2012年05月04日

どうでもいいニュースとどうでもよくないニュース

(※後日要修正)
どうでもいい話なのかもしれませんが、世の中にはどうでもいいニュースが溢れているような気がしてなりません。
昔からそうなのか、今の時代が特にそうなのかはわかりません。昔からそうだったような気もしなくはないです。

例えばどういうニュースかというと、最近で言えば俳優が二股をかけていたというニュース。
どうでもいいじゃないか、と多くの人も思っているのだと思います。
そして本当にどうでもいいニュースです。
だからどうでもいい扱いをすればいいのに、なぜかそれが大々的に取り上げられてさも大ニュースのように取り上げる多くの報道局がある。
取り上げるだけならまだしも、それに対しての街頭インタビューなどを行って、それを報道する。

「えぇ、二股だなんて信じられないです。」的な発言以外の何を求めてインタビューをしているのでしょうか。

そういった低俗なニュースを見たり読みたがる視聴者がいるから報道側もそのようなニュース番組や雑誌を制作するのか。
もしくは庶民はこういったニュースが好きだと勘違いをしている制作側が勝手に作っているのか。
とにもかくにも面白おかしく芸能ニュースを作り上げていこうとしているその感覚が僕には理解出来ません。

もちろんマスコミ批判や報道批判を全体に対してするつもりはありません。中にはまともで真摯な報道もあります。
高速バスの問題や液状化の問題に対して内容を掘り下げて行く報道は、現状もわかってくるし勉強にもなります。

ただ不思議に思うのは、その事をテレビなどではスタジオで「へ〜」「ほ〜」言っているコメンテーターと名乗る人たちの存在です。
彼ら彼女らは一体何者なのでしょうか、なぜそこでコメントしているのか不思議に思えるような人も少なくありません。

それと暴走車による事故や高速バスの事故など社会的な事件が起こると決まってどこそこの大学の教授准教授にインタビューをし、専門的な意見を求めて、それが報道されます。
そもそもそういう人たちを最初からスタジオのコメンテーターとして座ってもらえばよいのに、と思います。
教授准教授の彼ら彼女らにとってもいい勉強になるだろうし、見ているこっちもいい勉強になる。
いい意見をすれば、視聴側は偉い方だなと尊敬するし、大学の株も上がるでしょう。
逆に情けない意見しかできなければ、大学のレベルが下がる事になる。
それを恐れて大学側が外にださないとしたら、それこそ情けない事です。三流の人間しか抱えられない三流の大学、ということになる。

でもきっとそれはこの先もできないことだろうな、ということを、僕らは福島第一原発事故の時の報道で知ってしまっているわけです。
事故当時、本当に様々な大学の教授准教授そして学会から邪見にされ干された“助教”という肩書きの人たちがスタジオに呼ばれて意見を述べていました。
他の人たちがどう思ったのかはわかりませんが、僕はあれを見て、日本の教授准教授なんていうのもこのレベルなんだな、と情けなく感じた覚えがあります。
確かに専門知識はあるのかもしれませんが、詳しいのは専門の部分だけでそれ以外のことへの対応に知性が感じられなかったのが正直な思いです。それ以外の事というのは、何も芸能人の二股ニュースに対してなどのどうでもいい話などに対してではなくて、原発については詳しいかもしれませんが、それでは避難地域のこと、地域住民の生活のことなど、専門的なことではなくても人間的な発言や考えが、彼ら彼女らに出来ていたかということです。

もともと博士などは言葉は悪いですが“専門バカ”がなるものだと昔から相場が決まっていますが、教授となるとそれは研究者でありながら教育者でもなければならない、と僕は思っています。
そして人を教え導くということには知識だけではなく人格が要求されると僕は思います。今の大学の教授准教授たちにそれがあるかといったら、ない人の方が多い。
もちろん知識も人格も優れた人もたくさんいます。
しかし今の日本には約700校もの大学があって、そこにそれぞれ教授准教授助教講師といった人たちがそれこそ数えきれないくらいぶら下がっている。分母が大きな分、優れた人がまれに見えてしまう事が残念です。

