2012年03月22日

出来る贅沢とする節約

(※メモ:後日要修正)

この1ヶ月程、知り合いの設計事務所の手伝いをしていたのですが、とりあえず今日がその最後の日でした。
本当は自分の会社の事業を進めていくために空けていた時間なのですが、数えてみたら18日間手伝っていました。

その分会社の事業の立ち上げが遅れているわけですから、見る人から見たら愚かな行為なのかも知れません。
ただ、僕にとっては学ぶことの多い1ヶ月でした。きっとこの1ヶ月のことは、この先僕が事業を立ち上げて行く中で活きてくる。そんな重要な1ヶ月だったと今は思っています。

ただ本当ならもう少し余裕を持って手伝いたかったのですが、本来12月末で終わっていたはずの以前の仕事が未だに引きずっていて、掻き乱され、時間的にも余裕がない状況での手伝いになってしまい、申し訳なくも思っています。
設計事務所で見させていただいたこれからの人生の指針となるよい例と、以前の仕事で見させていただいた調子の良いことを言いながら最後まで責任を持てずに何も残せぬまま中途半端に放り出した悪い例と、その両方を見た1ヶ月でした。

書きたいことはいっぱいあるのですが、この記事を関係者も読む可能性もありますので、この1ヶ月の2つの対照的な仕事で感じたことはここでは書かず、いつか書ければと思っています。

さて、そんなこの1ヶ月で、僕はなんと体重が2キロ太りました。
ストレスが原因、と言いたいところですが、原因はわかっています。それは、食べ過ぎ、です。

手伝っていた設計事務所は六本木にあります。
僕の住む最寄りの小田急永山駅から、事務所の最寄り駅の乃木坂駅のある千代田線には多摩急行と言う直通電車が走っているのですが、これに乗ると小田急永山駅から乃木坂駅までは乗り換えなしで37分で行くことができます。この電車があったので、あまり苦もなく通勤ができました。

そんな近くではありますが、仕事と言う目的がなければ37分は意外と遠い。そして六本木で働くことが、この先どれくらいあるか。
それを考えたら、僕はそこにいる間に、できるだけ事務所周辺の食事処を制覇しようと目論んだわけです。

「食」というのは、食材にこだわるとか、そういうことだけが大事ではないと、僕は思っています。

僕が関わっている長野県小諸市での「こもなみ倶楽部」の活動も、再生した農地で農的作業をしながら野菜を育て、それを食す、といったようなことをやっています。
特に昨年は秋に採れた採れたての秋ナスには、食べた瞬間に虜になりました。「秋ナスは嫁に食わすな」という意味を人生で初めて実感しました。
採れたての茄子は、東京で暮らしていたらなかなか味わえるものではありません。
小諸では、畑で収穫して、その数分後にはお酒のつまみになっていました。あれはいくらでも食べることが出来ました。

そんな「こもなみ倶楽部」の活動なのですが、基本的には内食が多く、外食というのをほとんどしません。
それは活動メンバーの何人かが外食を好まず、活動自体にもあまり外食をするという空気がないからです。
それはそれとして間違った意見でもないわけですし、自分たちで育てたものを調理して食べるというのも楽しくまた大事な経験ですので、僕は反発することなくむしろ同調しています。

ただし一人で小諸に行くときや、外食を希望する人たちと一緒に行く時には、極力外食をするようにしています。

それには、2つの理由があります。

1つは、野菜を作るのはいいけれど、では実際にその野菜たちはどのように調理されて人々の口に運ばれているのか。それを知るには、外食しなければわからないことだからです。
内食ばかりしていては、その姿は見えません。それに食べ方を知らないまま、野菜を作り続けるというのもおかしなことです。
例えば人参。野菜炒めしか知らない人には、人参は炒め物に使うぐらいしか思い浮かびません。しかし外食先では、フランス料理でグラッセがあったり、イタリア料理でバーニャカウダにつけて食べたり、他にも人参シャーベットなどのデザートになっていたり人参パンになったりもする。

