2012年03月25日

学歴ってなんだろう?

先日某大学で・・・と書いてもどうせわかってしまうことなのではっきり書きますが、先日早稲田大学にいた時に、僕のデスクがある部屋の打ち合わせブースで年配のおじさまと若い大学の先生がなにやら打ち合わせをしていました。ちなみにその若い先生は僕と同年代の方です。

僕がデスクで作業をしていると、ところどころ話の内容が聞こえてくるのですが、その内容がどうもいかがわしいのです。
あまり書くと陰口にもなってしまうので詳しくは書かないようにしますが、要はなんだか怪しげな宗教団体のような内容でした。

それはたまたま僕が聞き取った部分が怪しいのかもしれず、もっと“人間的な”話をされているのかと思ったのですが、どうやら終始真剣に僕には怪しげに思えるその内容を議論しているようでした。

そのお二方はどちらも早稲田大学の出身らしいのですが、会話の最後の方で、若い先生が崇拝するような口調で年配の方に「いやぁ、やっぱ早稲田っていいですね。本当にいろいろな考えを持った方々がいらっしゃる。幅が広いですよね。」と言うと、年配の方が「早稲田はね、特別なんですよ。六大学の中でも、早稲田だけは大学の名前に和語が入っている。他はみな漢語でしょ。だからなんですよ。」と答えました。
それに対して感心した様子で「おぉ、なるほど。」と答える若い先生。

何が「なるほど」なんだろうかと思い聞き耳立てていた僕。

その後の話はあまりよくは聞き取れなかったのですが、時々嫌でも聞こえてくるその会話では、とにかく早稲田大学というのは特別な大学だ、ということを話されていました。

僕はこれまでいろんな大学を見たり関わったりしていますが、それぞれの大学に特徴はありますが、特にその大学だから崇高だ、なんてことを感じたことはありません。

僕の親しい友人には、大学に行っていない人も多いです。
一方で今まで東大やら京大やら国立大やら早稲田やら、どこぞの大学院を出ただのと、高い学歴をお持ちの方達にも多く会ってきました。

その人たちと会話をする中で、“人としてまともな”会話や応対ができるのは、僕が感じただけのことではありますが、圧倒的に前者でした。
後者の人たちを非難するつもりもありませんし、みながみな“人としてまともな”会話や対応が出来ないとは言いません。
それに僕が出会った後者のタイプは研究職の方々が多いわけで、一般社会の中で生きていられる後者出身の方々は“人としてまともな”会話や対応が出来る方が多いだろうと推測しています。学歴が高いからまともじゃないというのもおかしな話ですからね。

ただ、学歴って何なのだろうか、と上記の体験をする度に、常々考えさせられます。

大学に所属をして、卒業したから学歴ゲット。で、それで偉いのでしょうか?

大学に行かなくても、「学歴」というものは高校や中学校も書くわけですから、そもそも学歴というのは「所属大学歴」ではなくて「自身が学んだ歴」なわけですよね?
東大京大に行って、研究に没頭するのも、遊びやお金やセックスのことばかり考えて(まぁ東大京大に進むような人は真面目な方が圧倒的に多いのでそんな人は少ないと思いますが)、それでもどっちも同じ「学歴」なのでしょうか。
なんか違うような気がするんです。

そのことをくどくど書くと長くなるのでやめますが、学歴ってのは生きていく上で本当に重要なのだろうか、と僕は思うのです。

数年前まで、僕は大事なことは「どこにいるか・いたか」ではなく、「今、何をしているか」が人間が生きていく上では重要なことだと思っていました。
ただ数年前からはその「今、何をしているか」もあまり重要なことではないのではないかと思うようになりました。
大事なことは、「今、周りに誰がいるか・いてくれるか」なのではないのかな、と。

別の言い方でもよく「その人の友達を見るとその人の“ひととなり”がよくわかる。」とも言いますよね。あれに近い意味です。

学歴で言ったら、僕自身の学歴は、高くある人から見たら“たいしてない”のでしょうし、さほど持っていない人から見たら“けっこうある”ように見えるような学歴だと思います。
でも実際にそれらの学歴に載るような学び舎には、僕は頭の良さや筆記試験の高得点で入ったものは何もありません。僕の出身大学は法政大学ですが、入試はデッサン試験でした。書くと長くなるのでやめますが、デッサン試験の前にやる気を消失し、半ばやけくそで描いたデッサンが他に比べると奇抜だったので受かったのではないかと思っています。
その後法政の大学院に試験を受けて進みましたが、内部からの進学は大抵は受かるものです。
デンマーク王立芸術アカデミー建築大学にも1年程研究生として所属しましたが、あれも実力を評価されたのではなく、それまでデンマーク語を習得してから学びたいなどと1年も語学学校に行っている留学希望者はいなく、採用担当者が興味を持って、本来なら4月で採用を決めるのを、僕はなぜか当時いた語学学校が終わる6月まで待たされ、試験や審査ではなくデンマーク語の面接をして、まぁそのくらい話せるのであれば来たら?、ということで受け入れてくださいました。
帰国後に法政大学院の研究生として2年間在籍しましたが、それもお金を払えば誰でも所属が出来た肩書きです。
その後仕事の関わりで工学院大学に2年、早稲田大学に4年所属をしましたが、これも仕事の関係だったので僕自身は何もしていません。
結局仕事は終わったものの、早稲田の所属はこの4月以降も継続していただけるそうで、足掛け5年所属することになります。
嘱託研究員ではありますが、5年もいればそれなりの経歴にはなるでしょう。

これだけ大学に関係していたから学歴が高いかと言ったら、僕はそうは思っていません。
正直大学から学ぶことはほとんど何もなかったです。
ただ、大学に所属していて学ぶことはたくさんありました。ただしそれは大学の外でのことです。

「東大に行け!」という漫画の内容も否定はしません。行くべき人は行ったらしいし、行けるだけの能力があるのであれば行った方がいいと思います。行ったら行ったで社会の恩恵はたくさん得られると思います。
冒頭の早稲田讃歌もよろしいことだと思います。ただ、僕の知る限りでは東京大学や早稲田大学の出身者だからといって人間的に特別なことは何もないと、僕は思います。
ご本人たちがそう思っている割合と同じだけ、世の中には面白い人、賢い人、優れた人はたくさんいると、僕が今まで見てきた中では僕はそう感じています。

その中には大学に行っていない人もいましたし、中学校にすら行っていない人もいました。
なぜなら「すごいなこの人!」と僕が学ばせてもらった方が小学生だったりもするからです。
何も自分より年上だけが先生ってわけでもない。

だからもし僕が学歴を訪ねられたら、公の書類ではない限り、僕はこう答えるようにしています。
「『人生』と言う名の大学で学び、そこで出会う老若男女全ての人が、僕にとっての教師です。」と。
posted by Coyama at 23:15| 思ったこと・感じたこと