2012年03月21日

肝心なのはユーモア

(※メモ:後日要修正)

デンマークに渡ったとき、僕はまず1年間を語学学校で過ごしました。

そこで出会ったのは世界55カ国からデンマーク語を学びに集まった人たちでした。
実際に僕が在籍していた時に一緒に学んでいたのは、そのうちの30カ国ぐらいの人たちだったと思います。
隣接するデンマークの農業学校に学びにきていたデンマーク人と合わせると、生徒数は約100名。その人たちが全寮制の学校で、一つ屋根の下一緒に生活をします。
そんな多国籍な集団の中で、僕は1年間を過ごしました。

デンマークに行った当初、僕はデンマーク語も英語もまったく話せませんでした。

その語学学校は、人里離れた森の中にあります。
古い建物を改築し、全寮制の学校にしているため、どうしても100人近くを収容する規模の建物になると、そういった場所にならざるを得ないからだと思うのですが、そんな中での生活は若者にとっては非常に退屈です。

そこで、その学校の中には生徒たちが自主運営を行うバーが用意されています。
自主運営と言っても、主に学校側がデンマーク人の生徒たちを中心に管理を依頼をして、バーの店番を交代制で行うのです。
学校はそんな辺鄙な場所にありますので、当然ながらバーは重要な社交場でありストレス発散の場になります。

しかし開始直後はまだ当番組織も出来ていませんので、バーの開店は学期開始から1週間後になります。

そんなバーで、僕は学期開始初日から、その日出会ったばかりのクラスメイト数名とお酒を持ち込んで飲んでいました。
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授業を終えた後で車を所有していたドイツ人クラスメイトの運転で最寄りの街まで買い物に行き、ビールを買い込んで、それをバーに持ち込んで自分たちで飲んだわけです。
誰かがラジカセを持ち込んで音楽をかけ、やがて僕らだけでなくデンマーク人学生たちもお酒を持ち込んで騒ぎ始め、その日から連日宴が始まりました。

デンマーク語も英語も出来なかった僕が、どうやって学期開始初日にはバーで飲んでいたのかは、ありよく覚えていません。
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でも何となく想像がつくのは、授業が始まってクラスメイトを見渡して、お酒を飲みそうな楽しそうな人を捜し、こう言ったのだと思います。
「I want beer! Do you want beer?」

その後、僕が初めて覚えたデンマーク語は「Selvfolgelig」、英語で「Of course」、日本語だと「もちろん」です。

それは、バーでお酒を飲んでいると周りの人たちが「Nobuhiro ! Du you want to drink beer?」と聞いてくるので、最初のうちは「Of course」と答えていたのですが、僕はそこにはデンマーク語を学びに来たのだからデンマーク語でなんと言うのかを教えてもらい、覚えた言葉が「Selvfolgelig」。もちろん「No thank you.」を意味するデンマーク語なんて覚える必要はありません。
言葉は出来なくても、きっと僕は楽しそうに飲んでいたのだと思います。だからみんな「Nobuhiro ! Du you want to drink beer?」と聞いてきたのではないでしょうか。
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それが学期開始初日の夜でした。
僕はありがちな「My name is …」や「I am from …」などのデンマーク語を覚えるよりも前に、「もちろん」という意味のデンマーク語を覚えました。

その1〜2週間後、そんなバーで一緒に飲んでいたデンマーク人のイェスパーが、すっかり僕のことを気に入ったようで、僕に「お前は今年のクリスマスはどうするんだ?」と聞いてきました。
その時はまだ10月でしたので、なぜまだ先のクリスマスのことを聞くのか不思議に思ったのですが、後から知ることになるのですがデンマーク人はすでに9月あたりからクリスマスの準備をし始めるのです。

そんなことも知らない僕は、当然当時はデンマークに知り合いも何もいないわけで、「特に予定はないよ。」と答えました。

するとイェスパーは「クリスマス期間は学校は休校だから追い出されてしまうんだぞ。」と言います。

「じゃあどこか旅行に行くよ。」と僕が答えると、イェスパーは「だったら家に来ないか?」と言ってきました。
そんな楽しい誘いを断る理由はありませんので、是非行きたいと僕は言ったのですが、その時は酒が入った上での冗談だと思っていました。

ところがその翌日、食堂で食事をしていると、イェスパーがやってきて「クリスマスのこと、もう母親に連絡しておいたから。家の母親もお前に会うのを楽しみにしているぜ」と言ってきました。

