2012年03月19日

経験と判断と、手本

以前東京を中心にしたある研究チームの事務局をしていた時に、そのチームで京都でシンポジウムを行うことになり、そこに参加する大学の先生方の宿泊手配を僕がすることになりました。
そのシンポジウムは朝から夜まで一日続くため、宿泊手配は前日と当日の2泊にしていました。
前日の行動はそれぞれ別になるため京都への交通はそれぞれで手配をし、シンポジウム当日に会場で集合ということになりました。

僕も前日の夕方に京都へ向かい、夜は仕事の予定はありませんでしたので関西方面の友人と食事を楽しみました。
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その帰り道、23時頃だったと思うのですが、僕の携帯に参加予定のひとりの先生から慌てた様子で電話がかかってきました。
なんでも最終の新幹線で東京から京都へ向かう予定だったのだが、東京へ向かう中央線が事故で遅れてしまい乗れなくなってしまったとのこと。
そして僕に「どうすればいいでしょか?」と聞いてきました。
もちろん僕に聞かれてもどうにも出来ませんので、「申し訳ありませんが、ご自身でホテルにキャンセルの連絡をしてくださいませんでしょうか?」と答えました。

その翌朝、その先生は始発の新幹線で京都へ来て、シンポジウムの会場へやってきました。
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そしてその日一日シンポジウムに参加をし、夕方からシンポジウム会場に用意した会議室で懇親会を行った後、何人かの研究メンバーの方々で夜の京都の街へ食事に向かいました。

その食事の席で、僕の横に座ったその先生は時計を見ながらそわそわし始めました。
そして僕に「今からならまだ東京行きの最終の新幹線に間に合うんだよねぇ。明日は午前中に授業があるから明日の始発で戻ろうと思っていたのだけど。どうしようかな。どうするといいと思います?」と聞いてきました。

僕は「新幹線が間に合うようでしたら、ここは無理をせずに帰れる時に帰られた方がよいと思いますよ。」と答えました。
他の研究メンバーとも2時間あった懇親会で十分に話も出来たわけですし、その食事の席を途中で外れたからと言って特に利益を損なうこともなく、誰に問題視されるような状況でもありませんでした。

しかしその後もその先生はさんざん迷った挙句、「やっぱり明日の朝に帰ります。」と僕に言い、その場に残りました。

その翌日、新幹線は事故のために朝から停止していました。
結局その先生は授業のあった午前中には東京に戻れず、授業は休講となり、自身もかなりの時間を停まった新幹線の中で過ごされたのだそうです。
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あの時素直に帰っていればよかったのに。
その時に僕は、ここぞという時に適切な決断が出来る大人になろう、と学びました。

今でもその先生はある大学で教鞭をとられています。
もちろん僕とは違いその先生は研究者としては非常に優秀ですのでそのような職に就かれているのですが、本来大学の教員というのは研究者でありながら教育者でもなければならないのではないかと、僕は思っています。
本来先に生まれたくさんの経験をしてきている人間というのは、後に生まれた人たちの足を引っ張るのではなく、自らが踏み台になってこれまでの自身の経験を踏み台にしてもらい、未来の社会をよりよくすることに役立ててほしいと願うものではないのかなと、個人的には思っています。
これはあくまで僕個人の勝手な意見ではあるのですが、日本の学力低下やモラル低下の背景には、人間としてあるべき姿や行動というものを示し、後輩を"導くことの出来る先輩”や“手本になる大人”が不足している、ということも影響しているのではないかと、僕は最近の日本の大学や社会を見て密かに感じているのです。
posted by Coyama at 23:15| 思ったこと・感じたこと