2012年04月30日

井の中の蛙

10年前、デンマークへ渡る際に僕は空路ではなく陸路を選択しました。
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その目的は日本とデンマークとの距離を体感したかったのと、もう一つアジアとヨーロッパとの境目を体感したかったということでした。

実際にアジアとヨーロッパの境目は、シベリア鉄道でモスクワからアジア側に1,777kmの地点にあり、そこには境を示すオベリスクが立っています。
しかし線路上にあるため当然ながら電車に乗っていると車窓の右から左へ一瞬で消えて行きます・涙
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では実際にそのオベリスクを境にアジアとヨーロッパの変化を感じたかと言うと、そのようなことはありませんでした。

僕が実際にアジアとヨーロッパとの境を感じたのは、ロシアのサンクト・ペテルブルグからフィンランドのヘルシンキへ抜けた時です。

その時僕は電車で越境したのですが、途中で検問があるため3時間かかりました。しかし検問がなければおそらく電車での時間は1時間半程度だったと思います。
その距離は僕の感覚ではありますが、おそらく東京駅から中央線で西へ進み、甲府駅ぐらいまでの距離なのではないかと思います。
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その電車でたった1時間半程度の距離なのに、ヘルシンキに到着すると、街の雰囲気がガラッと変わったことに僕は驚きました。
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ただ、僕にアジアとヨーロッパとの違いを認識させたのは、その街の雰囲気の変化ではありません。

僕はロシアでは、東端のウラジオストクから西端のサンクト・ペテルブルグまで12日間滞在していました。その間、ロシアでは水道の水は飲む事は出来ず、水は常にお店や車内販売などでペットボトルに入ったものを購入していました。
もちろん途中で宿泊したホテルの部屋などにも水道はありましたが、シャワーを浴びるときでも、水道水からはいかにもお腹を壊しそうな、そんな鉄臭い臭いを感じました。

それまで僕は海外に行った事はなく、日本で育っていましたので、水というものは水道の蛇口をひねれば出てきて飲む事が出来るものだと思っていたのです。
ところがそうではない事を、ロシアを旅した事で体感させられました。

そしてフィンランドのヘルシンキに到着し、ホテルに着いた時、バスルームの水道に英語で書かれた「この水は飲めます!」という表示を見た瞬間、僕はそこでアジアとヨーロッパとの境を感じたのです。
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そしてその時の経験から、それまで当たり前だと思っていた「水道の水が飲める」ということは実は当たり前ではないのだということを体感しました。

そんな出来事を、僕はアジアとヨーロッパの違いとして、時々話をしていました。

それから2年後のこと。

僕は旅の最後にグリーンランドへ立ち寄りました。

コペンハーゲンからグリーンランドの南部のナサスアク空港までは飛行機で行き、そこからフェリーで4日間かけて北上。
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途中で北極圏を越えてイルリサットという町まで向かい、そこからさらに小舟に乗り換えてイリマナクという人口99人の村へ行き、そこのグリーンランドの民家に2日間滞在をしました。

このグリーンランド旅行はツアーパックでした。しかし一般的な観光ツアーではなく、普通の観光ツアーでは体験出来ない現地の生活を体験出来るツアーといったもので、ホテル滞在ではなくグリーンランドの一般の民家に宿泊したわけです。
しかし民家とはいってもホームステイではなく、ツアー会社が借りている村の空き民家です。
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ツアーガイド女性のヨハネに連れられ、夕方にイリマナクの宿泊所に到着した僕を含めたツアー客3人は荷を解いてくつろぎ、カフェを楽しんでいました。

しばらくして就寝の時間になり、部屋で休む前にヨハネが我々に大事な注意事項を伝えてきました。
それは、「キッチンにシンクはあるけど水道はない。」「水は玄関先にあるタンクに汲まれているのでそれを使う事。」「洗い物もそうだし、歯を磨いたり顔を洗うにもその水を使うように。」と。
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ちなみに「シャワーは町の中心部にある施設にコインシャワーがあるのでそこを使ってね。」とのことでした。