冗談だと思っていたら、本気だったのです。そしてイェスパーは続けてこう言いました。
「ただ家の家族は誰も英語が話せないからな。だからこの3ヶ月間、必死にデンマーク語を覚えろよ。覚えられなかった連れて行かないからな。」と。

デンマーク人の家庭でデンマークのクリスマスを楽しめる機会を逃すわけには行きませんので、僕はそれから3ヶ月間、必死にデンマーク語を覚えました。

そして迎えたクリスマス。僕はイェスパーとクラスメイトでありイェスパーと付き合い始めたアンジーの2人と共に、イェスパーの実家へと向かいました。
そこで待っていたのは、本当に素晴らしいクリスマスの時間でした。
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そんなイェスパーは3人兄弟で、長男のイェスパーにはお姉さんと妹がいました。
そのお姉さんが、行って初めて知ったのですが(もしかすると説明されていたのに僕が聞き取れていなかっただけなのかもしれませんが)、盲目のハンディキャップを持った方でした。

それまで僕がなぜ言葉もあまり出来ないのに周りと打ち解けられたかと言えば、身振り手振りのジェスチャーによるものが大きかったと思います。
ところが、イェスパーのお姉さんにはそれが通用しません。そこでは本当に僕のデンマーク語が試されました。

デンマークのクリスマスは、23日から24日、25日と、大人たちは3日間飲んだくれます。
日本で言う正月三が日のようなもので、とにかく飲んで話して食べて話して寝る。これを繰り返します。

イェスパーの家に行ったときから、駆付け三杯とばかりにお酒を出され、以後常に飲み続け、食べ続けました。
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そして24日の夜に、離れて暮らすイェスパーのお姉さんが実家へとやってきました。
そこで僕は初めてお姉さんが盲目であることを知りました。

お姉さんにはもちろんデンマーク語で話すしか通用しません。
僕はなんとか覚えている限りのデンマーク語で話をしました。
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そんな24日のディナーの席で、イェスパーのお母さんが、僕に「あなた昨日から食べ過ぎて太ったんじゃないの?」と言ってきました。
そこで僕は「いや、太ってはいないよ。ズボンが痩せただけさ。」と答えました。

するとイェスパーのお姉さんが爆笑したのです。

デンマークに行く前にも少し日本でデンマーク語を習っていましたので、デンマーク語に触れるようになってもう12年が経ちますが、その12年の中で、たぶんデンマーク語を学んで一番嬉しく感じたのは、その時でした。

それからいろんなことがありました。いろんな人に会って、いろんな経験をしました。
いろんな国の人に会いました。世界15カ国を旅しました。

でも、どんな国のどんな人たちでも共通していたことは、みな誰でも楽しい経験や悲しい経験を持っている。でも、楽しいときは笑い、悲しいときは泣く、といったことでした。
どこにも、楽しい時に泣いて、悲しい時に笑う人はいませんでした。
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そして楽しさは、人々を笑顔にしていました。
どんな国の、どんな人でも、です。
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お酒を飲めとは言いません。お酒を飲めない人だっていますからね。
でも、本当にちょっとしたことで、人間は笑い、明るくなれます。なにか一言でいい、楽しいことを言うと、どんな国の人でも笑います。
肝心なのはユーモア。

僕の人生の目標は、僕が亡くなった先の未来において、僕が生きていたことで、1人でも2人でもいいから泣く運命だった未来の子どもたちを笑って過ごせる運命に代えたい、ということです。
自分が楽しければそれでいい、家族が無事であればそれでいい、未来のことなんてどうでもいい、という人もいますし、それらの考えを僕はまったく否定するつもりもありません。
ただ僕自身は、僕が亡くなった後も、血が繋がっていようがなかろうが、子孫たちには明るく笑って過ごしてもらいたいと願っています。

そのために必要なのは、まずは自分が明るく、そして楽しくあることだと思っています。
笑っても一生、泣いても一生。だったら笑った方が、いいじゃないですか。
posted by Coyama at 23:15| 思ったこと・感じたこと

