2012年02月25日

多摩ニュータウンの未来(後編)

(昨日の続き)

多摩ニュータウンは高度成長期に都心に人口が集まり増加をしていく対策として、多摩丘陵を切り開いて作られた新しい街です。
それが40年近くなった現在、住民の高齢化や建物の老朽化などといった問題に直面しています。
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そんななかで、都会での人口減少と居住地域のことを考えていくと、多摩ニュータウンなどは地方の耕作放棄地と同じように、人から敬遠されていくことになるのではないでしょうか。

僕の個人的な意見としては、やはり寂れた商圏しか持たない多摩ニュータウンよりも、賑わいのある東京区内の都心に暮らしたいと思います。
しかもいくら特急や急行電車が通り、都心から時間はかからないとは言え、通勤時には特急が走らず平時の倍の時間がかかり、夜遅くなるとやはり電車も制限されてくる現実には、不便を感じます。
僕と同じように感じる人は少なくないと思います。

だからといって多摩ニュータウンが悪いというわけではありません。よい部分もたくさんあります。
例えば、都会に比べれば自然が多い、ということ。
また歩車分離された道路計画があります。つまり道を歩いていても車に接する危険が少ない。
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つまり都心など道路が密集していて車の往来の激しい地域に比べ、子どもを安心して遊ばせられるといった子育てにはよい場所ではあります。

みなさんは「じょうぼ」という空間をご存知でしょうか。
この「じょうぼ」というのは主に千葉の房総地域の言葉のようなのですが、一般道路から家の敷地までの長い進入路のことを指すのだそうです。
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この「じょうぼ」はその家の人しか使わないため、家の子どもたちが遊ぶときに、車の心配をしなくてよい、安心して遊べる場所なのだそうです。
庭とも言えず道路とも言えない曖昧な場所。そういった場所が、同じように多摩ニュータウンにはあると思います。

今後、多摩ニュータウンから人口の流出を防ぐには、そのようなメリットをうまく活用し、地域特性を活かした住みよい街、にするしか方法はないのではないでしょうか。

何も手を打たなければ、耕作放棄地と同じく“居住放棄地”となる可能性は少なくないと思います。

例えば、僕の故郷は音楽グループのサザンオールスターズの桑田佳祐さんの出身地ということでもよく知られる神奈川県茅ケ崎市です。
「茅ヶ崎」と聞いてみなさん思い浮かぶのは「湘南」という海に面した地域ということだと思いますが、そのイメージ通りで、茅ヶ崎には海しかありません。
しかしその海と、海を取り巻く環境は大変魅力があり、多くの人を惹きつけます。
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多摩ニュータウンなどにはもちろん海はありませんが、木々の多い豊かな里山環境があります。
このような自然をもっと魅力的に見せたりすることはできないものでしょうか。
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前述の歩車分離は、マラソンなどを趣味にするランナーにはとてもよい環境です。車や信号に邪魔をされることなく、自分のペースで好きなだけ走ることが出来ます。また公園なども多いことから、給水やトイレもほどよく整備されています。
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他には、その環境を活かし、週末農業やクラインガルデン、サマーハウスのような活用も可能になると思います。
僕が長野県小諸市で行っている週末農業的な活動に対してよく聞かれる意見は、「とても興味があるが、都心から車で2〜3時間かかるのはちょっと遠い。」というものです。
多摩ニュータウンの居住の実態はどうなっていくかはわかりませんが、例えば低家賃の小さめの住居に空きが多く出てくるようであれば、そこをセカンドハウスのように利用し、市内の農園で農作業を楽しむ、ということも出来るかもしれません。
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もちろん口で言うほど簡単なものではなく、そこにはいくつもの課題があるのはわかっています。
たくさんある団地などの住居も、制約が多くあり自由な発想で利用してくことは難しい現状があります。

ただ、この先の人口減少社会において、多摩ニュータウンがこのまま普通の都市でいられることはありえず、前述の耕作放棄地の増加的な考えからも、立地的に厳しくなってくるのではないだろうかと僕は思っています。
多摩ニュータウンだけではなく、東京郊外の千葉や埼玉など、同じような問題を抱える都市はこれからますます増えてくると思います。
そういった都市の衰退を防ぐには、「ここに住んでいたい」と思わせるような街にすることが重要です。

そのための対策案は自然環境だけではありません。例えば、この地域で人生最期を迎えるまで安心して暮らせる街だったらどうか。
医療・介護・看護・福祉・居住・地域コミュニティなどの連携が行き届いた暮らしやすいメディカルタウンという発想もあります。
歳をとり、病気になったら都内の大病院などに入院し、病院を転々として最期に病院でなくなるよりも、住み慣れた街で、住み慣れた家で最期を迎えることが出来る。その仕組みが、その街には出来ていて、安心して暮らせる。
そういう街であれば、住み続けたい、と思う人も多いのではないかと思います。

僕が会社を立ち上げたのは、まずはそのような仕組みを、多摩ニュータウンで作ろうと思ったからです。
そこには昔からあるような人的なネットワークの活用はもちろんのこと、今の時代の新しいIT技術やICTといった情報コミュニケーションネットワークを活用すれば、これまでは出来なかった新たな仕組みを作ることが出来るのではないか、と可能性を感じています。
そして多摩ニュータウンでその仕組みが出来れば、それは全国にも適用していけると思っています。

旅立つ人を送り出す時に、残される人たちが、大切な人を失う悲しみだけでもつらいのに、現代社会の歪んだ仕組みのせいで悔しい思いをしてしまうことがある。
そんな思いをする人たちを、僕は少しでも減らしたい。それだけです。
posted by Coyama at 00:42| 多摩ニュータウンのこと