2012年04月25日

北欧諸国の外交関係

デンマークの歴史を学ぶ時に、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの位置関係はもちろんのこと、他にバルト海周辺の地理関係も把握しておく必要があります。

またデンマークとドイツ連邦共和国の国境間には、スレスヴィグとホルステンという2つの公国がありました。スレスヴィグは国民投票により北側をデンマークに、南側をドイツに別れました。
この南スレヴィグとホルステンは現在のドイツのスレスヴィグーホルステン州に位置しています。

現在のドイツ、メクレンブルグ=フォーアボメルン州にはメクレンブルグ公国があり、ここもデンマークの歴史に深く関わってきます。他にもポメラニア公国やブランデンブルグ公国などもデンマークの王族と関係してきます。

そして北海・バルト海に勢力を持ったデンマークと対立するハンザ同盟の拠点は、リューベックやネーデルランド(オランダ)にありました。
さらにバルト海に面するポーランドやロシアとの関係も、歴史を学んで行く上では把握しておく必要があります。
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posted by Coyama at 21:20| コペンハーゲンの都市史

2012年04月24日

北欧の王室関係

デンマークでは1660年の絶対王政度施行以降、王位継承は嫡子長子となりますが、それ以前の12世紀から17世紀にかけては北欧諸国の王室間の血縁関係が複雑化した時期であり、北欧の歴史を知る上でこれらの関係性を把握しておかなければなりません。
特にマグレーテ1世女王がデンマーク、ノルウェー、スウェーデンを統治する経緯や、スウェーデンとポーランド間の王位継承権から派生したデンマークの絶対王政施行の経緯などは、この関係を把握しなければ理解しづらいところです。

ちなみに、下図の色分けはデンマーク(赤)、スウェーデン(青)、ノルウェー(緑)、メクレンブルグなどのドイツ北部の公国(紫)、ポーランドやポメラニアなどのバルト海西の公国(水色)としています。
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posted by Coyama at 20:23| コペンハーゲンの都市史

2012年04月23日

これからの「地域」を考える

(※後日要修正)
地産地消と言う言葉があります。
これは簡単に言えば地域で生産された様々な生産物や資源をその地域で消費すること。これにより地域の中で経済が回り、かつ遠方への輸送を抑えることでエネルギー消費の削減にも繋がるなど、これからの世の中で求められている重要な考え方だと思います。

しかし一方で、この「地」である地域が、これからの日本では非常に深刻な問題を抱えてくるものでもあります。

◇人口の減少
現在日本の人口は増加から減少に転じて久しく、国立社会保障・人口問題研究所の調べでは日本の人口は今後も減り続けると予測されています。
その予測には出生数と死亡者数の状況に応じて複数の予測が立てられていますが、今から23年後の2035年では人口は約1億700万人〜約1億1,600万人になると予測されています。2012年現在から23年の間に2,000〜1,000万人が減少することになります。
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しかしそこにある課題は人口減少だけではなく、出生高位・死亡中位の予測での65歳以上の高齢者の数の割合は、現在の24.2%から32.4%へ、15〜64歳の生産人口の数の割合は現在の62.8%から55.9%になるといった問題があり、日本には世界でも例のない人口減少社会・少子高齢化社会が到来すると言われています。
このことはすでに多くの人が知っていることではありますが、実はこれは日本全体での予測であり、各地域でのことはあまり扱われてはいません。

どういうことかというと、確かに日本の人口は減少していくわけですが、それでも定期的な流入から都会の人口の数はあまり変わらず、減少は地方都市から急激に問題化されていくだろうと予測されていることです。
つまり2035年に今より1,000〜2,000万人が減少するであろうその減少数は、日本全国ではなく主に地方都市にかかってくるということです。

現在僕は縁あって長野県小諸市と関わりがありますが、その小諸市は現在人口約44,000人。これが国立社会保障・人口問題研究所の予測では2035年には5,000人減の約39,000人になると予測されています。
ただし生産人口は約60%から約55%へ減少、高齢者人口は約28%から約34%へ増加となり、人口が減るだけではなく高齢者の割合が増えることになります。
ただしここには前述の"都心はあまり人口が変わることなく地方都市の人口減少が進む”ということは考慮されていないため、それ以上の人口減少が起こると言われています。

一説には38年後の2050年には日本の人口は9,600万人になるとも言われ、減少する3,000万人が地方都市にかかってくるとなると、その人口は2050年には半減する言われています。
その計算でいくと小諸市などは2050年には20,000人いるかいないかとなります。
さらに就業人口は大都市の10%減に比べて地方都市では30%以上減少すると言われており、特に人口流動は高齢者ではなく生産世代がほとんどと予測されますので、小諸市などの地方都市の高齢化率は50%を越えると予測されます。