その説明を玄関前にあるタンクの前に連れて行かれて聞かされた我々は、次にトイレに連れて行かれました。
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トイレには普通に便座がありました。そしてその横にはシンク。そしてシンクの下に薄汚れた水の入ったバケツが置いてありました。
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『なるほど、用をたした後はこの水で流すのだな』と僕が思った次の瞬間、ヨハネの口からとんでもない説明がありました。

「トイレで用をたした後は、シンクでこのバケツの水を使って手を洗ってね。」と。。。

実は便座があるトイレは、僕は『バケツトイレ』と命名したのですが、腰掛けるくらいの高さのバケツに、日本の厚手のビニール手袋のような厚手のビニール袋が、よくゴミ箱などにスーパーの袋をゴミ箱のふちに引っ掛けておくような形でかぶさっていて、その上に便座とふたが置かれているだけなのです。
いわゆる“ボットン便所”は下に開けられた穴にブツが落ちるわけですが、このバケツトイレは前の人のブツがそのまま、フタを開けると中に積み重なっているわけです。
もちろん放っておくと溢れてしまうわけですが、そこは2〜3日に1度、村役場の人間が新しい袋に交換しにくると言います。

実はグリーンランドは北極圏にあるために排泄物を分解するような微生物が存在せず、そのままにしても土に返る事がないのだそうです。
そのため特殊な方法で処理されるので、トイレに関してはそのような方法がなされているのです。

もちろんそれは99人の村だからであって、近代の大きな町ではきちんと上下水道が整備され、シンクには水道もありトイレも水洗になっています。

それにしてもその『バケツトイレ』の衝撃は、それまでの僕の概念を覆すには十分なものでした。

ロシアからヘルシンキに抜けたところで、僕は水道の水が飲める事のありがたさに気がついたわけです。
そのことをその後僕は自慢気にあちこちで話していわたけですが、グリーンランドでは、“その水道すら存在しないのだ”という現実を目の当たりにしました。

自分が思っていた事よりも、さらに当たり前が当たり前でない、思いもよらない環境が、世界にはあった。

その体験以来、『自分が今いる環境に当たり前にあることが当たり前でないのだ』という思いを僕が持つようになったのと、どんなに自分が想像力を働かせて推測をしても、まったく想像もできないようなことが、この地球上に今この瞬間も存在しているのだと、僕は思うようになりました。

日本にいて、当たり前に過ぎしている事が、場所が変わると実は当たり前ではない。
そしてその当たり前ではないことも、さらに別の場所では当たり前ではない。上には上がある。

ロシアでは水道の水が飲めなかった。それをすごい事だ・貴重な体験だったと思っていたら、グリーンランドの小さな村にはその“水道”すらなかった。
それは僕にとっては衝撃的な体験だったわけですが、おそらくその“水道がない”というイリマナクの状況よりも、もっと想像の出来ない環境が、きっとこの世にはあるのだと僕は思っています。

これは残念ながら体験しなければわからない事だと思います。

当たり前のことは、当たり前ではない。
それを僕は体感しているので、どんなにつらい事や苦しい事があっても、この日本で日々生きていられるということは幸せな事だと感じる事が出来、様々な事に感謝をする気持ちでいられます。

みなさんもそのような経験をされたことはありますか?
posted by Coyama at 22:16| 思ったこと・感じたこと

2012年04月29日

デンマークに暮らしてみれば

ブログを書き始めて今日で100日目。とりあえずどこまで続けられるかわかりませんが、ブログを書くと始めた以上は出来るところまで書き続けてみたいと思います。
ちなみにお気づきの方もいるとは思いますが、書く気力がなかったり時間がない時の記事はすでに書き溜めてある「コペンハーゲンの都市史」になります・笑