2012年03月20日

犬生一路

僕は動物が嫌いです。
理由は、しゃべらないから。しゃべらないので意思疎通が出来ないから。
だから嫌いなのです。

もっとも最近は言葉がしゃべれる人間でも意思疎通の出来ない人もいらっしゃいますが、それは今回は置いておきまして、なんでこんなことを書いたかと言うと、そんな僕の概念を覆した犬に出会ったことがあるからです。
実際その犬は言葉は話しませんが、中に人が入っているのではないかと思わせられるような、そんな犬を僕は知っています。というか僕はその方を犬とは呼びたくない、そんな方です。

長野県小諸市の人里離れた場所に、「茶房 読書の森」というカフェがあります。
http://www.ne.jp/asahi/dokusyonomori/shinsyu/

3年前にこのカフェに出会って以来、僕は2ヶ月に1回ぐらいのペースで通っています。東京でもそんな行きつけのカフェはないのに、不思議なものです。
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初めてこのカフェに行ったのは、小諸に初めて行ったときで、小諸がどんな場所だろうかということで東京から有志数名で小諸を訪れ、その時に「茶房 読書の森」は人から紹介されて立ち寄りました。

お店の駐車場に車を停めて外に出ると、そこに一匹の犬が出迎えてくれました。
人が来たから興味本位で寄ってきたのかな、と思ったのですが、特に吠えることもなければすり寄ってくることもありません。
そして駐車場から坂を上ってお店へ行こうと歩き出すと、なんとその犬が前を歩き出して、店まで案内してくれたのです。
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これには本当に驚きました。
そしてまたその姿が、何とも言えず愛らしいのです。
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その犬の名前は「のん」と言い、お店の看板犬でした。
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そんなのんちゃんに導かれて入ったお店を、僕はその後何度も訪れることになります。

のんちゃんは、本当に中に人間が入っているのではないかと思うくらい賢い方でした。
大人しくて場の空気をわきまえ、名前のようにのんびりとしていながらも主張することは主張する。そこらへんの人間にも見習わせたい、爪の垢を煎じて飲ませたい、そんな方でした。
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2年前の夏、僕は仲間たちとホタル鑑賞を兼ねてそのカフェの裏庭でキャンプをし、裏庭にあるパオに泊まったのですが、朝早くに目覚めた僕が外に出ると、どこからともなくのんちゃんが現れました。
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その朝はあまりに気持ちがいい気候だったので、周囲を散歩に出かけようとすると、のんちゃんが僕の前をてくてくとことこと歩いていきます。そして少し進むと、僕の方を振り返り、付いてこいといった感じで待っているのです。
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その朝、僕はのんちゃんとの散歩を楽しみました。

その後もお店に行き、そこから歩いて出かける時には、必ずのんちゃんがついてきて道案内をするかのように前を歩いてくれました。
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またお店に通ううちに、昼間のお茶だけではなく夜の懇親会などにもご一緒させていただくようになったのですが、おいしい料理やお酒が並ぶその楽しい席には、いつもテーブルの下にのんちゃんがいて、自分も食べ物が欲しいのか、それぞれの人の膝を、トントンとたたいて回るのです。まるで人間の子どもがそうするように。
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しかし決してがっついたり吠えたりせず、本当に静かに、そして自然に、「私にも何か頂戴よ」といった感じで膝を叩いて語りかけてくるのです。
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そんな愛らしいのんちゃんですから、お店を訪れる多くの人に愛されていました。
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そののんちゃんが、昨年の夏に体調を崩して病院に行ったところ、癌であることが発覚しました。

手術には高額な費用がかかるということで、飼い主であるお店の方たちが1口500円の寄付を募ったところ、なんと常連のお客さんたちからあっという間に30万円以上の寄付が集まったのだそうです。
おそらく僕が病気になって寄付を募っても、のんちゃんほどには集まらないと思います。いかに多くの人から愛されていたかということがよくわかります。

しかし腫瘍の場所が悪く手術は出来ないということになり、その後のんちゃんは静かに余生を過ごすことになりました。

そんなのんちゃんが、先日17日に永眠しました。享年12歳だったそうです。

のんちゃんはもともと捨て犬だったそうです。道ばたの段ボールに3匹で捨てられていたのだそうです。
それを見つけた「茶房 読書の森」の娘さんが拾ってきたそうなのですが、家では飼えないからと里親を捜し、3匹は引き取られて行きました。しかしその後のんちゃんだけが出戻ってきて、それ以来お店の看板犬となったそうです。
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その恩義に報いようとしているのか、のんちゃんはお店にお客さんが来ると、僕が初めてお店に行った時にそうだったように、駐車場まで出迎えに行き、お店まで案内をします。
そしてお客さんが帰る時には、姿が見えなくなるまで見送るのです。
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先日カフェでお会いした方が、カフェのある御牧ヶ原大地は、呼ばれなければ住めないのだと言ってました。
その方も御牧ヶ原に惹かれて何度も引っ越そうと家を探したのだけど、結局見つけられないのだと。でも住める人はすぐに家が見つかって住めてしまうのだそうです。

