2012年03月21日

肝心なのはユーモア

(※メモ:後日要修正)

デンマークに渡ったとき、僕はまず1年間を語学学校で過ごしました。

そこで出会ったのは世界55カ国からデンマーク語を学びに集まった人たちでした。
実際に僕が在籍していた時に一緒に学んでいたのは、そのうちの30カ国ぐらいの人たちだったと思います。
隣接するデンマークの農業学校に学びにきていたデンマーク人と合わせると、生徒数は約100名。その人たちが全寮制の学校で、一つ屋根の下一緒に生活をします。
そんな多国籍な集団の中で、僕は1年間を過ごしました。

デンマークに行った当初、僕はデンマーク語も英語もまったく話せませんでした。

その語学学校は、人里離れた森の中にあります。
古い建物を改築し、全寮制の学校にしているため、どうしても100人近くを収容する規模の建物になると、そういった場所にならざるを得ないからだと思うのですが、そんな中での生活は若者にとっては非常に退屈です。

そこで、その学校の中には生徒たちが自主運営を行うバーが用意されています。
自主運営と言っても、主に学校側がデンマーク人の生徒たちを中心に管理を依頼をして、バーの店番を交代制で行うのです。
学校はそんな辺鄙な場所にありますので、当然ながらバーは重要な社交場でありストレス発散の場になります。

しかし開始直後はまだ当番組織も出来ていませんので、バーの開店は学期開始から1週間後になります。

そんなバーで、僕は学期開始初日から、その日出会ったばかりのクラスメイト数名とお酒を持ち込んで飲んでいました。
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授業を終えた後で車を所有していたドイツ人クラスメイトの運転で最寄りの街まで買い物に行き、ビールを買い込んで、それをバーに持ち込んで自分たちで飲んだわけです。
誰かがラジカセを持ち込んで音楽をかけ、やがて僕らだけでなくデンマーク人学生たちもお酒を持ち込んで騒ぎ始め、その日から連日宴が始まりました。

デンマーク語も英語も出来なかった僕が、どうやって学期開始初日にはバーで飲んでいたのかは、ありよく覚えていません。
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でも何となく想像がつくのは、授業が始まってクラスメイトを見渡して、お酒を飲みそうな楽しそうな人を捜し、こう言ったのだと思います。
「I want beer! Do you want beer?」

その後、僕が初めて覚えたデンマーク語は「Selvfolgelig」、英語で「Of course」、日本語だと「もちろん」です。

それは、バーでお酒を飲んでいると周りの人たちが「Nobuhiro ! Du you want to drink beer?」と聞いてくるので、最初のうちは「Of course」と答えていたのですが、僕はそこにはデンマーク語を学びに来たのだからデンマーク語でなんと言うのかを教えてもらい、覚えた言葉が「Selvfolgelig」。もちろん「No thank you.」を意味するデンマーク語なんて覚える必要はありません。
言葉は出来なくても、きっと僕は楽しそうに飲んでいたのだと思います。だからみんな「Nobuhiro ! Du you want to drink beer?」と聞いてきたのではないでしょうか。
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それが学期開始初日の夜でした。
僕はありがちな「My name is …」や「I am from …」などのデンマーク語を覚えるよりも前に、「もちろん」という意味のデンマーク語を覚えました。

その1〜2週間後、そんなバーで一緒に飲んでいたデンマーク人のイェスパーが、すっかり僕のことを気に入ったようで、僕に「お前は今年のクリスマスはどうするんだ?」と聞いてきました。
その時はまだ10月でしたので、なぜまだ先のクリスマスのことを聞くのか不思議に思ったのですが、後から知ることになるのですがデンマーク人はすでに9月あたりからクリスマスの準備をし始めるのです。

そんなことも知らない僕は、当然当時はデンマークに知り合いも何もいないわけで、「特に予定はないよ。」と答えました。

するとイェスパーは「クリスマス期間は学校は休校だから追い出されてしまうんだぞ。」と言います。

「じゃあどこか旅行に行くよ。」と僕が答えると、イェスパーは「だったら家に来ないか?」と言ってきました。
そんな楽しい誘いを断る理由はありませんので、是非行きたいと僕は言ったのですが、その時は酒が入った上での冗談だと思っていました。

