2012年04月20日

デンマークの節電対策

デンマークに行かれたことのある方は御存知だと思いますが、コペンハーゲン中央駅の前にTIVOLI(チボリ)という小さな遊園地があります。
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その存在は、規模としては日本で言う浅草の花やしきのようなとても小さな遊園地なのですが、デンマーク国民から見た存在は東京ディズニーランドに匹敵するぐらいに大きなものです。
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このチボリ遊園地が作られたのは今から170年も前の1843年。
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当時は防壁で覆われていたコペンハーゲンの街の住民のために、娯楽施設として防壁の外側に建設されました。建設されたとはいっても開設当時は移動遊園地(サーカスなど)のようなものでした。
その後、防壁が取り払われてコペンハーゲンの都市が拡大する中でも、このチボリ遊園地は住民たちの反対により取り除く事ができず、現在でも世界最古の遊園地としてコペンハーゲンの都市の中心に残り、デンマーク国民の憩いの場として利用されています。
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しかしこのチボリ遊園地は1年中オープンしているのではなく、10月から3月まで、12月のクリスマス期間を除いて閉園してしまいます。
そこには北欧ならではの環境風土と、デンマークのエコ意識が密接に関係していたりしているようです。

170年近い歴史を持つこの伝統ある遊園地の目玉のひとつは夜のイルミネーションです。実に10万個以上の電球を使用しているのだそうです。
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夏は23時近くまで日の沈まないデンマーク。夜遅くまで遊ぶことができますが、冬は午後3時には日が沈んでしまいます。デンマークの冬の闇は日本人の想像以上に長いです。
そんな長い夜に、大量の電気を使用していたら、電気代も大変なことになります。
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そのためチボリ遊園地は冬の間は閉園してしまうのです。
チボリ遊園地だけではなくデンマークにある他のレゴランドやバッケン遊園地も冬に閉園してしまうのは同じ理由のようです。

よく北欧など環境先進国のエネルギー対策などを、日本で取り上げたり取り入れたりしようとする試みを見かけます。
そして福島第一原発事故以来、原子力発電に対する反対意見もよく聞かれます。ちなみに僕も原発の利用には反対です。
しかし現代人は電気に頼らなければ生活が出来ない環境に生きています。

原子力発電所も、年々増え続ける国民が利用する電気を創り出すために作られたものだと思います。
だったらただ原発利用に反対するだけではなく、国民が使用する電気の量を減らす努力も国民が行っていく必要があるのではないかと、僕は思います。

先進エネルギーや新技術もよいのですが、単純に冬の間は閉鎖する遊園地など、異国を学ぶのであればそういうところも学んでよいのではないかと、僕は思うのです。
福島第一原発の事故の前はこんなことは思いませんでしたが、今は状況も時代も違います。
まずは東京ディズニーランドも、冬の間は閉園しろといった無茶なことは言いませんが、日々の閉園時間を1時間早めるなどしてもよいのではないでしょうか。大手が姿勢を見せれば、他の遊園地も後に続くことでしょう。
何も22時まで照明をたくさん使って電気を無駄に使う必要は、僕はないと思うんです。
posted by Coyama at 19:01| デンマークのこと

2012年04月19日

おかしな世の中 ーやがて我が身ー

ある日、大学でエレベーターに乗った時のこと。

そのエレベーター内には僕の他に高齢の男性の方1人と男子学生さんたち数人が乗ってきました。

やがて途中の階でエレベーターが停止し、その高齢の男性が降りて扉が閉まり、再び上昇しだしたエレベーターの中で、学生さんの1人がこう言いました。

「あのじいさん、すごい臭くね?」

するとすかさずその仲間たちがこう返します。

「あぁ、加齢臭ってやつでしょ。あのじいさんいつもだよね。」
「っていうかマジ耐えられないよね。」

年をとれば誰だって肌にシワが増える。髪は薄くなったり白くなる。腰は曲がってくる。そして身体が衰え細胞が死滅していくことで加齢臭と呼ばれる独特の臭気を発するようになると言われています。
臭わない糞尿がないように、加齢臭も自然の摂理です。

臭い、耐えられないといったその若者たちも、いずれはそうなります。
そしてそうなった時に、彼らが言ったことと同じことを、自分が若者から言われるようになる。因果応報というやつですね。

