2012年05月07日

1600年代 − スウェーデンの王権争い −

ここでこの頃にスウェーデンで起こった王位継承権の権争いについて述べたいと思います。

1520年の『ストックホルムの血浴』事件にはじまるスウェーデンの独立運動で王位に就いたグスタフ・ヴァーサ王は1560年に亡くなります。その後彼の息子であるエリク14世王が即位します。このグスタフ・ヴァーサ王の血筋はヴァーサ朝と呼ばれていますが、このヴァーサ朝の血縁は後にバルト海での惨劇に繋がっていくことになります。

このスウェーデンのヴァーサ朝第三代のヨハン3世王は、ポーランド=リトアニア連合国に要請され、彼の息子のシギスムンド王子をポーランド=リトアニア連合国の王として送り出しました。しかし1592年にヨハン3世王が亡くなると、シギスムンド王はポーランド王を兼ねたままスウェーデンの王にも即位することになりスウェーデンへ帰国します。

この時、先の三十年戦争にあるようにスウェーデンではプロテスタント教が信仰されていたのですが、ポーランドではカトリック教が信仰されており、すでにプロテスタントからカトリックに改宗していたシギスムンド王はスウェーデンをカトリックへと改宗しようとしました。
このことにスウェーデンのプロテスタント信仰の貴族たちは反発し、シギスムンド王がポーランドに戻った留守を狙い、彼の叔父でありヨハン3世王の弟であるカール王子を立てて反乱を起こし、スウェーデンにおけるシギスムンド王の王位を剥奪し、カール王子を1598年にスウェーデン王に即位させます。

当然ながらシギスムンドはポーランド軍を率いて討伐に出るのですが敗退し、以降スウェーデンとポーランドの両国は膠着状態に入ります。

それから半世紀が過ぎた1654年、クリスティーナ女王が王位をカール10世王に譲ったことでそれまでスウェーデンの王朝を担ってきたヴァーサ朝の直系の血族が途絶えます。
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△ ヴァーサ朝の家系図

この時、シギスムンド王の血を引くポーランドの王がスウェーデンの王位継承権を主張するのですが、ちょうどその頃、ロシアがポーランドへの侵攻をはじめます。スウェーデンはこれに乗じ、王位継承権を破棄させることを目的にポーランドへ侵攻します。そしてロシアとスウェーデンに攻められたポーランドは敗退し、ポーランドの地はスウェーデンとロシアがそれぞれ分け合って占領することになります。

しかし、その後ポーランドはロシアと手を結び、一方でスウェーデンはブランデンブルグ=プロイセン(ドイツ北東部)と同盟し、1656年のワルシャワの戦いでスウェーデン軍はポーランド・ロシア連合軍を撃退します。これによりスウェーデンはポーランドによるスウェーデン王朝への王位継承権を破棄させることに成功しましました。
posted by Coyama at 22:05| コペンハーゲンの都市史