今日もあまり書く気力がありませんので、9年前の2004年に、ある雑誌に寄稿したデンマークに関する記事を載せたいと思います。

『デンマークに暮らしてみれば』

北欧・デンマークの春の息吹きは、デンマーク語でポスケと呼ばれる4月のキリスト復活祭から始まります。春の訪れを迎え祝う意味もあるこの行事では、新しい生命の象徴として、彩られた卵やヒヨコの人形などが各家庭に飾られ、スーパーには卵型のチョコレートや、ヒヨコの絵のビールなどが並べられます。
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長く暗い冬から解放されたデンマーク人は、それまでのうっぷんを晴らすかのように、草花の芽生えと共に一斉に外へと飛び出します。大地一面に白いアネモネの花が咲き乱れる春を過ぎると、なかなか太陽の沈まない明るい夏が訪れます。
特に6月や7月の太陽は、10時になっても沈むことはありません。
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そんな待ち焦がれていた太陽の下で、人々は野外に飛び出しスポーツやバーベキューなど、さまざまな形で短い夏を精一杯楽しみます。
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町のカフェやレストランでは外にたくさんのテーブルやイスが並べられ、多くの人々が食事やおしゃべりに興じます。

もちろんビールも欠かせません。世界的に有名なカールスバービールとツボービールはデンマーク人にこよなく愛されています。
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デンマークではこの時期になると、昼間からビールを片手に、太陽の下で友人達とのんびりと語り合う姿をよく見かけることができます。
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そんなゆったりとした時間を、デンマーク語でHygge(ヒュゲ)と言います。ヒュゲとは楽しい、心地よい、という意味です。デンマークではよく別れ際に「今日はとてもHyggeでした。」とこぼれるような笑顔で握手をして別れます。幸せの時間を共有できたことに対する感謝を表す言葉です。
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8月を過ぎると、自然はその色を徐々に薄めていき、11月になると昼間よりも夜の時間が長くなります。
夏は太陽の下で楽しむHyggeな時間は、長く暗い冬には家の中で楽しむものになります。わずかしか顔を出さない太陽の代わりに、デンマーク人のこころを癒してくれるのがキャンドルの灯りです。
デンマークでは、どんな家庭にも様々なキャンドルスタンドがあり、冬には毎日のようにオレンジ色の暖かな火が灯され、家の中に家族の影が揺らめきます。
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外は氷点下になるデンマークの冬も、室内は暖房設備が整備されているためにとても快適に過ごすことができます。そんな心も身体も暖かく感じられる家の中で、人々は大切な家族や友人達と、キャンドルの灯りを囲み、ビールやホットチョコレートを手にHyggeな時間を楽しむのです。

デンマークは首都のコペンハーゲンに人口が集中している小さな国です。しかしHyggeでのんびりとしたデンマークの本当のよさは、コペンハーゲンよりも離れた地方の街にあります。

大きな青い空と、どこまでも続く緑の大地。オレンジ屋根の白壁の伝統的な農家が生えるデンマークの田園風景は、この国が得意とするどんな商業デザインも適わない素晴らしい自然の芸術品です。
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特にその景色が一番美しくなるのが4月の終わりから5月にかけての春の時期です。
大地一面を覆う菜の花畑は、まるで黄色い絨毯のようにデンマークの大地を彩り、人々のこころに感動と安らぎを与えてくれます。
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長い冬の後に訪れる喜びの春。いつまでも沈まぬ太陽の下で過す笑顔の夏。冬支度がはじまる穏やかな秋。キャンドルの灯りが暖かい冬。デンマークで暮らしてみると、日本の四季とは違った、季節のもつ新しい魅力を感じることができます。
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そして今日もデンマークのあちこちでは、人々は季節を感じながらhyggeな時間を楽しんでいるのです。


一口コラム
『デンマークの母親は王室がお好き』
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△ 右からマグレーテ2世女王、フレデリック皇太子、マリー妃、ヘンリック卿

