2012年05月09日

戸惑いと疑問

(※後日要修正)
数年前のある日、突然全く知らない男性から僕の携帯に電話がかかってきました。

その方の声や話し方から年配の方で、ある協会の関係者だと名乗っていました。

その電話の内容は、次のようなものでした。

その方がある研究機関の報告書が欲しくてその研究機関の事務局へ電話をしたのだが、すでに絶版になっていて入手ができないと言われた。
内容はスウェーデンに関してのある研究資料で、それが自分の研究したい分野の資料のため、どうにかしてその資料を手に入れたい。
そこでその方が所属している協会で以前講演をしたことがある僕であれば、デンマークにも詳しいので、その資料を持っていそうな方を紹介してくれないか、とのこと。
電話番号に関しては、講演の時に配布した別のところで行ったイベントのチラシに載っていたので、それを見つけてかけてみました、と。

その講演をしたのはその時から2年も前のことでしたし、電話をいただいた方も含めてその協会とはその後全く関係を築けませんでしたので、突然そのような内容の電話をいただいて、正直僕は戸惑いました。

僕が戸惑いを感じ、疑問に思ったのは、主に次の3つのことです。
1つは、絶版だからと切り捨てた某研究機関の事務局。
2つは、その電話をかけてきた方が所属する協会組織。
3つは、電話から伝わるその人自身の人柄。

1つ目ですが、問い合わせに対して、“ありません”と切り捨てると言うことに疑問を感じました。
電話のご本人の話を聞くに、自身の研究に使いたいと言うことで、どうしても手に入れたい資料だと伝えたのだそうです。
内容はその研究機関の報告書でしたので、事務局であればパソコンデータで原本も保持していると思います。

しかも研究機関自体が廃止になっているわけでもなく事務局も存在しているのに、資料を求めてきた人に対して、絶版になっているのでどうにもならない、と切り捨てる。
そんなものは研究組織でもなんでもないと、僕は思います。

その研究組織は国からウン億円の助成金を得て進めているプロジェクトでしたが、税金の無駄遣いというのはこのことだと思います。
僕も少しその研究組織に関わっていたこともあるのですが、その研究組織のリーダーの方は素晴らしい方なのですが、事務局などの組織体制はあまりよくないと僕は感じていました。
またよくあることではありますが、そこは言わば関係する大学教授・研究者の個人個人の興味の集合体で、全体としての統一はされていなく、またそれらをまとめる事務局もほとんど機能していませんでした。
それにしても研究者が研究組織の事務局に問い合わせたのに門前払いをくらうだなんて、あまり考えたくないことです。
このようなお金の使い方は、組織としても人としても下の下、です。

しかしそのような個人個人の思いだけで組織が成り立ち運営されているというのは、2つ目にあげた電話をしてきた方が所属する協会組織も同じことです。
全くもってその組織の存在も僕は意味がないものだと思っています。
そこは、あることに対して興味のあるおじ樣方が集まって、知識を共有しよう、という組織。
その組織には、大事な部分が欠けていると僕は感じています。
その足りないものというのは、その組織が、社会のために、人のために、という方向に向かおうとする理念と、若手の育成です。

本来肉体的にも精神的にも成熟した人間であれば、自分のことよりも未来を作る次世代の育成を、となるのではないかと僕は思うのですが、今の日本にはそのような成熟した大人はほとんどいません。
『1年先を見るものは花を育てる。10年先を見るものは木を育てる。100年先を見るものは人を育てる。』という言葉がありますが、今の日本には「花を育てる大人」ばかりです。

その協会組織だけを非難するわけではなく、今の日本にある研究機関や協会組織というのは、それらのほとんどが組織を形成する個々人の自分勝手な思想で運営されていて、世のため人のため未来の子ども達のためという、本来持たなければいけないと思われる大事な要素が欠けていると、僕は自身のこれまでの様々な関わりから感じています。

そして3番目の戸惑いに取りあげた、その電話をかけてきた方に対してですが、そもそもその方が関係している協会組織は僕の知り合いが理事をしていますので、その方の紹介で電話をしてきたということならわかります。しかし内部で情報を求めずいきなり、それも2年前に配られていたイベントのチラシを見つけ出して僕の連絡先を探し電話をして来たということに対して、僕は違和感を覚えました。

そのような資料を探す際に、まずは自身の身近で相談などはしないのでしょうか。少なくともその協会組織内でまず話をしてみたら、僕やもっと適切な方に繋げられる方もいたと思います。
もしくは僕が講演をした時に名刺交換をしていて、その連絡先に連絡をした、ということならわかります。
僕はお会いした方、直接話をした方とは名刺交換をしますし、挨拶やお礼などはきちんとやりとりを行うよう普段から心がけていますので、まず関わった人というのは記録しています。
しかしその方は記録もなにもありませんでした。会場で名刺交換をするなど繋がりが出来ていればその日の問い合わせに関しても違和感がないのですが、記録がないということは話だけを聞いて帰られた、ということでしょう。

もし自身に関係することを互いが少しでも持っているようであれば、その場で少なくとも名刺交換や挨拶はしているのが、研究者や社会人ではないかと、僕は思います。
その方は自身を研究者とおっしゃっていましたが、一度お会いする機会があったのに接触はなく、しかし後になって必要になったから利用をしようとする、僕はそのようなことをする方はたいした研究者ではないと思っています。

そもそも研究というのは、それ自身が個人の趣味であろうが興味であろうが、行く末には世のため人のためということがあり、そこで価値が産まれてくるものだと思っています。

その電話では僕は一応丁寧に対応はしましたが、知らないものは知りませんし、そのような未成熟な大人を助けて自分の時間を浪費するつもりも僕にはありませんので、丁寧に断りました。

ただしその方が資料を欲しいというその研究機関のホームページには、40〜50名近い研究メンバーが記載されています。その中のどなたかへ問い合わせた方がよいのではないでしょうか、と僕としては最も正しいと思えるアドバイスをさせていただきました。
ちなみに僕は関係していませんので当然ながらその名簿に名前は載っていません。

それにしても、まともな大人は今の日本のどこにいるのでしょうか。
posted by Coyama at 22:46| 思ったこと・感じたこと