のんちゃんは、きっと御牧ヶ原に呼ばれたのでしょうね。
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そんな御牧ヶ原にある「茶房 読書の森」には、本当にいろんな人たちが訪れます。
失礼ながら、こんな辺鄙な場所にお客さんが来るのだろうか、、、と思いきや、僕が行った時に僕が一人になるということがほとんどありません。しかもお店で一緒になったお客さんと話が弾んで行き、そのまま夜まで居座ってしまうなんてこともよくあることです。

以前「定休日はないのですか?」とお店の方に聞いたら、「一応お正月は休みなんだけど、結局お正月も誰かがお酒を持って入ってきちゃうのよぉ。」と言ってました。そして「こやまさんも今度のお正月にどう?」と・笑

そんな「茶房 読書の森」にはファンも多く、芸術家も多く集まってきます。
その昔東京にも後の名だたる作家たちが集まっていたと言うサロンがあったりだとか、後に有名になる漫画家たちが集まっていたアパートがあったりなどといったことをよく聞きますが、この「茶房 読書の森」ももしかするとそんな場所なのではないかと僕は思っています。
惹かれる人たちには何か共通点があるように僕は感じるのですが、僕は密かに「茶房 読書の森」は今流行のパワースポットだと思っています。

そんな場所に欠かせなかったのんちゃん。
僕は最後の3年しか知りませんが、それでものんちゃんに「茶房 読書の森」に導いていただいて、本当に嬉しく思っています。

のんちゃんの最期の時は、愛してくれたたくさんの人たちに看取られて旅立ったのだそうです。
一番愛してくれたのはのんちゃんを見つけてきたカフェの娘さんなのですが、彼女は現在美大に通い離れて暮らしているものの、ちょうど春休みで帰省中で、最期の時に立ち会うことが出来たのだそうです。
そしてのんちゃんは、その一番愛してくれた娘さんに抱かれて、安心した顔で、眠るように亡くなったそうです。のんちゃん自身にとっては、最も幸せな旅立ち方だったのではないでしょうか。

のんちゃんの訃報を聞き、多くの人がお別れに訪れ、お花やお供え物だけでなく、「野雲融気大犬畜位」という戒名までつけてもらったそうです。

のんちゃんの病気が発覚してから半年。その半年間は、のんちゃんは歩くことも難しくなり、部屋の隅などで寝ている姿を僕もよく見てました。
それでもお客さんが来ると、足を引きずりながらも出迎えに行き、そして見送っていました。それが自分の仕事だと言わんばかりに、懸命に勤めを貫いた。なんだかその姿が僕には、往年の大スター・美空ひばりさんが伝説の不死鳥コンサートで最後に「人生一路」を歌い上げた、あの偉大で気高い姿と重なって見えていました。
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そしてその半年があったから、きっと多くの人たちがのんちゃんにお別れを言えたのだと思います。

僕が最後にのんちゃんに会ったのは、亡くなる2週間前でした。これが僕が撮った最後の写真です。
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のんちゃんが「茶房 読書の森」へやってきた時の話や、僕が出会ってからの元気だった2年半と、病気になってからの最後の半年。
それを知る僕にはのんちゃんが犬だとは思うことが出来ず、そしてその最期は、人間でもなかなか出来ないような、素晴らしい迎え方だったのではないかと思います。

きっとこれから先も、姿はなくとも、のんちゃんの魂は「茶房 読書の森」を訪れる人々を暖かく迎えてくれることと思います。
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そして美空ひばりさんが今でも多くの人たちの記憶に残り愛され続けているように、のんちゃんものんちゃんを知る多くの人たちの心の中で生き続けるのだと、僕は思っています。
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のんちゃんはすでにお墓に入ったそうなのですが、僕も早く手を合わせに行きたいと思っています。

あれだけの方でしたので、身近にいたご遺族の方々のお悲しみいかばかりかとお察しいたします。
ここに謹んでお悔やみ申しあげ、のんちゃんの安らかなるご冥福を、心よりお祈りいたします。

