2012年05月13日

男たちへ

(※後日要修正)
塩野七生さんの著書で「男たちへ」というエッセイ本があります。
『ローマ人の物語』で知られる塩野さんが主にイタリアと日本に両足を置く視点から書かれた「男性」に対しての痛快エッセイです。

別に海外の男性が優れているとは言いませんが、昨日情けない日本の男性たちに何度か遭遇する事があり、このタイトルが頭に浮かびました。

昨日は杉並区某所のイベント会場で小諸の産直販売があり、僕は売り子としてお手伝いに行きました。
僕が住んでいる多摩から杉並へ行くには、一度新宿に出てから丸ノ内線か中央線で折り返す形になります。

そんな丸ノ内線に乗り換えるために待っていたホームでの事。
僕は列の先頭にいて、ドアに向かって左側に立っていました。
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ホームに電車が近づくと降車する人の姿が見えたので、僕は降りる人が出やすいように脇にズレました。
当然僕の後ろに並んでいた人たちも僕に習って横に移動します。

ところが、ドアに向かって右側に立っていたおじさんは、横に避ける事なくドアの前に立ったままでした。
当然降りる人たちの邪魔になります。
本来なら1つのドアから2人が同時に出られるわけですが、ドアが開いてもホームのおじさんが邪魔をしているので片側から1人ずつしかホームに出られません。
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しかも、車内から降りる人が数人いるにも関わらず、なんとそのおじさんはドアが開くとすぐに電車に乗り込み、空いている椅子を小走りで目指して座りました。
さらにそのおじさんの後ろに立っていた別のおじさんも、同じ行動をしました。
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この2人が乗り込んだ時には、まだ降りる人がいましたので僕はホームに立っていたのですが、乗り込んだおじさん側の3人目以降の人は、きちんと降りる人が全員降りるまでホームに立っていました。


その後僕はイベント会場へ向かい、産直販売の手伝いをしていました。

するとそこに、以前数回お会いした事のある方がやってきました。
どうやら会場の別の催し物に参加するために来られたようなのですが、僕を見かけるなり「どうもどうも」と近づいてきて、その方が主催するイベントのチラシを渡してきました。

内容は杉並で行われるチャリティーイベントなのですが、その開催日が27日(日)となっています。
その日は僕が関係している「こもなみ倶楽部」で小諸での活動予定が入っているので、僕はその方に「この日は『こもなみ倶楽部』でも小諸なので残念ですが無理ですねぇ」と言いました。

するとその方は、「うん、だから周りに宣伝しておいて。」と言い、去っていきました。

もしその方が、同じ杉並区で行われている「こもなみ倶楽部」の活動に参加をしてくださったり、周囲に活動の宣伝をしてくださったりと、普段から何らかの交流があるのであれば、「宣伝しておいて」というのはわかります。

昔から日本にある「互助」という行為ですよね。

ただ普段から何も接点もなく、話は知っていても参加もなければ宣伝をしてくれるわけでもなく、しかもイベントが重なっている活動に対して自分たちの活動を宣伝してくれと言う、その考え方が、僕は情けなく感じられました。
チラシを個人的に渡すのであればわかります。しかし重なっているイベントの主催側に対して「周囲に我々の宣伝をしてくれ」というのは、良識のある大人であれば控える言葉でしょう。

いただいたチラシを見るとその方が実行委員として名が出ていました。
失礼を承知で申しますが、僕はそのような方が行うものは、チャリティーイベントでもなんでもない、ただの自己満足イベントにしかならないと思います。

些細なことなのかもしれませんが、いわゆる「自助・互助・共助」の精神を持たぬ人は、人を巻き込む活動を行わない方がよいと僕は思っています。ましてやチャリティーだなんてもってのほかです。

その後産直販売は盛況なうちに終わり、夕方帰路についたのですが、京王線に乗り換える新宿駅で、驚くような光景を目にしました。

僕がホームに着いた時にはまだ電車は来ていなく、ホームで並んで待っていました。
前には数人の人がいましたが、新宿駅は始発という事もあり、これまでの経験から僕の立っている順番ではたぶん座れるだろうな、と思いながら電車を待っていました。
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そしてホームに電車が到着し、乗車とは反対側のドアが開いて中の人たちが降車すると、乗車側のドアが開き、並んでいた人たちが我先にと椅子取り合戦を始めます。
とは言ってもみなさんいい大人たちですから、基本的にはドアに近いところから順に席が埋まっていくわけです。
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僕も順番に乗車し、空いている席に腰を下ろしたのですが、ふと前に目をやると、ホームで僕の後ろに立って待っていた40〜50代ぐらいの女性が僕の斜め前の空いている席に座ろうとしました。