2004年5月14日に行われたフレデリック皇太子とマリー妃の結婚式はデンマークの母親たちにとって大きな喜びの日となりました。
デンマークの王室はとてもフレンドリーです。現マグレーテ2世女王も、町中で買い物中にバッタリ遭遇、なんてことも本当にあるのです。そんな愛すべき王室の話題はつねにデンマーク人たちの関心の的となっています。特にフレデリック皇太子の交際相手は国民が長年やきもきしてきた話題でした。
国民からの祝福を受けた結婚式が終った今、デンマークの母親たちの次の関心は、早くも跡継ぎの話題に移っています。自分達の王室を、まるで家族のように愛する気持ちが、デンマークの人々の心には溢れているのです。


私が選ぶデンマークの3つ
『デンマークが世界に誇る童話作家/ハンス・クリスチャン・アナセン(アンデルセン)』
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世界的に有名なアンデルセン童話の作者H.C.Andersenはデンマーク人です。来年2005年には、アンデルセン生誕200年にあたり、デンマークではさまざまなイベントが行われます。
しかし、このAndersen、日本では「アンデルセン」と呼びますが、デンマーク語では「アナセン」と発音します。デンマーク語では[d]はあまり発音しないのです。
デンマーク人はみな彼のことをホー(H)・シー・アナセン、と呼びます。もちろん彼の作品はデンマークでも人気があり、子供達はアンデルセン童話を読んで育ちます。
彼が幼少時代を過したオーデンセの街にはアナセン(アンデルセン)博物館があり、毎年彼の童話を愛する世界中の人々が訪れ、賑わっています。


『デンマーク人の主要交通手段/自転車に優しい国』

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デンマークで一番重要な交通手段は自転車です。デンマークの道路には車道と歩道の間に専用自転車道があり、自転車での移動がしやすい環境が整備されています。
しかし多くの観光客が訪れる夏のシーズンには、この自転車道を知らない人々が自転車道を歩き、コペンハーゲンの自転車乗りたちの頭を悩ますひとつの種となっています。
そんなデンマークの自転車の中でも興味深いのが、子供を乗せて走るための自転車の荷台です。ちいさなテントのようなその荷車は自転車の前や後ろに取り付けられ、子供達を乗せて走る愛らしい姿を街のあちこちで見かけることが出来ます。


『デンマーク人の愛国心/国旗を愛するデンマーク人』
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デンマーク人は自分達の国旗が大好き。Dannebrog(ダーネブロ)と言う名のデンマークの国旗の由来はとても古いもので、遥か昔、デンマーク建国のきっかけとなる戦いの時に空からこの旗が降ってきた後、戦いに勝利したという伝説から使われ始めたといわれてます。
デンマーク人はこの歴史ある国旗をこよなく愛し、多くの家の庭には国旗掲揚のポールが立てられ、祝い事のある時は高々と国旗が掲揚されます。
街のお店に行けば、国旗をあしらった様々なシールや、手に持つサイズのデンマークの国旗をあちこちで買うことが出来、デンマーク人はこれを誕生日などの祝い事の飾りつけに使うのです。
posted by Coyama at 21:08| デンマークのこと

2012年04月28日

街頭募金活動に思うこと

時々大学生のサークルか何かといった感じの、若者の集団が街頭募金活動を行っている姿を見かけることがあります。

僕はそれ対しては募金先がどんなに正しい募金先であろうと募金はしません。
理由は、募金を集めている人たちの行動に共感できないからです。

もちろん街頭募金には募金をしない、と言っているわけではありません。

明らかに大学生の集団や若者の街頭募金には募金をしない、ということです。
それらの行為は彼らの自慰行為でしかなく、募金で助けたいものがあるといった気持ちのある行動ではなく、募金を募っている自分に酔っている行為以外の何物でもないと僕は思うからです。

彼ら彼女らが駅前で1日立つ分、日雇いのアルバイトをしたらいくらになるでしょうか。
それで稼いだお金を全額寄付するのと、他人のお金を集めるのと、額としてはどちらが大きいのでしょうか。