のんちゃん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
あなたに出会えて、よかったです。
posted by Coyama at 23:02| 思ったこと・感じたこと

2012年03月19日

経験と判断と、手本

以前東京を中心にしたある研究チームの事務局をしていた時に、そのチームで京都でシンポジウムを行うことになり、そこに参加する大学の先生方の宿泊手配を僕がすることになりました。
そのシンポジウムは朝から夜まで一日続くため、宿泊手配は前日と当日の2泊にしていました。
前日の行動はそれぞれ別になるため京都への交通はそれぞれで手配をし、シンポジウム当日に会場で集合ということになりました。

僕も前日の夕方に京都へ向かい、夜は仕事の予定はありませんでしたので関西方面の友人と食事を楽しみました。
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その帰り道、23時頃だったと思うのですが、僕の携帯に参加予定のひとりの先生から慌てた様子で電話がかかってきました。
なんでも最終の新幹線で東京から京都へ向かう予定だったのだが、東京へ向かう中央線が事故で遅れてしまい乗れなくなってしまったとのこと。
そして僕に「どうすればいいでしょか?」と聞いてきました。
もちろん僕に聞かれてもどうにも出来ませんので、「申し訳ありませんが、ご自身でホテルにキャンセルの連絡をしてくださいませんでしょうか?」と答えました。

その翌朝、その先生は始発の新幹線で京都へ来て、シンポジウムの会場へやってきました。
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そしてその日一日シンポジウムに参加をし、夕方からシンポジウム会場に用意した会議室で懇親会を行った後、何人かの研究メンバーの方々で夜の京都の街へ食事に向かいました。

その食事の席で、僕の横に座ったその先生は時計を見ながらそわそわし始めました。
そして僕に「今からならまだ東京行きの最終の新幹線に間に合うんだよねぇ。明日は午前中に授業があるから明日の始発で戻ろうと思っていたのだけど。どうしようかな。どうするといいと思います?」と聞いてきました。

僕は「新幹線が間に合うようでしたら、ここは無理をせずに帰れる時に帰られた方がよいと思いますよ。」と答えました。
他の研究メンバーとも2時間あった懇親会で十分に話も出来たわけですし、その食事の席を途中で外れたからと言って特に利益を損なうこともなく、誰に問題視されるような状況でもありませんでした。

しかしその後もその先生はさんざん迷った挙句、「やっぱり明日の朝に帰ります。」と僕に言い、その場に残りました。

その翌日、新幹線は事故のために朝から停止していました。
結局その先生は授業のあった午前中には東京に戻れず、授業は休講となり、自身もかなりの時間を停まった新幹線の中で過ごされたのだそうです。
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あの時素直に帰っていればよかったのに。
その時に僕は、ここぞという時に適切な決断が出来る大人になろう、と学びました。

今でもその先生はある大学で教鞭をとられています。
もちろん僕とは違いその先生は研究者としては非常に優秀ですのでそのような職に就かれているのですが、本来大学の教員というのは研究者でありながら教育者でもなければならないのではないかと、僕は思っています。
本来先に生まれたくさんの経験をしてきている人間というのは、後に生まれた人たちの足を引っ張るのではなく、自らが踏み台になってこれまでの自身の経験を踏み台にしてもらい、未来の社会をよりよくすることに役立ててほしいと願うものではないのかなと、個人的には思っています。
これはあくまで僕個人の勝手な意見ではあるのですが、日本の学力低下やモラル低下の背景には、人間としてあるべき姿や行動というものを示し、後輩を"導くことの出来る先輩”や“手本になる大人”が不足している、ということも影響しているのではないかと、僕は最近の日本の大学や社会を見て密かに感じているのです。
posted by Coyama at 23:15| 思ったこと・感じたこと

2012年03月18日

縁の不思議

僕の周りではいつの頃からか不思議なことが起こるようになりました。子どもの頃はそんな記憶がありませんで、たぶん20代後半ぐらいからその頻度が高くなったように感じています。

それは主に「街中で偶然知り合いに会う」といったようなことなのですが、その頻度が僕は人に比べるとどうも多いように感じています。
そのような偶然人に会う時には、まるで何かが会わせようとしたかのように調整が行われます。つまりたまたま普段と違うような行動をとった時に限って、バッタリと街中で人に会うのです。

