2012年05月11日

六つの精進

先日電車での移動の車中で、京セラの創業者である稲森和夫さんの「生き方」という本を読んだのですが、こんな言葉がありメモに停めました。
それらは稲森さんがご自身の経験から教訓にしていることなのだそうで、「六つの精進」というものです。

1.誰にも負けない努力をする

人よりも多く研鑽する。また、それをひたむきに継続すること。不平不満をいうひまがあったら、1センチでも前へ進み、向上するように努める。


2.謙虚にして驕らず
「謙は益を受く」とう中国古典の1節のとおり、謙虚な心が幸福を呼び、魂を浄化させることにもつながっていく。


3.反省ある日々を送る
日々の自分の行動や心のありようを点検して、自分のことだけを考えていないか、卑怯な振る舞いはないかなど、自省自戒して、改めるよう努める。


4.生きていることに感謝する
生きているだけで幸せと考えて、どんな小さなことにも感謝する心を育てる。


5.善行、利他行を積む
「積善の家に余慶あり」。善を行い、他を利する、思いやりのある言動を心がける。そのような善行を積んだ人にはよい報いがある。


6.感性的な悩みをしない
いつまでも不平をいったり、してもしかたのない心配にとらわれたり、くよくよと悩んでいてはいけない。そのためにも、後悔をしないくらい、全身全霊を傾けて取り組むことが大切である。


これを読んで勉強になったと共に、僕自身が日々考えていることと同じだなと思い嬉しく感じたのと、このような本を買えて、読むことのできる時間があることを、最近は幸せに感じています。
お金がなくて本が買えない、忙しすぎて本を読む時間がない、という人たちは世の中にたくさんいます。
その人たちに比べたら、今の自分が持っているものは、すごく贅沢なことだと思っています。
それをどこの何に対して感謝をすればよいのか矛先はわからないのですが、とにかく目には見えない“何か”に対して、僕は日々感謝をしているのです。
posted by Coyama at 18:15| 思ったこと・感じたこと

2012年05月10日

ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレート

日本人の多くが『デンマーク』と聞いて思い浮かぶもののひとつに陶磁器「ロイヤルコペンハーゲン(ROYAL COPENHAGEN)」があります。
中でも毎年クリスマスに発売されている有名なイヤープレートは人気も高く、「あたしの生まれた年のお皿が欲しいわ♪」と望まれる方も多いと思います。
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△ イヤープレート

僕も自分の生まれ年のイヤープレートを持っているのですが、実はこのイヤープレート、2種類あるというのは御存知でしょうか?
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△ 1976年のイヤープレート

このイヤープレートですが、デンマークでは「ROYAL COPENHAGEN」社と「B&G(BING & GRONDAHL)」社という2つの陶磁器会社が毎年それぞれのイヤープレートを販売していました。

そもそもこのイヤープレートを始めたのは「B&G」社が先で、その人気を見て「ROYAL COPENHAGEN」社は後からそのアイデアを真似ました。
こう書くと「ROYAL COPENHAGEN」社が悪者のように思われそうですが、実はお互い様で、「B&G」社が「ROYAL COPENHAGEN」社に匹敵するまでの技術を持ち得たのは、設立当時に多額の金銭を使い「ROYAL COPENHAGEN」社から腕のいい職人をごっそり引き抜いたからなのです。
そのようなこもとあり、この2社は常にライバル関係にありました。

しかしそのような骨肉の争いも国際化の波には勝てず、国外シェアをいち早く獲得した「ROYAL COPENHAGEN」社が1987年に「B&G」社を買収し、積年の戦いに幕を下ろしました。

合併後「B&G」社の多くの人気商品が「ROYAL COPENHAGEN」社のブランドになる中で、国の内外を問わず特に人気の高い商品であったこのイヤープレートだけは「ROYAL COPENHAGEN」一社に統合されることはなく、「ROYAL COPENHAGEN」社の製品と、「ROYAL COPENHAGEN」社の「B&G」ブランドの製品として、今でも毎年2種類発売されています。
それらはプレート裏面の刻印で知ることが出来ます。
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△ これが「ROYAL COPENHAGEN」社製

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△ こっちが「B&G」社製

ちなみに「ROYAL COPENHAGEN」の社印である王冠の下の3本の青い波線。
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これはデンマークを分断する3つの海峡を表しています。
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△デンマークの3海峡
 
