2012年04月13日

1300年代 − カルマル同盟

マグレーテ妃の夫であったホーコン6世王は、ノルウェーとスウェーデンを統治していたマグヌス王とブランカ妃の第2子でした。ホーコン6世王の兄であり第一子のエリク王子を差し置いて、1355年にマグヌス王は15歳のホーコン王子をノルウェーの王位に就けました。この時、母親であるブランカ妃が彼の補佐としてノルウェーの政治を執り行ないます。

しかしこの事に兄のエリク王子は反発して内乱を起こし、1356年に父であるマグヌス王とスウェーデンの共同王位につきますが、その3年後にエリク共同王は亡くなります。
1363年、息子であるホーコン王をデンマークの王女マグレーテと結婚させたのを見届けたブランカ妃はこの世を去ります。その翌年、ブランカ妃の夫でありホーコン王の父であるスウェーデンのマグヌス王は国を追放させられノルウェーに亡命します。

その後、スウェーデンはマグヌス王の孫にあたる王朝直系のオーロフ王の王位継承を拒み、別の血族として1364年に新たにメクレンブルグ=シュベリーン公国からアルブレヒト王子を王位に迎えます。彼は前マグヌス王の妹であり、エリク・マグヌセン王子の娘であるエウファミア王女の息子でした。
ちなみにアルブレヒトの兄であるハインリヒ公は、マグレーテ妃の姉でありヴァルデマー4世王の娘であるインゲボー妃と1362年に結婚しています。

1387年、デンマーク・ノルウェー両国の王であったオーロフ王はわずか17歳でこの世を去ります。これによりノルウェーとデンマークの次期王の選出は当時のデンマーク・ノルウェーを実質的に仕切っていた女帝・マグレーテ妃が決定することとなり、彼女は1389年に姉インゲボーの娘、つまり彼女の姪にあたるマリアの息子エーリク王子をまずはノルウェーの王に据え、マグレーテ妃はエーリク王の補佐と同時にデンマークの事実上の女王として政治をとり行います。
しかし当時北欧では女性の王位継承は認められてはいなかったため、あくまで補佐として彼女は国を統治していました。

エーリクをノルウェー王に据え、実質ノルウェー・デンマークの統治者であったマグレーテ妃はスウェーデンに軍を進め、当時統治していたアルブレヒト王を捉え、彼からスウェーデンの統治権を奪います。
この背景には、スウェーデンを手に入れることで当時北海やバルト海を中心に活動していたハンザ同盟に対抗する勢力を整えるということもありました。そしてこれによりスウェーデンはマグレーテ妃の支配下に置かれることになります。
この時、アルブレヒト前王は殺害されず追放されて故郷メルデンブルグへ戻り、亡くなる1412年までメルデンブルグ公として君臨しています。その背景には、エーリク王がアルブレヒトの兄の孫であるという血縁関係も背景にあったのかもしれません。
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△ アブサロン時代から増築されてきたコペンハーゲン城は1369年にハンザ同盟により破壊されるが1400年までには新しい城が建設されました。

スウェーデンの治世を整えたマグレーテ妃は、1396年に正式にエーリク王をデンマークとスウェーデンの王位に据え、その翌1397年にノルウェー・デンマーク・スウェーデンの三国連合の調印を現スウェーデンのカルマルで行い、その調停場所の名を取った「カルマル同盟」が発足しました。ちなみにエーリク王はデンマーク、スウェーデン、ノルウェーのそれまでの歴代の王の血を受け継いでいることになります。
この三国同盟は1520年に『ストックホルムの血浴』と呼ばれるデンマーク政権によるスウェーデン貴族の大量虐殺事件が引き金となった内乱までの約120年間維持されることとなります。
posted by Coyama at 18:06| コペンハーゲンの都市史