2012年03月24日

シドニーのオペラハウス2

先日書いたシドニーのオペラハウスに関する話の続きです。
http://faelles-design.sblo.jp/archives/20120306-1.html

シドニーのオペラハウスのコンペティションで1等に選ばれたデンマーク人建築家のヨーン・ウォッツォンさんは、その後その計画を実現すべくオーストラリア政府と契約をし、設計担当となりました。いわゆる実施設計、というものです。

ところが、ここでヨーンさんは難題にぶち当たります。
実はコンペティションの際には、自由な発想で提案したためあまり建物の構造について検討していなかったのですが、いざ実施をしようとなると、基礎設計案では特徴的なカーブを持つ屋根部分が構造的には成り立たない、ということがわかったのです。
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また建物内部に要求されているもの、例えばオペラホールなどを入れるには、コンペ当選案では屋根が低すぎる、といった問題もありました。
さらに屋根が持つその独特のカーブが、コンペ当選案では膜構造といわれる構造を想定していたのですが、計画上それは実現不可能な構造だったのです。
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それは当時ヨーンさんの事務所と組んでいたイギリスの構造設計事務所でも、実現に向けてもなす術がなく、計画は一時暗礁に乗り上げました。構造計算をするための、そのモデルとなるカーブそのもののモデルがなかったのだそうです。モデルがなければ計算が出来ません。

シドニーのオペラハウスをよく見るとわかりますが、実は船の先端のような形をしています。
ヨーンさんのお父さんは船大工で、ヨーンさんも幼い頃から船には接していて、そんなイメージもあったのかもしれません。
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それを実現させる構造を思いついたのは、結局は構造家ではなくヨーンさん自身で、彼はそれら屋根の形を球体の中から切り出す、というアイデアを思いつきました。
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このことを文章で説明するのは難しいのですが、そのアイデアがなければ建設可能な構造計算が出来ず、シドニーのオペラハウスは実現することはなかったと言われています。
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ただしこれら構造の変化で曲線や屋根の形は徐々に変化していきました。
ですので当初のコンペ当選案と、現在出来ている実物の屋根のカーブとは異なったものになっています。
もともとヨーンさんが最初に描いたカーブはフリーハンドによるものでした。
人によっては、このフリーハンドで書かれた最初の案の方が、フォルムとしては美しいと言われています。
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そのような苦心の末になんとか実現に向かい進んでいた建設工事なのですが、もともとこのオペラハウスの建造には当時のオーストラリアの政治が大きく絡んでいました。
そのため政治的な圧力でいろいろと設計の変更を余儀なくされたり、膨大に膨れ上がる建設費に対しての批判や、反対勢力が抱え込んだ報道による中傷など、ヨーンさんは様々な弊害を受けていたと言います。

そんな中でも設計担当を続けていたヨーンさんですが、ある時点で大きな選択を迫られることになりました。
それは内部のオペラホールの内装の設計に対してでした。
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建築家として、細部までこだわりをもってデザインをし取り組んでいたヨーンさんですが、外部との交渉や駆け引きは苦手だったようで、意見の相違から最終的にホールの内装設計の途中で解任をさせられてしまいました。
その後、ホールの設計はオーストラリア政府より依頼をされたオーストラリア人の建築家によって引き継がれました。

今では世界の名所として知られ、デンマークを代表する建築家ヨーン・ウォッツォンさんの代表作と言われているシドニーのオペラハウスですが、実はその竣工記念祭にはヨーン・ウォッツォンさんは参列をしませんでした。

最後までやりきることの出来なかった、他人の手によって意図とは違い完成した作品の内部を見るのが忍びなかったからだそうです。

その内部の設計も、引き継がれた建築家によってデザインされたものはヨーンさんの設計からは劣ったものだったそうで、オペラホールとしての評価もあまり高いものではありませんでした。そのため、1973年の完成から27年経った2000年に、一部の内装を当初のヨーンさんのデザイン案に変更する再契約がなされ改修が行われました。

しかしそれは一部であり、当初ヨーンさんが設計したもの全てではありませんでした。
そのためシドニーのオペラハウスというのはヨーンさんにとっては未完の作品であり、つまりは「未完の大作」と呼んでも過言ではないのです。
posted by Coyama at 22:57| デンマークのこと