2012年05月19日

1700年代 − 火災後の都市の変化

大火災の後、街は再建されて数々の建築が作られていきます。1749年には建築家ニコライ・エイトヴェド(Nikolai Eigtved)の指揮によりフレデリクス地域(Frederiksstaden)が完成ました。
ニコライの特徴であるエレガントなロココ様式の美しい都市計画と建物はコペンハーゲンの新しい特徴となり、現在の王族の住まいであるアメリエン宮殿やアマリエ通りなどにその姿を残しています。
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△ 現在はデンマーク王室の住居であるアメリエン宮殿

また火災後、都市の区画のいくつかが整備されました。

特に現在市庁舎広場から旧広場へ抜けるストロイエと呼ばれるメインストリートやノアポート駅からランドタワーに向かう手前にあるKul広場はこの時に整備されたものです。
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△ 1728年の第一次コペンハーゲン大火災後の都市の変化。濃い茶色が1728年前、橙色が1728年以降。旧広場の西側地域やKul広場はこの時期に整備された。

また18世紀中頃には東欧との海外貿易を行うためにコペンハーゲンの港は大規模な拡張を行い、バルト海への貿易の入り口となっていきました。
さらにこの頃、コペンハーゲンの要壁の外の北の土地には広大な森があり、狩りの土地として王族や貴族たちに利用されていました。
そして貴族たちはこの自然の中に数々の美しいサマーハウス(別荘)を建設していきました。
posted by Coyama at 22:54| コペンハーゲンの都市史