座ろうと席の前に立った次の瞬間、隣のドア側からものすごい勢いで駈けてきた50〜60代ぐらいのおじさんが、なんとその女性を遮ってその席に座り込んだのです。
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一瞬の出来事でしたが、その女性もビックリしていましたが、僕もビックリしました。

僕がその女性に席を譲ってもよかったのですが、その女性はその後気分を害したのか、電車から出て行ってしまいました。
男性は「やった、座れたぜ」と勝ち誇ったような顔で、悪びれる様子もなく座っていました。

西洋ではまず見かけない光景でしょうし、日本でも以前はそれほど見かけなかったですし、僕であればまず年配であろうが年下であろうが女性とはち合わせたら、まず女性に席を譲ります。

どのような状況においても、優先順位というのは、女・子どもが先だと、僕は思います。

男が我先に飛び出す、女性が目の前で座ろうとしていた席を奪う、などということはまず成熟した社会ではありえないことです。

先の丸ノ内線で我先に乗り込んだおじさんたち、互助の精神のないイベント企画者、女性から席を奪った男性。
最近やたらとそのような日本人男性が増えていると僕は感じています。

いわゆる『民度』が低いのだと思います。
僕がデンマークで暮らしていて感じる日本との大きな違いは、『大人の成熟度』の違いです。
僕の周りにも『大人』として成熟しきれていない成人男性は多いです。本当、情けないです。

みなさんもどうぞお気をつけ下さい。
と言うようなことを読んで「そうそう」と思うあなたも、実は自分では気づかずに情けない言動をしていることもあるかもしれませんよ。
時に自分を、客観的に見つめてみる、そんな訓練も大切です。

西洋人が日本人よりも遥かに成熟しているのは、そのような客観的視点を身につけるためのディベートによる訓練の賜物なのかもしれませんね。

こういう事を書くとなんだか情けない気分になり、周囲の成人した日本人男性がみな情けない大人に見えてくるわけですが、必ずしも今の世はそのような情けない日本人男性ばかりではありません。

昨日の産直販売が終わりかけた頃、販売テントに小学校3〜4年生ぐらいの一人の男の子がやってきました。
その手に40円を握り、「40円で買えるものはありませんか?」と我々に聞いてきます。

その日チンゲンサイが1個30円で売っていましたがそれもすでに売り切れており、そもそも40円で買えるものはそれ以外にはありません。

一通り販売テントを眺めた男の子は、母の日用に販売をしていた400円のカーネーションの鉢植えに目を留めました。
一瞬、400円が40円に見えたのでしょうね。
「はぁ〜、400円かぁ、、、」とつぶやきます。

僕はその時、心の中で「残念だけど40円で買えるものはここにはないよ。」と思いました。
ところが次の瞬間、産直の主催者のNさんが「じゃあこのカーネーション、40円でいいから持っていきな。そのかわりちゃんとお母さんにあげるんだよ。」と言ったのです。

当然仕入れ値からしたら赤字になるわけで、商売としては成り立ちません。
しかし、素敵な判断ですよね。
もちろんみなにみなそれを行ったら商売にもなりませんが、市も終わりかけの頃でしたし、内容もとても素敵なことだと思います。

きっとNさんのその粋な判断を、男の子は40円でカーネーションを買ったその時には、全てはわかっていないと思います。
しかしそのカーネーションを母親にあげた時、母親の言動一つで、その男の子の中に差額の360円以上の価値が生まれるものになると思います。

母親が「40円で買ったなんてラッキーね。もうけたわね。」と言うか、感激して「ありがとう」と言うと共に「40円で特別に売ってくれたおじさんにちゃんと感謝をするんだよ。」などと言えるかで、ひとりの未来の日本人男性の成熟度が変わってくると思います。

でもおそらく、その男の子はカーネーションを手にした時に、大きく元気な声で「ありがとうございました!」とお辞儀をして去っていったので、母親はきっと後者のような言葉をその子に伝えてくれる事でしょう。

今日こうしてこのようなことを書いたのは、何も人に対して「男とはこうあれ!」と言いたいわけではなく、昨日出会った上記の情けない日本人男性たちを非難するつもりで書いたわけでもありません。その年齢でそのような行動をとられていたら、残念ながらもう治し用がないですからね。
自分自身に対して、少しでもよい大人になれるよう、思った事を綴ろうと書いたまでです。
人の振り見て我が振り直せ。自分は情けない大人にならないよう、気をつけたいと思います。
posted by Coyama at 20:23| 思ったこと・感じたこと