2012年04月28日

街頭募金活動に思うこと

時々大学生のサークルか何かといった感じの、若者の集団が街頭募金活動を行っている姿を見かけることがあります。

僕はそれ対しては募金先がどんなに正しい募金先であろうと募金はしません。
理由は、募金を集めている人たちの行動に共感できないからです。

もちろん街頭募金には募金をしない、と言っているわけではありません。

明らかに大学生の集団や若者の街頭募金には募金をしない、ということです。
それらの行為は彼らの自慰行為でしかなく、募金で助けたいものがあるといった気持ちのある行動ではなく、募金を募っている自分に酔っている行為以外の何物でもないと僕は思うからです。

彼ら彼女らが駅前で1日立つ分、日雇いのアルバイトをしたらいくらになるでしょうか。
それで稼いだお金を全額寄付するのと、他人のお金を集めるのと、額としてはどちらが大きいのでしょうか。

なぜ街頭募金をしている若者たちは他人のお金をあてにするのでしょうか。
なぜ一人で立たずに集団で立っているのでしょうか。
なぜ自らは何もせず、「お願いします」と大声を張り上げるだけでお金を得ようとするのでしょうか。

僕は、例えば街角で道路整備の警備員をしている若者が、横に募金箱を置いていて、そこに「私の今日の賃金はすべて心臓移植を待っている10歳の○○ちゃんの手術費捻出のために寄付をします。みなさまもどうぞご協力お願いいたします!」と表示の一つでも目にすれば、僕は進んで募金をします。

街頭に立つのであれば、ギター片手に歌うなり、道化師の姿でパフォーマンスをするなりすればいい。そしてその横に「このパフォーマンスは募金のために行っています。集めたお金は全額○○○○のために寄付をいたします。みなさまからのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。」と書いておけば、そのパフォーマンスがお金を得るものとして値するのであれば、僕は募金箱にお金を入れます。

コンビニのレジのお兄ちゃんお姉ちゃんが、首から「今日の私の賃金はすべて○○○○に募金いたします。みなさまもご協力をどうぞよろしくお願いいたします。」という札をかけていて、レジ横にその募金箱があったら、僕はそのお兄ちゃんお姉ちゃんの行為を素晴らしいと感じ募金箱に募金をします。

自分から身を削らずして、他人のお金を集める行為は、それはチャリティーでもなんでもないと、僕は思います。

それが許されるのは、働くことが出来ない小中学生(高校生まではギリギリ許されると思いますが)や、何らかの事情で働くことが困難な方々だけです。
健康で体が丈夫で、若さもあり、一日街頭に立って募金を募るぐらいの時間があるなら、その分自ら汗水たらして働けばいい。
いくら不景気な世の中だと言ったって、今の日本でも少し探せば日雇いで出来るアルバイトはいくつでも見つかります。
それが少額であろうが、その稼いだ一日分のお金を募金すればいい。その募金は、その金額以上に価値のある募金であるし、人のために役立つ本当の募金になると思います。

そういうことはいつ・どこで・誰が、彼ら彼女らに教えているのでしょうか。
逆に彼ら彼女らはいつ・どこで・誰からそのことを教わるのでしょうか。

僕は自身の生活に余裕がある時には、収入の5%は人のために使うよう常に心がけています。
それらを募金させたいと僕が思うような、芯をしっかりと持った熱意ある募金活動者に出会いたいものです。
posted by Coyama at 16:40| 思ったこと・感じたこと