2012年05月01日

1500年代 − 王都・コペンハーゲンの誕生

1513年にハンス王が亡くなり、彼の息子であるクリスチャン2世王がデンマークとノルウェーの王位を引き継ぎます。そして1520年にクリスチャン2世王は再びスウェーデンの王位を奪い取るのですが、この時クリスチャン2世王はスウェーデンの支配を強化すべく、ストックホルムにおいて権力をもつスウェーデンの貴族を大量惨殺する「ストックホルムの血浴」事件を起こします。

この事件がきっかけとなり、翌1521年にスウェーデンは反乱を起こしクリスチャン2世王は王位を剥奪され、スウェーデンはカルマル同盟を破棄してデンマークと敵対関係になります。
その後もクリスチャン2世王の悪政は続いたため、1523年にハンス王の弟で当時スレスヴィグ=ホルステン公国の君主であったフレデリック王子が、甥であるクリスチャン2世王から権力を奪って彼を追放し、フレデリック1世王としてデンマーク=ノルウェー王国の王位に就きます。

1530年、ドイツでの影響によりデンマークでもカトリック教会とプロテスタントとの間の対立が深まっていきます。1533年にフレデリック1世王が死去しますが、この時デンマーク参事会は後継の王の選出に難儀し決められずにいました。
そこでフレデリック1世王の息子でありスレスヴィグ=ホルステン公国の貴族であった“オルデンブルグのクリストファー伯爵”がリューベック軍の力を借りてコペンハーゲンを攻めて王位を奪還し、1534年にクリスチャン3世王としてデンマーク=ノルウェー王国の王として即位しました。

この時、クリスチャン3世王の就任と同時にプロテスタント信仰がデンマークに持ち込まれます。そして1536年の宗教改革により、国は教会から財産と教区の管理の権限を取り上げました。
これにより王族の拠点となっていた東海峡沿いの小さなコペンハーゲンの町は、事実上当時のデンマーク=ノルウェー王国(現在のデンマーク王国とスコーネ地域(スウェーデン南部)とノルウェー王国とその属領(フェロー諸島、アイスランド、グリーンランド))の首都(王都)となりました。
ちなみに当時のコペンハーゲンはスウェーデン南部のScania、Halland、Blekingeの地を所有しており、デンマークの中央部に位置していました。

この当時のコペンハーゲンの規模は、教会を中心に築かれていたマルメやネステヴェド、オーデンセ、ヴィボーよりも小さかったため、アブサロンの時代より築かれたコペンハーゲン城を中心とした街の骨格は、王政中心の新しい都市を築くには適していたのかもしれません。

そして1559年にクリスチャン3世王が亡くなり彼の息子であるフレデリック2世王が王位を継ぐと、フレデリック2世王はルネッサンス文化を街の中に持ち込みました。
さらに1574年からはクロンボー城の再建にとりかかり、1585年に現在の形が完成しました。
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△ 現在のクロンボー城

1581年からはクリストファ・ヴァルケンドルフ(Christoffer Valkendorf)市長の指揮の下、コペンハーゲンにおける大規模建物の計画が始まります。

1588年にクリストファ2世王が亡くなると、当時11歳であった息子のクリスチャン4世が王位に就きます。
そしてここから、コペンハーゲンの急成長が始まるのです。
posted by Coyama at 21:12| コペンハーゲンの都市史