そしてそういった出会いのある人とは、何かしらの「縁」があるのだろうと最近は思っています。

実は今日も、隣町まで買い物に行ったのですが、普段は片道30分の道のりを歩いて行くものの、今日は雨のためにバスを利用しました。
そして帰り道もバスを使ったのですが、何を思ったのかふと目的地より1つ手前の停留所で降り、そこから家まで歩きました。
横断歩道で目の前で信号が変わろうとし、走れば間に合うものを走らずに信号を待ったりして、最後に家へ向かう角を曲がった時、通りの向こうをジョギングする男性がいました。

目が合ってすぐに気がついたのですが、彼は訳あってこの1年程会えていなかった友人でした。
実は今日もその友人のことをちらっと考えていて、なんとなくそろそろ会うのではないなという予感はしていたのですが、やはり本当に会うとは不思議なものです。

彼はジョギング中だったので僕とすれ違うタイミングはほんの一瞬です。いくら僕の家の前を通ったからと言ってそう出会うものでもありません。
もしあの時バス停を予定通りのところで降りていたら、天気がよくて歩いていたら、などを考えると、僕がとった行動はなんだか不思議と操られていたかのように思えてしまいます。

そんなことが僕には、身近な人とは頻度は多いのですが、疎遠になっている人でもだいたい2〜3ヶ月に1度は起こります。
前回も1月にそんな出会いがありました。
たまたま乗った電車で、乗車ホームで一度は立ったところからなぜか急に位置を変えて電車に乗り込んで、空いている席に座ったら目の前に知人が座っていた。
その知人もたまたまその日その時間に乗っただけで、普段はあまり使っていないのだそうですがいきなり目の前に僕が座ったのでビックリしたそうです。

数年前にグリーンランドを旅行した時にも、最終日に飛行機のトラブルで2日間の滞在延長になり、その2日後にコペンハーゲンに向かう飛行機を待っている時に、旅行の間に知り合ったドイツ人のおじさんに誘われて空港内を移動している途中で、1年ほど疎遠になっていたグリーンランド人の友人に会ったこともありました。
その友人は帰省のために、僕がコペンハーゲンに帰る便でコペンハーゲンからその空港に着いたところで、その時は国内線の飛行機を待っていたそうです。

デンマークを数週間程度訪れる時にも、偶然街中で知人と会うと言ったことがよくあります。
相手方は普段まさか僕がそこにいるなんて思っていないので会うと非常に驚かれます。
ただそういうときの人間と言うのはあまり驚かないんですよね。あまりに想定外なため頭が混乱するようで、ものすごく素っ気ない対応をされます。こっちは「あ〜、久しぶりっ!」と抱き合って喜んでもらえるのかと期待するのですが、そういったことはありません。
でもそれは、あまりにビックリしすぎて何も考えられないのだそうです。

みなさん別れてからしばらくして冷静になって、かなり驚いたということを後から興奮気味に電話やメールでもらうことがよくあります。

以前ブログにも少し書いたことがあるのですが、デンマークに行く時に携帯電話を解約したことで当時手帳などの紙媒体に連絡先を載せていなかった友人知人とはそれで連絡が途絶えました。
その中の一人に大学時代の同期の友人がいたのですが、結局彼とは帰国して1〜2年後に、たまたま僕が予定があって向かった東京都内のある町で、予定時間よりも早く着きすぎたためその時ちょうど切らしていたメモ帳を買おうと文房具屋を捜して歩いていたら、いきなり道ですれ違った彼が、後ろから「あれ?こやま?」と声をかけてきました。最後に会ってからはもう5年ぐらい経ってましたので振り返っても一瞬わからなかったのですが、結局はそこからまた付き合いは続いていて、今でもたまに飲んでいます。
共通の友人などもいますので連絡を取ろうとすればどうにでもとれたのですが、そうはしなくても会う人にはなぜか会う。
僕にはそういうことがあまりに多く起こるので、そういう状況で誰かに会っても驚くことがありませんし、いつの頃からか出会う人とは無理をしなくても出会えるものだと思っているのです。
そしてたとえ疎遠になろうと、またどこかでそう何かに引き寄せられるようにして会った人とはきっと何らかの「縁」があるのだと、僕は過去の体験から信じています。

