2012年03月10日

アーカイビングとアーキビスト

(※メモ:後日要修正)

先日、東日本大震災の直後に様々な場面で対応に当たっていた主要機関のいくつかが、議事録や議事概要を作成していない、記録を残していない、ということが発覚し、ニュースになっていました。

今になって発覚したこの問題は、実はとても重大な要素を持った大変な問題だと言うことに、日本では気がついている人はあまり多くないように感じています。

人間の記憶というものは曖昧で、人間という生き物は忘れてしまう生き物ですので、記録というのはとても重要です。

身近なところで、買い物に行くのに、買うべきものをメモを取らずに頭の中だけで記憶して、簡単なことだから忘れっこないと自信を持っているにもかかわらず、いざお店に行ってみると何を買おうとしていたのか忘れてしまった、なんて経験はみなさんも1度は覚えのあることだと思います。

仕事などの打ち合わせでも、「ここをこう修正して」と言われた部分を、忘れるわけがないだろうとメモもしないで頭の中に記憶していても、打ち合わせ後のちょっとした世間話などで頭の中から消えてしまい、修正されないまま次に進んでしまう、と言う経験をしたことのある人も少なくないと思います。

こういう小さなことから、前述の国レベルでの大きなことまで、記録というものは、いつ誰がどのように発言し、どのように決断したのかを、後に知る重要な手だてになります。

この震災後の対応に関しても、とても大きなことではありますが、得てしてその他の部分においても、日本人と言うのはこの「記録保持」という部分において、重要視していない節があると以前から僕は感じています。

2006年から僕は2年間を工学院大学で、2008年から4年間を早稲田大学で、研究プロジェクトにおける「アーキビスト」という職に就いていました。

名刺などにもその役職を記載していたのですが、多くの人が「アーキテクト」であったり「アクティビスト」と勘違いして記憶しており、仕事で多くの大学の先生や省庁行政の方々、専門職の方々と関わったのですが、僕の記憶にある限りではこの「アーキビスト」について理解している人は数名しかいらっしゃいませんでした。

この「アーキビスト」は英語で「Archivist」、要は「アーカイビングをする人」です。日本人でもこう説明すると理解をする人が多いのですが、「アーカイブ」という言葉は一般にも知られていると思います。
知られたところでは映像に記録して残すことを目的にした「NHKアーカイブス」などがありますよね。

この「アーキビスト」というのは欧米では一般的な職業です。研究組織や活動機関などには専属のアーキビストがいます。
アーキビストはその所属する機関や組織で起こるあらゆることを記録し、整理し、いつどこで誰に質問をされたり資料を要求されてもすぐに応えられるようにしておきます。
これは学術的や行政的なものばかりではなく、例えばハリウッド映画などにも専属のアーキビストがいます。先日もテレビを見ていたら、テレビドラマから映画にもなった「スタートレック」シリーズのアーキビストが、映画で使われた小道具についての説明をしていました。彼らは作品に関することばかりではなく、ロケ場所、小道具などのすべてのものを把握し、記録し、管理しているのです。

僕自身は欧米のアーキビスト職について詳しく調べたことがありませんので、どの程度の地位や権限を持った役職なのかはわからないのですが、それでも一般に知られた職で、研究組織やプロジェクトのアーキビストを経て大学教授になった人なども多いそうです。

でも考えてみるとアーカイビングは大事なことで、日本でそれが行われていない方が不思議に思います。

毎年、何億円、何兆円といった額の助成金や補助金が大学や研究機関などいろいろなところに落ちていますが、そこでの成果というものはそれぞれに使われてそれぞれで消化され、グループ内の縦には繋がっても横に繋がることがなく、世の中に広く伝わるものはほとんどないと言っても過言ではないと思います。
一般公開された記録があったり、アーキビストといった職や立場がきちんと確立されていれば、それらの研究成果などが縦にも横にも繋がり、世のため人のため日本の未来のためになるかもしれないのに、現状はそうはいきません。

以前、日本に留学をした経験を持つ知り合いの外国人が、日本の組織に対して次のような感想を述べてました。

『日本は同じワーキンググループの中で働いているのに、誰もがみんな競争相手で、しかも、興味のある分野の別グループの人と手を組もうとすると、良いとも悪いとも言わず、わかりづらく逃げられる。』

僕もその通りだと思います。
日本人は、同じムラの同じ仲間でない限り、協力し合わないですし、自分がいいなと思っても、それに対して「いい」とも「悪い」とも言いません。
それは「いい」と言えば角が立ち、「悪い」といえば角が立つ社会だからだというのも、理由の一つにあると思います。

だからアーキビストがいて、アーカイビングがされていて、それが一般にも情報を公開していたところで、繋がっていくかどうかは、よくわかりません。
日本には公文書などといったものはありますが、日常的なことにおいてのアーカイビングというような記録をする習慣は備わっていないように感じています。だからアーキビストという職の必要性も知らなければ、その重要性も知らないのではないでしょうか。

僕が関わっている長野県小諸市で行っている「こもなみ倶楽部」の活動は、現在4年前に突入しています。3年目である昨年はトヨタ自動車株式会社から助成金をいただき、年末にはあしたのまち・くらしづくり活動賞という賞もいただきました。
あれをまちづくり活動だと言うのもどうかとは思いますが、少なくとも3年以上続き、社会的な評価も受けていると言う点では、成功している事例と言えると思います。
ではその成功の秘訣が何かと言うと、「メンバーが熱心だから」などという人もいますが、それはまったく違うと思います。

こもなみ倶楽部の活動に関しては、始めた当初から、活動をきちんと記録をし、それをホームページなどにも公開し、情報の共有を計って来ました。
どんな活動もそうなのですが、中心に熱心な人がいて、その人は活動に対して熱く語るのですが、背景を知らない人から見ると、その熱意は半分も伝わらないものなのです。
こもなみ倶楽部が今になってどんなに「最初は耕作放棄地で根っこがすごくてね」と口だけで言っても、これから初めて参加する人たちにはその言葉の持つ意味合いはほとんど伝わりません。

かといって今から過去に戻って写真や映像を記録するのは不可能です。
だから何かを行おうとする際には、最初から記録や写真、映像と言うものを記録しておくということは重要で、かつそれを外部の人が容易に閲覧出来る仕組みが重要になるのです。
それらアーカイブがあることで、関係者は共有の意識が持てますし、自身が参加をしていない部分のことも知ることができ、活動に継続性が生まれます。
活動はどんなものでも先細るものです。人間の何かに対しての情熱は、大抵は1〜2年しか続きません。
しかし情報や経過が共有されていれば、内部で人が循環しようとも表向きには何年も継続していくものとなり、社会的な評価を受けやすくなっていきます。
そして評価を受けると、人がまた集まって来て、継続にも繋がっていく。

こもなみ倶楽部がうまくいった理由の一つは、このアーカイビングがうまく出来ていたからだと僕は思います。

どんな小さなことでも記録をしていくこと、そしてそれを整理していくことは大事なことです。

記録や資料がなければ誰にも理解されません。その場で議事録などに起こせなくても、せめて録音を残しておくということは、少しでも覚えがある人であれば気がつくことです。

そういうことに慣れてなく、また重要性を理解出来なかった先人たちのツケが、冒頭の震災後の記録不備の問題を引き起こしたのではないかと、僕は思うのです。
posted by Coyama at 23:55| 思ったこと・感じたこと