このことがより現実味を帯びているのは、福島第一原発事故による影響で出産率の低下がさらに進むであろうということです。
食への不安、環境への不安、出産後の子どもたちの未来の不安を考えると、複数の子どもの出産を控えてしまうことを考える家族も少なくありません。

◇将来の地域が抱える大きな課題
極端な例えかもしれませんが、前述のように小諸市の人口が2050年に20,000人となり、その半数が高齢者などという構成社会になった時に、地方都市での地産地消というのはその「地」が人間レベルでの行動範囲である地域だけでは成り立たなくなります。これはすでに切迫した課題になってきていると思います。

現在小諸やその周辺でも家業を引き継いだり新規就農で農業を営まれている若い人たちも多くいるわけですが、そのような方々の将来にも上記のような問題が差し迫ってきているため、最近では生産だけではなく加工や販売までをも加えた第6次産業といったことが注目され、模索されてきています。

ただし地方都市が抱える問題のもう一つ重要なポイントとして、前述のように高齢化の問題も含まれてきます。
今の20〜30代の若い世代が地方都市でどのように経済活動を行っていくかは重要な課題ですが、例え高齢になるまで無事に生き抜けたとしても、老後に待っているのは若者が少なく高齢化した活力を失った街での生活、ということも十分に考えられます。

そのため今の日本・これからの日本を考えていく時に、「地域産業」と「地域医療・介護」の両方を同時に捉え、さらに「都心との繋がり」を含めて対応していかなければ、半世紀後の日本の地方都市は逼迫した状況に落ち入る可能性が大きいだろうと僕は考えています。

「そういうものはあなたが考えなくてもなんとかなるものよ。」という意見も多いと思います。
しかし過去のそういった人々の考え方の結果が、現在の年金問題や某電力会社を始めとする既得権益の保持体質に繋がっていると、僕は感じています。

◇起業した狙い
このような状況を打破するひとつの解決策として、ICTなどを活用した地域の境界を越えての「地」の中で経済や物流を巡回させる新しい地産地消の形が求められてくるのではないかと僕は考えています。
昨今のインターネットの普及やFacebookなどのSNSが普及してきたことなどにより、「地域」というものの境界は人間的な行動範囲から広がりつつある可能性を持っています。

僕が起業を決意し、これから事業展開を考えていることは、上記の問題に対する解決案の一つを探っていきたいことと、そこにビジネスチャンスがあると考えているからです。
また建築や都市計画を専門として学んできた人間として、都市のあり方、都市の繋ぎ方、コミュニティのあり方などを考えた新しい形での地産地消やスマートコニュニティといったもののあり方を考え、提唱していきたいという思いもあります。

おそらく今僕が考えていること、やろうとしていることに対してまだ理解を示してくれる人は今の日本には少ないだろうと感じています。僕にはまだその考えをうまく人に伝えることが出来ず、また考えだけではなく現実に形にしなければ、理解は得られないだろうということはわかっています。

会社として目指しているのは上記のような課題に対しての解決策となれる事業ですが、個人的には、美しい自然を保った日本の地方都市の環境と、若者たちが夢を叶えるために学習や飛躍のできる都心の環境とを繋げた、明るくよりよい日本の未来を、子孫たちに残してあげたいと願っています。
そのためにも、とにかく小さくてもいいから、少しでも早く形にしていければと思っています。
posted by Coyama at 19:27| 会社のこと

2012年04月22日

参考資料:歴代デンマーク王

デンマーク王国の王として記録として残されている最も古い王はゴーン翁王(Gorm den Gamle)です。ゴーン翁王以前にも多くの王の名前が記録として残っていますが、統治年代については判明していません。年代が重なるものもあり、おそらくそれぞれの地域を治める複数の王がいたとされています。

ゴーン翁王から数えて現在のマグレーテ2世女王までには51人の男性の王と2人の女性の王(1人は実質上の女王)がいます。
この王室の歴史はヨーロッパの中でも最も古く、デンマークはヨーロッパでも最古の王国と言われています。

(ゴーン老王以前の王)
810年死亡 グッフレッド Gudfred
810-812 ヘミング Hemming
812-813 ハラルド クラック Harald Klak
814-854 ホーリック1世 Haarik I
854-約870 ホーリック2世 Haarik II
約870-約890 ハルダン Halvdan
-約950 ゴーン デン ガムレ(ゴーン翁) [ Gorm den Gamle ]
デンマーク国を最初に統一した人物と言われている。
彼の彫像はクロンボー城の地下に展示されている。国の大事にはこの彫像が立ち上がると言う言い伝えがある。