なぜ街頭募金をしている若者たちは他人のお金をあてにするのでしょうか。
なぜ一人で立たずに集団で立っているのでしょうか。
なぜ自らは何もせず、「お願いします」と大声を張り上げるだけでお金を得ようとするのでしょうか。

僕は、例えば街角で道路整備の警備員をしている若者が、横に募金箱を置いていて、そこに「私の今日の賃金はすべて心臓移植を待っている10歳の○○ちゃんの手術費捻出のために寄付をします。みなさまもどうぞご協力お願いいたします!」と表示の一つでも目にすれば、僕は進んで募金をします。

街頭に立つのであれば、ギター片手に歌うなり、道化師の姿でパフォーマンスをするなりすればいい。そしてその横に「このパフォーマンスは募金のために行っています。集めたお金は全額○○○○のために寄付をいたします。みなさまからのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。」と書いておけば、そのパフォーマンスがお金を得るものとして値するのであれば、僕は募金箱にお金を入れます。

コンビニのレジのお兄ちゃんお姉ちゃんが、首から「今日の私の賃金はすべて○○○○に募金いたします。みなさまもご協力をどうぞよろしくお願いいたします。」という札をかけていて、レジ横にその募金箱があったら、僕はそのお兄ちゃんお姉ちゃんの行為を素晴らしいと感じ募金箱に募金をします。

自分から身を削らずして、他人のお金を集める行為は、それはチャリティーでもなんでもないと、僕は思います。

それが許されるのは、働くことが出来ない小中学生(高校生まではギリギリ許されると思いますが)や、何らかの事情で働くことが困難な方々だけです。
健康で体が丈夫で、若さもあり、一日街頭に立って募金を募るぐらいの時間があるなら、その分自ら汗水たらして働けばいい。
いくら不景気な世の中だと言ったって、今の日本でも少し探せば日雇いで出来るアルバイトはいくつでも見つかります。
それが少額であろうが、その稼いだ一日分のお金を募金すればいい。その募金は、その金額以上に価値のある募金であるし、人のために役立つ本当の募金になると思います。

そういうことはいつ・どこで・誰が、彼ら彼女らに教えているのでしょうか。
逆に彼ら彼女らはいつ・どこで・誰からそのことを教わるのでしょうか。

僕は自身の生活に余裕がある時には、収入の5%は人のために使うよう常に心がけています。
それらを募金させたいと僕が思うような、芯をしっかりと持った熱意ある募金活動者に出会いたいものです。
posted by Coyama at 16:40| 思ったこと・感じたこと

2012年04月27日

1500年頃のコペンハーゲン

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1. コペンハーゲン城
2. Bremerholm(Bremer島)
3. ニコライ教会
4. Vingaarden
5. Kringelen
6. バター小屋
7. Østerport(東門)
8. Pilegaarden
9. Peder Kaenpes 塔
10. Hans Claussøns 塔
11. 聖クレア修道院
12. 食肉市場
13. 聖Gertruds 礼拝堂
14. 聖 Gertruds 門
15. Rosengaarden
16. Nørreport(北門)
17. Løve塔
18. Hane 塔
19. 聖 Peders 教会
20. Karmelitter 寮
21. Teglgaarden
22. Jarmers 塔
23. Vesterport(西門)
24. 聖クレメンス教会
25. Vandmølle 塔(水車塔)
26. 絞首台
27. 水車
28. 銭湯
29. Bødlens Hus
30. 市庁舎
31. 大学(ラテン語による教育の場)
32. Vor Frue 教会
33. Graabrødre 修道院
34. Helligaands 修道院
35. Dyvekes Gaard
36. 聖 Annae 病院
posted by Coyama at 19:21| コペンハーゲンの都市史

2012年04月26日

おかしな世の中 −音を出さない車輪ー

先日の京都府亀岡市の心痛ましい事件。18歳の無免許運転をしていた人間が通学途中の小学生たちの列にあろうことか居眠り運転で突っ込んで行き、死傷者を出した事件。
そのニュースを耳にし、心痛ましいでは言い表せないほどの憤りの一方で、加害者たちの言動に不思議さを感じる人も少なくないと思います。
運転をしていた人間の言動にも驚かされますが、さらに同乗していた人間たちがとったとされる行動にも驚かされました。現場にいても慌てる事なく、何事もなかったかのように携帯電話で誰かと話をしていたのだとか。

