2012年05月06日

国の違い、人の違い、考え方の違い

デンマークで語学学校にいた頃、授業で「高齢者介護について」というディベート課題が出されました。
その授業の間に、グループでそのテーマをもとにデンマーク語でディベートをするというものです。

僕のグループは日本人の僕、カメルーン人のデリック、ドイツ人のアンドレアスとフランス人のアンジーの4人でした。

まず最初に口火を切ったのはデリックで、彼の主張は「俺はデンマークの高齢者介護のやり方を理解出来ない。親の面倒というものは子どもが見るもの。子どもがいなければ親族が、親族がいなければ近所の人が介護するものだ。」というものでした。

それに対してアンドレアスが「何を言ってるんだ。子どもたちにだって自分たちの生活がある。親の面倒まで見ていられない。」と返します。

それに反論するデリックに対し、今度はアンジーが「私たちはそのために高い税金を国に納めている。それに自分たちの仕事があり、そして子育てもある。とても親の面倒まで見ている時間などない。親は親、子どもは子どもよ。成人したらそれぞれ一人の大人。自分の事は自分でどうにかするべきよ」と反論しました。

デリックの考えはアフリカを代表しているようなものであり、一方でアンドレアスとアンジーの考えは非常にヨーロッパ的なものだと思います。
そして両方の主張は、当然ながら折り合いなどつくものではありませんでした。

そんな議論の中での僕の立ち位置や意見はと言うと、それぞれの意見を聞き、なんとか折り合い点を見つけられないだろうか、というものでした。
デリックには「うんうん、わかるよ。でもね、アンドレアスやアンジーたちが言っているのはこうこうこういうことで、それも一理あると思うんだよ。」と言い、アンドレアスやアンジーには「気持ちはわかるけど、制度でなく人間の気持ちや親子の繋がりってものもあるじゃない。決して全員が全員そうする必要はないけど、デリックの言っている事も人間としては正しいと思うよ。」などと返します。

そんなやりとりがされてディベートは終了。その後グループごとにどのような議論がなされたのかの発表がありました。

多くのグループで、僕らのグループと同じような議論になったそうです。

特に多くのアフリカの人たちは「話にならない!」と憤慨していました。
僕のグループには僕がいたので間を繋いでいた人間がいたわけですが、他のグループなどではアフリカ思考対ヨーロッパ思考の直接衝突で早々に議論が打ち切られたところも多かったようです。

しかし僕のグループはたった4人でのディベートでしたが、そこにアフリカ・ヨーロッパ・日本(アジア)のそれぞれの地域性を見る事の出来た面白い議論でした。

家族や人の結びつきを大切にするアフリカ民族、個人を大事にするヨーロッパ民族、そしてどっちにもつかずの折衷論を模索する日本人。
誰が正しいとは言えないと思いますが、僕は個人的にはアフリカ民族の思考が好きです。
しかし文明的にはヨーロッパ民族の思考でないと、今の時代、社会システム自体が回っていかないと思っています。そしてそんな僕自身が親の介護について考える時には、おそらくヨーロッパ的な言動になってしまうと思っています。気持ちではアフリカ的な思いでいても、です。

難しい問題です。あれから10年が経とうとしていますが、未だに正しいと思える解を見つけられずにいます。

でも一番大事な事は、「これが正しい」と決める事ではなく、一つの物事に対してたくさんの見方や考え方がある。それらを認めた上で、様々な角度から、問題に対して深く考えることだと、その時の経験から今の僕は思っています。
そして様々なことにおいて、最終的な決断によって除かれてしまった反対意見側に対しても、それを社会からもみ消してしまうのではなく何らかのサポートを用意できるような、そういった仕組みづくりや考えが大事なのではないかと、僕は上記のような経験から思っているのです。
posted by Coyama at 21:38| 思ったこと・感じたこと