僕にはそういった野菜が行きつくその先を見ることも「食」や「自然」を学ぶ上での重要なことだと思っています。

そしてもう1つの理由は、外食することで経済が循環するからです。
「こもなみ倶楽部」での農地や宿泊しているアパートは借り物ですので、僕らは小諸市には税金を納めていません。
しかし小諸市内の道路や水道などを利用している。ゴミも捨てている。
それなのに食ですらなるべくお金をかけずに自己調達しようとする。僕はこれもおかしな話だと思っています。

お客さんがいるから店が成り立ち、その売り上げから税金が納められ、小諸市の整備にあてられる。
疲弊していく地方都市で、地域の人たちが何が一番嬉しいかと言ったら、都会から週末農業をしに人々が来てくれて、中には若い人もいて、活気が出ていいねぇ、なんてそんな話は都会側の人間が都合よく考えた夢物語でしかないと思います。
本音では、都会から来た人たちが街にお金を落としていてくれる。街のお店を利用してくれる。地域の人が嬉しく思い、喜ぶのは、そういったことではないでしょうか。

東日本大震災の被災地では、今復旧作業が行われ、多くの作業員やボランティアの人たちが訪れていると聞きます。
もちろんその人たちがして下さる作業は本当に助けになっていることですが、そこでもう一つ助けになることは、地元にお金を落とすことだと、僕は思っています。
昼間の労働で十分貢献している、我々はお金がないから食べ物はカップラーメンで過ごす。そういう人もいると思います。

でもそこは、やはり地域の食堂や飲み屋に行っていただきたい。そこでお金を落としてもらいたい。

それが地域の復興にもなり、地域で働く人たちの雇用にもなっているわけです。

そうは言ってもお金がない、という人もいると思います。
そういう人は、行かなくていい、来なくていいと僕は思っています。
お金がないなら、まずは他人のことよりも、自分のことを優先し、まずはきちんと生活できるようになってほしいと思うからです。

それと本当にお金がないのかも、よく考えてほしいと思います。
夜はカップラーメンだとかお金をかけたくないという人たちの、例えば1週間の食費はいくらか。
実際お金がないとか言っている人の大半は、週のどこかで少し多めにお金を出して食べたり飲んだりしている人も多いのです。

都会での1回の外食や飲みをカップラーメンに代えて、その分を地方に行った時に回すという発想はダメなのでしょうか。
トータルすれば使っているお金は一緒なのに。

冒頭での、僕が六本木の設計事務所の手伝いで、お昼に食べ歩いたのも、そういった発想からです。
何も毎回毎回外食しているわけじゃない。贅沢な食事をしているわけじゃない。
お金がないから六本木でもお昼はコンビニのおにぎりで安く済ませるということだって出来るわけです。でもそれは、日本全国コンビニがある街にいればどこでもできることです。
では今多摩に住んでいて、六本木のお店でランチが出来るのかと言ったら、普段はそうはできません。
今、仕事で六本木にいるから食べれる。

それは「知る」ということです。

僕はもしこの先、誰かに東京都心で美味しいお店がないかと聞かれた時に、六本木のいくつかのお店を紹介することが出来ます。
小諸でも同じで、僕は小諸でおすすめの食事処を聞かれても、好みのジャンルごとにお店を紹介することが出来ます。
それは僕が、実際に足を運んでお店を知っているからです。

そのせっかくの「知る」機会を逃さない。そのためにお金が必要なら、少しの無理で出来るなら、したほうがいい。
今日一日少し高めのランチを六本木で食べたら、週の残り6日はお昼はカップラーメンだっていいじゃないですか。
その日小諸でちょっと高めの食事をしたら、東京でのお昼はお弁当を持参すればいいじゃないですか。

『出来る贅沢とする節約』です。

結構『出来る節約としない贅沢』という人が多くいらっしゃる。でもそれは「知る」ということを逃している、とてももったいないことだと僕は思います。
でも考えてみると、人生にはたくさん「知る」機会があるのに、それをケチケチして逃すだなんて、それってある意味贅沢ですよね。
posted by Coyama at 23:54| 思ったこと・感じたこと