この問題に対して、ただ「最近の若者がおかしい」では済まされる話ではないと僕は思っていたのですが、そう思っていた矢先に今度は被害者の連絡先を加害者遺族に教えると言う京都府警の失態が取り上げられました。
なんともやるせない世の中だなと感じています。

先日、ある年配の方と話をしていた時に、僕がついここ最近の若者の行動に不思議さを感じると言ったら、「あなたのような若者が『最近の若者は・・・』なんていうのは可笑しいわよね」と笑われました。
僕は逆にそのことに驚きました。

僕の話は「近頃の若者はけしからん云々・・・」のようなものではなく、具体的に、ここ1〜2年で若者の質が変わってきていると感じていることを話しました。
例えば下りのエレベーターに乗っていて地上階に到着し、そこで当然降りる人がいるのにその前に平気で乗り込んでくる若者を何度も目にしている。携帯などを見ながら歩き、ぶつかりそうになったりぶつかったりしてもお詫びの一言も言わない。道を歩いていてすれ違う際に、道の真ん中を歩き避けようとしない。さらに集団で歩いていると対抗者や後ろから来る人がいても道を開けようとしない。
そういう僕からすると少し驚くような変化を、ここ1〜2年の10代20代の若者に感じるようになりました。

いくらいつの時代も若者は傍若無人だといいながらも、ここ数年の若者の質の変化は少しおかしいと僕は感じています。

そのことは漠然と僕の頭の中にあっただけだったのですが、先日ある大学の教授とのお酒の席で、その教授も「ここ1〜2年で学生の質がものすごく変わった。これまでとは考えられないような不可思議なことが多々ある」と話されていて、僕が感じていた事が僕だけが思っているわけではないと知りました。

そこで前述の年配の方との話の中で、たまたまそのようなことを話題にしたのですが、それを聞いてその方が僕に言ったのが「あなたのような若者が『最近の若者は・・・』なんていうのは可笑しいわよね」という返答。

その方はそろそろ仕事を引退して隠居生活に入られる年齢なのだそうですが、僕から言わせていただくと、『あなたたちが今の日本と、今の若者を育てる社会を作ってきた。そういう態度が今の社会問題を生み出してきたのではないか』と僕は思っています。

人の話をよく聞かない。人を見かけで判断する。こういうものだと決めつける。先入観。
口で言っておいて実行はしない。その時の都合でコロコロ変わる。つまり責任感がない。
そういう大人たちが、今の若者の変化の原因のひとつにあるだろうと、その方との話だけではなく、普段からの多くの人たちとの関わりの中で僕は感じています。

またこんなこともありました。
先日長野から高速バスで帰京する際に、車内に音楽プレーヤーから漏れ出た音が車内に響いていました。
僕は車中で読書をしていたのでうるさいなと思いながらも、僕の周囲で音の出どころが確認できなかったので、しかたがなく我慢をしました。

しばらくして途中のパーキングエリアでトイレ休憩となり、席を立つと斜め後方の席に音の原因を作っていた若者が座っているのが見えました。
驚いたのは彼の前後や通路を挟んだ隣にも人が座っていたのに誰も何も言わなかったということです。離れている僕ですらうるさく感じたのだから、近くに座っていた人たちが感じていないわけではないと思います。
僕はその若者のところに行き、寝ていた彼の肩を叩いて起こし、音漏れをしているから少しボリュームを下げてくれるようお願いしました。
彼は普通に、すみません、と言ってボリュームを下げました。

若者に対してはなんてことはありません。よくあることです。それに注意をしたらボリュームを下げた。
驚かされたのは見て見ぬ振り、我関せずと決め込んでいた周囲の人たちの行動でした。