そのようなことで、もしみなさんがこの「イヤープレート」を求めるのであれば、「ROYAL COPENHAGEN」社だけではなく「B&G」社のものと2種類揃えることをオススメします。

しかし、実は「イヤープレート」は『クリスマスプレート』だけではなく、もうひとつの「イヤープレート」が毎年発売されています。
それは『マザーズデイプレート』。つまり母の日のお皿、です。
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△ 1976年の母の日のお皿

クリスマスプレートよりはひとまわり小さく、表面に「Mors Dag(母の日)」と書かれています。
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△ たまに僕はこのお皿たちでご飯を食べています(嘘)
 
この「母の日のお皿」も、「ROYAL COPENHAGEN」社と「B&G」社の2社が毎年販売をしており、統合された現在でもなお2種類のものが毎年発売されています。

もうすぐ「母の日」です。みなさまもお母様へのプレゼントにこの「母の日のお皿」など選ばれてみてはいかがでしょうか。

ちなみに「父の日のお皿」は発売してなく、今後も発売予定はないそうです。
悲しいね、父さん。
posted by Coyama at 18:55| デンマークのこと

2012年05月09日

戸惑いと疑問

(※後日要修正)
数年前のある日、突然全く知らない男性から僕の携帯に電話がかかってきました。

その方の声や話し方から年配の方で、ある協会の関係者だと名乗っていました。

その電話の内容は、次のようなものでした。

その方がある研究機関の報告書が欲しくてその研究機関の事務局へ電話をしたのだが、すでに絶版になっていて入手ができないと言われた。
内容はスウェーデンに関してのある研究資料で、それが自分の研究したい分野の資料のため、どうにかしてその資料を手に入れたい。
そこでその方が所属している協会で以前講演をしたことがある僕であれば、デンマークにも詳しいので、その資料を持っていそうな方を紹介してくれないか、とのこと。
電話番号に関しては、講演の時に配布した別のところで行ったイベントのチラシに載っていたので、それを見つけてかけてみました、と。

その講演をしたのはその時から2年も前のことでしたし、電話をいただいた方も含めてその協会とはその後全く関係を築けませんでしたので、突然そのような内容の電話をいただいて、正直僕は戸惑いました。

僕が戸惑いを感じ、疑問に思ったのは、主に次の3つのことです。
1つは、絶版だからと切り捨てた某研究機関の事務局。
2つは、その電話をかけてきた方が所属する協会組織。
3つは、電話から伝わるその人自身の人柄。

1つ目ですが、問い合わせに対して、“ありません”と切り捨てると言うことに疑問を感じました。
電話のご本人の話を聞くに、自身の研究に使いたいと言うことで、どうしても手に入れたい資料だと伝えたのだそうです。
内容はその研究機関の報告書でしたので、事務局であればパソコンデータで原本も保持していると思います。

しかも研究機関自体が廃止になっているわけでもなく事務局も存在しているのに、資料を求めてきた人に対して、絶版になっているのでどうにもならない、と切り捨てる。
そんなものは研究組織でもなんでもないと、僕は思います。

その研究組織は国からウン億円の助成金を得て進めているプロジェクトでしたが、税金の無駄遣いというのはこのことだと思います。
僕も少しその研究組織に関わっていたこともあるのですが、その研究組織のリーダーの方は素晴らしい方なのですが、事務局などの組織体制はあまりよくないと僕は感じていました。
またよくあることではありますが、そこは言わば関係する大学教授・研究者の個人個人の興味の集合体で、全体としての統一はされていなく、またそれらをまとめる事務局もほとんど機能していませんでした。
それにしても研究者が研究組織の事務局に問い合わせたのに門前払いをくらうだなんて、あまり考えたくないことです。
このようなお金の使い方は、組織としても人としても下の下、です。

しかしそのような個人個人の思いだけで組織が成り立ち運営されているというのは、2つ目にあげた電話をしてきた方が所属する協会組織も同じことです。
全くもってその組織の存在も僕は意味がないものだと思っています。
そこは、あることに対して興味のあるおじ樣方が集まって、知識を共有しよう、という組織。
その組織には、大事な部分が欠けていると僕は感じています。
その足りないものというのは、その組織が、社会のために、人のために、という方向に向かおうとする理念と、若手の育成です。

