2012年05月21日

1700年代 − 農民解放 ー

18世紀の終わり頃、デンマークの大半を占めていた農民たちは自由を求めるようになり、1788年に王は拘束法を禁止する新しい法律を作ります。いわゆる農民解放です。
2012052101.jpg
△ 1794年の農民解放のパレードの様子。白馬にまたがっているのはクリスチャン7世王。その後ろに見えるのが農民解放を記念したオベリスク。現在もコペンハーゲン中央駅の北側で見ることができる。

この新しい法律により、それまでは生まれた土地に縛られていた農民たちが、移住を自由に行うことが出来るようになりました。そして彼らはそれまでの土地から離れ、郊外に開拓した自分達の土地に住むようになります。
数年後、ほとんどの農民たちがデンマークのあちこちに自身の土地を開墾し、自分達の土地を所有していました。
2012052102.jpg
△ 18世紀頃の農家の住宅

そして多くの農民たちが学校へ行くようになり、読み書きを学びました。現在のデンマークの主食となっているじゃがいもの育て方を学んだのもこのころでした。
自由を与えられた農民たちはより稼ぐようになり、彼らの生活は向上しました。これによりデンマークの国自体も向上していきました。

さらにこの時期にはデンマークは世界各国に植民地を持っており、これらの貿易によりコペンハーゲンの組合は大金を稼いでいきます。
そしてそれらの利益により、首都のコペンハーゲンには多くの巨大建築物が建てられていったのです。
posted by Coyama at 22:55| コペンハーゲンの都市史

2012年05月20日

農家の意外なリサイクル品

有機栽培農家で見かけるこの青いタンクのような入れ物。なんだかご存知ですか?
2012052003.jpg

有機栽培農家ではこれをEMボカシづくりに使ったりしています。
2012052004.jpg

EMボカシとは、米ぬかや油かすなどの有機物を発酵させたもので、生ゴミリサイクルや土壌改良材として利用されています。
2012052005.jpg

そのようなEMボカシづくりに使われるこの入れ物ですが、実はあるもののリサイクル品なのだそうです。

その「あるもの」とは、「韓国キムチ」。

「韓国キムチ」はこの入れ物に入れられて輸入されるのだそうですが、輸入後は再利用されるといったことはなく廃棄されてしまうのだそうです。

どこの誰がそれに目をつけたのかはわかりませんが、そんなキムチの入れ物がEMボカシづくりにはピッタリだったため、現在多くの有機農家では重宝され再利用されているのだそうです。
2012052002.jpg

そしてそんなキムチの入れ物を再利用したEMボカシを使って有機無農薬の白菜が作られ、消費者の手に渡り、家庭で再びキムチが作られる、なんてこともあるのかもしれませんね。
2012052001.jpg
posted by Coyama at 22:17| 「食」と「農」のこと

2012年05月19日

1700年代 − 火災後の都市の変化

大火災の後、街は再建されて数々の建築が作られていきます。1749年には建築家ニコライ・エイトヴェド(Nikolai Eigtved)の指揮によりフレデリクス地域(Frederiksstaden)が完成ました。
ニコライの特徴であるエレガントなロココ様式の美しい都市計画と建物はコペンハーゲンの新しい特徴となり、現在の王族の住まいであるアメリエン宮殿やアマリエ通りなどにその姿を残しています。
20120519-1.JPG
△ 現在はデンマーク王室の住居であるアメリエン宮殿

また火災後、都市の区画のいくつかが整備されました。

特に現在市庁舎広場から旧広場へ抜けるストロイエと呼ばれるメインストリートやノアポート駅からランドタワーに向かう手前にあるKul広場はこの時に整備されたものです。
20120519-2.jpg
△ 1728年の第一次コペンハーゲン大火災後の都市の変化。濃い茶色が1728年前、橙色が1728年以降。旧広場の西側地域やKul広場はこの時期に整備された。

また18世紀中頃には東欧との海外貿易を行うためにコペンハーゲンの港は大規模な拡張を行い、バルト海への貿易の入り口となっていきました。
さらにこの頃、コペンハーゲンの要壁の外の北の土地には広大な森があり、狩りの土地として王族や貴族たちに利用されていました。
そして貴族たちはこの自然の中に数々の美しいサマーハウス(別荘)を建設していきました。
posted by Coyama at 22:54| コペンハーゲンの都市史

