2012年04月07日

肛淫矢のごとし

ちょうど10年前の2002年4月7日のこと。
日曜日だったその日、僕は朝の8時に友人女性からの電話で起こされました。
電話の内容は彼氏との別れ話。電話での一方的な話はそこから延々と続き、気がつくと午後4時まで続きました。

その日、僕は夜に予定が入っていたので電話をそこで切り、急いで支度をして当時住んでいた東京都東村山市の家を出発し、神奈川県横浜市へと向かいました。
この日はプロ野球の巨人横浜戦のチケットを手に入れたたため、友人と見に行く約束をしていたのです。
そして待ち合わせ時間ギリギリの午後6時に、僕は横浜スタジアムへ到着し、友人と合流しました。

この友人は高校の時からの同級生なのですが、とにかくお互いよくお酒を飲みます。
野球場で野球を見ながら飲むビールも互いに大好きなのですが、ちょうど1年前に同じく横浜スタジアムへ巨人横浜戦を見に行った時に、その日がビールが美味しい夏にも関わらず大雨で、最初に一杯ビールを飲んだだけですっかり体が凍えてしまい、その後ホットコーヒーが美味しく感じたと言う悔しい経験がありました。
そんな中でその日は4月の初めでありながらも暖かく、絶好の飲み日和でした。

その日我々はイニング1回に500mlを1杯。さらにその日は読売巨人軍が大差で圧勝したため、そのお祝いだと最後にもう1杯飲み、一人ビールを計10杯、2人で20杯程を飲み干しました。

ちなみにその日、僕は朝から友人女性の電話に付き合わされ、朝から何も食べてなく、空きっ腹にビールを5リットル程取り込む形になりました。

最後の10杯目を球場で飲んだ記憶はあるのですが、その次にあるのは関内駅の改札を通過したところで、その後の記憶がしばらくありません。
次に記憶があるのは、JR山手線内の、大塚駅を過ぎたあたりです。

この時点で記憶にはないものの、僕は品川駅でJR根岸線からJR山手線に乗り換えていることになります。
横浜に住む友人とは横浜駅で別れたのだと思うのですが、まったく記憶にありません。

そんな酩酊状態にありながらも、時間は日曜日の午後10時過ぎ、電車を乗り過ごすわけにはいかないと、酔ってもそういうところはしっかりしている僕は寝過ごさないように椅子には座らず、ドア脇のポールに掴まってドア脇のスペースに座席側に寄りかかるようにして立って、外を眺めていました。

するとその時、突然腹部を痛みが襲い、臀部に緊張が走りました。
僕が関内駅の次に記憶があるのはこの部分からです。

緊張はすぐに便意として現れました。しかしそこは山手線の車内。ここで肛門の筋力を緩めるわけにはいきません。
それに朝からの摂取状況でもわかることですが、下半身臀部の感覚から内容物は固形ではなく液体に近いものが予想されました。

「早く次の五反田駅に着いてくれ!」

そう願う僕の思いに応えるかのように、五反田駅ホームの明かりが目に入ってきました。

「もうすぐだ、しっかり!」

しかし残念なことに、激しく押し寄せる便意に僕の肛門筋は勝てず、ホーム到着まで間に合いませんでした。

ちなみによりにもよってその日僕の履いていたズボンは白色でした。

五反田駅のホームに到着し、ドアが開いた瞬間に僕は勢いよく走り出しトイレを目指しました。
そしてトイレの便器でズボンを洗い、下着はゴミ箱に捨て、何事もなかったかのように再びホームに戻り次の電車を待ちました。と、そのように自分では記憶しています。きっとこの間はすごいことになっていたのでしょうが、一応記憶からは抜けています。

そんな電車待ちをしていた時、ズボンの後ろのポケットに入れていた財布がないことに気がつきました。
その中には現金やカード、定期や当時出たばかりのSuicaなど生活に必要な全てが入っていました。
その後トイレなどに戻り探したものの、どこにもありません。
もしかするとズボンを洗った時に便器の中に、、、とも思ったのですが、駅員に聞くとそういう異物が流れた時にはセンサーが働くのであり得ない、との答え。
しかし当然ながら財布がなければ家に帰れません。
そのことを駅員に相談すると、まずは電車に乗って、降りた駅で相談してください、と言われました。

そして次に記憶があるのは、西武新宿線の川越駅。
電車のシートで寝ていた僕は、車内を見回りにきた駅員さんに「お客さん、終点だよ!」と揺り起こされました。
そしてその駅員さんはさらに「これ終電だから。駅はシャッター閉めるので構外へ早く出てください。」と言ってきました。

