2012年05月02日

1600年代 − 建築王・クリスチャン4世の都市計画 −

1588年に11歳で王位に就いたクリスチャン4世王ですが、最初の7年間は貴族によりデンマークの摂政が行われ、その間にクリスチャン4世王はデンマーク語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、神学、宗教、数学、製図、物理学、歴史、地理学、スポーツなどの英才教育を受けていました。特に芸術に対する興味は高かったと言われています。
050201.jpg
△ 1588年のクリスチャン4世の即位式のパレード様子。白馬にまたがっているのが若きクリスチャン4世王

18歳になるとクリスチャン4世王はコペンハーゲンにいくつもの壮大で価値のある建物を計画します。これらはネーデルランド(オランダ)のルネッサンス芸術から学んで作ったといわれています。ローゼン宮殿やボーセン(証券取引所)、ランドタワーなどのコペンハーゲンに現存する建物はこの時代にクリスチャン4世王が計画したものであり、他にもシェラン島北部のヒレルゥド(Hillelød)にあるフレデリクス宮殿やユラン北部のオールボーにある石の家も彼のデザインによるものと言われています。
050202.jpg
△ 現在のボーセン

050204.jpg
△ 現在のローゼン宮殿

050206.JPG
△ 現在のランドタワー

050207.JPG
△ 現在の石の家

050205.JPG
△ 現在のフレデリクス宮殿

さらにクリスチャン4世王の作り出した建築の潮流は街の建物の手本となり、アマー広場にあるアパートなどもこの時期にクリスチャン4世王のデザインを真似て建てられたものと言われています。
050208.JPG
△ アマー広場ある1616年に建設されたアパート。現在はロイヤルコペンハーゲン(陶磁器メーカー)の店舗として利用されている。

050203.JPG
△ ニューハウンの住宅。右側の青い色の建物は1681年に建設されたもの

またクリスチャン4世王はコペンハーゲンにおいて、後世までコペンハーゲンを特徴付ける都市の最大の特徴に着手します。それは中世コペンハーゲンを取り囲む防壁です。クリスチャン4世王の統治時代(1588〜1648年)に作られたこの防壁(第二期城壁)は以後のコペンハーゲンの都市形成の決め手となり、現在に至る街の骨格を作りました。コペンハーゲンの街の北に現存するカステレット[Kastellet](五稜郭の意)は当時の防壁の様子を今に残しています。
050213.JPG
△ 現在のカステレット(五稜郭)の防壁

さらにクリスチャン4世王は政治的な建物だけではなく、市街地北部にニュボダー[Nyboder](新住居という意)と呼ばれる海軍の家族のための集合住宅を作りました。この建物は設立して350年以上経った現在も集合住宅として利用されています。
ニュボダーの集合住宅はそれまでの初期防壁内での込み入った都市計画からの脱却でした。住宅の規模、建物の長さ、直線道路に沿ったシンプルで機能的な配置計画は、住宅と芸術としての両方の価値を有していました。「キャベツ畑」と呼ばれるこの住宅ブロックの配置は、空気、交通、光の分配、音環境などの住宅問題を考慮しており、それ以降の多くの住宅の計画のモデルとして提供されています。このニュボダー計画は1631年に始まり、クリスチャン4世王が亡くなった1648年には約600戸が建設されていました。

現在この地域を特徴づけている2棟型の建物は1758年に建築家・フィリップ・デ・ランゲ(Philip de Lange)によって改築されたものですが、オリジナルの一棟型ユニットタイプも現存しています。1900年頃、この地域の再開発計画が持ち上がりましたが経済的な問題でそれらは中止となりました。そしてこのニュボダー地域は現在でも非常に人気の高い住居地域として利用されています。
050210.jpg
△ 初期のニュボダー集合住宅の図面と配置図

050209.JPG
△ 現在のニュボダー地域の集合住宅

1618年には独立した街としてコペンハーゲンの対岸にクリスチャンスハウン地域[Christianshavn](クリスチャンの港)が建設されますが、1674年にはコペンハーゲンに吸収統合されます。このクリスチャンスハウンはイタリアの典型的な都市計画の専門家として雇われたオランダ人の要塞技師・ヨハン・センプ(Johan Semp)によって計画されました。
050211.jpg
△ 1650年頃のコペンハーゲン 1) ブレマーホルム(Bremerholm) 2) スロットスホルメン(Slotsholmen) 3) カステレット(Kastellet) 4) トルドボデン(Toldboden) 5) クリスチャンスハウン

050212.jpg
△ 1620年のクリスチャンスハウンのプラン

さらにクリスチャン4世王は現在のデンマーク王立図書館のある地に海軍港を設立し、この周囲に貯蔵庫や兵器庫を作り、海の兵器の集積と呼ばれる総合海軍要塞を作り上げました。
この時、ランドマークとして海軍港の入り口の浅瀬に彫像の乗った塔が建てられました。この彫像は一説にはギリシャ神話の「レーダと白鳥」をモチーフにしたものといわれていますが、その真偽は現在もわかっていません。この像は現在の王立図書館新館(通称ブラックダイアモンド)のあたりに位置していましたが、1807年のイギリス軍による砲撃以来、地図上からその姿を消しています。
050214.jpg
△ 1750年頃のコペンハーゲン。アマー方面から市街地を望む

こうした建築王・クリスチャン4世王による都市計画により17世紀の終わりにはコペンハーゲンの街は巨大要塞と化していましたが、一方で多額な建設費用と度重なる戦争により国の財政はかなり圧迫されていました。
posted by Coyama at 13:16| コペンハーゲンの都市史