映画「ロッキー」シリーズは世界でも有名な映画ですので知っている人は多いと思います。
全6作あるのですが、僕はその中でも特に6作目の「ロッキー・ザ・ファイナル」が好きです。

もちろん評価の高い第1作や第2作も好きですが、第6作はあまり評価は高くないものの僕は好き。
ただし第6作単体が好きなのではなく、前1〜5作を引き継いでの集大成の第6作が好きなのです。
とにかく唸りたくなるようなシーンがたくさん出てきます。

そんな第6作の映画の後半での現役チャンピョンと老いたロッキーとの試合のシーン。
試合開始のゴングの前に、チャンピョンがロッキーにこう吐き捨てます。
「この老いぼれめ!」

それに対し、ロッキーはこう答えるのです。
「お前もいずれこうなる。」

そして1ラウンド持ったら十分だと言われていた前評判を覆し、フルラウンドを戦い抜いた試合が終わった後、満身創痍のチャンピョンに対して彼のセコンドがこう言うのです。
「本物のパンチをもらったな!」と。

あのエレベーターの中にいた学生さんたちにも、その目を開かせてくれるような、そんなロッキーのような先生や先輩たちが日本にもっと増える事を、ただただ祈るばかりです。
posted by Coyama at 20:05| 思ったこと・感じたこと

2012年04月18日

おかしな世の中 ー漁父の利人間ー

数年前に所属していたある大学でのこと。
その大学で行われていたある研究会に興味を持った僕は、その研究会で自身の研究を発表できないかと考え、研究会のメンバーのひとりでもある僕が所属していた研究室のA先生に紹介をお願いしました。
その研究会が行っているテーマと僕が研究していた内容の視点が一致していたので、僕が関わらせてもらうことはそれほど難しいことではないと僕自身は思っていました。

しかしA先生へ数回お願いをしたものの、A先生はなぜか紹介をしてくれませんでした。

そこで僕はその研究会の窓口をしていたB先生を訪ねて話をし、B先生から研究会を主催しているC先生を紹介していただき、自身で直接C先生にお手伝いなどが出来ないかと相談をしました。C先生や研究会からは予想通り興味をもっていただき、まずは研究会内で講演をするということでB先生の段取りで講演の日程や会場が決まりました。

講演が近付いたころ、講演で話す内容をたまたまA先生に見せる機会があった際、A先生はプレゼンの僕の名前が書いてあるところを指さしてこんなことを言ってきました。
「ここに(名前の前に)僕の研究室の名前を書いてよ。」と。

もちろん僕は「A先生の段取りで今回のことが行われたのであればそれは当然書きますが、紹介をお願いしても何もしてくれず、しかも段取りはすべて(他の研究室の)B先生がしてくれているのに、それはさすがに書くことができません。」とお断りました。

するとA先生は気まずそうに「うん、やろうとは思ったんだけどね。」と言いました。

その頃から世の中が少しおかしいな、と感じていたのですが、その出来事から今に至るまで、あちこちでA先生のような方々に遭遇してきました。

やろうと思ったのであればやってください。
やらなかったのであれば、それが実現したときに都合よく利用してはいけないと、僕は思うのです。
posted by Coyama at 19:12| 思ったこと・感じたこと

2012年04月17日

参考資料:コペンハーゲンの街の所有者

コペンハーゲンの街の所有者(1100年頃〜1500年頃まで)

