商人たちはヨーロッパで起きたナポレオン戦争を利用し、ヨーロッパ諸国との貿易などで多くのお金を稼ぎました。 デンマークはこの当時、フランス側とイギリス側のどちらに加勢することもなく中立の立場にいました。
しかし1801年、大英帝国海軍が巨大戦艦を引き連れてコペンハーゲンを襲撃します。
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△ 1801年のコペンハーゲン沖の戦いの様子

当時のヨーロッパでは最大規模と言われるこの海上戦でデンマーク艦隊は破れ、デンマークはナポレオン率いるフランス軍には加勢せずイギリス側を支援する制約を交わしました。
しかし1807年、大英帝国は大艦隊を率いて再びコペンハーゲンを攻めます。この時クリスチャン7世王とデンマーク軍隊はユラン半島に滞在しており、イギリス軍はその隙をついたため、コペンハーゲンでは戦闘の準備が出来ていませんでした。
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△ 1807年のコペンハーゲン襲撃の様子

この時代のコペンハーゲンはすでに街全体が巨大な要塞と化していました。街の周囲は屈強な城壁で囲まれ、攻め落とすのは容易ではありませんでした。イギリス軍は大砲やロケット弾を駆使して一気に街を爆撃し、多くの家が破壊され、多くの住民が殺されました。
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△ 1807年のコペンハーゲン襲撃の被害

結果デンマークは降参し、イギリス軍はデンマークにある戦艦のすべてをイギリスに持ち帰りました。この後、デンマークが巨大海軍を持つことは二度とありませんでした。

1807年からナポレオン戦争にフランス側として参戦していたデンマークは、1813年にはスウェーデン軍によりユラン半島を侵攻されます。
敗戦したデンマークはノルウェーの全領地をスウェーデンに割譲することとなります。
さらにバルト海航行のための通航税も廃止させられました。

この時ノルウェー領であったアイスランドやグリーンランド、フェロー諸島は、デンマークの領有として残されました。

この敗戦条約締結の知らせを受けたノルウェー副王クリスチャン・フレデリック(後のデンマーク王クリスチャン8世)は反乱を起こします。
そしてノルウェーは1814年5月17に独立を宣言し、クリスチャン・フレデリックが国王に選出されました。しかしスウェーデンはノルウェーの独立を認めず、王太子カール・ヨハンが軍を率いてノルウェー軍を屈服させました。クリスチャン・フレデリックは王位を捨てて出国し、8月には条約が締結されて、ノルウェー王にはスウェーデンのカール13世が即位しました。これ以降1905年までノルウェーはスウェーデンと同君連合となりました。

ナポレオン戦争での敗退により、それまでデンマーク大国が治めていた土地は激減し、デンマーク大国はデンマーク、スレスヴィグ、ホルステン、アイスランド、グリーンランド、そしてフェロー諸島だけの小さな国になりました。
さらに穀物の主要輸出国であったイギリスは自国保護のための関税を引き上げたため、デンマークの農村は衰退して商業も不振となり、デンマークの紙幣はその価値を失い、国のすべての銀行が破産しました。
posted by Coyama at 22:45| コペンハーゲンの都市史