2012年02月21日

夏の甲子園のファールボール

世の中には「チャンスの神様」がいて、その神様には前髪しかないといいます。
それはつまり、通り過ぎてから掴もうとしても、後ろには髪の毛が無いので掴めない、ということなのだそうです。
確かに僕もそうだと思います。チャンスはものすごい勢いで迫ってきて、逃したら後ろからは追えない。

僕もある体験から、チャンスの掴み方を学びました。その体験とは、「夏の甲子園のファールボール」です。
僕は2002年の夏の甲子園で、チャンスとは何か、それを掴むためにはどうすればいいか、を学びました。

2002年のその年の秋に僕はデンマーク行きを控え、最後の夏を日本で過ごしていました。しかし日本を離れる前に、僕がデンマークへ行く決心をしたきっかけとなった本の著者に会って直接話を伺いたいと思い、その夏に僕はその著者の方にアポイントをとって訪問しました。
その方は兵庫に住んでいたため、僕は東京から飛行機で伊丹空港へ向かい、空港からはバスで神戸の街へと向かいました。

するとその途中、バスは甲子園球場を経由していったのですが、たまたま目にした球場の横断幕で、僕が神戸での滞在中に高校野球が開幕を迎えるという事を知り、滞在の最終日に行われた開幕戦を観戦すべく甲子園球場に足を運びました。
PIC00002.jpg

真夏の熱闘甲子園。一般人が座れる自由席は内野側の座席なのですが、僕は少しでもその雰囲気を楽しもうと、各高校の応援団や関係者が集い盛り上がる外野席ギリギリの内野側の席に座り、朝から試合観戦を楽しんでいました。

ギラギラと照りつける太陽のもと、昼間から喉を潤すべくビールを飲み、涼を求めてかち割り氷を噛み砕き、応援団の応援に合わせて声を張り上げ、楽しみながら野球観戦をしていたのですが、その瞬間は突然訪れました。
PIC00012.jpg

太陽が照りつける快晴の真っ青な空の下、多くの人たちの期待を背負ったエース投手が、渾身の力を込めて投げた球を、多くの応援を受けた右打席に立つ豪腕打者が、向かってきたその球にバットを振り出すと、そのボールは左に大きく弧を描きながら飛んでいきました。

そしてそのボールの先には、僕がいたのです。

ちなみに僕がいたのは内野席ですので、その打球は打った時点でファールボールとわかるような弾道でした。

今でもその時のことは覚えているのですが、本当に一瞬の出来事で、投手が投げて打者がバットを振ったと思ったら、ものすごい速さで白球が僕をめがけて飛び上がってきました。

しかもその白球は回転を伴い、「シュー」と大きな鋭い音をたてて飛んできたのです。

「来た!」と思った瞬間には既に僕の目の前に迫っていて、次の瞬間、僕は怖くなって思わず体を横に倒してその球を避けてしまいました。

するとボールはさっきまで僕の顔があった位置をものすごい速さで通過し、後ろの座席に飛び込んだ後、大きな音とともに高く跳ね、マウンド側へ大きく跳ね返りました。
野球場などのスタジアムはご存知の通り観客席が試合が行われるマウンド側に向かって下りの傾斜になっていますので、下に向かった球は2〜3度飛び跳ねた後、勢いを落としながら段差をトントンと転がり落ちはじめ、最後に通路の手すりのところで止まりました。

数秒前までの勢いが嘘のようにおとなしくなったその球は、止まった位置の前に座っていたおじさんによって拾い上げられました。

まだ動悸が収まらない僕が、上の方からその球を拾ったおじさんをうらやましく思い見ていると、そのおじさんの斜め後ろの方から若い女性の2人組が駆け寄ってきて、「わぁ〜、いいなぁ!☆!」と言ったのです。

するとボールを拾ったおじさんは、「ほら、あげるよ。」とそのボールを女性たちの方に向かって投げたのです。

「いいんですかぁ!ありがとうございます!」とボールを受け取り「きゃっ☆もらちゃった!」喜ぶ女性たち。

その瞬間に、僕はチャンスの掴み方と逃し方を悟りました。

たぶんチャンスというのも、そのファールボールと一緒だと感じたのです。

僕に向かって球が飛んできたあの時、僕は手にかち割り氷を食べ終わった大きめの紙コップを持っていました。
例えばあの時、その紙コップをうまく使っていたら、あのボールを捕獲できていたかもしれない。横に置いてあった鞄でたたき落とすことも出来たかもしれない。
もしくは鋭い音で回転をしながら飛んでくるボールを恐れる事なく、突き指しようが骨折しようが手を伸ばしていたら、あの白球は夏の思い出として僕の手にあったのかもしれない。

しかし実際には僕は怖くて掴もうとする勇気もなく避けてしまった。そして球は手に入らなかった。

ただ、僕が見逃したその球は、僕が避けた後に消えてなくなったわけではなく、跳ね返り、転がり落ち、勢いが収まったところで近くにいたおじさんに拾われた。さらには、その後ろから駆け寄って「いいなぁ☆」と言っただけで、若い女性が手に入れた。

つまりは、そういうものなのだと思います。

この「球」を「チャンス」だとします。
現実社会の中で、僕の目の前に来た「チャンス」を、僕が怖くて掴めなくても、その「チャンス」はいつかどこかで誰かの手に渡ってしまう。
それを手にするのは、たまたま「チャンス」の勢いが衰えた時に近くにいたおじさんかもしれないし、たまたま拾うのを目にして「いいなぁ☆」と声をあげたらもらえたお姉ちゃんかもしれない。

その出来事と体験があって以来、僕は物事に対して怖がることや深く考えることをやめました。
例え突き指をしようが骨折をしようが、僕はファールボールが飛んできたら、真っ先に手を伸ばす事にしました。

その甲子園での出来事からもう10年が経ちましたが、それ以降の様々な体験からも、この考えもあながち間違いではないと感じています。
チャンスを手にする事が出来るかどうかは、いついかなる時にファールボールが自分に飛んできたとしても、それに気がつき、冷静に構え、逃す事なく、一瞬の判断でそれを捕まえる、その注意力。それと怪我をすることなく、より高確率で掴み取るための日頃の鍛錬が重要なのだと、僕は思っています。

そう、チャンスの神様には、前髪しかないのです。
posted by Coyama at 23:32| 思ったこと・感じたこと