1154年まで ヴァルデマー1世王(1131-1182 [即位1154年])
1160年〜 アブサロン司教の個人所有
1186年〜 最高権力者アブサロン司教とロスキレ教区の管轄
1191年〜 最高権力者アブサロン司教(1201年まで)とロスキレ教区(ピーター・スーネセン)の管轄
1214年〜 ロスキレ教区(ピーター・ヤコブセン)の管轄
1225年〜 ロスキレ教区(ニールス・スティグセン)の管轄
1245年〜 エリック4世王
1249年〜 リューベック国が略奪。その後エリック4世王が奪還
1250年  アベル王
1250年〜 ロスキレ教区(ヤコブ・エーランセン)の管轄
1254年〜 ロスキレ教区(ピーター・スカルムスン・バング)の管轄
1259年〜 エリック5世王(1264年までは母・マグレーテ妃の摂政)
1274年〜 ロスキレ教区(ピーター・スカルムスン・バング)の管轄
1277年〜 ロスキレ教区(スティグ)の管轄
1281年〜 ロスキレ教区(イングバー・ヒオート)の管轄
1290年〜 ロスキレ教区(イェンス・クラグ)の管轄
1301年〜 ロスキレ教区(オーラフ)の管轄
1320年〜 ロスキレ教区(イェンス・ヒンド)の管轄
1328年〜 イェンス・ヒンドの兄弟のイングバー・ヒオートが遺産として所有
1329年〜 ホルステン公国のヨハン伯爵
1330年〜 クリストファー2世王
1332年〜 ホルステン公国の伯爵が抵当として所有
1341年  ロスキレ教区(イェンス・ニュボー)の管轄
1341年〜 ロスキレ教区よりヴァルデマー4世王が依頼管轄
1375年〜 ロスキレ教区(ニールス・ヤコブセン・ウルフェルト)の管轄
1395年〜 ロスキレ教区(ペダー・イェンセン・ヨーデハット)の管轄
1416年〜 エリック7世王
1439年〜 王位空白のためロスキレ教区(イェンス・ペダーセン・ヤーンスケグ)の管轄
1440年〜 クリストファー3世王
1448年〜 クリスチャン1世王
1481年〜 王位空白のため街と貴族が管理
1483年〜 ハンス王
 以後、王の管轄
posted by Coyama at 22:04| コペンハーゲンの都市史

2012年04月16日

食べられないなら食べない。

最近仕事もなく収入も0になった僕に対し「どうやって食べていくの?」と心配される声を聞きます。
それはとてもありがたいことなのですが、それを発した後の発言者の言動は大きく2つに分かれています。

一方は、どうにかしてくれようと仕事を与えてくれようとしたり、声をかけてくれたり、一緒になって考えてくれる人。
もう一方は、人ごとなので、当たり障りのない言葉で閉めて、自身は関わらないから自分でなんとかしなさいよ、という態度をとる人。

もともと過去のいろんな経験から、人間には大きく分けて2種類の人がいる、と僕は思っています。

一方は、自身のした苦労と同じようなことを後輩が直面しようとしている時に、自身の経験からも助けになり、その経験も役立ててもらった上で後輩には苦労を打破して先に進んでいってもらいたい。そうすれば自身の過去の苦労も活かされるものだ、と思う人。

もう一方は、自身のした苦労と同じようなことを後輩が直面しようとした時に、それは人間が生きるということはそういうこと・それを乗り越えて人は成長するものと思い込むようにし、自身が苦労したと同じように後輩も人に頼ろうなどと思わず自分ひとりで乗り切りるべきだ・人に助けてもらおうなどと思うのは甘い。と思う人。

前述の2つのタイプとよく似ています。

どっちが間違いでどちらが正しいとも僕は思いませんが、歴史的には昔から後者の方はあまりよい人生を送っていないと思われるのですが、どうも最近の日本は後者の方の人が多いように感じられます。個人的な勝手な推測ですが。

今の時代、どうやって食べていくか、と考え悩む若者や中高年も日本には多いと感じています。世の中全体が少しおかしい。

それで僕自身もこのままでは7月にはどうにもならなくなるわけですが、そんな僕が僕自身に対して思うのは、「食べられないなら食べなければいい」ということです。

食べられないのだから、それは仕方がないことです。

もちろん、人間という生き物は食べなければいずれ死にます。

生きるため・食べていくために必死に行動して、それで食べていけなくて死ぬなら、それは仕方がないことじゃないですか。
そこで本人がやれるだけのことをやり尽くしたのであれば、その結果で死んでしまおうと、本人には悔いはないと思うんです。

後味悪いのはその人の窮地を本人から聞いていて、見知らぬ振りをした人たち。
もっともそういう人は自分の記憶を自分のいいようにすり替えるので、後味悪くもならないのですが。

でも僕から言わせたら、言い方は悪いですがその人は『殺人者』と一緒だと思っています。

もちろん、食うに困っている人が、「困っている」とも誰もに言わず、相談もせず、自分でなんとか道を切り開こうという努力もしなかったということであれば、それは食うに困っていた本人に非があります。

ただし「助けてくれ」と声をあげたのに、その声を聞いた人がいるにも関わらず、聞いた人たちが何もしなかった、知らぬそぶりをしたのであれば、それは言葉を聞いた人に非があると僕は思います。

