2012年02月15日

笑施

先日、調べ物があって過去の日記を開いたところ『「こやま君はやってることもやってることだけど、それ以上に何をやっていてもいつも楽しそうだからそれでいいんだよ。それは他の人にはなかなか出来ないことなんだよ。」と言われた。 』という6年前の日記が目に留まりました。

今月の初めに、長野県小諸市で行っている「こもなみ倶楽部」の活動が12月に取材を受けた時の雑誌が送られてきました。
その取材の時には専属のカメラマンの方が同行され我々の活動を写真に収めてくれたのですが、記事に劣らず掲載されたその写真もどれも素晴らしいものでした。
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僕は「こもなみ倶楽部」の活動の中ではいつも写真を撮る側なので、普段はあまり自分が写っている写真を目にすることはないのですが、その雑誌の写真には珍しく僕がたくさん写っていました。しかしその写真の中の僕が、どれもまぁ楽しそうな顔をしているのです。
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それを見ると、確かに人から「いつも楽しそうだね」と言われるだろうな、と自分でも思いました。

8年前、当時住んでいたデンマークのコペンハーゲンの街角で、僕は偶然知り合いの日本人のおばさまに出会いました。
僕が彼女を見つけたときには彼女はまだ僕には気がついていなかったので、僕から声をおかけしたのですが、するとおばさまは僕を見るなり急に嬉しそうな顔をされ、笑顔でこう言ったのです。

「あらぁ、こやまさん!やー、よかった。本当にあなたはいつもニコニコしてて楽しそうで、会うとこっちまで楽しくなってくるのよ。会えてよかったわー。なんか今日はいいことありそうっ!」

僕は特に何をしているわけでもありませんが、普段から僕を見てそう思ってくださっている人がいるのであれば、いつも楽しく笑っていようかな、とその時に思いました。

でも、それはある意味「血」なのかもしれないな、と最近思っています。
ここ数年、親族の不幸が続いているのですが、それら葬儀の時にも、僕の周りはいつも笑顔があります。
一昨年の母方の祖父の葬儀の時には、僕を含む孫同士があまりに楽しそうに笑い合っていたのが印象的だったようで、住職が葬儀の最後に挨拶を述べられた時に「今までいろいろな葬儀に出てきましたが、これほどにこやかで仲のよいお孫さん達は見たことがない。故人もさぞ喜ばれていることでしょう。」と言ってくださいました。

もちろん別れは悲しく、心では故人を偲んで泣いているのですが、それでも涙よりも笑顔で送ってあげた方が故人だって喜ぶとみな思っているから、きっと笑みが溢れているのだと思います。

母方の家系だけでななく、父方の家系の小山家の家訓の中にも、こんな言葉があります。

『笑みを施せば笑みで返ってくる』

曾祖母が、祖父に常日頃言っていた言葉なのだそうです。

だからきっと、僕がいつも楽しそうに笑っているのは、生まれつきのものであり、子どもの頃からの習慣なのだと思います。

いい大学を出て、いい会社に就職して、偉くなって、使い切れないほどのお金をもらって、たくさんの名誉や肩書きを手に入れても、それらは死ぬ時にあの世にはもっていけません。
大事なのは、その人が生きている間にどれだけ笑い、人を愛し、人に優しくしたかということだと思います。

僕にはありがたいことに学歴だけはそれなりにありますが、その他には今の日本人の評価に値するものは何も持っていませんし、お金もほとんど持っていません。
ただ、笑みだけは、たぶん人一倍持っているという自信はあります。
他人に対して、お金は施せませんが、笑みなら施すことが出来ます。
でもそれってとても大事なことで、誰にでも出来ることではないのだなということに、最近気がつきました。

それに昔から『笑う角には福来る』とも言います。
人生にはいろいろなことがありますが、結局のところは生まれつきの性格のため、笑っていればなんとかなるかな、と困ったことにいつも思ってしまうのです。
posted by Coyama at 23:14| どうでもいいこと