本来肉体的にも精神的にも成熟した人間であれば、自分のことよりも未来を作る次世代の育成を、となるのではないかと僕は思うのですが、今の日本にはそのような成熟した大人はほとんどいません。
『1年先を見るものは花を育てる。10年先を見るものは木を育てる。100年先を見るものは人を育てる。』という言葉がありますが、今の日本には「花を育てる大人」ばかりです。

その協会組織だけを非難するわけではなく、今の日本にある研究機関や協会組織というのは、それらのほとんどが組織を形成する個々人の自分勝手な思想で運営されていて、世のため人のため未来の子ども達のためという、本来持たなければいけないと思われる大事な要素が欠けていると、僕は自身のこれまでの様々な関わりから感じています。

そして3番目の戸惑いに取りあげた、その電話をかけてきた方に対してですが、そもそもその方が関係している協会組織は僕の知り合いが理事をしていますので、その方の紹介で電話をしてきたということならわかります。しかし内部で情報を求めずいきなり、それも2年前に配られていたイベントのチラシを見つけ出して僕の連絡先を探し電話をして来たということに対して、僕は違和感を覚えました。

そのような資料を探す際に、まずは自身の身近で相談などはしないのでしょうか。少なくともその協会組織内でまず話をしてみたら、僕やもっと適切な方に繋げられる方もいたと思います。
もしくは僕が講演をした時に名刺交換をしていて、その連絡先に連絡をした、ということならわかります。
僕はお会いした方、直接話をした方とは名刺交換をしますし、挨拶やお礼などはきちんとやりとりを行うよう普段から心がけていますので、まず関わった人というのは記録しています。
しかしその方は記録もなにもありませんでした。会場で名刺交換をするなど繋がりが出来ていればその日の問い合わせに関しても違和感がないのですが、記録がないということは話だけを聞いて帰られた、ということでしょう。

もし自身に関係することを互いが少しでも持っているようであれば、その場で少なくとも名刺交換や挨拶はしているのが、研究者や社会人ではないかと、僕は思います。
その方は自身を研究者とおっしゃっていましたが、一度お会いする機会があったのに接触はなく、しかし後になって必要になったから利用をしようとする、僕はそのようなことをする方はたいした研究者ではないと思っています。

そもそも研究というのは、それ自身が個人の趣味であろうが興味であろうが、行く末には世のため人のためということがあり、そこで価値が産まれてくるものだと思っています。

その電話では僕は一応丁寧に対応はしましたが、知らないものは知りませんし、そのような未成熟な大人を助けて自分の時間を浪費するつもりも僕にはありませんので、丁寧に断りました。

ただしその方が資料を欲しいというその研究機関のホームページには、40〜50名近い研究メンバーが記載されています。その中のどなたかへ問い合わせた方がよいのではないでしょうか、と僕としては最も正しいと思えるアドバイスをさせていただきました。
ちなみに僕は関係していませんので当然ながらその名簿に名前は載っていません。

それにしても、まともな大人は今の日本のどこにいるのでしょうか。
posted by Coyama at 22:46| 思ったこと・感じたこと

2012年05月08日

「グリーンランド」の国名の由来

世界最大の島・グリーンランド。
その大地の約8割は氷で覆われ、北極圏に位置しているこの島が、なぜ「グリーンランド(緑の国)」と名付けられているのか、みなさんは御存知ですか?
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この「グリーンランド」の名付け親は、この大陸の発見者でもあるErik the Red(以下エリック)という10世紀のスカンジナビアの人物です。
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△ Erik the Redの碑

アイスランドの農民でありバイキングの末裔だったといわれるエリックは、ある日殺人の罪に問われ、その刑罰としてアイスランドよりも西にあるという大地の探索を命じられました。
当時ヨーロッパからアイスランドに来る船が西に流された時に、その大地を見たと言う噂があったのです。

そしてエリックは982年に出発してこのグリーンランドの地に辿り着き、3年間ほど探索を進めました。
そして3年後、アイスランドに戻り刑を果たしたエリックは、発見したグリーンランドの地に新たに領土を築くべく、彼と共に移住する民を募集します。
この時、少しでもその印象を良くするために、この地を「グリーンランド/Greenland(緑の国)」と名づけたのがこの国の名前の由来とされています。
もちろん実際に彼らが移住したグリーンランドの南部には緑の大地が広がっていますので、そのキャッチコピーは嘘というわけではありません。
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△ 緑の大地

