2012年03月31日

9〜10世紀−キリスト教の布教

9世紀になるとスカンジナビア各国にもキリスト教が布教していきます。このキリスト教の流入は主に2通りの道筋でデンマークに持ち込まれました。

まず1つはヴァイキングにより持ち込まれたものです。海を渡り始めた当初は、ヴァイキングは暖かい時期になると遠征し寒くなる前には戻ってくる生活を送っていましたが、やがてその遠征の距離が長くなるにつれ、現地人と同化をしてその地に住み着くようになっていきます。
つまり彼らは現地民の女性と結婚して生活をしていくことになるわけですが、その頃すでに遠征先にはキリスト教が普及していましたので、ヴァイキングの中にも自然と改宗していく者も少なくありませんでした。
そして彼らやその子孫たちがスカンジナビアの地へ戻った際に、同時にこの新しい信仰までもが持ち込まれたのです。

もう1つは南方より陸続きでもキリスト教が伝わり、826年には現在のドイツ北部にあたるスレスヴィグ公国のヘデビュ(Hedeby)の村にデンマークで初めてのキリスト教の教会が設置されましたが、この教会はすぐに燃やされます。
しかしその後は信仰が広まるに連れて教会の数は徐々に増えていき、デンマークでは960年ごろにはすでにキリスト教の国となっていたという記録が残されています。

その記録はユラン半島のイェリンにある岩にルーン文字で刻まれ、デンマークという名が初めて歴史上に登場していると共に、それがキリスト教の国であるということが記されています。
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△ ルーン文字が刻まれたイェリン岩

この岩にはキリストの肖像も描かれており、現在は世界遺産として登録されています。
posted by Coyama at 21:08| コペンハーゲンの都市史

2012年03月30日

ヴァイキングの集落

ヴァイキングたちはその時代の一般の集落とは別に、独自の集落で生活をしていました。

彼らの暮らしていた集落は円形の土塁に囲まれた要塞であり、その跡地は現在でも見ることが出来ます。
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△ トレレ要塞の集落の再現模型

そのなかでも一番良くその姿が残されているのが、シェラン島の西海岸にあるトレレ要塞(Trereborg)です。

ここでは再現された当時の住居を見ることができます。
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△ 再現されたヴァイキングの住居

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△ ヴァイキングの住居の構造模型
posted by Coyama at 21:05| コペンハーゲンの都市史

2012年03月29日

北欧神話の神々

ヴァイキング時代以前のスカンジナビアの民族は独自の神々を信仰していました。現在「北欧神話」と呼ばれている神々です。

この北欧神話の神々には知を司る武神オーデン(Oden)、力を司る雷神トーア(Tor)、美を司る豊穣の神フレヤ(Freja)などがおり、それらの名前は現在でもデンマークの生活の中で見ることができます。

例えばオーデンセ(Odense)の街の名前は、この土地に北欧神話の神を祀っていたviと呼ばれる社があったことからOdens vi(オーディン神のvi)と呼ばれ、それが現在の名に変化したものといわれています。

他にもトーセガー(Torsager)やトーアビュ(Toreby)などの街の名前にも彼ら神々の名前をみることが出来ます。

またデンマーク語のOnsdag(水曜日)、Torsdag(木曜日)、Fridag(金曜日)もそれぞれの神々の名前が由来しているものです。
posted by Coyama at 21:58| コペンハーゲンの都市史

2012年03月28日

8世紀−ヴァイキングの登場

スカンジナビアの地に入植した人類は、その後長い年月をかけてそれぞれの土地で人口を増やしていきます。
やがて海や山脈に隔てられた地形的な制約に基づいて、スカンジナビアに3つの大きな集合部落(現在のデンマーク[スウェーデン南部のスコーネ地方を含む]、ノルウェー、スウェーデン)が誕生します。

しかし気温が低く山地の多いスカンジナビアでは、人々が定住するための農耕に適した平地はすでにその所有者が決まり飽和状態にありました。
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やがてそのような状況から新たな土地や収穫を求めて海外へと進出する者たちが現れます。それが、現代に『ヴァイキング』として知られる人たちです。
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スカンジナビアではその特徴的な地形であるフィヨルドが穏やかな海面を作り出し、航海技術の訓練には非常に適していました。
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そこからやがては北アメリカまで到達したり、西ヨーロッパ全域を侵略していくことになる海を渡る農民『ヴァイキング』が育ちました。
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彼ら『ヴァイキング』と呼ばれる集団が歴史上に最初に現れるのは、793年のイギリス北東部にあるリンデスファーン島の進軍と言われています。そしてそれを皮切りに、ヴァイキングたちはヨーロッパ各地へと勢力を拡大しはじめます。

ヴァイキングは一つの固有な民族ではなく、海を渡って他の集落へ食料や金品、女性を奪いにいったり、未開の土地を探し出して開拓する造船・航海技術、戦闘能力に長けた農民たちであり、スウェーデン、ノルウェー、デンマークにそれぞれ存在していました。
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デンマークのヴァイキングはヨーロッパの北西部沿岸とイングランドの東岸までを征服し、イングランド東部にデーンローという集落を設立しています。またライン側とロアール川に進路をとり、ノルマンディとブルターニュにも入植をしていき、さらにはスペイン、地中海沿岸、イタリアまでを襲撃していきました。

スウェーデンのヴァイキンギはバルト海からロシアを南下し、黒海やカスピ海へ流れ込むボルカの水源へ侵食し、ビザンティン帝国と交易を行い、やがてキエフ公国を設立していきます。
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△ ヴァイキングの進行ルート

ノルウェーのヴァイキングは西へと進路を進め、オークニー諸島、フェロー諸島、アイスランド、そしてグリーンランドまで拡大し、1000年前後には現在の北アメリカにまで到達していました。
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デンマークで現存する最古の街はユラン半島の西側にあるリーベ(Ribe)といわれています。
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700年代頃にはこのリーベの村がすでに存在し、その後ヴァイキングが海外へ進行を始めた800年頃にはロスキレ(Roskilde)、オーデンセ(Odense)、ヴィボー(Viborg)、オールボー(Aalborg)、オーフス(Århus)の村々が形成されていたとされていきました。

またヴァイキングたちはこの村々に暮らしていたわけではなく、彼らはトレレ要塞(Trelleborg)などに代表される彼ら独特の集落を形成して暮らしていました。
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このヴァイキングが活躍していた頃のコペンハーゲンの地には、まだ東海峡の漁を目的としたいくつかの家族が暮らしているだけの小さな集落でした。
posted by Coyama at 22:23| コペンハーゲンの都市史

2012年03月27日

デンマークの歴史/石器時代

デンマークをはじめスカンジナビアの大地には湿地帯が多いため、沼地の底から紀元前後のものとされる保存状態のよい弓(長さ1.6m)や弓矢、矢尻などが多く発掘されています。
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特に沼地の底から発見された人間の遺体は、沼地の成分により炭素化され、当時の姿のまま指紋まではっきりとわかる形で発見されており、それらはデンマークの広範囲で数体発見され、当時の生活の様子を知る貴重な資料となっています。
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デンマーク各地で発見されているこの炭素化した人間のミイラは、その傷跡などから罪人で処刑後に沼に沈められたものと推測されています。
これらのミイラはきちんとした保存処理がされ、現在ではデンマーク各地にある郷土博物館などで一般にも公開されています。
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こうしてスカンジナビアでは生活に適したそれぞれの地に集落が形成され、やがて他の集落と交易が行われるようになり、徐々に大きな集団へと成長していきました。
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posted by Coyama at 22:59| コペンハーゲンの都市史