2012年04月10日

1300年代 − 王家の血縁

14世紀頃から、スカンジナビアの王室の中では血縁関係による王位継承が複雑化されていきました。
1299年にノルウェーの王位に就いたホーコン5世王は、デンマーク、スウェーデンの圧力を受けて当時ノルウェーの首都であったベルゲンから両国の支配が届きやすいオスロへと1300年に首都移転を強いられました。
そのホーコン5世王には息子がなく、妻エウファミア妃との間に生まれたインゲボー王女は、1312年に当時のスウェーデンのウィアガー王の弟であり、先王マグヌス3世王の息子エリク・マグヌスン王子に嫁ぎます。
彼女は1316年にエリク・マグヌスン王子との間に息子マグヌス王子を、1317年に娘エウファミア王女を生みます。しかしエウファミア王女を生んだ翌年に夫のエリク王子が、その翌年の1319年に父ホーコン5世ノルウェー王が亡くなります。さらに1318年にはエリク王子の兄でありスウェーデン王であったウィアガー王が王位を廃していました。

そして1319年、直系の男子としてインゲボー王女の息子マグヌス王子がわずか3歳でノルウェー、スウェーデンの両国の王位に就きます。
この時、彼が成人するまでは母であるインゲボー妃が補佐として政治を取り仕切りました。
マグヌス3世家系.JPG
△ 1300年前後の王室の関係図

一方で1300年頃のデンマークでは国力が弱まり、財政難のためデンマークはデンマークとドイツの間にあったホルステン公国(現在のドイツ北西部)から多額の借金をしていました。しかしデンマークには返済能力がなかったために、デンマークではホルステンの公王の権限が次第に大きくなり、デンマーク国民の不満は高まっていきました。

1329年にはコペンハーゲンの街はホルステン公国のヨハン伯爵が所有し、彼はコペンハーゲン城に入り政治にホルステンの貴族を配置してその勢力を強めていきました。
1330年には当時のクリストファ2世王がコペンハーゲンを所有しますが、1332年に彼が亡くなると1340年までデンマークは王の不在期間が続きます。この間、コペンハーゲンは借金の形としてホルステン公国の貴族が所有していました。

そのような状況の中で、1340年にヴァルデマー・アテレイ(Valdemar Atterdag)は、国の政治を改革させるためにデンマークで内乱を起こします。彼はその戦いに勝利した後、ヴァルダマー4世王としてデンマーク国を統治し、コペンハーゲンも彼の配下におかれることになります。
しかし彼が在位中にヨーロッパ各地にペストが流行し、デンマークでも全人口のほぼ半分が死亡。これにより国力はさらに激減していくことになりました。
posted by Coyama at 20:03| コペンハーゲンの都市史