僕が世の中のおかしさに疑問を感じたのは今から12年以上前の大学生時代のことです。
当時神戸の連続児童殺害事件や若者のバスジャック事件、親殺し子殺しなどの事件が目につくようになり、また大学での周囲の人たちと触れている中で、何か漠然とした人間のあり方としてのおかしさを感じ始めました。

一方で大学の卒業論文のテーマとして取り上げた児童施設と高齢者施設との複合施設の研究から、児童と高齢者だけではないその中間にいる人たちを含めた多世代での交流の重要さを感じ、以後多世代交流の研究に挑み続けることになりました。
理想型を求めて都心を調べ、次に修士論文で日本全国を調べ、その結果として海外・デンマークまで行くことになりました。

それから今日に至るまで、常に多世代交流のあり方を模索し続けています。
長野県小諸市での活動も、理解者は少ないですが、僕は最初からその一環で取り組んでいます。

そのような多世代交流を追い求めて行った中で僕が重要視していることは、多世代での交流に重要なのはそこにいる人々がどんな年齢になっても学び続ける姿勢を持っている、ということです。
詳しく書くと長くなるのでそのことは別の機会に書きたいと思いますが、今の日本人の成人の多くは、その「学ぶ姿勢」が欠けていると僕は感じています。

そして学ぶ姿勢を失ってしまった人たちが50〜60代になり、今の社会を動かしている。

『そんなことはない。あなたがそう感じるだけで世の中そんな人たちばかりではない。』という意見もよく聞かれます。
確かに、そうでない人たちもいると思います。しかし学ぶ姿勢を持っていない50〜60代の人たちは今の日本には圧倒的に多いと僕は思います。

その人たちに共通しているのは、僕が思う中では主に下記の2つです。
・学ぶということは偉い人・地位のある人・年上の人からだと思っている
・自分が撒いた種なのに、気にそぐわない芽が出てきたら見て見ぬ振りをし責任を持たない

彼らはまず「『学ぶ』ということを前にして、人はいかなる状況であろうと平等である」という精神を持っていないように思います。
それから自ら事を発しておいて、それが手に余るようになると放り出してしまう。それも何も言わず、いいとも悪いとも言わず、黙ったまま、何事もなかったのように振る舞おうとします。
失敗を認めない、責任を取らない、そこから何も学ばない。だから次に活かせない。
今の日本にはそのようなな50〜60代が増えていると、僕は感じています。

そしてそんな人たちを「先生」や「業界の神様」だと崇めて学ぶ学生たちがいる。
技術は学べるのかもしれませんが、人としての道理は学べないような気が、僕はしています。

そんな人たちを上司や先輩に持つ30〜40代、教師や親に持つ10〜20代の次世代も、きっとこの先同じ道を辿るのだろうと、今の30〜40代、10〜20代人たちを見ていると感じます。

もちろんそんな人たちばかりではありません。
ただ、これでいいのか、と今の日本を疑問に思う人が日本にはどれくらいいるのでしょうか。頭では思っていても実際に行動に移せる人がどれくらいいるでしょうか。
行動というのはなにも社会活動だとか大きな事を言っているのではありません。前述の音漏れに対して少しボリュームを下げるように注意するといった、その程度の小さなことも行動のひとつです。

おかしいことをおかしいと言うことがおかしいと避けられる今の日本。それは民度の低さの現れでもあると思います。
ヨーロッパと日本の大きな違いは、学力でも技術でもなく、大人の成熟度だと、僕は自身の経験から強く感じています。

問題はもっと複雑だと思いますので、必ずしも僕の考えが正しいとは言いませんが、このまま何もしなければ、日本はますますひどくなって行く。先日の亀岡市で起きたような事件は日本で今後もなくなることはないだろうと、僕は感じているのです。

最後になりましたが、今回の事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げ、怪我をされた方々の少しでも早いご回復をお祈り申し上げます。
posted by Coyama at 21:15| 思ったこと・感じたこと