哀しいのはそんな教授准教授助教講師たちに教わざるを得ない若者たちです、と言っていたらきりがないのでこの話はこれでやめます。

とりあえず冒頭の話に戻るとして、世の中にはどうでもいいニュースをどうでもいい放送局が取り上げて報道し、どうでもいいコメンテーターが意見を述べているのを、どうでもいい視聴者が見てそれを「知識」だと思い込んでいる。
もちろんそうでもない人たちもたくさんいるわけだから、結局のところそんなことは「どうでもいい」ことなのだが、それでも今の世を生きる大人の一人としては「どうでもいい」と見て見ぬ振りをしていてもいけないと感じるわけです。

最近では池上彰さんの番組が人気があります。それらは上記のどうでもいい報道とは正反対の番組だと思います。
ただし視聴者だって、どこもかしこも池上彰さんばかりだと飽きてくる。池上彰さんだって本人が報道を独り占めしようなんて思っていないでしょうが、第二第三の池上彰さんがいないから結果としてチャンネルを変えてもどこもかしこも池上彰さんになっている現状がある。
きっと日本の大学の中や社会の中には、第二第三の池上彰さんのような知識人格者も、数人だけどいると思います。というか実際に「世界一受けたい授業」だなんだでは出てきているわけです。
その人たちがもっと池上彰さんのように出てきてくれれば報道も変わり国民も変わって行くと思うのですが、大学組織や日本の社会の中にいるとそうも出来ないのでしょう。

こうして今週末も「サンデージャポン」や「アッコにおまかせ」といった番組では確実に高速バスのニュースに始まり俳優の二股ニュースを取り上げ、会場の芸人コメンテーターたちがやいのやいのと言いながら、それを楽しむ日本国民がテレビの前にいるのでしょう。

内容もテレビ番組もコメンテーターも視聴者も、どうでもいいと言えばどうでもいいことです。

二股三股をかける美男子なんて日本には昔からいたわけです。
それを今の世の中「光源氏」が「光GENJI」だけになってしまっていることに問題があるのではないでしょうか。
なにも「光GENJI」を非難しているわけではなく、「光源氏」も「光GENJI」も両方知識として持っていればいいのですが、「光源氏」を知らず「光GENJI」だけしか知識がない、ということなのかなと僕は思うのです。それが思い過ごしであればそれでよいのですが。
だから昔も今も二股だなんだということにギャーギャー騒ぐ必要もなく、そんなに大げさにニュースで扱わなくたっていいだろうに、と僕は思うわけです。

そんな時間があるのであれば、もっと高速バスのニュースを掘り下げてほしいと思います。
こちらはどうでもいいことではなく、亡くなられた方々やそのご遺族の方々にはお悔やみの言葉しか述べられませんが、決してこのまま「事故」で済ませてしまってはいけない出来事だと僕は思っています。
そして運転手が悪い、バス会社が悪い、企画ツアー会社が悪い、で済む話でもない。
掘り下げれば掘り下げる程、“社会が悪い”“その社会を作ってしまった・作っている自分たちが悪い”ということが見えてくると思います。
残念ながら起きてしまったことは仕方がないことです。しかしそれを教訓に次に活かさなければ、次に起こることは仕方が無いでは済まされず、それは今を生きている私たちの責任になります。
そもそも過去にも福知山線の事故など、種は異なれど背景は似ている事故はたくさん起きているのに、人々はそれを繰り返しています。

どうでもいいニュースや報道番組やコメンテーターはもうどうでもいいから、きちんとしたニュースや報道やコメンテーターをきちんと人々に届けてくれるような、そんな社会になって欲しいと願っていますし、願うだけではなく自身でも出来る事はしていこうと僕は常に心がけていたいと思います。
でもそういった僕の意見も、きっと「どうでもいい」と思われる人が多いのでしょう。
ただひとつ言っておきたいのは『明日は我が身』だということです。そう思っているあなたの身にも、あなたの家族や友人や大切な人の身にも、降りかかる可能性はゼロではありません。

それでも「どうでもいいこと」と言うのであればそれでよしです。その人をどうこうする時間や労力があったら、僕は僕が出来る事のほうに力を注ぎたいと思います。

最後になりましたが、今回の高速バスの事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、怪我をされた方々の少しでも早いご回復をお祈り申し上げます。
posted by Coyama at 22:08| 思ったこと・感じたこと