そんな感覚的なことではなくても最近はFacebookなどSNSで用意に昔の同級生や友人を捜し出し、コンタクトが取れる時代となってきました。
それはきっと今の時代を生きる我々に与えられた、一つの大事な道具だと僕は思っています。一昔前では出来なかった低い確率での人との再会が、今の時代では技術の発達で高められている可能性がある。
もしそんな出会いがSNSなどでもあったとしたら、それも一つの「縁」です。大事にしたいと、僕は思っています。
posted by Coyama at 23:20| どうでもいいこと

2012年03月17日

キングギドラと男の子

コペンハーゲンに住んでいた8年前、僕はNoerreport駅近くにある「東京スカイウォーク」というお店によく立ち寄っていました。
ちょうど僕がいた2年間だけコペンハーゲンにあったお店で、日本のフィギュアやおもちゃなどを販売していました。
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お客さんのほとんどはデンマーク人で、その接客はデンマーク語の実践にもなるので、大学の帰りに立ち寄ってお手伝いとして時々レジに立たせてもらっていました。
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お店で特に人気のあったのがキティちゃんグッズとドラゴンボールグッズでした。ドラゴンボールはデンマークでも大人気で、当時の子ども達の心をガッチリと掴んでいました。
アニメも放送されていて、悟空たちは堪能なデンマーク語を話しています。
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ある時には、デンマークにファステラウンと言う伝統的な子どもたちのコスプレ祭りがあるのですが、ドラゴンボールの主人公である孫悟空の衣装を手作りするのでその参考にする、と言ってフィギュアを買っていったお母さんがいました。

他にも、お店にはいろいろな日本の商品が置かれていました。「ポッキー」などもデンマーク人には人気がありました。
またある時には「きのこの山」をデンマーク人が爆笑しながら買っていきました。その形が、とても気に入ったのだそうです。

そんなコペンハーゲンの町にクリスマスの足音が聞こえてきた、2003年のある冬の日のこと。
僕がいつものようにレジに立っていると、母親と兄妹の1組の家族がお店にやって来ました。子どもたちは5歳と3歳くらいでした。
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その男の子、お店に置いてある「キングギドラ」の人形が欲しくてたまらないのです。
その「キングギドラ」は特別に大きくて、外から見えるようにショーウィンドウに飾ってあったのですが、お値段は600kr(約10,800円、1kr=約18円)と少し高めでした。

母親が僕に値段を聞いてきて、手にとってみせてあげたら、その男の子、もうときめいちゃってるんです。目がキラキラしてるんです。
そして「Wow! Det er meget flot! [素晴らしいっ!] 」と何度も叫びます。見ているこっちが楽しくなるくらい。

でも、そこで母親が彼に言うんです。
「買えないわよ」って。
「自分でお小遣いを溜めて、それで買いなさい。」って。

もう、その男の子、すごく涙目で、、、。あぁ、本当に欲しいんだろうな、って。

そして母親がその人形を返す時、僕にそっと、こう言いました。

「明日か明後日、買いに来るから、取り置きしておいてくれる?クリスマスプレゼントなの。」と。

悔しいことに、その時の僕は母親が小声で言ったそのデンマーク語がよく聞き取れなくて、もう一度聞き直してしまいました。
一度で聞き取れるようになりたいとその時に悔しい思いをすると共に、横で涙目で拗ねている男の子と、こっそり僕に企みの笑みを浮かべているお母さんの姿が本当に素敵で、とてもジーンときてしましました。

よろしくね、とウインクして未練が残る息子の手を引っ張り、店を出ていくお母さん。それについていく妹。
その家族が店から離れ、「キングギドラ」を取り置きしておこうと僕が手を伸ばした時、通りの向こうからその男の子が走ってショーウィンドウの前に戻って来て、ガラスにベタ〜っと張り付きました。

本当に欲しいんだね。

それを引きはがしにきたお母さんが、窓越しに、僕に再びウィンクしてきました。僕もわかってます、と笑顔を返しました。

その男の子が、クリスマスの夜、ツリーの下から「キングギドラ」の包みを選んで開けた時、彼はどんな顔をするんだろう。お母さんやお父さんはそれを見てどんな顔をするんだろう。見てみたいな、と思いました。

僕も子どもの頃に、そんな素敵な想い出をたくさんもらった記憶があります。
僕はまだ良い縁には恵まれていませんが、いつかデンマークで出会ったような暖かい時間を、自分の家族と過せられればと、いつも思っているのです。
posted by Coyama at 23:56| デンマークのこと