2012年04月14日

1400年代 − 女王陛下のコペンハーゲン

こうして事実上の三国統一を果たした女帝・マグレーテ妃は、次にユラン半島の南にあるスレスヴィグ=ホルステン公国の統治に乗り出します。
スレスヴィグ=ホルステン公国はユラン半島とヨーロッパ大陸の間にあり、ヨーロッパ大陸へ勢力を拡大していくためには重要な地であったのです。
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△ スレスヴィグ、ホルステン両国の位置。現在はスレスヴィグの北部がデンマーク、南部がドイツに属している。

しかし彼女は1412年に59歳でこの世を去ります。

その後1416年、エーリク王はロスキレ司教からコペンハーゲンの支配権を奪い取ります。
さらに1420年前後にはシェラン島の北端の現在のクロンボー城の土地に要塞を築き、1426年には城の横に市(ør)を設けました。
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△ コペンハーゲンとヘルシンガーの位置

これが現在のヘルシンガーの街の始まりと言われています。
ちなみにクロンボー(Kronborg)とは「鉤(kron)の要塞(borg)」という意味です。この城はシェイクスピアの代表戯曲「ハムレット」のモデルとなった城としても有名で、現在は世界遺産に登録されています。
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△ 現在のクロンボー城。世界遺産に登録されている。

1429年、エーリク王は東海峡を抜ける船に通行税を課す法案を制定します。以来この通行税は1857年に廃止されるまでこの要塞がそれを徴集することとなり、デンマークの重要な財源となりました。
このクロンボー城の東海峡の対岸の地は現在はスウェーデンの国土ですが、当時はまだデンマークが統治していました。そのため東海峡はデンマーク王国のものだったのです。

この通行税の設置の背景には、スレスヴィグ=ホルステン公国への統治に向けてデンマークの国力を強める目的があったためと言われています。
しかし女帝・マグレーテ妃の後ろ盾をなくしたエーリク王は1439年にデンマークとスウェーデン、1442年にはノルウェーの王位を剥奪されます。彼の後継にはエーリク王の妹の息子、つまり甥にあたるバイエン国のクリストファ(クリストファ3世)が引き継ぎます。この時、スウェーデンでは1438年から1440年までの間、貴族のカール(後のスウェーデン王)が摂政を行いました。
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△ 15〜16世紀にかけて作られた主なデンマークの都市

クリストファはまず1440年にデンマークの王位に就き、1441年にスウェーデン、1442年にノルウェーの王位を継ぎます。そして翌1443年に、彼はそれまでロスキレにあった王室の拠点をコペンハーゲンへと移しました。

初期の王都コペンハーゲンの町は出入り口を2つ持ち、ひとつは南西に、もうひとつは北側にありました。
2つの入り口から伸びた通りは、市庁舎のあったガメル広場で交差していました。
この時の街の構造は、現在でもほぼ変わることなく残されています。
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△ 1377年のコペンハーゲンの様子

港に面するアマー広場(Amagertorv)はその当時から街の中心マーケットであり、現在でもストロイエ(Strøget)と呼ばれる歩行者専用道の中心にあり、多くの人々で賑わっています。
この広場の西には、Holy Ghost教会、修道院、Holy Ghostの家があります。現存するコペンハーゲンの最も古い建物は、15世紀後半に病院として建てられたこのHoly Ghostの家です。ここは1296年に設立された修道院で、その後教会の様々な施設が複合されていきました。
このゴシック建築の小さな病院は現在はコペンハーゲンの中世の建築として保護され、現在は展示場として利用されています。
教会は15世紀中盤に建設され、1728年のコペンハーゲン大火災で破壊されましたが、中世の外壁の一部は現在でも残っています。
Greffenfeld礼拝堂は1673年に建てられたもので、1956年に修復されました。

また13世紀にロスキレ教区に戦いを挑んだヴェンド族の首領Jamerからその名が来ているJarmerøs塔の遺跡も現在に残されています。このタワーは16世紀に建てられ、当時は街の要塞の一部でしたが、後の17世紀には要壁に覆われてしまいました。
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△ 現存するJarmerøs塔の遺跡
posted by Coyama at 17:21| コペンハーゲンの都市史