ところがその翌日、食堂で食事をしていると、イェスパーがやってきて「クリスマスのこと、もう母親に連絡しておいたから。家の母親もお前に会うのを楽しみにしているぜ」と言ってきました。

冗談だと思っていたら、本気だったのです。そしてイェスパーは続けてこう言いました。
「ただ家の家族は誰も英語が話せないからな。だからこの3ヶ月間、必死にデンマーク語を覚えろよ。覚えられなかった連れて行かないからな。」と。

デンマーク人の家庭でデンマークのクリスマスを楽しめる機会を逃すわけには行きませんので、僕はそれから3ヶ月間、必死にデンマーク語を覚えました。

そして迎えたクリスマス。僕はイェスパーとクラスメイトでありイェスパーと付き合い始めたアンジーの2人と共に、イェスパーの実家へと向かいました。
そこで待っていたのは、本当に素晴らしいクリスマスの時間でした。
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そんなイェスパーは3人兄弟で、長男のイェスパーにはお姉さんと妹がいました。
そのお姉さんが、行って初めて知ったのですが(もしかすると説明されていたのに僕が聞き取れていなかっただけなのかもしれませんが)、盲目のハンディキャップを持った方でした。

それまで僕がなぜ言葉もあまり出来ないのに周りと打ち解けられたかと言えば、身振り手振りのジェスチャーによるものが大きかったと思います。
ところが、イェスパーのお姉さんにはそれが通用しません。そこでは本当に僕のデンマーク語が試されました。

デンマークのクリスマスは、23日から24日、25日と、大人たちは3日間飲んだくれます。
日本で言う正月三が日のようなもので、とにかく飲んで話して食べて話して寝る。これを繰り返します。

イェスパーの家に行ったときから、駆付け三杯とばかりにお酒を出され、以後常に飲み続け、食べ続けました。
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そして24日の夜に、離れて暮らすイェスパーのお姉さんが実家へとやってきました。
そこで僕は初めてお姉さんが盲目であることを知りました。

お姉さんにはもちろんデンマーク語で話すしか通用しません。
僕はなんとか覚えている限りのデンマーク語で話をしました。
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そんな24日のディナーの席で、イェスパーのお母さんが、僕に「あなた昨日から食べ過ぎて太ったんじゃないの?」と言ってきました。
そこで僕は「いや、太ってはいないよ。ズボンが痩せただけさ。」と答えました。

するとイェスパーのお姉さんが爆笑したのです。

デンマークに行く前にも少し日本でデンマーク語を習っていましたので、デンマーク語に触れるようになってもう12年が経ちますが、その12年の中で、たぶんデンマーク語を学んで一番嬉しく感じたのは、その時でした。

それからいろんなことがありました。いろんな人に会って、いろんな経験をしました。
いろんな国の人に会いました。世界15カ国を旅しました。

でも、どんな国のどんな人たちでも共通していたことは、みな誰でも楽しい経験や悲しい経験を持っている。でも、楽しいときは笑い、悲しいときは泣く、といったことでした。
どこにも、楽しい時に泣いて、悲しい時に笑う人はいませんでした。
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そして楽しさは、人々を笑顔にしていました。
どんな国の、どんな人でも、です。
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お酒を飲めとは言いません。お酒を飲めない人だっていますからね。
でも、本当にちょっとしたことで、人間は笑い、明るくなれます。なにか一言でいい、楽しいことを言うと、どんな国の人でも笑います。
肝心なのはユーモア。

僕の人生の目標は、僕が亡くなった先の未来において、僕が生きていたことで、1人でも2人でもいいから泣く運命だった未来の子どもたちを笑って過ごせる運命に代えたい、ということです。
自分が楽しければそれでいい、家族が無事であればそれでいい、未来のことなんてどうでもいい、という人もいますし、それらの考えを僕はまったく否定するつもりもありません。
ただ僕自身は、僕が亡くなった後も、血が繋がっていようがなかろうが、子孫たちには明るく笑って過ごしてもらいたいと願っています。

そのために必要なのは、まずは自分が明るく、そして楽しくあることだと思っています。
笑っても一生、泣いても一生。だったら笑った方が、いいじゃないですか。
posted by Coyama at 23:15| 思ったこと・感じたこと