最近生活に困り役所に相談に行ったにも関わらず残念な結果を迎えてしまった、ストーカー被害で困って警察に相談したのにもかかわらず残念な結果を迎えてしまったという事件などをよく耳にします。当事者から話を聞いた人たちは、その時の状況判断では何も出来なかった・致し方なかったなどと言いますが、僕からしてみたらそれは記憶のすり替えで本当は何か出来た。一緒に考えることや気にかける、声をかけることぐらいは出来たのにしなかった。しなかったというか、そういうことを出来るということすら、その人の貧しい過去の経験から想像すら出来ない、見た目は大人だが中身は未熟な人間だから困っている人の助けになることが出来なかったのだと、僕は思っています。

しかし本当に今の世の中に、
『金のないやつは俺のところへ来い。俺もないけど心配するな。見ろよ青い空、白い雲。そのうちなんとかなるだろう♪』
なんて歌える大人が減りましたね。
昔の人たちはその後に「互いに金がないんだ。食える方法を一緒に考えようぜ!」だったのに、今の人たちはその後に何の言葉も続かない。『我関せず』なんですよね。

かつてマザー・テレサさんが言ったという『愛情の反対は憎しみではなく無関心』と有名な言葉がありますが、そういった格言が世間で知られているのに、気がつかない大人が今の日本にはとても多いように僕は感じています。

ただそれは僕が勝手に思い込んでそう感じているだけですので、もしかすると僕が間違っているのかもしれません。なのでここで書いていることはただの僕の憶測でしかありませんし、自分の考えが常に正しいとも僕は思ってはいません。

それでもとりあえず、僕は今のままでは金銭に困り7月には食べものを買うことが出来ない経済状況に落ち入ります。食べれないならどうするかといったら、食べれないのだから食べません。
食べられない、でも食べなければ生きられない、だから無計画に人からお金を借りるか、盗み奪うのか。昔の日本と違い今の日本社会ではそれは違うと僕は思うので、僕は食べられないなら食べない。
そして食べられずに死ぬのであれば、それでよし、です。自分はそれまでの人間だったということ。
ただし、それでよし、と思えるには、出来るだけのことを自分がしたかどうか、ということが重要だと思います。
助けが必要な時に助けてほしいとちゃんと声に出したか、ということ。
僕ははっきり言いますよ。
僕は今、助けが必要で、助けてほしいと思っています。
これを読んだ人は、その僕の声を聞いたわけです。さて、その後どうしましょうか?

どうにかしてくれようと一緒になって考えてくれますか?
自身は関わらないから、自分でなんとかしなさいよ、と思いますか?

与えるものが何もなくても、声や関心はお金などかかりませんよ。

僕も死ぬ気もありませんし、楽して生きようと思いませんし、自分でなんとかするつもりでいます。
それでも助けが必要なときは助けがいります。

まぁそれは冗談で、このブログを読んだからといってその読んだ人にどうこうしてもらうつもりは毛頭ありません。

現実社会で直接顔を合わせ、僕が困っています・助けが欲しいです、と話した人に対して、上記のことを思うだけです。
そしてこういう状況のときだからこそ、人の本質が見えるということもあります。
こういう機会も人生でそうあるものでもありません。
だから今の自分の周りの人の反応を、しっかりと見ておこうと思うわけです。

それは、何もしてくれなかった人たち・見て見ぬ振りをした人たちを覚えておいて、いつか復讐してやろう、と思うため、ではありません。
そんな状況の時に手を差し伸べてくれた人、気にかけてくれた人、声をかけてくれた人のことをきちんと覚えておき、いつかその人たちに恩を返せるよう以後も努力し続ける人でありたいと思うからです。困った時に与えられた恩を、のど元過ぎたら忘れるような、そんな人間には決してなりたくはないからです。

そしていつか僕は困っている後輩から助けを求められるようなことがあった時に、
「大変だろうけど頑張って。」
ではなく
「大変だね。一緒に考えよう。」
と言えて実行できるような大人になれるよう、今の苦しい状況でも這ってでも前に進み、生き続けようと思っているのです。
それも、いつもニコニコと、元気よく。
posted by Coyama at 22:52| 思ったこと・感じたこと