約950-約985 ハラルド1世 [ Harald I Blaatand ]
青い歯のハラルドと呼ばれる王。
イェリンの岩には彼の名で、このデンマークはキリスト教の国とルーン文字で刻まれている。
デンマークという国名が歴史上最初に登場しているのもこの岩。

約985-1014 スヴェンド1世 [ Svend I Tveskaeg ]
1014-1018 ハラルド2世 [ Harald II ]
1018-1035 クヌード1世 [ Knud I den Store ]
イングランド東部を含め、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンなど大北海帝国を築いた王。
しかしこの大北海帝国は彼の死後に崩壊する。

1035-1042 ハーデクヌード [ Hardeknud ]
1042-1047 マグヌス [ Magnus den Gode ]
1047-1074 スヴェンド2世 [ Svend II Estridsen ]
1074-1080 ハラルド3世 [ Harald III Hen ]
1080-1086 クヌード2世 [ Knud II den Hellige]
1086-1095 オルフ1世 [ Oluf I Hunger ]
1095-1103 エリック1世 [ Erik I Ejegod ]
1104-1134 ニルス [ Niels ]
1134-1137 エリック2世 [ Erik II Emune ]
1137-1146 エリック3世 [ Erik III Lam ]
1146-1157 スヴェンド3世[ Svend III Grathe ]
      クヌード3世 [ Kund III ]
      ヴァルデマー1世 [ Valdemar I den Store ]
1157-1182 ヴァルデマー1世 [ Valdemar I den Store ]
内乱の続いていたデンマークを統一させた王。
彼の統治時にロスキレ教区を管轄していたアブサロン司教によってコペンハーゲンが設立された。

1182-1202 クヌード4世 [ Knud IV ]
1202-1241 ヴァルデマー2世 [ Valdemar II Sejr ]
1241-1250 エリック4世 [ Erik IV Plovpenning ]
1250-1252 アベル [ Abel ]
1252-1259 クリストファー1世 [ Christoffer I ]
1259-1286 エリック5世 [ Erik V Klipping ]
1286-1319 エリック6世 [ Erik VI Menved ]
1320-1326 クリストファー2世 [ Christoffer II ]
1326-1330 ヴァルダマー3世 [ Valdemar III ]
1329-1332 クリストファー2世 [ Christoffer II ]
1332-1340 空位期間
1340-1375 ヴァルデマー4世 [ Valdemar IV Atterdag ]
1376-1387 オールフ3世 [ Oluf III Haakonsson ]
1387-1412 マグレーテ1世 [ Margrete ]
実質上デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの三国統一を成し遂げ、それを治めた女帝。ただし当時はまだ女性に対しての王位継承権はなかったため、史実上では女王ということにはなっていない。

1412-1439 エリック7世 [ Erik VII af Pommern ]
マグレーテ妃の遠縁にあたり、彼女の摂政を受けてデンマーク・ノルウェー・スウェーデン連合国の王位を継承した王。
1416年にはそれまでロスキレ教区が支配していたコペンハーゲンの管理権を奪い、王族の拠点をロスキレからコペンハーゲンへと移したとされる。東海峡の通行税などを制定し国力を高めた。

1440-1448 クリストファー3世 [ Christoffer III af Bayern ]
1448-1481 クリスチャン1世 [ Christian I ]
先王クリストファー3世に子どもがいなかったことから、スレスヴィグ公国の貴族オルデンブルグ(Oldenburg)家より迎えられた王。
このオルデンブルグ家の血筋はフレデリック7世まで続くこととなる。

1481-1513 ハンス [ Hans ]
1513-1523 クリスチャン2世 [ Christian II ]
スウェーデンの治世を回復するため、地元貴族を宮殿に呼び出し、女子供の一族のすべてを虐殺した「ストックホルムの血浴」事件を起こした人物。
そのことによりスウェーデンはカルマル同盟を破棄、また愚行から叔父のフレデリック1世により失脚。国外追放をされる。

1523-1533 フレデリック1世 [ Frederik I ]
1533-1534 空位期間
1534-1559 クリスチャン3世 [ Christian III ]
1559-1588 フレデリック2世 [ Frederik II ]
1588-1648 クリスチャン4世 [ Christian IV ]
デンマークの歴代の王の中で最も人気のある王。政治のみならず建築や都市計画にまで才を発揮し、現在のコペンハーゲンの骨格を築いたとされる人物。
しかし一方でそれらの散財のために国力の衰退を招いたという面も持つ。