こうしてエリックの一行は985年にグリーンランドの南にある現在のQassiarsuk(カシアースク)の地に辿り着き、そこを"Brattahild"と名付け定住しました。
ちなみにこの時にアイスランドを出発した25隻の船は、到着時には14隻にまで減っていたという厳しい航海でした。
現在、Qassiarsuk(カシアースク)の村の外れには"Brattahild"の跡地が残っています。
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△ "Brattahild"の跡地

そして1961年には当時の暮らしを再現した“Erikの農場”と“Thjodhildur教会”が建てられ、今では多くの観光客がその地を訪れています。
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△ “Erikの農場”と“Thjodhildur教会”

このエリック一族の移住以前にもグリーンランドの地には先住民族(イヌイット)がいました。
彼らは彼らの言語で、独自のこの国の名「カラリット ヌナット(KALAALLIT NUNAAT)」を持っていました。

しかし1261年にこのスカンジナビアの居留地となったグリーンランド/カラリット ヌナットの地は正式にノルウェーの領土となりグリーンランドと呼ばれるようになります。
そして1397年にノルウェーがデンマークを中心とするスカンジナビア連合に加盟したことで、グリーンランドの領土はデンマークを中心とするスカンジナビア連合が所有する事となります。
その後それぞれの国が分裂していきやがて現在の国境になっていくわけですが、それでもグリーンランドの地はデンマークが所有し続け現在に至っています。

そして「グリーンランド」という土地の名もそのまま後世に受け継がれ、現在に至っているわけです。

アイスランド(氷の国)より北にあるのにグリーンランド(緑の国)と言われる背景には、このような歴史が存在しているのです。
posted by Coyama at 22:27| グリーンランドのこと

2012年05月07日

1600年代 − スウェーデンの王権争い −

ここでこの頃にスウェーデンで起こった王位継承権の権争いについて述べたいと思います。

1520年の『ストックホルムの血浴』事件にはじまるスウェーデンの独立運動で王位に就いたグスタフ・ヴァーサ王は1560年に亡くなります。その後彼の息子であるエリク14世王が即位します。このグスタフ・ヴァーサ王の血筋はヴァーサ朝と呼ばれていますが、このヴァーサ朝の血縁は後にバルト海での惨劇に繋がっていくことになります。

このスウェーデンのヴァーサ朝第三代のヨハン3世王は、ポーランド=リトアニア連合国に要請され、彼の息子のシギスムンド王子をポーランド=リトアニア連合国の王として送り出しました。しかし1592年にヨハン3世王が亡くなると、シギスムンド王はポーランド王を兼ねたままスウェーデンの王にも即位することになりスウェーデンへ帰国します。

この時、先の三十年戦争にあるようにスウェーデンではプロテスタント教が信仰されていたのですが、ポーランドではカトリック教が信仰されており、すでにプロテスタントからカトリックに改宗していたシギスムンド王はスウェーデンをカトリックへと改宗しようとしました。
このことにスウェーデンのプロテスタント信仰の貴族たちは反発し、シギスムンド王がポーランドに戻った留守を狙い、彼の叔父でありヨハン3世王の弟であるカール王子を立てて反乱を起こし、スウェーデンにおけるシギスムンド王の王位を剥奪し、カール王子を1598年にスウェーデン王に即位させます。

当然ながらシギスムンドはポーランド軍を率いて討伐に出るのですが敗退し、以降スウェーデンとポーランドの両国は膠着状態に入ります。

それから半世紀が過ぎた1654年、クリスティーナ女王が王位をカール10世王に譲ったことでそれまでスウェーデンの王朝を担ってきたヴァーサ朝の直系の血族が途絶えます。
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△ ヴァーサ朝の家系図

この時、シギスムンド王の血を引くポーランドの王がスウェーデンの王位継承権を主張するのですが、ちょうどその頃、ロシアがポーランドへの侵攻をはじめます。スウェーデンはこれに乗じ、王位継承権を破棄させることを目的にポーランドへ侵攻します。そしてロシアとスウェーデンに攻められたポーランドは敗退し、ポーランドの地はスウェーデンとロシアがそれぞれ分け合って占領することになります。

しかし、その後ポーランドはロシアと手を結び、一方でスウェーデンはブランデンブルグ=プロイセン(ドイツ北東部)と同盟し、1656年のワルシャワの戦いでスウェーデン軍はポーランド・ロシア連合軍を撃退します。これによりスウェーデンはポーランドによるスウェーデン王朝への王位継承権を破棄させることに成功しましました。
posted by Coyama at 22:05| コペンハーゲンの都市史