2012年04月05日

1100年代−初期コペンハーゲン(港町)の誕生

1157年、デンマークではキリスト教会からの強い支援を得たヴァルデマー1世王(Valdemar den Store)がデンマーク全土の王として即位します。これにより教会は王と密接な関係を持つようになり、教会は国に対して強い権力を持つようになりました。
ヴァルデマ−1.JPG
△ ヴァルデマー1世王の銅像とリングステッド教会

この頃のデンマーク(スウェーデン南部を含む)は8つのキリスト教の管轄区域(Børglum教区、Viborg教区、Aarhus教区、Ribe教区、Slesvig教区、Odense教区、Roskilde教区、Lund教区)に分けられ、すべての教区には司祭という名の統治者が配置されていました。司祭はほとんどがその地域出身の貴族たちであり、彼らがその地域の自治を行っていました。

ちなみにコペンハーゲンの地はロスキレ(Roskilde)教区に属しており、このヴァルデマー1世王が即位した時にはまだ名もない漁村でした。
コペン1167.jpg
△ 漁村だった頃の初期のコペンハーゲン

このヴァルデマー1世王の統治時、現在のドイツの北部からデンマークの海岸にヴェンド族が襲撃にやって来るようになりました。ヴェンド族は、略奪や殺人、強姦などをくり返しました。

デンマークではこの南からのヴェンド族の襲撃に備え、南の海岸沿いに要塞を建設します。デンマーク語で「要塞」を表す言葉は「borg(ボー)」といい、この時期に多くの「borg」が作られます。それらが現在でも街の名前として残っているヴォーリンボー(Vordingborg)、カルンボー(Kalundborg)、ニュボー(Nyborg)やファボー(Fåborg)、コスゥアー(Korsør)にあるトーンボー(Tårnborg)などです。
カルンボー教会.JPG
△ カルンボー教会

そして1167年に、バルト海遠征に向けた拠点として、ロスキレ教区を支配していたアブサロン司教は、教区内の現在のコペンハーゲンの港町に注目し、当時はまだコペンハーゲン湾に浮かぶ島であったSlotholmの場所に要塞を築いて街の整備をはじめました。
これがコペンハーゲンが都市として設立された起源と言われ、アブサロンはコペンハーゲンを作った男としてもよく知られています。
アブサロン像.JPG
△ 現在のホイブロ広場にあるアブサロンの銅像

コペンハーゲンの地は対岸のアマー島に挟まれ、要塞とするには地形的にもちょうど良く、またロスキレとの陸路での移動にも便利だったのです。
ただしこの時はまだ町に名はなく、ただのHavn[ハウン](港)と呼ばれていました。

アブサロンが築いた当時の城壁の一部は、現在でもクリスチャンス宮殿の地下で見ることができ、当時の様子を伺い知ることが出来ます。
DSCF0577.jpg
△ アブサロンが築いた当時の城壁の一部

そしてヴァルダマー1世王は、アブサロンを筆頭に、多くの戦士と戦艦を集めて艦隊を結成し、バルト海を越えてリュ-ゲン(Rygen)島にあったヴェンド族の国を攻撃します。アブサロンによって鍛え上げられたデンマーク艦隊は、ヴェンド族の拠点であったアーコナ(Arkona)城を陥落させ、ヴェンド族はデンマークに屈し、キリスト教徒に改心させられました。

勢いに乗ったデンマークは、その後ユランの南にあるスレスヴィグ=ホルステン公国も攻め落とし、さらにデンマークの王はバルト海周辺のすべての領土を征圧し、バルト海を渡りエストニアまでも攻め落とし、ヴァルデマー王の下で大北海帝国を築き上げていきました。
posted by Coyama at 21:23| コペンハーゲンの都市史