2012年02月17日

船中八策

以前政治活動をされている知人から、広報用の文章を渡され意見を求められたことがあります。
その時に僕はその文章に目を通し『文中に「私の“船中八策”に是非乗ってください!」とあるけれど、政治家ってのはどうも幕末の志士やら坂本龍馬さんが好きで、それに自分を投影したがる。気持ちはわからなくもないが、“船中八策”みたいな他人の言葉を使わずに、自分の言葉を使いなよ。』とアドバイスをしたことがあります。

僕は別に政治に対してとやかく言うつもりはないのですが、大阪市の橋本市長率いる大阪維新の会が公約として「維新版・船中八策」を発表したとのニュースを見ました。

内容云々に関しては何も言うつもりはありませんし、個人的には橋本さんのような革新的な方を応援していますが、このネーミングはどうなんだろうかと思います。
「維新」だとか「志士」だとか、これまでも“幕末好きか?”と思うような言葉を多々使われてはいますが、それでも間違った言葉でもないので気にはしていませんでした。
ただ「船中八策」を使ってしまっては、もうこれは確実に幕末に自分たちを投影して酔いしれている演者たちの集まりになっているとしか、僕の目には映りません。「見せ物」や「ショー」ですよね。

勘違いしないでほしいのは、これは別に橋本さんを非難しているわけではなくて、この「船中八策」という言葉に対して疑問を感じる、ということです。あれだけの業務を抱えている橋本さんが自ら素案を構築されていることはないと思いますので、きっと周囲のブレーンがあれこれと素案を固め、上にあげ、橋本さんや他の維新の会のメンバーの方々と話し合いながら決まったことだと察しています。

もちろん最終的にその言葉を使うかどうかの責任はトップにあるわけですから、もしかすると橋本さんが好んで使われたのかもしれませんが、だとしたらその言葉を使った真意を知りたいな、と思っています。

単なる幕末の志士・坂本龍馬さんに自分(たち)をなぞらえて使ったのであれば、僕はそこに疑問を感じてしまいます。

船中八策は、文字通り坂本龍馬さんが船の中で考えた8つの政策案ということで船中八策と名付けられています。
もっともそのことを正確に知っている生き証人はこの世にいませんので、それが本当の話なのかどうかはわかりませんが、一応史実ではそうなっています。
本当は遊郭で遊んで酔いつぶれた明け方に隣で寝ている遊女の屁を聞いてふと思いついた「艶屁八策」だったのかもしれないし、性行中に思い浮かんだ「女中八策」だったのかもしれないし、脱糞中に厠で思い浮かんだ「糞闘中八策」だったのかもしれない。
しかしそれでは格好がつかないので、志を持って移動中の船の中で、明日の新しい日本を想いしたためた8つの政策「船中八策」、どやっ!?なんてエピソードにしたてあげた、なんてこともあるかもしれません。
坂本龍馬さんだって人間ですからね。そういったことがないとも限らないし、僕ならそういうことは格好良くみせたいと思いますし、歴史なんてものは後世に伝わってしまったものが真実になってしまうので、あながち間違いだとも言えないと思います。

僕が大阪維新の会が「船中八策」という言葉を使ったことに疑問を感じるのは、まずは単純に「船の中で考えたわけじゃないでしょ?」という点です。
いや、実際にクルージングの最中だったり、移動のフェリーの中で考えた、ということであればよいのですが、もし会議室で練ったものだとしたら「船中八策」ではない。
もっとも「維新版・船中八策」だったり「維新八策」だったりと言葉が錯綜しているのでどれが正しい表記なのかはわかりませんが、「船中八策」という言葉をベースにしているという点は間違いないでしょう。

また「船中八策」という言葉ありきで政策を作ったとしたら、無理矢理8個作ったということになります。
そううまく8個になるものですかね?

実際「船中八策」という言葉は後からつけたとして、最初に真面目に政策について論議をし、7個だったり9個が出た。よし、いいんじゃないか。じゃあこの政策案に名前を付けようか、となった時に、誰かが「“船中八策”がいいぜよ」なんて言ったのではないでしょうか。
すると8策にしなければいけないため、付け足しで1つ考えを絞り出したとか、ボツ案が繰り上げ採用になったとか、逆に1個減らしたとかとなった。
だとしたら本末転倒ですよね。「志」もなにもあったものじゃない。

百歩譲ったとしても「船中六策」だったり「船中十策」でもよかったんじゃないですかね。

僕は橋本さんにはお会いしたことはないので、橋本さんが実際はどのような方かも知りませんので、個人を非難するようなことはしません。それに繰り返しますが、少なくともニュースなどで目にする革新的な行動には賛同しています。
ただ、ご本人なのか取り巻きなのかはわかりませんが、それが戦略なのかもわかりませんが、なんだか現代版幕末ショーをされるのであれば、それはちょっと違うんじゃないかなと僕は思います。

自分の意志で、自分の言葉で行動してこそ、真の志士なのではないのでしょうか。
でも、明治維新の時の志士達も、歴史を読む限りではけっこういろんな人たちの意見に惑わされていたんですよね。
まぁあれです。惑わされようが何をしようが、とにかく「明日の自分をよくしたい」ではなく「明日の日本をよくしたい」と思って行動をしてくだされば、それでよいと思います。
posted by Coyama at 11:19| 思ったこと・感じたこと