2012年05月18日

グリーンランド研究 − イヌイット文明 −

紀元前4500年頃までカナダとグリーンランドは巨大な氷で覆われて繋がっていました。最初の住民たちは紀元前2500年頃にグリーンランドの最北端に辿り着いたとされています。
その後2〜300年の間に、島の氷で覆われていない部分は旧エスキモー人として知られる北極の狩猟民族の居住地となっていきました。そして徐々に気温が暖かくなり氷が解け始めると、人口も増えていきました。
20120518-2.jpg
△ グリーンランドの各文明の年代別存在表

北極の狩猟民族は群れで移動する習性のあるジャコウ牛やトナカイを追って移動していました。アラスカからグリーンランドにかけて見つかっているこの時代の骨や石で作られた道具からは同類の文化的特徴を見ることができます。
紀元前2000年頃のグリーンランドでは北部のジャコウ牛の狩猟民俗である独立第1文明と、南部のアザラシやトナカイの狩猟民族であるSaqqaq(サカク)文明が混在していました。

紀元前1000年前の少し前に、カナダから独立第2文明と呼ばれる新しい移住者がやって来ます。この時代を示すものは唯一島の北部だけで発見されています。そしてその後はドーセット文明が500年続き、このドーセット文明はカナダの極東であるニューファンランド地方からグリーンランドの海岸に沿った一部で発見されています。
20120518-3.jpg
△ イヌイットの移動の民の暮らしの様子

ドーセット文明は途中で一度グリーンランドから姿を消しますが、1200年頃まで存在し、アザラシ漁とトナカイ猟で生活をしていました。この時代の多くの工芸品や彫刻などが発見され、現在でも町の博物館などで見ることができます。

10世紀の終わりに北半球に大規模な環境変化が起こり、島の気候は若干暖かくなりました。カナダ諸島の周辺を覆っていた氷は姿を消し、ヒゲクジラたちはエサを求めて移動を繰り返しました。

現在のグリーンランド人の祖先はこのヒゲクジラを追って12世紀頃に北アラスカの東から大きな皮の船(ウミアク)に乗ってやってきたテューレ文明のクジラ漁民族でした。そしてほぼ時期を同じくして、ドーセット文明はグリーンランドから姿を消しています。
20120518-1.jpg
△ グリーンランドへの民族の移動図

1721年にノルウェーからの使節団が来るまで、土地の人々は狩りと漁で小さな集合体として分散して暮らし、獲物となる動物たちの移動と共に移住をくり返していました。
彼らは石や泥炭やシベリア付近から海流に乗り運ばれて来た流木を利用して建てられたテントや小屋に住んでいました。
20120518-4.JPG
△ 芝屋根の住居
posted by Coyama at 22:11| グリーンランドのこと

2012年05月17日

1700年代 − 第1次コペンハーゲン大火災 ー

1700年にフレデリック4世王により都市の西のバルビュ(Valby)丘陵にサマーハウス(別荘)が建設されました。
その後10年の間にこのサマーハウスは変貌を遂げ、そこは美しいフレデリクス庭園に囲まれたフレデリクス宮殿となりました。
ここは現在は一般に開放され、公園として家族連れや観光客で賑わっています。
1749コペン.jpg
△ 1750年頃のコペンハーゲン。街の西郊外にあるのがフレデリクス宮殿

コペンハーゲンの街は1703年にフレデリクス地域にオペラハウスが完成した頃から芸術文化都市として花開いて行きます。

しかし1728年に第一次コペンハーゲン大火災が起こります。
これによりそれまで築き上げられてきたコペンハーゲンの都市と一般の人々の暮らしは、たった数時間で破壊されました。
この大火はそれまで主流であった街の多くの半木造の建物を飲み込みました。
1728火事エリア.jpg
△ 1728年の火災消失エリア

この大火災は都市に教訓を残し、それ以降の建物は火事を防止するよう規制がされるようになり、大火災の後に建てられた新しい建物はコペンハーゲンの体系を変えました。
建物のファサードは半木造から漆喰とレンガに変えられました。
この当時に建てられた切り妻屋根を持つ高く家のいくつかは現存しています。
1728年の建物.JPG
△ 現存する1728年以降に建てられた住宅(左から4番目と5番目)
posted by Coyama at 23:45| コペンハーゲンの都市史