1648-1670 フレデリック3世 [ Frederik III ]
父であるクリスチャン4世の跡を継ぎ、スエーデンとの死闘を繰り広げた王。1659年のスウェーデンの猛攻を死守した後、デンマークに絶対王政を制定する。
このような戦を多く行った反面、学術においても広い才能を発揮し、コペンハーゲン大学(当時はラテン語での教育)や書籍を保管して閲覧するための王立図書館を設立した。

1670-1699 クリスチャン5世 [ Christian V ]
1699-1730 フレデリック4世 [ Frederik IV ]
1730-1746 クリスチャン6世 [ Christian VI ]
1746-1766 フレデリック5世 [ Frederik V ]
1766-1808 クリスチャン7世 [ Christian VII ]
1808-1839 フレデリック6世 [ Frederik VI ]
1839-1848 クリスチャン8世 [ Christian VIII ]
1848-1863 フレデリック7世 [ Frederik VII ]
絶対王政を廃した王。
生涯で子どもを持つことがなく(不妊症ともされている)ここにオルデンブルグ朝の血筋は絶えることとなる。

1863-1906 クリスチャン9世 [ Christian IX ]
グリュックスブルグ(Glucksburg)朝

1906-1912 フレデリック8世 [ Frederik VIII ]
1912-1947 クリスチャン10世 [ Christian X ]
1947-1972 フレデリック9世 [ Frederik IX ]
1972-現在 マグレーテ2世 [ Margrethe II ]
現在の女王。父フレデリック9世の亡き後、彼には息子がいなかったために長女であるマグレーテ王女が女王として即位した。14世紀のマグレーテ1世は当時はまだ法的には女性の王位継承が認められていなかったため、史実上デンマーク王室初の女王ということになる。フランス貴族のヘンリック王子との間にフレデリックとヨアキムという2人の王子を授かった。

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△ 現在の王室(右からマグレーテ2世女王、フレデリック皇太子、マリー妃、ヘンリック王子)
posted by Coyama at 20:03| コペンハーゲンの都市史

2012年04月21日

デンマーク人建築家/ヨーン・ウッツォン

先日シドニーのオペラハウスに関してデンマークの建築家ヨーン・ウッツォンさんのことを書きました。
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120306-1.html
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120324-1.html

今日はもう一つ、そんなヨーン・ウッツォンさんの話。

ヨーンさんの作品の一つで、コペンハーゲン北部にBagsværd Kirkeという教会があります。
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この教会、どことなく日本のディテールを感じさせられるのですが、それもそのはず。ヨーンさんは日本のデザインからかなりの影響を受けて、自身のデザインに投影しているのです。
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中でも有名なのは特徴的なその教会の内部。
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有機的な曲線がひときわ目を引く空間となっているのですが、この曲線、実は日本の浮世絵師・葛飾北斎さんの浮世絵からイメージを得たと言われています。
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葛飾北斎さんの代表作でもある富嶽三十六景 神奈川沖浪裏の、そのうねり上がる波のカーブからとった曲線だと言われています。

他にもヨーンさんがデザインをしたスカーエン自然センター(Skagen Odde Nature Centre)なども、要所要所に日本的なデザインが見られます。
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これは鳥居かなにかでしょうか。
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ヨーンさんはシドニーのオペラハウス以外にはそれほど取り上げられるような作品を残しませんでしたが、彼の息子のヤンさんやキムさんは父親と同じく建築家になり、娘のリンさんはデザイナーになりました。
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△ キム・ウッツォンさんの作品/ローゼンダール本社

2005年のH.C.アナセン(アンデルセン)生誕200年記念の際にローゼンダール社から販売されたアナセンディナーウェアのデザインは、ヨーンさんの娘のリン・ウッツォンさんによるものです。
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今やデンマークを代表する女性デザイナーとなったリンさんがデザインしたそのディナーウェアには、アナセン物語を代表する6つのお話のシンボルがデザインされています。
モチーフになっている6つのお話とは「親指姫」「人魚姫」「みにくいアヒルの子」「ナイチンゲール」「雪の女王」「チョウ」だそうです。
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この特徴的なブルーとホワイトのコントラスト、ただお皿に色を焼きつけただけではなく、微妙な凹凸 によりモチーフやリンさんのデザインの特徴である白い葉が浮き出るように工夫がされています。
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シドニーのオペラハウスの建設に関しては様々な問題もあったみたいですが、世界的に知られる代表作を世に残した。
しかしそれ以上に、自分の子どもたちが親の背中を見て育ち、建築家・デザイナーとして後世で成功しているということでは、ヨーンさんは芸術家としてなによりも素晴らしいものを残したのではないかと、僕は思っています。
posted by Coyama at 19:16| デンマークのこと