さすがに夜は冷え込む4月上旬の川越駅で、財布を持たない生乾きのズボンを履いたノーパンの僕は外に放り出されました。

ちなみに当時はまだPASMOはなく、どうやってJR線から西武新宿線に乗り換えたのかは、これも記憶がありません。

その後駅員の薦めもあり、駅前の交番を訪ねました。しかし「うちは東京都と違ってお金ないから。電車が動く朝までどこかで待って。」と冷たい対応。
僕が「どこで待つといいでしょうかね?」と聞くと「その道を200〜300m進んだ先にファミレスがあるから、そこで待ったら?」と。
お金もないのに?・・・

悩んだ僕は、今度はダメ元で駅前に並ぶタクシーの運転手さんに声をかけました。
1台目の人には断られたのですが、2台目の運転手さんが「お兄さんいい人そうだから。明日銀行振込してくれるなら東村山まで乗せてってあげるよ。」と言い、乗せてくれたのです。
その時のタクシー代は約8,000円でした。
運転手さんは部屋の中まで上がり込んで家を確認し、振込先の口座番号を置いて帰っていきました。

時間はすでに深夜2〜3時だったと思います。
僕はズボンを洗濯機に放り込み、熱いシャワーを浴びて眠りにつきました。

翌朝、目が覚めた僕に、前夜の記憶が蘇ってきました。

この時の人間というのは、まずはパニックが襲います。
次に、激しい後悔の念に襲われます。
そしてそれが過ぎると、「諦め」に変わります。やっちまったもんはしょうがない、と。

しかし問題は財布です。その中には運転免許からクレジットカード、銀行や郵便局のカードまで様々なものが入っています。
その日、僕は朝から設計事務所でのアルバイトがあったのですが、午前中は休みにしてもらい、まずはカード会社などへ電話をして利用を止めてもらいました。
そして家にあった通帳とハンコを使って郵便局でお金を引き出し、それを昨夜のタクシーの運転手さんの口座へ振り込みます。

次に警察署へ行き紛失届けを出したのですが、どのような状況でなくしたのかを聞かれたのですが、さすがに応えるのが難しい。さらに「現金はいくら入ってましたか?」という問いにも答えられませんでした。

ちなみにその時一緒に飲んだ友人は数日前にバイクで転倒して腕を骨折しており、ビールを買う時には僕が建て替えてお金を払っていました。
なのでそのまま立替金を返してもらっていなければおそらく財布の中はほとんどお金はなく、返してもらっていると1万円程度入っていたと思い、その友人に電話をかけました。幸いなことにそういう状況にありながら携帯は紛失もなければ水没もしていませんでした。
結果は「返したよ〜」とのこと。一切の顛末を話すと「えぇ!?横浜で別れた時には普通だったけどねぇ」とのこと。

世の中多くの人たちが酒の失敗談を持っていると思いますが、僕も他にも様々な失敗談を持ってはいますが、その中でも一番の失敗談がこの出来事です。
俗にいう「山手線ウンコ事件」。

その半年後に、僕は海外放浪の旅に出ました。
そして旅に出てから2年後の2004年の夏、成田空港に降り立った僕は故郷である神奈川県茅ヶ崎市に戻るべく電車を乗り継いで帰ったのですが、日暮里駅から東京駅の間で山手線に乗りました。
その時に荷物も多かったため、座らずにあの日のようにドア脇に立とうとして気がついたのですが、なんとポールと座席の間に間仕切りの板が出来ていました。
事件の時にはまだ間仕切り板はなく、きっとあの日僕が立っていた横で座っていた人は・・・・

もしかするとあの山手線のドア脇のポールと座席の間の間仕切り板が設置された背景には、僕が絡んでいるのかもしれません。

あれからもう10年。思い出すとあの時僕の肛門を苦しめた痛みはまるで矢のようでした。
まさに肛淫矢のごとし。

当時は僕も大学院を出たての26歳だったということで若さゆえの過ちで済みましたが、お酒ってやはり気をつけなければいけないなと思い、それ以降スポーツ観戦の時に朝から何も食べない空腹の状態でお酒を飲むことはしなくなりました。

ちなみにその事件を期に、僕には怖いものがなくなりました。
世の中の大抵のことは山手線の車内でウンコを洩らしたことに比べたら大したことはありません。

よく人間を大成させる要因には「倒産」「大病」「刑務所入所」「悪女」の4つがあると言いますが、僕は「電車でウンコを洩らす」というのも、大成まではいかなくとも人を成長させる一つの要因ではないかと密かに思っています。

でもやはりそれは他人に迷惑をかけることなので、人にお勧めはできません。
日本の春はお花見の季節でもあります。みなさんもお酒には十分お気をつけください。
posted by Coyama at 20:59| 思ったこと・感じたこと